仏像の種類:天(てん) PR

【仏像の種類:四天王とは】最弱なんて言わせない!最強ガードマン部隊!

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今回解説する仏像は四天王です。「四天王」この言葉はよく耳にすると思います。「○○の四天王」と言うと、あることについて、もしくはある部門や団体においてもっとも秀でた人たち4人のことを形容するのに使われる言葉ですよね。スゴくて、頼りがいのありそうなトップ4のイメージ。そして本家本元の四天王も期待を裏切らないんです。

四天王の主な働き

四天王とは、どんな仏や菩薩にも仕えてその四方を護るガードマン、万能の天部チームです。ですから、メンバーは強そうなコワモテ揃い。

生前の釈迦の教えを聞いていた四天王は、釈迦が亡くなった後に仏法を守護するように託された精鋭の用心棒たちなんです。

※こちらの皆様は凄い方々ですが仏さまではありません※

仏教では世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その山頂の遙か上空に仏陀(如来)がいる世界があると言われます。用心棒よりもっといい言い方をすれば、その仏国土といわれる世界を護るために須弥山の四方に神々の軍団の城が置かれ、その軍の司令官をしているのが四天王というわけなんです。

 

 

四天王は、日本では古くから信仰されています。飛鳥時代に蘇我馬子(そがのうまこ)が物部守屋(もののべのもりや)を討ち果たせたのは、聖徳太子が馬子の戦勝を四天王に祈願したため、という伝説も。それが叶ったことから建立したという四天王寺が大阪にあります。

 

次代の聖武天皇は、各地に国立寺院つまり国分寺を造営しました。その国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」。『金光明最勝王経』には、この経典を教科書のようにしてきっちり守れば、四天王が国家を守護すると書いてあるんです。聖武天皇はこうして四天王に国の守護を託したわけですね。

これらのきっかけもあって、四天王には戦勝祈願が効く信仰や国家鎮護のご利益があるとされています。仏教が伝来されてから日本では国家的に信仰されたのがこの四天王なのです。

仏の世界には仏法を守護する者たちがいろいろな形で存在しますが、これらの四天王は仏法守護を行うそれらの代表として、造像数も天部トップの人気のあるチームです。

四天王は通常は四体が1セット。戦隊モノのチームみたいなかんじです。でも、別のフォーメーションで働くときもあります。

持国天と増長天というペア、そして持国天と多聞天がペアになると、四天王と同じ役割を果たすと考えられているんです。この場合は二天と呼びます。二天のときは、金剛力士のように寺門に祀られることもあります。

 

 

さらに、四天王の中でもっとも力が強いのは多聞天とされています。戦隊モノで言うとレッドでしょうか。

 

実は多聞天は強いためたくさんの人から人気を集め、その結果ソロデビューを果たしました。そのソロデビューしたときの名は皆さんご存知の毘沙門天(びしゃもんてん)。多聞天は一体で祀られることもあって、その時は毘沙門天を名乗るのです。レッドは一人でも頑張ります。

 

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四天王の成り立ち

四天王は、そもそもインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下だった者たちが仏教の守護神として取り入れられ、それぞれの特技を生かして仏に仕えるようになったものです。最初は貴人の服装をして柔和な表情でした。それが中央アジアを経由して中国へ渡ると、甲胄を身に付けた武将の姿へと様変わり。日本に伝来してきたのはこの武装天部バージョンです。中国風の甲胄を身に付けていることからそれがわかります。

さらに怒ったような、威嚇するような表情もプラスされました。仏教伝来後、早い時期からお堂の四隅を護っているのです。

 

四天王の特徴、見分け方

 

4人組のレンジャー戦隊のようにチームで動く時には四天王はそれぞれに役割分担があります。守護する方角やその働きが決まっているんです。

 

見分け方としては四天王はいずれも甲胄を身に付け武装していて、悪の象徴である邪鬼を踏みつけて立っています。手にするものは持国天と増長天は武器、広目天は巻物と筆、多聞天は宝塔を持つ場合がほとんどです。四尊は向かって右手前から時計回りに持国天、増長天、広目天、多聞天という順番で安置されることが基本となります。

 

それぞれの四天王の頭文字をとって

持・増・広・多

「じぞうこうた(地蔵買うた)」と 唱えるととても覚えやすいですよ。

 

持国天(じこくてん)→東のガードマン

「国を支える者」を意味します。

またの名を提頭頼吒(だいずらた)=梵名:ドゥリタラーシュトラ

持国天は名の通り、国を支える者として悪を下し、国家を平和に安泰にさせる力があります。革製の甲冑を身につけた唐の時代の武将風の姿。持物は悪魔を払う力の象徴である宝刀を持っています。

 

増長天(ぞうちょうてん)→南のガードマン

「恵みを増大させる者」を意味します。

またの名を毘楼勒叉(びるろくしや)=梵名:ヴィルーダカ

増長天のまたの名である毘桜勒叉(びるろくしゃ)には発芽し始めた穀物や成長する者という意味があり、五穀豊穣を司り、その超人的な成長力で仏教を守護します。

 

戟(げき/矛や槍に似た古代中国の武器)を持つ場合が多いです。先に3つに分かれた刃がついた三叉戟を持つ場合も。

 

広目天(こうもくてん)→西のガードマン

「特殊な力の目を持つ者」を意味します。

またの名を毘楼博叉(びるばくしゃ)=梵名:ヴィルーパークシャ

 

広目天は千里眼のような目でこの世を観察し、仏の教えとそれを信じる者を護ります。仏教の教えに従わない者や外敵を捕らえ、人々の煩悩をも取り押さえ、正しい教えへと導くとされています。

 

古くは筆を持ち、巻物に何かを書きとどめている姿で表現されました。しかし、平安時代以降の像には三鈷戟(さんこげき)を持つ場合や羂索(けんさく)を持った姿もあります。

 

様々な形式がありますが東大寺の戒壇院の筆を手に取る姿の広目天が有名です。

 

多聞天(たもんてん)= 毘沙門天(ソロデビュー)→北のガードマン

 

「あまねく聞く者」を意味します。

またの名を毘沙門天(びしゃもんてん)=梵名:ヴァイシュラヴァナ

 

釈迦の説法を良く聞く者の意味もある名前です。四天王の一尊として安置される場合は「多聞天」、ソロで活動する独尊として安置される場合は梵語の名前を音訳した「毘沙門天」と呼ばれます。

 

平安時代から財福の神、そして疫病を払う無病息災の神としても信仰されました。福の神として恵比寿・大黒にならびます。室町時代末期からは日本独自の信仰として七福神の一尊にもなりました。

 

宝塔を捧げ持ち、反対の手で三叉戟を持つか宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)を持つ場合が多いです。

宝塔=毘沙門天

で、まず間違いないでしょう。

 

軍神という側面も持ち、戦国時代には武田箴言や上杉謙信など多くの武将たちに信仰されました。一人で何役もこなす人気者です。特に岩手県北上川流域には毘沙門天がたくさん祀られており、これは坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷という部族を討伐する際に戦勝を祈願したという伝承が残ります。

また毘沙門天がさらに変化した姿に兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)があり、地天女という女性の上に乗って二鬼(尼藍婆、毘藍婆)の上に立つ姿があります。

 

四天王の梵字と真言・ご利益

四天王の真言と梵字の種字はそれぞれこのようになっています。

持国天の梵字・真言・ご利益

種字の読み:ヂリ

真言:オン・ヂリタラシュウタラ・ララ・ハラマダナ・ソワカ

ご利益:善を助け悪を挫き、国を守護

増長天の梵字・真言・ご利益

種字の読み:

真言:オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ヂハタエイ・ソワカ

ご利益:釈迦と仏教の信者を守護

広目天の梵字・真言・ご利益

種字の読み:ビー

真言:オン・ビロハキシャ・ノウギャ・ヂハタエイ・ソワカ

ご利益:国家の安泰

多聞天(毘沙門天)の梵字・真言・ご利益

種字の読み:バイ/ベイ

真言:オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ

ご利益:財宝と福徳を授け、戦いを守護

 

四天王に踏みつけられる邪鬼とは、その意味

四天王の足元で踏みつけられ、苦悶の表情、獣のような表情をしているのが邪鬼。端的に説明すると、祟りをなす者、物の怪などのこと。古代インドの闇の神に「夜叉」という者があり、はじめは仏法に敵対していましたが、お釈迦様に調伏(ちょうぶく)されて降参しました。

 

その後、夜叉たちは護法善神として仏国土に控える戦士つまり神将になったのです。その夜叉たちの昔の家来であったのが邪鬼。かつては夜叉神の命令で闇世を飛び回り、いろんな厄介ごとをまき散らしていました。しかし、今では四天王に調伏され、仏法を犯すものの象徴として四天王像の足元で踏みつけられるようになりました。

 

四天王像を観る機会には、ぜひ足元にいる小型の鬼類である邪鬼の表情に目を留めて見ることをお勧めします。

 

えげつない踏まれ方をしている邪鬼もいれば、中には踏まれて笑みを浮かべているドMな邪鬼もいたりして、とてもコミカルな存在。悪役なんだけれどもどこか憎めない存在で心魅かれてしまいます。

 

どこか自分に重ね合わせていたりするのかなぁ(笑)

四天王像の主な作例

奈良・東大寺戒壇院【国宝】

出家者が受戒(正式な僧となるための戒律を授けられる)するための施設として755年に鑑真和上を招いて創建され、現在の建物は1733年の再建されたものです。その内部には中央に宝塔があり、その周囲を護っているのが四天王。

 

奈良時代の塑像の最高傑作の一つと言われ、国宝です。最初は戒壇院にあったものではなく、法華堂(三月堂)で日光・月光菩薩像と一緒に安置されていた可能性が高いということです。当初の色彩はほとんど剥落し、像表面は白色ですが、それがかえって渋みを出しているようにも見えます。

 

持国天、増長天像は目を見開いて目の前の敵に怒りを露わにした表情。一方、広目天と多聞天造は眉をひそめて遠くを見つめるような、たしなめるような表情。お堂に足を踏み入れたとたんに感じる緊張感は、この写実的な表情の見事さが一役買っているのかも。踏みつけられる邪鬼たちの苦悶の表情も迫真のものです。

国宝「塑像四天王立像」。

持国天:160.5cm

増長天:162.2cm

広目天:169.9cm

多聞天:164.5cm

作風から作者は東大寺大仏鋳造に貢献した国中公麻呂(くになかのきみまろ)ではないかと言われます。

外敵に向けられた怒りだけでなく、内側からあふれ出す怒りまでも感じられる見事な作品です。

 

詳しくはこちらの記事をご参考ください

 

京都・東寺 講堂(立体曼荼羅)【国宝】

835年頃完成した東寺講堂ですが、現在のものは1491年に再建され、重要文化財となっています。この講堂にあるのは、大日如来を中心とした密教尊21体が安置された立体曼荼羅!

21体の彫像のうち15体は講堂創建時の像とされており、その須弥壇の四隅に配置され、ここでも仏を守って勤務中なのが四天王。4体のうち、腕を振り上げた持国天像は怒りが露わで、激しい動きが彫像に表現されていますが、他の3体の表現は怒りを抑え込んだような表現になっています。ここの広目天は筆や巻物を持っていません。

国宝「木造四天王立像」。

持国天183.0cm

増長天184.0cm

広目天172.0cm

多聞天198.0cm

いずれも839年に完成した、平安初期の木彫彫刻の傑作です。

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奈良・興福寺南円堂【国宝】

813年に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父親の内麻呂(うちまろ)の冥福を願って建てた八角堂です。

ここの四天王は、作風から4体がセットであることは確かなのですが、尊名が入れ替わっている可能性があるそうです。

 

多聞天は宝塔を掲げているのでまず間違いなし。持国天とされる像は刀を右手に持ち左手を剣の先のほうに添えています。

増長天は口を開けて威嚇する表情、広目天は口を閉じ、眉間にシワをよせています。両像は腰のひねり方が逆ですが、左手で戟を持つ似たポーズを取っています。これらの4像の表情や動きが大袈裟ではないところがスマートな四天王です。

国宝木造四天王立像

制作年代:鎌倉時代

寄せ木造り、彩色

 

持国天:206.6cm

増長天:197.5cm

広目天:200.0cm

多聞天:197.2cm

現在南円堂に安置されている四天王像はもともと南円堂に安置されていなかったことが研究で明らかになっています。なぜもとの安置場所にこだわるかって?

 

それは、現在の四天王像が最初にどこのお堂にあったのかがわかれば、造像した仏師の名前がわかるかもしれないから。東金堂にあったなら定慶(じょうけい)の工房で造像された可能性、北円堂であれば運慶の工房で造像された可能性が高いと言われています。

 

材質が同じ桂材であるため、この四天王像はもともと北円堂にあったのではないかという意見も。それを裏付けるかのような事実も判明しました。最近の東京国立博物館の研究によりX線CTスキャンによって四天王立像が北円堂の国宝無著(むちゃく)・世親(せしん)両菩薩立像と同様な造りであることがわかったのです。これでさらに運慶制作の可能性が高まりました。

 

2017年に東京国立博物館で開催された「運慶展」ではこの仮説に基づく仏像の配置が再現され、この展覧会の華であるメインの展示となっておりました 。

引用:運慶展

(番外編)奈良・興福寺 天燈鬼・龍燈鬼立像(てんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)【国宝】

 

 

番外編としてこちらの天燈鬼・龍燈鬼像をご紹介します。

 

普段四天王に踏みつけられ続けている邪鬼ですが、鎌倉時代にとうとう邪鬼にもスポットライトを浴びるチャンスをもらうことができました。

 

龍燈鬼は上半身に巻き付いた竜のしっぽを右手に掴ん頭上にのせた灯篭を上目遣いに睨んでいます。ゲジゲジの眉毛と筋肉表現は、鍛え上げられた人物を見ながら彫ったと思えるほど写実的で、とてもたくましい体つきをしています。さすが鎧を身にまとった四天王に踏まれ続けながらも耐えてきただけのことはあるなあと感じます(笑)

 

天燈鬼のほうは体は赤色をしており左手で灯篭を担いでいます。龍燈鬼立像の静かなる表情とは対照的で、口を大きく開けて「ドヤ~!」という表情をしているのが特徴的です。こちらの像もスポットライトを浴びて、生き生きとした姿を見せています。

 

 

運慶一派による製作とされ龍燈鬼立像は運慶の息子である康弁がつくったことが分かっています。天燈鬼も同じく慶派一派による製作と考えられていますが正確な仏師名はわかっていません。

 

やっと活躍のチャンスもらえたよ~!と喜んでいる邪鬼は、奈良・興福寺の国宝館でお会いできます。ぜひ出かけてみてください!

 

四天王についてもっと知りたい時には…

 

四天王―仏敵から世界を護る最強の守護神 Gakken Mook―神仏のかたち2

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この本をポケットに入れてお堂の中に入っては
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天の仏像が多い東大寺や興福寺などもバッチリカバーされています!

旅の雑誌らしく仏像を紹介するだけでなく拝観方法や拝観可能時間などもまとめられていて
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たびカルさんは京都版も出ているので
この奈良の仏像編とあわせていつでも旅に出かけられるよう備えておくと
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