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【見仏入門】No.7 京都・仁和寺の仏像/国宝阿弥陀三尊像、薬師如来坐像など

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 仁和寺(にんなじ)は、京都西北部にある皇室ゆかりの寺院です。遅咲きの桜「御室桜」や庭園の美しさでも良く知られている寺です。世界文化遺産にも指定され、訪れる人も増えています。

「仁和寺」の画像検索結果

 

昔、天皇の御所のことを「御室(おむろ)」と呼んでおり、この仁和寺は宇多天皇が建立して、自身は出家して法皇となってここに住んだため、長い間「御室(おむろ)御所」と呼ばれてきました。

 

そしてこの「御室(おむろ)」ですが、みなさんもおなじみの体温計、体重計などの今や世界的メーカーになっている「オムロン(Omuron)」の名前の由来が実はこの「御室(おむろ)御所」だったりするのです。

「オムロン」の画像検索結果

オムロンは8年に大阪で「立石電機製作所」として設立され、第2次世界大戦中に戦火を逃れるためにこの仁和寺の近く(御室地区)に工場を建てました。戦争により大阪や東京にあった工場は焼けてしまい、この京都御室にあった工場に本社が移されました。その後「御室」を英語表記の「Omlon」とし、女性向けヘアカールアイロンのブランド名にしました。昭和34年に「OMRON」と変更し、平成2年には現在の社名の「オムロン」となったのです。

今回は皇室ゆかりのお寺である仁和寺についてピックアップしたいと思います。最後には仁和寺を無料で散策することができるとっておきの裏ワザもご紹介しますので、お見逃しなく!

※注目情報※

2018年1月から東京国立博物館にて特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」が開催されます。仁和寺だけでなく日本全国にある真言宗御室派の寺院から秘宝、名宝が東京に集結します!仏像好きにとっては必見の展覧会です!詳しくはこちら

仁和寺へのアクセス

仁和寺は京都駅からだと行くのが少し不便で、京都駅バスターミナルから北野白梅町 御室仁和寺・山越行きに乗り、御室仁和寺で下車すぐ前に寺の山門があります。バスは40~50分程度ですが、紅葉などのシーズンは京都市内は渋滞で混雑するので、そのような時にはJR山陰本線(嵯峨野線)の「花園駅」まで行き、そこから20分程歩くと、渋滞なく訪問することができます。

 

また嵐山観光などの時には嵐山駅から北野線の御室仁和寺(おむろにんなじえき)駅(約20分)下車 徒歩約2分なのでそこからもいいかもしれませんね。

 

 世界遺産に登録されている「金閣寺」から「龍安寺(りょうあんじ)」を経由して「仁和寺」までの約2.5kmの道は緑豊かなで「きぬかけの路(みち)」と呼んで注目を集めています。

仁和寺の境内

「仁和寺」の画像検索結果

道路に面した京都3大門のひとつともいわれる大きな2階建ての仁王門(楼門)をくぐると、庭園の美しさや、皇室や公家たち関係した優雅な建物が並んでいます。

すぐに目に付く五重塔は1644年に建てられたもので高さが約36mあります。

 

仁王門をくぐると間に小さな中門をはさんで正面に金堂(国宝)が見えます。金堂までは直線で200mくらいあります。

 

仁王門から中門の間の左側一帯が御殿と呼ばれる場所で、宸殿(しんでん:寺域内でもっとも大きな建物、ここで儀式や法要が行われる)と中央に池をもつ内部の庭園には重要文化財に指定されている茶室「遼廓亭(りょうてい:数寄屋造の小亭)」、「飛濤亭(ひとうてい:光格天皇遺愛の席と伝えられる四畳半
の茶室と水屋・台所からなる草庵式本位の茶席)」などがあります。

 

そして右側は宿坊(休憩所)である御室会館があり、隣に国宝仏像が安置されている

霊宝館があります。中門をくぐってその先は、右側に五重塔、左側に観音堂(2017年現在工事中)があります。正面に金堂とその左奥に御影堂があります。

 

境内をぐるっと一周するだけでも1時間ほどかかります。仏像公開時などは混雑もしますので2時間程度見ておいたほうがよいでしょう。

 

仁和寺の歴史

 仁和寺は平安時代中期の886年に第58代光孝天皇(こうこうてんのう)が「西山御願寺(にしやまごがんじ)」という皇室の私寺の建立を発願したのが始まりです。翌年光孝天皇が崩御されたため、次代天皇の宇多天皇(うだてんのう)が仁和4年(888)にこの西山御願寺を建立しました。仁和寺(にんなじ)の寺の名称はこの建立された時の元号「仁和(にんな)」からつけられました。宇多天皇は904年、この仁和寺の境内に天皇の御所「御室(おむろ)」を建設してここに住まわれました。

宇多法皇

宇多天皇は後に天皇の位を譲って出家し法皇となり、この仁和寺の第1世 となります。

それから以降、この寺の住職(門跡)は皇室出身者が務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院(もんぜきじいん:皇族・公家が住職を務める特定の寺院)として最高の格式がありました。

しかし、室町時代の1467年に起こった内乱「応仁の乱」でこの仁和寺はその建物のほとんどすべてを消失してしまいました。幸い本尊の阿弥陀三尊や什物、経典などは仁和寺の院家であった真光院(しんこういん)に移され焼失を免れたのです。

 

その後寺の法灯は守られ続けてきていましたが、この仁和寺が本格的に再興されたのは応仁の乱の160年後の江戸時代初期の1634年になってからです。これは仁和寺第21世覚深法親王(かくしんほっしんのう)が江戸から上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ承諾されたのです。

<注:覚深法親王は第107代後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の第1皇子で良仁親王(かたひとしんのう)と呼ばれていましたが、親王の称号を許され、そののち出家したので正確には法親王ではなく入道親王というそうですが多くの文献で法親王が使われていますのでここでも覚深法親王としました。>

孔雀明王像

 寺はこの時に御所の建て替えなどもあり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(現 御影堂)など多くの建物が移され、1648年に昔の姿が再現されたのです。

 

また、この門跡寺院の関係は明治維新を迎える1867年まで続き、皇族や公家などが出家して住む寺としての役割を担ってきました。今でも仁和寺の別名は「御室御所(おむろごしょ)」と呼ばれ、寺の本坊は「御殿(ごてん)」とも呼ばれています。

境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎えます。

 

昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994)に古都京都の文化財としてユネスコの「世界遺産」に登録されました。

 

徒然草「仁和寺にある法師」

仁和寺(にんなじ)というと皆さんは何を思い浮かべますか?

私は吉田兼好徒然草(つれづれぐさ)の一説を思い浮かべてしまいます。

 

徒然草第52段

仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。」

現代訳に直すと

仁和寺のある法師が、年をとるまで一度も石清水(八幡宮)をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立って一人徒歩でお参りにいきました。(石清水八幡宮は山の上にあるのに山の麓の)極楽寺と高良神社だけをお参りし、これで石清水をお詣りしたと思い込んで帰ってきました。寺に帰った後、仲間の人たちに向って「これでやっと長年の願いが果たせました。聞いていた以上の尊さだった。ところで、他の参詣者は皆、山へ登っていったが、何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、お参りすることが本義なので、山の上までは行かなかった。」と言ったと。小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものだ。

「仁和寺にある法師」の画像検索結果引用元:臨床医学航海術

と内容はこんなことですが、徒然草が書かれたのは鎌倉時代末期の1330年頃とされていますので当時はどんな時代背景だったのでしょうか?

仁和寺の当時の歴史を見てみると、仁和寺は皇室の寺として非常に格式の高い寺で有名だったようです。兼好法師がこのように書いた時代背景まで、学生時代に読んだ時には考えもしませんでした。仏像ファンにとってもやはり先達(せんだつ)は必要ですよね。

いくらしったかぶってもやはり先達はいますので、本サイトがそんな先達のようなお役に立てたらいいなと思います。

仁和寺の仏像の詳細

 

阿弥陀如来坐像及両脇侍像(阿弥陀三尊像) 【国宝】(平安時代)

ヒノキ材の一木造 宝冠や腕釧(くしろ)はタガネ彫りの金銅製です。

像高:阿弥陀如来89.5㎝、左脇侍 122.7㎝、右脇侍 123.8㎝

 

この三尊像は888年に仁和寺が創建された時のもので、当時の金堂の本尊でした。

現在の金堂には江戸初期に寺を再建した時に造られた阿弥陀三尊像が安置されており、この国宝の阿弥陀三尊像は霊宝館に安置されています。またこの像は春・秋の名宝展で公開されています。

この阿弥陀如来三尊像は、阿弥陀如来のチーム編制として有名な観音菩薩、勢至菩薩を両脇に据えた例としては日本最古と伝えられています。三尊とも表情は穏やかで、顔も体もふっくらした和らいだ雰囲気は、平安時代の彫刻が和様式へ変換されていく出発点の造形とも言われています。また腹の前で定印を結ぶ阿弥陀像としても現存最古とみられています。

 

 

薬師如来坐像【国宝】(平安時代1103年)〈円勢・長円作〉

白檀(びゃくだん)の一木造、像高:10.7cm(台座を含めて21.9cm)

 

この像は円派仏師の円勢・長円の親子と考えられている仏師によって作られました。日本でも最も小さな国宝仏とされています。なんと像高が10cmしかありません!

10cmしかありませんが、その小さな姿の中に薬師如来を描く姿を凝縮されているのです!これを見ると日本人の手先の器用さは昔からあったのだとわかります。

この薬師如来像は白檀材で作られています。白檀(びゃくだん)は香木の代表木とされており、仏さまはとても芳しい香りをはなっていたことを象徴するため仏像に好んで使われます。

像内は底部から躰部まで内刳りが施されており、また着衣の一部と白毫(びゃくごう)部、左手の薬壺は別材が使われています。白檀材で刻まれた像の表面には截金(きりかね:金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表す
伝統技法)文様が施されています。

 

光背・台座も当初の製作であり、半肉彫りの浮彫で七仏薬師、日光菩薩・月光菩薩,十二神将が浮彫りされています。また彩色も施されています。宝相華(ほうそうげ)唐草は半世紀前の平等院鳳凰堂阿弥陀如来の光背・天蓋のそれを受け継ぎさらに繊細さを増しているといわれています。

 

この像は基本的には秘仏であり特別な時にしか公開されません。初めて公開されたのは1986年の学術調査の時とされており、1900年に国宝に登録されてからはほとんど公開されてこなかった秘仏です。

 

吉祥天立像 【重文】(平安時代 10世紀)

像高166.6cm 一木造 彩色

20161004-吉祥天立像.jpg

この吉祥天像も唐服をまとっていて、左手に宝珠を持つのは普通の表現ですが、先がとがった大変珍しい帽子をかぶっています。ホビット族のようですね。

吉祥天を本尊として、鎮護国家・厄災消除・五穀豊穣を願う法会が、奈良時代以来全国各地の寺々で営まれました。

増長天・多聞天立像(四天王立像(増長天・多聞天)) 【重文】(9世紀後半)

像高108.2cm、109.1cm 榧(かや)材とおもわれる一木造

 

 

もともと金堂本尊の阿弥陀如来三尊の四方をまもった四天王像4像のうちの2像だけが残されたものといわれています。頭から足元の邪鬼まですべてを一木で彫り出し、内刳(うちぐり)はされていません。古風な製法で、頭部がやや大きく、ややずんぐりとした姿は888年に造られた阿弥陀像と同時期の作と見られています。

 

多聞天は左手に宝珠を載せ、右手に戟を執ります。忿怒の様相は平安時代以降の四天王像の特徴といわれていて、四天王のおっとりとした穏やかさが感じられます。

文殊菩薩坐像 【重文】(鎌倉時代13世紀)

像高:62.5cm

右手には剣を持ち、左手は以前には経巻を載せた開敷蓮華(開いた蓮華)の茎を持っていたと思われます。

 

この姿の文殊像は中国五台山の文殊を天台宗の円仁が持ち帰ったことに始まるといわれています。衣紋の波模様が中国宋時代の影響を受けていると見られ、これは鎌倉時代に導入された宋風彫刻の要素によるものとみられます。

 

2014年に御開帳された高知県竹林寺の本尊の文殊菩薩はこのような宋風の姿をしていました。そういえば竹林寺の山号は「五台山」でした。

 

作者は鎌倉時代半ばの院派仏師の作ではないかする見解がありますが不明です。

 

文殊菩薩は、観音菩薩などとともに、古くから信仰を集めた菩薩です。本像は獅子に坐し、右手に宝剣を持ちます。

愛染明王座像 【重文】(平安時代後期)

像高:53.4㎝。

 

頭と体部を一木で造った後に縦に割って内ぐりして、腕や膝を組み合わせる割矧造(わりはぎづくり)でつくられています。平安時代後期に、朝廷や貴族たちのあいだで愛染明王への信仰が高まり流行したため、平安時代の愛染明王の造像例は記録上多くみられます。しかし、現存する平安時代の愛染明王像は数少なく貴重なものといわれています。

 

頭上に獅子の冠をかぶり、怒った顔で、目が3つに手が6本の三目六臂です。

身体の色を朱色とする愛染明王(あいぜんみょうおう)は、人間の煩悩を断ち切り、悟りの道を開いてくれる明王です。

 

【裏ワザ】仁和寺を味わい尽くすなら宿坊に泊まるのが絶対お得!宿坊「仁和寺御室会館」に泊まろう!

仁和寺を最大限に楽しむのであれば仁和寺の宿坊「仁和寺御室会館」に宿泊するのが絶対おすすめです!

 

その理由としては 仁和寺の拝観券がセットになっていて、無料でお寺を拝観することができます。

 

さらに宿坊の宿泊者のみが体験できる朝のお勤めでは、普段入ることができない金堂の中でお勤めを体験することができるのです。朝の静寂のなか、ろうそくの炎がゆらめくお堂のなかでのお勤めは心が洗われること間違いなしです。

費用も一泊5,000円代からと京都市内のホテルよりもかなり安く宿泊することができてしまいます。

 

また仁和寺は京都の観光名所である嵐山へのアクセスもとても良いため、仁和寺だけではなく京都観光にも最適です。

 

ただ観光シーズンなどは予約が早めに埋まってしまう可能性が高いため、ぜひ早めの予約をされることをオススメします。詳細・空室状況は下記のリンク先からご確認ください。

「空室検索」の画像検索結果

 

仁和寺は四季を通じて様々な景色を見せてくれるので、いつ行ってもその時その時の風情を感じることができると思います。皆さんも京都に訪れた際には是非皆師会お参りいただければと思います。以上、京都の嵐山の入り口にある仁和寺の仏像のご紹介でした。

仁和寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

大内山 仁和寺

宗派

真言宗御室派総本山

住所

〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33

電話

075-461-1155

拝観時間

3月~11月 9:00-17:00 (受付は16:30まで)
12月~2月 9:00-16:30 (受付は16:00まで)

【霊宝館】

春季:4月1日~5月第4日曜日まで
秋季:10月1日~11月23日まで
(受付は16:30まで)

拝観料金

【御殿】大人:500円 高校生:500円 中学生:300円 小学生:300円
【霊宝館】大人:500円 高校生:300円 中学生:300円 小学生:無料

など

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仁和寺周辺の宿・ホテル
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地図
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