【見仏入門】No.1京都・広隆寺(こうりゅうじ)の仏像/国宝弥勒菩薩半跏思惟像やその他の仏像


仏像リンクの日本各地の仏像をご紹介していく「見仏入門」の記念すべき第1回目は国宝登録第1号として有名な弥勒菩薩(みろくぼさつ)がある広隆寺(こうりゅうじ)をご紹介します。

広隆寺は京都市左京区太秦(うずまさ)にある真言宗のお寺です。なかでも弥勒菩薩像は修学旅行生にも人気で、仏像は切手や教科書に載ったりしているので行ったことがなくても、ほとんどの人はその仏像の姿を一度は目にしていると思います。慈悲深く、物思いにふけったような半跏思惟像(はんかしいぞう)はとても美しく、訪れた多くの人々を夢中にさせてしまうことでしょう。

 

 

広隆寺はこの国宝第1号に指定されている(宝冠)弥勒菩薩像だけでなく、多くの国宝、重文の仏像などを保有しています。そしてそのほとんどを新霊宝殿(しんれいほうでん)一箇所で拝観できるのも魅力の一つです。また寺の歴史は古く、京都では最も古いお寺のひとつともいわれています。仏像だけでなく京都で最も古い歴史を残すお寺である広隆寺の仏像について、ご紹介していきたいと思います。

 

広隆寺までのアクセス

 広隆寺は、JR嵯峨野線「太秦駅」から南へ徒歩10分、または京都に残る唯一の路面電車である京福電鉄嵐山線「太秦広隆寺駅」の改札を出て目の前にあります。広隆寺の目の前に巨大な南大門(仁王門、1702年建立)が建っています。門をくぐって境内に入ると静寂な雰囲気がただよい、魅力的な数々の仏像に対面できる場所です。寺の境内はきれいに整備され、周囲にはツバキなどの花や樹が植えられていて、四季折々で美しい庭園散策もまた楽しみとなっています。

近くには有名な江戸の町を再現した人気スポットでもある東映太秦映画村もあります。

さらに足を少し伸ばせば、竹林などで有名な嵯峨野(さがの)もありますのでセットで行かれるのもおすすめです!

 

広隆寺の歴史

 広隆寺の歴史は飛鳥時代の7世紀前半(一説には推古天皇11年(603年))に京都市北区付近に建てられたとされます。名前も蜂岡寺(はちおかでら)、秦寺(はたのでら)、秦公寺(はたのきみでら)、葛野寺(かどのでら)、太秦寺(うずまさでら)などといくつもの別称を持っています。

 

 現在の太秦の地に移ったのは平安京遷都(794年)のころではないかと言われていますが、818年の火災により記録が消失され創建された年は明確ではありません。

 広隆寺は、一般には聖徳太子が建立した七大寺の一つといわれていますが、日本書紀には聖徳太子から仏像(弥勒菩薩)を譲り受けた秦河勝(はたのかわかつ)が、この仏像をまつるために蜂岡寺を建てたと書かれていて、太秦(うずまさ)という地名(聖徳太子の太と、秦氏の秦)からもわかる通り、ここは秦氏の氏寺であり、中国「秦の始皇帝」の子孫であると自称する渡来人集団である秦氏を率いた秦河勝が創建したと考えられています。

 

 秦河勝は日本全国に養蚕・農耕・薬などの技術を広めた人物ともされています。また能学(のうがく)の基礎を築いた世阿弥(ぜあみ)は「風姿花伝」(ふうしかでん)の中でこの能の基になった申楽(猿楽:さるがく)はこの秦河勝によるものだと書いています。

また、10月には今宮のやすらい祭、鞍馬の火祭とともに、京都三大奇祭にあげられる「太秦の牛祭り」が行われてきましたが現在は毎年ではなく不定期に開催されています。

 

この祭りは、夜暗くなってから、白い仮面をつけ牛にまたがった摩多羅神(まだらじん)が、同じく仮面をつけ松明を掲げた四天王(赤鬼・青鬼)を従えて境内を一周し、祖師堂(薬師堂)前で変わった口調で祭文を読み上げ、終わると同時に堂内に逃げ込んで祭りが終わりとなります。

摩多羅神は天台宗の常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)の裏にひっそりと祭られている神様でほとんど公開されることはありません。しかし能楽などの芸能の神様としても崇拝(すうはい)されています。

広隆寺の仏像について

 広隆寺は記録では818年と1150年の2度の火災にあっておりお寺の伽藍はことごとく喪失してしまっています。しかし幸いにもお寺が建った頃から伝わる仏像のほとんどは、火災を逃れ今日に残っています。その仏像の多くは飛鳥時代から鎌倉時代にかけて作られ国宝、重要文化財を含む50体以上の仏像が1982年に建てられた「新霊宝殿」内に展示されています。新霊宝殿に置かれている像はショーケースなどには入れられていませんので直にその像と対面することができ、薄暗い中ですがじっとそのお顔を見ていると不思議に心が静まってきます。修学旅行シーズン以外は訪問者もそれほど多くはありませんのでじっくり仏様と向かい合うことができます!

また仁王門をくぐって正面に見える講堂は1165年に院宣によって再建され京都では現存最古の建物です。この講堂には国宝の阿弥陀如来を中心に重要文化財の平安時代前期にさかのぼる地蔵菩薩や虚空蔵菩薩が祀られています。霊宝殿だけでなくこちらの講堂も必見ですので、霊宝殿にいくまえにぜひお立ち寄りいただくことをおすすめします!それでは、広隆寺に伝わる有名な仏像をいくつかピックアップしてご紹介します。

まずは霊宝殿をご案内。霊宝殿は主に4つのブロックで構成されています。

入口を入って左側に、秘仏の薬師如来を中心として日光菩薩・月光菩薩、その周りに十二神将が並ぶ薬師如来ゾーン。

有名な国宝の弥勒菩薩を中心として、3体もの飛鳥時代から天平時代にかけての弥勒菩薩が並び、さらにその周りを胎蔵界の大日如来や広隆寺創建にたずさわった秦河勝夫婦をかたどった神像などが立ち並ぶ弥勒菩薩ゾーン。

そして弥勒菩薩と向き合う形で弥勒菩薩の反対側には、2メートルを超える国の重要文化財の千手観音座像。その像を中央に、両隣に国宝の千手観音像と不空羂索観音が祀られる観音ゾーン。

最後に霊宝殿の出口に近いあたりには、5体の吉祥天、2体の蔵王権現、埋木地蔵菩薩など比較的小さな仏像が祀られる、かわいい仏像ゾーンで構成されています。

 

数々の仏像が立ち並び、少ない拝観時間では到底回り切れない、ご紹介しきれないほどですが、その中から特に注目していきたい仏像をピックアップしてご紹介していきます。

 

【国宝】広隆寺の弥勒菩薩半跏像(通称:宝冠弥勒)

 

まずは広隆寺でもっとも有名なこのお方。霊宝殿の中央、弥勒菩薩ゾーンの中央に祀られます。少しだけ距離はありますが、この仏像の前には拝観者用の座席の椅子と、正座してゆっくりと対面できる小上がりの畳もあって、気のすむまで弥勒菩薩と向き合える環境になっています。

国宝の弥勒菩薩像は2体(ともに飛鳥時代)あり、国宝登録第一号(1951年指定)の木造弥勒菩薩半跏(みろくぼさつはんか)像(通称:宝冠弥勒(ほうかんみろく))は中央の少し薄暗い照明の中に安置されています。右手を頬にあて、物思いにふけるようなポーズの半跏思惟像(はんかしいぞう)で像の高さは84.2cmです。日本人の平均的な身長が約160cm
なのでこの仏像が立ったとするならば、日本人の平均的な身長となり、ほぼ等身大の像です。

 

 

静かに伏せた切れ長の目に、まっすぐ通る鼻筋。少し笑みを浮かべる唇。「これからどうやって人々を救っていこうかしら」と弥勒菩薩ならではの右手の頬に沿わせた細い指先が、日本人の繊細さを表現するように何とも言えないやわらかさと美しさを表現しています。

 

 ドイツの哲学者ヤスパースさんはこの弥勒菩薩を見て「人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の表徴」という絶賛の言葉を残しています。慈しみと希望にあふれたやさしい表情は、いつの時代も人々の心を安らぎに誘ってくれます。

 

 製作されたのが日本なのかあるいは朝鮮半島から渡ってきたものなのかははっきりしていませんが、この弥勒菩薩像の出生の秘密をめぐる議論は主に朝鮮説と日本説の2つに割れています。まず朝鮮作という説ですが調査により朝鮮半島で珍重されていたアカマツの一木造で作られている点、韓国にある国宝83号像などにとてもよく似た仏像が存在することから朝鮮で作られた仏像ではないかという説があります。

 

その一方で、日本でつくられた説もあります。弥勒菩薩象の背中の板や衣の一部には朝鮮半島では自生しない日本の仏像で多く使われているクスノキに似た木材が使われていることが判明しているため、日本で作られたのではないかというのが日本説側の主張です。

 

しかし最近では朝鮮半島はこの仏像が作られた時代に、日本からクスノキの木材を輸入していたということが分かっており、どちらかというと朝鮮半島で作られたという考え方が強まっているようです。

 

現在は木目が美しい弥勒菩薩ですが、平安時代初期の記録には「金色の弥勒菩薩像」という記録が残っており、この仏像が作られた当時はまばゆい金箔に覆われた神々しい仏像であったと考えられています。

 

 この宝冠弥勒像については国宝に指定された年の9年後(1960年)に事件が起きました。当時20才の京都大学の学生が、美しいと評判のこの像を見るだけでは飽き足らず監視人がいないすきに像に触れてしまい、弥勒菩薩の右手の人差し指が第2関節から先を折れてしまったのです。

 

あわてた学生はその場を逃げ出してしまいましたが事件が発覚したために自首しました。弥勒菩薩像は復元されましたがこの学生はどんな気持ちで像を触ったのでしょうか?

 

あまりの美しさから像に恋をしてしまい、像に頬ずりしたくなったのかもしれません。皆さんもいたずらに仏像などにはけっして触ったりしないようにしてくださいね。

参考:【国宝仏像データベース】国宝指定の仏像一覧

【国宝】広隆寺 弥勒菩薩半跏像(通称:泣き弥勒)

 

 広隆寺に伝わる二体の弥勒菩薩のうち、もう一つの弥勒菩薩像は宝冠弥勒像の右隣に安置されており、宝髻弥勒(ほうけいみろく)と呼ばれるやはり半跏思惟像です。高さは国宝1号の宝冠弥勒とほぼ同じ大きさの90.5センチメートル。しかしその姿、表情は泣いているように見えるため「泣き弥勒」ともいわれます。宝冠弥勒の印象があまりにも強いので宝冠弥勒と比べるとやや印象が薄いイメージがありますが、こちらも大変古く貴重な仏像です。物憂げな表情が可愛らしくもあり人々の心をひきつけます。

 

宝冠弥勒は朝鮮説が有力ですがこちらはクスノキが使われていて日本で製作されたものではないかとみられています。

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宝冠弥勒の向かいに立つ3体の仏像

 

・<左>【国宝】不空羂索観音立像(平安時代初期・313cm)

・<右>【国宝】木造千手観音立像(平安時代初期・266cm)

・<中央>【重文】木造千手観音坐像(平安時代中期・265cm)

新霊宝殿で弥勒菩薩像の反対側をみてみましょう。弥勒菩薩に向かい合う形で3体の大きな像が置かれています。

 

【国宝】不空羂索観音立像(平安時代初期・313cm)<左>

 不空羂索観音立像は一面三目八臂といって胸前で両手が合掌し、その他の3対の手が左右から出ています(よって腕の数は全部で8本、これを仏像の専門用語で8臂(はっぴ)といいます)。着ている衣紋の表現が見事で、不空羂索観音の身体にまとわりながらも、衣紋がリズミカルになびいて、顔の表情の「静」の印象に対比して、「動」を衣紋が表現しているようです。頭がとても小さく小顔ですが、脚がとても長く、抜群のプロポーションをみせつけます。まさに仏像界におけるスーパーモデルのような存在ですね。

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見た目は一見するとスッピンである素地のように見えますが、実際には全体的に砥石の粉のようなものがかけられているようで、完全なるスッピンの仏像ではないようです。

 

 古い不空羂索観音として有名な仏像は奈良・東大寺の三月堂の本尊の不空羂索観音があります。こちらは胴体や腕ががっしりしていて、やや男性的な印象を持っているのですが、こちらは東大寺の不空羂索観音と比較すると女性的なやわらかい美しさを放っている印象を持ちます。(本来不空羂索観音は男性なんですけどね)

 

 右側に立つ千手観音立像と仏像の特徴から同時期に作られたと考えられていますが、広隆寺に伝わる古い資料によると、“もとからあった仏像”という表現が不空羂索観音のほうには書いてあるけど、千手観音立像には書いていないため、不空羂索観音のほうがやや以前に作られたものではないかと考えられているようです。

 

【国宝】木造千手観音立像(平安時代初期・266cm)<右>

 右側に立つのが国宝の平安時代初期(9世紀)の作といわれる木造千手観音(せんじゅかんのん)立像です。像高は266cmあり体はヒノキの一木造りで作られています。こちらの仏像は上に紹介した不空羂索観音と約20年ぐらいの開きがあって造られたのではないかと考えられているようです。広隆寺は昔、9世紀末には薬師如来像が本尊であるとされており、その当時から金堂に祀られていた千手観音ということが分かっています 。

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【重文】木造千手観音坐像(平安時代中期・265cm)<中央>

二体の立っている仏像の間に、座っている姿の千手観音は祀られています。座っている姿である坐像にもかかわらず、仏像の高さは256センチメートルもあります。昔は42本の腕を持っていましたが、現在は13本まで減ってしまっています。仏像の体の中には墨書で1012年に仏像が完成したということと、この仏像の発願者である男性や女性の名前が多く見られていてこの広隆寺が男女を問わず、幅広い信仰を集めていたことが伺うことができます。

 

 平安時代の後期に“寄木造り(よせぎづくり)”と言う様々なパーツを組み合わせる製作技法が定朝(じょうちょう)という仏師によって開発され、その後この制作技法が仏像制作における主流になっていくのですが、この千手観音は寄木造りが開発された最初の頃にこの技法を使って作られた仏像であると考えられています。この仏像は痛々しい姿ではありますが巨大なのに仏像としてのバランスや琉美さを欠かず、また平安時代の後期に作られた仏像ではありますがこの時代以降から表現される柔和さだけでなく、平安時代の前半の神秘さを引き継いだ、仏が持つ力強さやエネルギーを感じさせる様な表情をしています。これだけの仏像が今日に残っているというのは文化財の指定以上に貴重なものであるといえます。

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【国宝仏像データベース】国宝指定の仏像一覧と国宝仏像マップ
国宝とは国民の宝物であると国から認められたものの中から、特に大事なものや世界のなかでも貴重だと指定されたもののこと。国宝の指定を受けている仏像も数多く存在し...

広隆寺その他の仏像

 

増長天と月光菩薩の間に6体、また弥勒菩薩の右側に日光菩薩と広目天の間に残り6体、合計12体の木造十二神将立像が置かれており、この十二神将像はこれは国宝です。

 

十二神将立像の高さはいずれも120cmほどと少し小柄ですが、厳しい表情をした迫力のある表情をしており、1064年に藤原資良(ふじわらのすけよし)によって定朝の弟子“長勢(ちょうせい)”が製作したとされています。この長勢は鎌倉時代に活躍していく仏師の集団「円派」の祖とされており、十二神将立像としては新薬師寺に次いで古いものです。

講堂(通称・赤堂)の国宝諸仏

 

 もう一つ国宝である「木造阿弥陀如来坐像」は境内の講堂(通称:赤堂)内に安置されており、料金所の手前にありますので見落としがちですが、無料で拝観できます。ちなみに全国で無料で拝観できる国宝は、この広隆寺講堂の阿弥陀如来像のほか、奈良・東大寺仁王門に祀られている金剛力士像、奈良・法隆寺西円堂の薬師如来、東京・調布深大寺の釈迦如来倚像などがありますので気軽に国宝を体感されたい方は覚えておくといいかもしれません。

 特にこの広隆寺の講堂と法隆寺西円堂は普通に拝観すると、見逃してしまいがちなのでせっかくお寺に行ったのに見逃した!ということがないようご注意くださいね。(管理人は広隆寺の阿弥陀如来は3度目、法隆寺の薬師如来は5度目の訪問ではじめて発見しました…(笑))

【国宝】木造阿弥陀如来坐像

 さて話を戻しまして、講堂の阿弥陀如来についてですが、像高は約260cmと坐像ではありますが、かなり大きな仏像です。840年に亡くなった淳和上皇の追善供養に上皇の女御(にょうご)〈后(きさき)の位の一つ〉・永原御息所(ながはらのみやすどころ)によって造られたと考えられているそうです。かつての資料に「金色の阿弥陀如来」という記述があることから、当初は金色をしていたと思われます。印相は阿弥陀さまが人々に説法をしていた時にしていた説法印をしています。鋭い眼差しや、豊かにふっくらとした頬、肩幅が広く重厚な姿をして平安前期特有の力強い姿をしています。

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【重文】地蔵菩薩坐像

阿弥陀如来の右側に祀られているのは国の重要文化財である地蔵菩薩坐像です。この地蔵菩薩は赤坂182cmあって左手には宝珠を持っています。右手には錫杖(しゃくじょう<観音がもつ杖>)ではなく与願印をしており、これは古いタイプの姿をしています。

広隆寺の昔の資料から、この地蔵菩薩は837年から861年の間に広隆寺の別当(お役所の長官)を勤めていた秦氏出身のお坊さん、道昌が発起人となって造られたことが判明しています。

目鼻や口が顔の下に集まっていて、若々しい顔立ちをしています。しかしながら胴体はかなりがっしりとしていて着ている衣はとても分厚く作られています。またその着物に刻まれている衣の文様は平安時代前期の特徴である、波を打つように表現される翻波式衣文がかなり深く刻まれています。

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【重文】虚空蔵菩薩坐像

 地蔵菩薩の反対、阿弥陀如来の左側に位置している仏像は国重要文化財である虚空蔵菩薩坐像です。この仏像も他の二体と同じく平安時代前期(9世紀)に作られた仏像で考えられており、高さは233cmあります。

 体の一部にわずかながら仏像が作られた当初の彩色が残っています。この虚空蔵菩薩を作ろうとしたのも、さきほどの地蔵菩薩と同じく道昌であると考えられています。この道昌は空海に仏教を学び、記憶力や知恵の仏であるこの虚空蔵菩薩に願いを祈り続けていて、虚空蔵菩薩像を本尊とする広隆寺にも近い嵐山の法輪寺を再興するなど虚空蔵菩薩に特別の信仰を寄せていたことが伺うことができます。

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 この阿弥陀如来などの仏像が祀られている講堂は京都でももっとも古い建物のひとつとされていて京都観光では一度見ておきたい建築物です。柱に朱色の塗装が確認できることから、別名“赤堂”と言われています。無料ではありますが、残念ながらお堂の中には入ることができないため、仏像は金網越しにお堂の外から拝観します。仏像はとても大きいので、お天気さえ良ければよく姿を確認することはできます。

 

広隆寺の秘仏聖徳太子像と薬師如来像

 

毎年聖徳太子の命日にあたる11月22日には、本堂に安置されている本尊の秘仏聖徳太子像と、霊宝殿に納められている秘仏薬師如来像が開扉されます。お会いされたい方は是非11/22にお出かけしてみてください!

 

最後に

 私が高校三年生の時に初めて仏像を見に行こうとしたのもこの広隆寺の弥勒菩薩でした。私の場合は授業の資料集をながめていて、なんて美しい仏像なんだろう!と心惹かれたのと、大学生による美しさのあまり指を折ってしまった、という事件を歴史の授業で先生が話をしていて、「それだけ人の心を惹きつける仏像はどんな仏像なんだろう」と興味を持ち、京都に家族旅行に行った時に、家族にお願いをしてこの広隆寺を訪ねたのが仏像との初めての出会いでした。

 広隆寺はここに紹介した以外にもたくさんの仏像を所蔵(しょぞう)しています。京都の有名な観光地である嵐山にも近いため、仏像に興味もたれた方にはぜひ訪問してもらいたい仏像ファンの聖地のひとつです。やさしい弥勒如来さまに会いにぜひ訪問してみましょう!

広隆寺の拝観時間・料金、宗派、電話について

正式名称

蜂岡山広隆寺

宗派

真言宗御室派

住所

京都府京都市右京区太秦蜂岡町32

電話

075-861-1461

拝観時間・料金

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