東京・五百羅漢寺の仏像|江戸時代の木彫の羅漢像と釈迦如来、白沢に会う(拝観情報つき)

東京・目黒に、「目黒のらかんさん」と呼ばれて親しまれているお寺があります。五百羅漢寺です。
JR目黒駅の西口を出て、行人坂という急な坂を下っていきます。江戸のころ、目黒不動尊と江戸の町を結ぶ道だった坂です。その途中や坂の先に、お寺がいくつも続いています。
私がここを訪ねたのは、7年ほど前のツアーでした。堂に入ると、数百の羅漢さんが段になって並んでいる。1体ずつ顔を見ていくと、時間がいくらあっても足りません。像の数で押してくる空間、というのが私の印象です。京都の三十三間堂で像がずらりと並ぶ空間を知っている人に、次にぜひ来てほしい場所です。
- 五百羅漢寺・羅漢坐像:同じ顔が1体もない木の群れ
- 五百羅漢寺・釈迦如来像:羅漢が囲む教室の先生
- 五百羅漢寺・羅怙羅尊者と舎利弗尊者:名札のある羅漢を探す
- 五百羅漢寺・白沢(獏王):羅漢の堂にいる、ただ1体の異形
- その他の見どころ
- お寺の歴史と伝承
- なぜ、羅漢像は石でなく木で、屋根の下に並んだのか
- まとめ:数で押してくるのに、同じ顔が1体もない
- 次に会いに行くなら
- 五百羅漢寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
- 見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
- 新TV見仏記
- 地方仏を歩く|丸山尚一
- 図説 みちのく古仏紀行
- 東京近郊仏像めぐり
- 東海美仏散歩 愛知・岐阜・三重
- 1冊でわかる滋賀の仏像 文化財鑑賞ハンドブック
- 奈良仏像めぐり(たびカル)
- 京都仏像めぐり (たびカル)
五百羅漢寺・羅漢坐像:同じ顔が1体もない木の群れ
羅漢とは、お釈迦さんの教えを受けて修行し、さとりを開いた弟子たちのことです。インドでは修行を積んだ聖者を「アラハン」と呼び、中国で「阿羅漢」と書かれ、いつしか「ア」が落ちて「羅漢」になりました。
如来さんや菩薩さんと違って、羅漢さんは人間らしい姿で表されます。ここに並ぶのは、その羅漢さんの木像です。うつむく人、背を丸めて手を組む人、顔を上げて前を向く人。表情もしぐさも、同じものがありません。
三十三間堂が、同じ姿の千手観音を揃えて並べる群れだとしたら、ここは揃えない群れです。揃わないから、1体ごとに立ち止まる理由ができてしまう。時間が足りなくなるのは、そのせいだと思っています。
仏像リンク編集部MEMO 📝


この羅漢像は、堂を開いた松雲元慶(しょううんげんけい)が彫ったと伝わります。東京国立博物館でも、五百羅漢寺の羅漢坐像が「松雲元慶作」「元禄8年(1695)」として展示されています。2026年10月6日から12月20日までは本館1室に2体が出ているので、お寺へ行く前に、明るい展示室で1体ずつ見ておくのも手です。東京国立博物館の記事もあわせてどうぞ。
五百羅漢と名がついていても、いまお寺にあるのは約300体です。東京都の有形文化財に指定されているのは、本尊の釈迦如来像や羅漢像などをあわせた305体で、そのうち羅漢像は287体とする案内もあります。数え方によって数字が少し変わるので、お出かけ前にお寺の案内も見てみてください。
名称: 木造羅漢坐像(東京都有形文化財)
時代: 江戸時代(東京国立博物館の展示では元禄8年〈1695〉)
材質: 木造
特徴: 表情もしぐさも1体ずつ違う。多くが堂の中で段になって並ぶ。堂を開いた松雲元慶の作と伝わる。
五百羅漢寺・釈迦如来像:羅漢が囲む教室の先生
この堂の本尊は、釈迦如来像です。左右に脇侍の像がつき、3体が1組になっています。
羅漢さんを「お釈迦さんの話を聞く弟子たち」として見ると、300体という数に筋が通ります。ひとりで法を説く先生と、まわりを埋める生徒たち。そう考えると、羅漢さんの顔の向きや、手の組み方が気になってきます。
仏像リンク編集部MEMO 📝




釈迦如来さんがどんな方なのかは、こちらの解説にまとめています。
名称: 木造釈迦如来像と脇侍像(東京都有形文化財)
時代: 江戸時代
材質: 木造
特徴: 本尊。左右に脇侍の像を従える3体の組。金色の壁面を背にする。
五百羅漢寺・羅怙羅尊者と舎利弗尊者:名札のある羅漢を探す
300体の中には、名前の知られた弟子の像があります。「羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)」は、お釈迦さんが出家する前に、妃の耶輸陀羅(やしゅだら)とのあいだにもうけた実子です。実子でありながら驕ることなく、戒律を守って修行に励み、「戒行第一」と呼ばれました。
胸の前で組んだ手の中に、小さな坐像がのぞいています。分厚い胸と、すこし笑ったような口もと。強い像なのに、手もとだけが小さくて繊細です。
もうひとりは「舎利弗尊者(しゃりぶつそんじゃ)」。お釈迦さんの十大弟子のなかで「智慧第一」とされる人です。額に刻まれた深いしわと、伏し目がちの横顔。考えごとの途中のような顔つきをしています。
数百体の群れを、全部まじめに見ようとすると疲れます。名前の分かる像を探しながら歩く。それだけで、見る時間は自然に長くなります。
名称: 羅怙羅尊者坐像・舎利弗尊者坐像(東京都有形文化財)
時代: 江戸時代
材質: 木造
特徴: ともにお釈迦さんの十大弟子。羅怙羅は「戒行第一」、舎利弗は「智慧第一」とされる。
五百羅漢寺・白沢(獏王):羅漢の堂にいる、ただ1体の異形
人間の羅漢さんばかりの堂に、1体だけ、人ではないものが混ざっています。「白沢(はくたく)」、別名「獏王」です。顔は人間、体は牛、尾は虎。額と腹にも眼があり、あわせて9つの眼を持つと伝わります。もとは本尊の後ろを守る像として安置されていました。
獏は、悪い夢を食べて、いい夢を与えてくれるといわれる動物です。江戸時代には、中国の想像上の神獣「白澤」(人の言葉を話し、よい政治を行う皇帝のもとに姿を見せて助言したとされる)と同じものと考えられていました。
同じ顔が1体もない人間の群れの中に、人間でない1体を置く。そのせいで、羅漢さんたちの人間くささがかえって際立って見えます。
仏像リンク編集部MEMO 📝




名称: 木造白沢(獏王)像(東京都有形文化財)
時代: 江戸時代
材質: 木造
特徴: 人面牛身虎尾。額と腹に眼があり、9つの眼を持つと伝わる。もとは本尊の後ろを守った。
その他の見どころ
行人坂の大円寺
目黒駅からの道の途中にある大円寺は、江戸時代に湯殿山の行者・大海法印が大日如来のお堂を建てたのが始まりと伝わります。行人坂の名も、この行者にちなむといわれます。
石の羅漢さんが段々に並ぶ一角があります。苔のついた石の肌と、五百羅漢寺の木の肌。同じ羅漢さんでも、素材がちがうと印象はずいぶん変わります。
大円寺には、京都・嵯峨の清凉寺の釈迦如来像を写したと伝わる「清凉寺式」の釈迦如来立像もあります。秘仏で、公開日は限られます。清凉寺の記事で、本家の像を見ておくと違いが分かります。
すぐ近くには、目黒不動尊(瀧泉寺)もあります。あわせて歩く人が多いお寺です。
五百羅漢寺の御朱印
御朱印には「五百羅漢尊」と墨書されます。羅漢さんの数を思い出しながら、受けてみてください。
お寺の歴史と伝承


お寺を開いた鉄眼道光(てつげんどうこう)禅師は、肥後(いまの熊本県)に生まれ、のちに黄檗宗(おうばくしゅう)の隠元隆琦(いんげんりゅうき)に学んだ僧です。仏教の経典を集めた「大蔵経(一切経)」を出版しようと資金を集めたものの、洪水と飢饉のたびに、そのお金を飢えた人たちの救済に使い切ったと伝わります。3度目の資金で、ようやく版木が完成しました。この経典を印刷する技術を自ら確立した人として、「印刷技術のパイオニア」とも呼ばれます。
五百羅漢寺が開かれたのは1695年(元禄8年)。場所は本所(いまの江東区大島)です。ただ、鉄眼禅師は1682年に亡くなっていて、実際に堂を整えたのは弟子の松雲元慶でした。松雲は仏師で、1687年に大分・耶馬渓の羅漢寺で石の五百羅漢を拝み、自分でも五百羅漢を彫ろうと決めたと伝わります。薬師如来像や十二神将像も彫ったといい、生涯に彫った像は536体に及ぶとされます。
1741年には、境内に三匝堂(さんそうどう)、通称「さざえ堂」が建ちます。さざえの巻貝のように、内部が3層の螺旋になっていて、同じ道を通らずに上り下りできる堂です。通路の途中に、西国・坂東・秩父の百観音が置かれていました。


さざえ堂は、江戸の名所として浮世絵にも描かれました。けれども幕末の暴風雨や地震で、お寺は荒れていきます。明治41年(1908)に、いまの目黒区下目黒へ移ってきました。
主な歴史年表
1682年: 鉄眼禅師が亡くなる
1687年: 松雲元慶が耶馬渓の羅漢寺で五百羅漢を拝み、自ら彫る決意をしたと伝わる
1695年(元禄8年): 本所(いまの江東区大島)に五百羅漢寺が開かれる
1741年: 境内に三匝堂(さざえ堂)が建つ
江戸時代末ごろ: 暴風雨や地震でお寺が荒れたと伝わる
1908年(明治41年): 目黒区下目黒の現在地へ移る
なぜ、羅漢像は石でなく木で、屋根の下に並んだのか
五百羅漢は、石の像が多いといわれます。耶馬渓の羅漢寺のように、岩壁の洞窟に石の羅漢さんが並ぶ例もあります。屋外や洞窟に置くなら、石は強い素材です。それなのに、ここの羅漢像はすべて木で、堂の中に並んでいます。


ここからは私の想像です。
木は、顔つきを細かく彫り分けやすい素材です。口もとのゆるみ、まぶたの重さ、眉のよせ方。そして屋根の下なら、参拝する人が像のすぐ近くまで寄れます。江戸の絵を見ると、参詣人は一方通行の通路でぐるりと羅漢堂を歩き、すべての像を拝めるようにしてあったといいます。さざえ堂と同じ考え方です。
「自分に似た羅漢さんを探す」という楽しみは、顔を近くで見られてはじめて成り立ちます。だから木で、堂の中だったのではないか。私は、五百羅漢寺の羅漢像は「遠くから拝む像」というより、「近づいて顔を探す像」として彫られたのだと思っています。
まとめ:数で押してくるのに、同じ顔が1体もない
もう一度、堂の中を思い出してください。数百の羅漢さんが段になって並んでいます。像の数で押してくる空間なのに、同じ顔が1体もありません。
数が多いだけなら、ただ揃っているだけで終わります。ここでは、1体ずつ違うから、1体ずつ見る時間が生まれます。鉄眼禅師の願いを受けた松雲が、一生をかけて彫り分けたのは、人の数だけある顔だったのかもしれません。


違う顔が数百並ぶ空間のあとで、同じ姿の像が1000体以上並ぶ空間に立ったら、どんな違いが見えてくるのか。次の寺は、そこから選んでみてください。
次に会いに行くなら
「揃った群れ」を見るなら、三十三間堂。1001体の千手観音立像が並びます。五百羅漢寺で顔の違いを探したあとに行くと、見方が逆になります。
同じ江戸の像でも、大きさで迫る空間なら、養玉院如来寺。東京・品川区で、高さ約3mの五智如来が5体並びます。
像の数を絞って、並び方を味わうなら、九品仏浄真寺。同じ江戸時代に造られた、9体の阿弥陀如来のお寺です。
同じコース「関東の日帰り見仏」で、こんなところはどうでしょう
五百羅漢寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 天恩山 五百羅漢寺 |
宗派 | 浄土宗系の単立 |
住所・アクセス | 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20-11/JR山手線目黒駅西口から徒歩約12分、東急目黒線不動前駅から徒歩約9分 |
電話 | 03-3792-6751 |
拝観時間・拝観方法 | 9:00〜16:30/年中無休、事前の予約は不要です(2026年11月にお寺へ電話で確認)。写真撮影は、仏像が写らず、ほかの参拝者への配慮があれば可とされています。現地の掲示にも従ってください。 |
拝観料金 | 500円(2026年11月にお寺へ電話で確認) |
拝観時間・料金は変わることがあります。2026年11月にお寺へ電話で確認した内容を載せています。お出かけ前にご確認ください。参考:目黒区「めぐりめぐろ 不動周辺」、東京国立博物館 展示作品リスト
.

地域タグ:東京都の仏像

下記バナーをクリックしてアカウントをフォローしてみてくださいね!
【地方仏めぐりおすすめの書籍】

見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
新TV見仏記
地方仏を歩く|丸山尚一
【各エリアのおすすめ仏像本】

■東北エリア
図説 みちのく古仏紀行
■関東エリア
東京近郊仏像めぐり
■東海エリア
東海美仏散歩 愛知・岐阜・三重
■関西エリア


















