No.50:山形県・立石寺の仏像/薬師如来坐像、日光・月光菩薩像、僧形文殊菩薩坐像、大日如来坐像、慈覚大師頭部像/御朱印など


山寺(やまでらの名前で親しまれている山形県の立石寺(りっしゃくじ)を紹介します。このお寺は山寺の名のごとく、奇岩で覆われた山中に寺院の建物が点在する全山が霊山(れいざん:神聖な崇拝の対象となる山)となった慈覚大師(円仁)が9世紀に開山したとされる東北地方屈指の古刹(こさつ:由緒ある古い寺)です。

その奇岩がそびえる山腹の杉木立の中を1000段ほどの石段が続きます。山は静寂につつまれ誰もが神聖な気持ちとなり、心が洗われていくことでしょう。江戸時代に松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄り句を詠んだことでもよく知られています。またここには平安時代から鎌倉時代の仏像が多く残されています。

慈覚大師が開山し、奥の細道で芭蕉が訪れた寺(平泉の中尊寺・毛越寺、松島の瑞巌寺、山形の立石寺)を巡る「四寺回廊(しじかいろう)」や出羽の名刹三寺(若松寺、慈恩寺、立石寺)を巡る人々も多くいます。

立石寺へのアクセス

立石寺(山寺)の最寄り駅「山寺」まではJR仙山線で仙台駅より約50分山形駅より約20分の距離にあります。車の場合も山形市内から20~30分くらいの距離です。

駅を降りて北側にそびえる岩山に立石寺の建物などが見えます。

いかにも「山寺」という感じですが、あの上まで上ると考えると足に自信が無い方は尻込みしそうです。奥の院まで下から1000段ほどの階段が続きますが、ゆっくりと途中見学し、休みながら登っても1時間あれば到着しますよ。

駅を出て立谷川(たちやがわ)に架かる朱色の宝珠橋を渡ると、そこは土産物屋などが並ぶ門前町通りです。山寺への登山口には「奥の細道」「名勝・史跡 山寺」の大きな石碑が置かれています。そこから登り階段が始まります。階段を少し登った先に「根本中堂」というこの御山全体(寺院)の本堂に相当する大きな建物があります。ここには最澄が中国(唐)から比叡山に持ち帰ったとされる灯が比叡山から分灯され、一度も絶えることなく灯り続けている「不滅の法灯」があります。

またこの付近には、芭蕉句碑:「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」、清和天皇の御宝塔、日枝神社(ひえじんじゃ)、宝物館、念仏堂、鐘楼 などが並んでいます。仏像については根本中堂宝物館などは見落とせないところです。これについては後述します。

 

また名物の「力こんにゃく」なども売られていますので一息ついて登りに備えましょう。

そして鎌倉時代の建立といわれる山門があり、ここで入山料を払って奥の院まで約800段の登り階段が続きます。途中で上を見上げれば、奇岩と大きな杉の大木が天を突くようにそびえていて、また足元にはたくさんの石仏が安置されていますので、ゆっくりとそのお顔を拝みながら登りましょう。きっと心が洗われてきますよ。

では途中の見所を以下に並べておきます。

姥堂(うばどう):ここは極楽への入口です。ここで古い服を奉納して新しい服に着替える場所だといわれています。ここには奪衣婆(だつえば)が祀られているそうですよ。一般的には奪衣婆は三途の川の渡し場にいて死者が六文銭を持っていないと六文銭の代わりに服を剥ぎ取る老婆です。

せみ塚:のぼり途中の休憩場所です。せみ塚の名前は芭蕉の詠んだ蝉の句(短冊)を、弟子たちがここに埋めて石塚を立てたことに由来します。

弥陀洞(みだほら):岸壁にたくさんの塔婆のような形の文字が彫られています。またこの直立した岩を長い年月をかけて雨風がけずり、阿弥陀如来(大きな丈六(4.6m)の阿弥陀如来像)となって浮き出て見えるのだそうです。

仁王門:江戸時代1848年再建された門で、けやき材が使われています。左右の金剛力士像は金網の中で見えにくいのですが、運慶の弟子たちの作といわれています。

性相院(しょうそういん):本尊は阿弥陀如来。運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されています。
伊達政宗の母(義姫)の日牌所(位牌を安置し、日々霊を弔う場所)です。

金乗院(こんじょういん):本尊として延命地蔵菩薩。藤原三代、藤原秀衡の日牌所です。

中性院(ちゅうせいいん):本尊は阿弥陀如来座像。山形城主、最上義光及び新庄藩、戸沢侯歴代の日牌所です。

奥之院と大仏殿:奥之院は死者を弔う場所だそうですが、正式には「如法堂」といい、慈覚大師が唐での修行中に持ち歩いた釈迦如来多宝如来の両尊を本尊としています。また隣に並んだ大仏殿には高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されています。

さて登りはここでほぼ終わりですが、そのまま下ってはもったいないので少し回って行きましょう。

横道に進むと華厳院と大岩をくりぬいた中に三重小塔(重要文化財)があります。

 

さらに進むと江戸後期に再建された「開山堂」があります。ここは慈覚大師を祀るお堂で、大師の木造の像が安置されています。そのすぐ近くの岩場の上に朱色の小さな堂「納経堂」があります。このお堂がこの寺で現在一番古い建物です。中には宗徒による写経が納められています。

 

そしてその先を進むと多くの方がよく訪れる「五大堂」があります。

五大堂は五大明王を祀る道場として開山30年後に建立されました。板敷きの舞台があり、そのからの眺めがすばらしいのです。下を走る仙山線の様子や町の様子が手に取るように見下ろせます。

ここからは抜苦門(参詣者の全ての苦悩が抜ける門)へ一気に下ります。のぼりの半分くらいの時間で下りられますよ。

でも1970年代頃までは山寺には下りの滑り台がありました。なかなかの急な石の滑り台でお尻に火がつくみたいだともいわれ評判でもありましたが、危険でもあったために今では中止されていて、滑り台の残跡が草や枯葉に埋もれています。

それこそ「夏草や兵どもが夢の跡」でしょうか。

また駅の反対側のこの山寺と対峙する高台に「山寺芭蕉記念館」「山寺後藤美術館」があります。芭蕉記念館には、松尾芭蕉やその門弟が書き残した書画などを中心に、奥の細道関係の資料が展示されています。京都北山杉を用いた数寄屋造りの茶室もありますよ。

後藤美術館は比較的新しい美術館で、地元山形の実業家・後藤季次郎氏が収集したヨーロッパ絵画のコレクションを中心に展示しています。古きお寺とヨーロッパ美術とのマッチングがまたすばらしいです。両方とも10~15分ほど足を伸ばせば行くことができます。またこちらも高台ですので山寺の岩場や建物などが良く眺められます。

立石寺の歴史

立石寺は、平安時代前期の860年に清和天皇の勅願によって慈覚大師(円仁:えんにん)が開いたと伝わっています。しかし慈覚大師円仁が東国巡礼したのは829年から3年間でありその時すでに、この地に天台教の道場を建てることを決めていたのかもしれません。慈覚大師の後に出羽国(秋田県・山形県)で天台宗の布教に努めたのは弟子の安慧(あんね)和尚でした。立石寺では慈覚大師が開山し、安慧和尚を開祖としています。円仁は下野(しもつけ)の生まれで、15歳の時に比叡山延暦寺に行き、最澄(伝教大師)より天台宗を学び、最澄の最も信頼された弟子となります。最後の遣唐使として唐に留学し、天台山を目指すが、かなわず代わりに五台山を巡礼して10年近い修行を遂げて無事帰国しました。帰国したときはすでに54歳で、それから精力的に関東から東北地方に次々と寺を建立していきます。全部で500以上の寺を建てたといわれていますが、中でもこの立石寺を始め、松島の瑞巌寺(ずいがんじ)、東京の目黒不動(瀧泉寺)が有名です。

 

 

立石寺はこの中でも最も重要な天台宗の寺院と言えるでしょう。比叡山延暦寺の別院と呼ばれています。円仁はこの寺を建立した4年後の864年に比叡山で亡くなりますが、この立石寺には円仁の遺骸(いこつ)を安置すると伝える入定窟(にゅうじょうくつ)があり、9世紀頃の作とみられる円仁の頭部のみの木彫像などが残されています。

1950年の定窟調査報告書によれば入定窟の中に安置されていた金棺の中から火葬人骨2体、土葬人骨3体木造の頭部1個が見つかりました。この人骨の中で最も古いと思われる土葬骨は平安時代のものと考えられ、慈覚大師の骨である可能性が指摘されています。

また、ここには最澄(伝教大師)が中国(唐)から比叡山に持ち帰ったとされる法灯がこの寺に分灯され、一度も絶えることなく灯り続けていて「不滅の法灯」と呼ばれています。

しかし、16世紀前半に兵火を受けて山全体が焼失し、もう一度比叡山から分灯されています。逆に1571年に比叡山が織田信長の焼打ちにあった時には、こちらから比叡山に分灯されました。このように天台宗総本山延暦寺とは切っても切れない関係にある重要なお寺なのです。

江戸時代に松尾芭蕉が奥の細道紀行でこの寺を訪れ、「閑(しずか)さや 岩にしみ入る蝉(せみ)の声」と詠んだ場所として有名になりました。後にこのセミの種類が論争になりましたが、やはり岩にしみ込むようなセミの鳴き声や芭蕉が訪れた時季などを考えて「ニイニイゼミ」というのが今の定説になっています。

また立石寺は山形城主最上家との関係が深く、荒廃した堂宇(お堂などの建物)を再興しています。特に、国指定重要文化財となっている現在の根本中堂は1356年に初代山形城主である斯波兼頼によって再建されたものです。天台宗仏教道場の形式が残された入母屋造りの建物で、ブナ材が多く使われており、ブナ材の建築物では日本最古といわれています。

立石寺の仏像の詳細

根本中堂内陣と宝物殿は入山料の他に別途参拝料がかかります。

<根本中堂の仏像>

根本中堂は、この寺の本堂に当たる建物で、室町時代に再建されたものです。

木造薬師如来坐像(秘仏:50年に1度の御開帳)

この寺の本尊で、室町時代初期の像で国の重要文化財に指定されています。この仏像はなんといってもこの寺で最も重要な仏像なのですが、50年に1度しか開帳されません。

前回は2013年でしたので次回は2063です。普段は堂内の厨子にしっかりと安置されていますが、開帳時にはこの厨子の扉を開けて拝顔します。さすがにこのときは、仏像ファンの方や参拝の方々がたくさん来られますので大変混雑します。像は桂材の一木造の坐像です、像高130cmの半丈六の像です。御開帳した時の様子や写真から見ると、かなりどっしりとした座像で、お顔もふっくらしており、目を大きく見開いています。からだ全体は赤みを帯びていて、法衣のひだもしっかり流れており、しっかりとしたいかにも平安仏という素晴らしい像です。

日光、月光の両菩薩像(脇侍)

本尊と同時期の脇侍(日光、月光の両菩薩)は、1698年に江戸幕府の命により、この両菩薩像および十二神将像上野寛永寺に移されました(また寛永寺の中尊(立像)は滋賀県石津寺から移されたものです)。現在寛永寺のこの両菩薩像および薬師如来立像は、木造薬師三尊像として重要文化財に指定され、これも秘仏でほとんど公開されず、特別な展示会がある時のみ公開されたことがある程度です。

現在立石寺に安置されている両菩薩(脇侍)は江戸時代に作られたものです

毘沙門三尊像

 

僧形文殊菩薩坐像

本尊の厨子の左右の奥に
毘沙門三尊像僧形文殊菩薩座像(市文化財)が安置されています。毘沙門天像はケヤキの一木造で、像高は130cmほどです。 平安時代前期の作ではないかとも思われますが不明です。表情は怒りというよりは少し愛らしく感じます。
兜を着け邪鬼の上に乗っています。
また、僧形文殊座像はカツラの割矧(わりは)ぎ造りで、像高は90cmほどです。頭をまるめた僧形の坐像ですが、僧形の文殊菩薩は一般的には老僧の姿に作られるため、この像はもう少し若づくりのため、もともと地蔵菩薩像としてつくられたのではないかといわれています。

<宝物館の仏像>

木造大日如来坐像(正面にケースに入れられて安置):市文化財

金剛界大如来の印である智拳印(ちけんいん:左頭指を立て右拳で左頭指を握るもの)を結んでいます。像高約40cmの坐像で、ヒノキ材の一木造です。平安時代後期ごろの作ではないかと見られますが、立石寺山中の岩屋の中から発見されたといわれ、像の傷みも進んでいて脚部は後の時代に手直しされています。

如来像3体

1)木造阿弥陀如来立像(県文化財)

像高53cmの寄木造の像で、鎌倉時代後期(13世紀後半)の都の仏師による作とみられています。阿弥陀如来像と呼ばれていますが、本来の尊名は不明です。

2)造釈迦如来立像(県文化財)

像高78cmの寄木造の像で、鎌倉時代後期(13世紀後半)の都の仏師による作とみられています。

3)木造薬師如来立像(県文化財)

像高68.5cmの寄木造の像で漆箔です。 鎌倉時代中期の都の仏師による作とみられています。

これらの3尊像は、境内にある日枝(ひえ)神社のご神体としてまつられていました。鎌倉時代後期の作の像と思われます。大きさがそれぞれ異なるので、同時に製作されたものではない可能性があります。神仏習合(じんぶつしゅうごう)の際に立石寺の鎮守の神社としてまつられたものと思われます。

木造伝教大師坐像(右側奥にケースに入れられて安置):県文化財

はだけた胸にはあばら骨が浮きあがり、顔は笑みを浮かべ、額には深いしわが刻まれた老体の姿をしています。像高73.3cmの一木造坐像です。平安時代中~後期ごろの作ではないかと思われます。伝教大師の像と伝わっていますが、僧形から文殊菩薩でないかとも推察されています。この像は都の仏師ではなく地方的な仏師の作と見られています。

<中性院の仏像>

銅造正観音菩薩立像

もっとも古い仏像と推察される仏像です。

<華蔵院の仏像>

木造観世音菩薩立像

華蔵院の本尊です。傷んでいたので、近年修理されています。この仏像は、文化財指定を受けていませんが室町時代後期の作と見られています。

<奥之院(如法堂)、大仏殿の仏像>

木造阿弥陀如来坐像

大仏殿の本尊で、像高5mほどの金ぴかな大きな仏像です 。

奥之院には慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いたとされる釈迦如来多宝如来が本尊として祀られていますが、非公開です。

<仁王門>

阿型・吽型の仁王像

慶派の作といわれています。

 

<入定窟>

木造慈覚大師頭部(重要文化財):非公開

ケヤキの一木造で全長22.1cm、顔の長さ20.3cm、幅16.6cmの穏やかな目を閉じた慈覚大師のお顔です。力強い彫法で慈覚大師の没時からあまり隔たらない平安時代前期の作と考えられています。金棺の中から発見された遺骨は頭部がなく、おそらく比叡山で入滅した時に一時その地に埋葬され、その後頭部のみ比叡山に残し、この頭部のみの木造彫刻を作って遺骨と共に立石寺に移したものと考えることができそうです。

 

立石寺のご朱印

 

立石寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

宝珠山立石寺

宗派

天台宗

住所

〒999-3301  山形県山形市山寺4456-1

電話

023-695-2843

拝観時間

8:00~17:00

拝観料金

入山料(山門、奥の院:大人300円 / 中人400円 / 4歳以上100円

団体入山料(30名以上):大人240円 / 中人160円 / 4歳以上100円

宝物館:大人:200円 / 4歳以上100円

団体(30名以上):大人:160円 / 高校生:100円 / 4歳以上100円

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