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【見仏入門】No.24 福岡県太宰府・観世音寺の仏像・見どころ/馬頭観音、不空羂索観音、大黒天、兜跋毘沙門天など

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福岡県太宰府にある観世音寺(かんぜおんじ)は九州随一の仏像の宝庫です。仏像ファンなら一度は訪れておきたい場所です。

この寺は中国唐から日本に渡ってきた鑑真(がんじん)和上が奈良の都に上る前に最初に立ち寄った場所です。

 

そしてここで、仏教(律宗)の正式な戒律を教え、最初に受戒(僧侶になる人に戒律を授け、僧侶になることを認めること)を行った場所としても知られています。

緑深い敷地の中にこの寺はあります。入口から大きな木で覆われた参道を進むと、奈良正倉院を思い浮かべるような巨大な宝蔵が見えてきます。

この宝蔵と呼ばれる建物の中にに入ると重要文化財の仏像16体を始め、たくさんの仏像たちが迎えてくれます。そして、この仏像たちがものすごく大きく日本ではないような感覚を味わえますよ!

観世音寺へのアクセス

 観世音寺には博多バスターミナルから大宰府行きバスで太宰府市役所前、または大宰府政庁跡で下車します。バスの所要時間は40分ほどですが、交通渋滞時は少し余裕を見た方が良いでしょう。またはJR二日市駅からタクシーで15分、西鉄なら五条駅からは徒歩で10分くらいです。

また市内観光はコミュニティバス「まほろば号」があり、低料金で市内各地を回ることができますので調べていかれたらよいと思います。

寺から歩いてすぐ近くに大宰府政庁跡(公園)があり、そこに大宰府の展示館もあります。

また2005年に日本で4か所目の国立博物館「九州国立博物館」が開館しました。

大宰府天満宮などと共に見学されるのも良いと思います。

 

観世音寺の歴史

 九州で最も多くの仏像が安置されている観世音寺には正式な縁起は残されていませんが、続日本書紀によると、天智天皇が661年に亡くなった母・斉明天皇を供養するために発願して80年ほどかけて746年に完成したとされています。

 

当時の建物は現在残っていませんが発掘調査によると法隆寺とは塔と金堂の並びが逆の飛鳥の川原寺式(回廊の中に東が塔、西が金堂)の伽藍配置でした。出土瓦も飛鳥の川原寺の系統をひいています。

 

また、奈良・平安時代を通して西の守りとなる役所であった「大宰府政庁」がすぐ隣にありました。このためこの寺は「府の大寺」と称されて九州随一の大きな寺でした。

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中国唐の名僧「鑑真(がんじん)」が数度の日本への渡航に失敗した後、ようやくここ大宰府に到着したのは753年のことです。そして、ここで初の受戒(じゅかい)を行いました。

 

受戒というのは僧侶になる資格を授けることをいいます。また僧侶になるには厳しい戒律を守らねばなりません。このため仏教(鑑真は律宗)を広めて、正式な戒律を取得した僧侶を日本に多く作る必要があったのです。

その後鑑真は奈良の東大寺に移り、本格的な戒壇院が作られました。また、761年になり、鑑真(がんじん)は、この寺にも正式に戒壇院(かいだんいん)を設けました。

当時僧侶になるためにはこの戒壇院のある寺で受戒をうける必要がありました。

当時日本に置かれた戒壇院は、奈良東大寺(中央戒壇)<奈良県>、下野(しもつけ)薬師寺(東戒壇)<栃木県>とこの筑紫(ちくし)観音寺(西戒壇)<福岡県>の三箇所だけで、「天下三戒壇」といわれています。

観世音寺はその後、西日本随一といわれるまでに多くのお堂が立ち並ぶほど発展しましたが、途中で衰退や消失などでそのほとんどが消えてしまいました。

現在は江戸時代に再建された金堂と講堂があるだけです。

観世音寺は昔の建物は残っていないため、観音寺境内と子院跡とが国の史跡に登録されています。また国宝は日本最古の一つと言われる梵鐘がありますが、仏像たちは寺の創建時代の物はありません。しかし、その後の平安・鎌倉時代に造られた重要文化財指定の仏像(16体)が残されています。皆かなり大きな木造仏像で、訪れた人はその迫力に圧倒されると思います。そして樟(クスノキ)材が多く使われているのも九州の仏像の特徴でしょう。

ここはまさに、西日本における仏教芸術の粋を見ることができる場所なのです。

また戒壇院は現在観世音寺とは敷地が分かれていて、別寺院として管理されていますが、元は同じ敷地の一角だったといわれています。

 

観世音寺の梵鐘

この寺には日本最古の梵鐘(ぼんしょう)といわれる鐘が残されていますが、698年の銘がある京都・妙心寺のものと同じ型が使われており、ほぼ同時期に作られたものと考えられています。

 

観世音寺宝蔵の仏像について

日本の仏像

 この寺の宝蔵に多くの仏像が安置されています。この内部に入るとその仏像の大きさに驚くと思います。高さが3m~5mもある仏像が並んでいます。

 

まず3体の巨大仏像(すべて旧講堂にあったもの)があります。

馬頭観世音菩薩立像

3体並んだ真ん中の像です。像高は5.03mです。平安時代初期の作とされます。

 寄木造で表面は金色に輝いています。もともとインドでは馬は草をよくたべるので悩みも皆食べつくしてくれる聖獣の一つとみなされていました。馬頭観音は真ん中の頭頂部にこの馬をのせ、四面八臂(しめんはっぴ:顔が4つで腕が8本)で、各顔の額にはおおきな目がついています。顔は怒っているか、悲しんでいるかよくわからない複雑な表情をしています。仏教以前のバラモン的要素を多分に持つ馬頭観世音ともいわれています。

この巨大な仏様の前に立つと、その超自然的エネルギーが感じられると思います。なおこの像は馬頭観音像の中でも最古の部類のものといわれ、特に傑作な像といわれています。

不空羂索観音菩薩立像

向かって右側の像です。像高5.71mとやはり巨大です。寄木造りの手が8本あり、手に持つ羂索(けんじゃく:古代インドで使われた狩猟用の縄)であらゆる人々の悩みや悪業から逃がさずに救済してくれる観音様です。

この像が作られたのは鎌倉時代ですが、1914年に行われた修理で、この像が作られる前の塑像(粘土像)の顔面破片と由来書などが発見されました。それにより、1221年に塑像の像が倒れて壊れてしまうまでは講堂には塑像の不空羂索観音が祀られていたことが判明しました。その後今の像(木造)が作られました。

十一面観世音菩薩立像

向かって左側の像です。像高は4.98mです。平安時代1069年の作です。柔らかな表情の観音様で、やさしい慈愛に満ちたふくよかな表情・姿をしています。

聖観音菩薩坐像

3体の巨大な観音立像の左側に置かれており、坐像ですが3.2mとかなり大きな観音像です。

平安時代の1066年の作で、旧講堂の本尊として、上記の大きな立像3体に囲まれて安置されていたといいます。

ただ、この講堂の本尊は、当初不空羂索観音菩薩だったようです。塑像の仏像が壊れて、木造仏に変わったことによりご本尊も変えたのかもしれません。もう1体、宝蔵には旧講堂に安置されていた鎌倉時代(1242年)作の十一面観音立像が安置されています。こちらも像高が3.03mあります。

その他の仏像

今までは旧講堂に安置されていた仏像たちですが、旧金堂に安置されていた仏像もここに安置されています。

大きな3体の観音立像にと同じ空間には数々の仏像が祀られています。阿弥陀如来坐像(旧金堂の本尊)、十一面観音立像四天王像、大きな大黒天立像、吉祥天立像地蔵菩薩立像地蔵菩薩半跏像兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像があります。

 

特に、大黒天像は平安時代の作とされ、等身大の木像であり、日本最古の部類ともいわれ有名です。私たちの良く知っている大黒天は神道でいう七福神の大黒様で、いかにもふくよかな顔をしてあらわされていますが、この像はインド密教の大黒天で、戦(いくさ)の守り神とも言われ、表情はかなり厳しい表情をしています。初期の大黒天像を知る上では貴重な像だといえます。

館内には仏像の説明が放送で流れていて、それを聞きながらこの九州随一の仏像群を拝観できます。

現在の講堂(現本堂)には、旧金堂に安置されていた聖観音立像(平安時代)が安置されています。

またやはり旧金堂にあった阿弥陀如来立像(平安時代)は現在、この近くにできた「九州国立博物館」に安置されています。

観世音寺と九州国立博物館で、まとめて参拝することで九州ならではの歴史・仏教文化をしっかりと分かりやすく理解できるでしょう。

福岡県太宰府観世音寺の御朱印

 

観世音寺の仏像にもっとふれる

 

福岡太宰府・観世音寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

清水山普門院観世音寺

宗派

天台宗

住所

〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺五丁目6番1号

電話

092-922-1811

拝観時間・料金

9:00~17:00(入館は16:30まで)

無休

大人500円、高・大生300円、小・中学生150円

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