【見仏入門】No.2京都・三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の仏像/国宝千手観音坐像・千手観音立像・二十八部衆など


三十三間堂は京都でも有名な観光地なので、修学旅行などで訪問したことがある方も多いのではないでしょうか?長いお堂にズラーっと千手観音がならぶ光景は、お堂のなかに入った多くの人が圧倒されます。

三十三間堂はよく「自分と似た顔の千手観音が1体はいる」などいわれるので、お堂に行くと自分に似た千手観音を一生けんめいに探している人を時々見かけたりしますね(笑)

 

 仏像の人口密度でいえば日本一の仏像空間だと思います。千手観音は一体何体あるのでしょうか。そして手の数は一体全部で何本になるのでしょうか。

 

 またなぜ○○寺と呼ばず、三十三間堂と呼ばれるのでしょうか?お寺なのでしょうか?

 

今回はそんな日本でも有数の仏像空間である三十三間堂をご紹介いたします!

 

もくじ

三十三間堂までのアクセス

 京都駅から市バスで10分ほどですが、京阪七条駅から歩いても7分ほどの場所にあります。京都駅からでも七条通りを東に歩いて20分ほどで行くことができますので京都のまちを歩きながら訪ねてみたいという人は少しがんばれば京都駅歩いてでも辿りつくことができます。

「三十三間堂」の画像検索結果

 三十三間堂の北東の方には清水寺もありますので、
京都駅から清水寺まで中継地点の観光地として、とても人気があり、年中多くの観光客で常ににぎわっています。

 

 目の前には京都国立博物館があります。博物館の展覧会や平常展でも多くの仏像の展示がありますので、この周辺だけで効率よく京都の美術、仏像を充分楽しめるエリアとなっています。

三十三間堂の歴史

 

三十三間堂は南北に約120mの細長い大きな建物で、三十三間堂の名前の由来それは柱と柱の間の数が33あることから三十三間堂と呼ばれ親しまれてきました。また33の意味は単に柱の間の数が33ということだけではなく、法華経(ほけきょう)などで観音菩薩がそれぞれ33種の姿に化身(けしん)して人々を救ってくれるという思想によるものです。

出典:バガボンド

 第77代天皇である後白河天皇が次の二条天皇に位を譲り、上皇として暮らす御所(離宮)として五重塔などの伽藍(がらん)を持つ大きな法住寺(ほうじゅじ)をこの地に創建し、その法住寺の一画に三十三間堂が建てられ、日本の神様は仏と菩薩の仮の姿だったとする熊野権現の説に基づいて千手観音を本尊としここにまつりました。

 

千手観音はたくさんの手がある通り、たくさんの人々の願いを叶えることができる仏さまです。多くの人々の願いが叶うことを期待して創建されたのでしょう。

 

 建設は平清盛の協力を得て1165年1月に完成しました。しかしそれから約85年後にあたる1249年に火災で寺が仏像もろとも、ほとんど焼失してしまいます。(千手観音の一部は火災から逃れ、現在も確認することができます)

六波羅蜜寺・平清盛像

それから約15年後である1266年に当時の院政の権力者、後嵯峨天皇(ごさがてんのう)の指示で本堂のみが再建されて、現在の三十三間堂である蓮華王院本堂が今日に残っています。

 

都名所之内 三十三間堂後堂之図

 

 正式には京都市東山区にある天台宗の大寺院である妙法院の敷地の外の仏堂(ぶつどう)というあつかいで、人々からは三十三間堂と呼ばれていますが、正式名称を妙法院蓮華王院本堂(みょうほういんれんげおういんほんどう)といいます。

 

 三十三間堂の裏手は弓道場となる広い庭(射程60m)が広がっており弓道をされる人たちのあこがれの場所でもあります。特に成人を迎える男女が振袖袴姿で矢を射る姿などが良くテレビでも取り上げられています。(筆者も学生の頃は弓道をやっていましたが、不良部員だったので三十三間堂で弓を射ることはありませんでした…w)

 

 またこの寺は頭痛封じの寺としても有名で、頭痛に効くお守りもありますので頭痛に悩まされている方が知り合いにいましたら、買って帰られると喜ばれると思います。

 

 このいわれは頭痛に悩まされていた後白河法皇(上皇)がこの三十三間堂を建設する際に長100mをこえる棟木(むなぎ)が必要になり、楊枝(ようじ)の里にあった柳の巨木を切って棟木に使用したところこの頭痛が治ったという話が伝わっており、その後その話から頭痛に悩む人が多く訪れるようになったといわれています。また三重県熊野市にあったこの楊枝の里の巨木の切り株の上には薬師堂(楊枝薬師堂)が建てられ、こちらも頭痛封じにたくさんの人が訪れています。

 

話はそれますが東山区の妙法院(門跡)の方にも後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの国宝などもありますが、こちらは年に数回の特別開館日以外は開放されていませんが、お寺にある普賢堂には鎌倉時代(13世紀)に造られたとされる国の重要文化財の普賢菩薩像が祀られていますので、特別公開の際には三十三間堂ゆかりのお寺としてぜひ訪ねておきたい寺院です。

妙法院普賢菩薩騎象像

三十三間堂の仏像について

南北に長い三十三間堂は軒先まで入れると120m もあります。そしてこの長い歩道の中には1032体の仏像が祀られています。
(一部は東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館などにあずけられています)

 

中央にある湛慶が作った千手観音を中心にその周りを四天王が取り囲み、右に500体、左に500体、そしてその千手観音の前に千手観音の眷属(部下のようなケライたち)である二十八部衆、そしてその両端に風神・雷神が祀られています。本尊の千手観音像の裏側にも1体、千手観音像がまつられています。

 

三十三間堂 本尊 千手観音坐像(国宝)

 

1,000体もの千手観音立像の中心にすわって、千手観音、三十三間堂の中心となる存在、本尊の千手観音です。檜(ひのき)寄木造りの千手観音(せんじゅかんのん)坐像で昭和26年6月に国宝に指定されました。像の高さは約335cmで、台座から本尊の背後の光背まですべて含めると約7mにもなる大きさです。

参考:【国宝仏像データベース】国宝指定の仏像一覧

出典:日本の仏像

 

三十三間堂の歴史の所でも触れましたが三十三間堂は1249年に火事によって焼失してしまいます。焼失してしまったのち、この本尊が平安・鎌倉時代の一大名仏師である運慶の長男である湛慶(たんけい)により1254年に製作されました。

 

製作にあたっては湛慶を補佐する小仏師として「康円(こうえん)」と「康清(こうせい)を率いて作業が進められました。

 

卓越した技術と豪華絢爛なまさに京都の仏と呼ぶに相応しい仏像であると感じます。大ぶりの頭上面や持ち物、賑やかな舟形光背、天井から垂れるきらびやかな天蓋など三十三間堂が再建された当時の様式を極めて良い状態で今日に伝えています。

 

湛慶はこの三十三間堂の本尊を刻んで完成したときは82歳。湛慶はその2年後の84歳の時に生涯を終えます。この千手観音坐像は湛慶の仏師人生の集大成ともいえるべき仏像です。

 

出典:日本の仏像

 

運慶の長男である仏師・湛慶とその仏像

 

湛慶は父である運慶や快慶と並び称される慶派の名仏師とされています。

 

湛慶は1173年に 鎌倉時代の大仏師運慶の長男として生まれます。現在わかっていることは若い頃には快慶と一緒に奈良醍醐寺の閻魔堂の仏像を作っていたことが分かっています。

 

その頃は奈良を中心に活躍する仏師でしたが徐々に都である奈良から活動の地をうつしていき1224年、湛慶が50歳のころに高知県雪蹊寺に伝わる善膩師童子像や高山寺の仔犬像など愛らしい姿の像を彫るようになっていきました。

(左)雪蹊寺の善膩師童子像 (右)高山寺の仔犬像

 

愛らしい仔犬の像と絢爛豪華な千手観音像が同じ作者であることはなかなか結びつきにくいです。

 

 代表作となったこの三十三間堂の千手観音像が完成した時には湛慶はすでに82才の晩年でした。湛慶はその2年後に84才で亡くなっています。

 

国宝:千手観音立像

 

三十三間堂がここまで有名な存在になっているのは、この千手観音立像の存在があるからなのは間違いないでしょう。何度たずねてみても千手観音の数と美しさに息をのんでしまいます。

 

中央の千手観音を中心として、左右に10列のひな壇が設けられて、一段にはそれぞれ50体の千手観音が並んでいます。

 

 

三十三間堂は奥行きはありますが、天井はそこまで高くありません。お堂に占める仏像の割合は相当な占有率です。またそれらの像が拝観する私たちからそこまで離れておらず、比較的近い距離で拝観できるのも三十三間堂の素晴らしい点です。

 

煩悩にまみれた私は、美男美女しか乗っていない満員電車に乗車してしまったような、パラダイスに感じてしまいます(笑)

 

※全国的に他には岡山県倉敷市の安養寺、東京都目黒にある五百羅漢寺などは三十三間堂と同じよう狭い空間の中にぎっしりと仏像がつめられていて仏像のパワーを存分にあびることができるのでオススメですよ!

 

 

三十三間堂は歴史のところでもふれましたが、千体にもおよぶ千手観音立像ですが、お寺が出来た時代からある千手観音と、1249年にお寺が燃えてしまったあとに復興し造られた千手観音と2種類あります。

 

お寺が出来た当時からある仏像をその年の年号の“長寛”から、「長寛仏(ちょうかんぶつ)」、復興に際して造られた仏像を「復興仏」とします。

 

この2つの仏像の間には約100年というとても長い時間の経過がありますが、復興された仏像は、元々の仏像を忠実に再現をして作られているようで、一見しても見分けはなかなかつきません。

 

千手観音は仏師集団3派が集結して再興された

 

三十三間堂に元々いた長寛仏といわれる千手観音は1249年の大火事の時に、約124体が炎の中から救い出されたと考えられています。つまり1,000から差し引くと876体の千手観音がその後新たに作られたことになります。

この876体の千手観音立像の製作者を調べていくと千体の仏の内で名前がわかるものが504体あり、当時の京の仏師集団(円派、院派、慶派の三派)が総動員されていたことが判明しました。

 

 京都の仏師としては、定朝(じょうちょう)が平安時代後期に分業による寄木造りの技法を確立し、革命を起こしましたが、その死後、仏師の流派は「円派」、「院派」、「慶派」の三派に分かれてそれぞれ活躍します。その中でも慶派の流れの中で登場した運慶と快慶という仏師は有名ですね。

やはり限られた時間の中でこれだけの仏像を復興させようとするためには敵対する仏師たちがそれぞれ手を取り合って、お寺を復興するしか方法がなかったのだと思います。

 

ちなみに1,001体もの千手観音のうち9体に本尊の作者である湛慶の名前が残されています。そしてそのすべての湛慶による仏像は、ずらっと並ぶ千手観音のなかで拝観者にもっとも近い先頭に祀られているので、とても確認しやすく祀られています。湛慶が亡くなった後は、甥の康円が継いだとみられています。

 

湛慶の銘が残る9体の千手観音像

出典:「探仏記Ⅲ ~気まぐれ仏像探訪」さんより

 

国宝二十八部衆像

 

黄金に輝く千手観音の手前には千手観音の眷属(けんぞく/仏のけらい)といわれる「二十八部衆像」(にじゅうはちぶしゅうぞう)が千手観音を信仰する人を守るために、配置されています。

 

二十八部衆すべてが現存するお寺はそう多くはありませんが、三十三間堂はすべて現存している上にそのクオリティがとても高く、全ての二十八部衆が国宝に指定されいます。

 

千手観音像よりも手前に配置されており拝観者の最も近い場所に二十八部衆像が祀られているため、しっかりと姿を確認することができます。二十八部衆とほぼ同じ目線で仏像と向き合えるのがこの三十三間堂のもう一つの特徴と言っても良いかもしれません。

 

迦楼羅王(かるらおう):二十八部衆(国宝)

二十八部衆の中で最も有名なのはこの迦楼羅王ではないでしょうか。名前はサンスクリット語のガルーダの音訳から来ており、獰猛(どうもう)な鳥が神格化した姿をしたもの。伝説の巨大な鳥・金翅鳥(こんしちょう)とも言われます。八部衆の一人でもあります。顔は鳥の姿で手に笛を持ち吹き鳴らす姿をしています。

 

出典:日本の仏像

 

那羅延堅固王(ならえんけんごおう):二十八部衆(国宝)

 

もともとはヒンズー教のビシュヌ神で力自慢の神様と崇められていました。仏像の高さは168cm、一般的には密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)とセットになって仁王様と呼ばれお寺の外で、外からくる敵の侵入を守るガードマンの役目をしています。口を開く姿はお寺では阿形像と呼ばれ親しまれています。

出典:日本の仏像

 

密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし):二十八部衆(国宝)

 

那羅延堅固王と対をなす口を閉じる吽形像。煩悩を打ち砕くための金剛杵という武器を持って仏教を守る守護神です。別名・執金剛神と呼ばれます。仏像の高さは163cm
です。

出典:日本の仏像

東方天(とうほうてん):二十八部衆(国宝)

東方天は聞いたことがない人も多いと思うのですが、別名は持国天。仏像を少し知ってる人はピンと来たと思うのですが、つまり四天王の一人です。四天王は東西南北それぞれの方角をまもるガードマンの役目をしているのですが、持国天は東の方角をまもります。東方天はその名の通り、東の方角をまもる天部ということで持国天がその役目を担っています。像高は166cmで、どしっとした姿で敵を威嚇するようなポーズをしています。

出典:日本の仏像

 

毘楼勒叉天(びるろくしゃてん):二十八部衆(国宝)

こちらも難しい名前をしていますが別名は「増長天」。四天王のひとりで南の方角をまもる役目をしています。像高は164cmです。もともとはインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられたそうです。

 

出典:日本の仏像

 

毘楼博叉天(びるばくしゃてん):二十八部衆(国宝)

東方天(とうほうてん)、毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)につづいてくればなんとなく察する方も多いかもしれませんが、こちらの毘楼博叉天(びるばくしゃてん)は別名「広目天」。筆と巻物をもった姿で描かれていることが多く、広目天といえば“筆と巻物”という印象が強いのですが、これは天平時代までこのスタイルで描かれることが多くあったようで、その時代以降は様々な姿で描かれます。この毘楼勒叉天(広目天)も先端が3つに分かれた三叉戟(さんさげき)という武器をもっています。額をよくみると第三の目をもっていることがわかります。

 

出典:日本の仏像

 

毘沙門天(びしゃもんてん):二十八部衆(国宝)

毘沙門天は上の3天にくらべたら一般の人にも有名ですね。四天王のひとりで北方をまもります。四天王に所属している時の名前は「多聞天」です。財宝や福徳を招く仏様としても信仰されます。左手に宝塔をもつ姿をしており比較的、静かな姿で描かれます。像高は160cmです。

 

出典:日本の仏像

 

大梵天(だいぼんてん):二十八部衆(国宝)

もともとはヒンズー教のブラフマーを神格化した仏さま。後述する帝釈天とペアを組んでお釈迦さまをまもる存在。お釈迦さまの教えを広げるなかでとても重要な役割を果たしたとされます。像高は169cmで、帝釈天と同じく気品を感じる貴婦人のような姿をしていますが帝釈天に比べるとやや男性的な印象が強い仏さまです。(身長も高いですしね)

出典:日本の仏像

 

帝釈天(たいしゃくてん):二十八部衆(国宝)

 

高貴な貴婦人のような姿をしている帝釈天ですが、実は戦いがめちゃくちゃ強い戦闘の神様。ヒンズー教の英雄神インドラがもともとの姿であって、興福寺の国宝としても有名な「阿修羅」と常に戦い合っていたそうです。早くから仏教に取り入れられて梵天とペアになって釈迦如来につかえることが多いです。像高は153cmです。同じ京都の東寺の帝釈天がイケメン帝釈天として有名ではありますが、こちら三十三間堂の帝釈天も、東寺の帝釈天にはない気品さを感じる美しい仏さまです。

 

出典:日本の仏像

 

畢婆迦羅王(ひばからおう):二十八部衆(国宝)

 

薬師如来のけらいで十二神将のうちの一人。“まぁまぁ落ち着け”とONE
PIECEに登場してくる“ジンベイ”のような、力強さもあるけど、対話で解決しようとするような冷静な一面を見せるような姿のように感じます。像高は165cmです。

出典:日本の仏像

 

五部浄(ごぶじょう):二十八部衆(国宝)

 

上天下界を支配する仏であって、礼法や治法などをつかさどる仏です。2つの剣をもって敵に立ちはだかる、戦闘を開始する直前のような姿をしています。

出典:日本の仏像

 

沙羯羅竜王(さからりゅうおう):二十八部衆(国宝)

 

インドの神話に登場してくるヘビを神格化させた仏さまで、頭のうえに5匹のヘビをのせメデューサのような姿をしています。さらに左手には一匹のヘビを握っています。ヘビ=竜と考えられており、沙羯羅王も八大龍王のひとりです。

出典:日本の仏像

 

阿修羅王(あしゅらおう):二十八部衆(国宝)

 

出ました阿修羅。興福寺のスーパースターである阿修羅像は仏像界のなかではとりわけ有名です。しかしこの三十三間堂の阿修羅を見ると少し様子が違います。実はもともと阿修羅は戦いの神様。インドでは帝釈天と絶えず戦っていた悪神でした。その後、仏教の力によって戦いの神様から仏教をまもる神様として改心します。本来戦いの神様である阿修羅は、このように武闘派の姿で表現されることが多いのです。興福寺の阿修羅像は物憂げな少年のような表情が人々の心をひきつけていますが、興福寺の阿修羅は、阿修羅像としてはイレギュラーな姿なんですね。

 

三十三間堂の阿修羅像 出典:日本の仏像

興福寺の阿修羅像

 

乾闥婆王(けんだつばおう):二十八部衆(国宝)

 

仏教では帝釈天につかえるという乾闥婆王(けんだつばおう)は、なんとお酒をまもる神様。しかも空中で音楽を奏でているそうです。神々がたしなむお酒は人々の治癒(ちゆ)の役目もはたす大事な医療の薬。乾闥婆王は薬をまもる神ともいえます。その影響からか胎児や小さな子どもをまもる神様としても信仰されるようになります。像高は159cm。本来は右手に法輪、左手に経典を持ちますが現在は当初の経典は失われています。

 

出典:日本の仏像

 

緊那羅王(きんならおう):二十八部衆(国宝)

 

帝釈天・毘沙門天それぞれにつかえるという緊那羅王(きんならおう)は歌の神です。美しい歌で人々を魅了する神様。獣(馬)の顔と人の身体をもつとされる神様なのですが、この三十三間堂の像は鼓(つづみ)を首からさげて打ち鳴らす姿であらわされます。一度でいいからこの人の歌声を聞いてみたい!

出典:日本の仏像

 

摩侯羅王(まごらおう):二十八部衆(国宝)

 

琵琶を持つ姿がギターをかき鳴らす仏さまのように見えて、ロックな好きな仏さまなのかな?と思えてしまいます。ヘビの首と人間の身体をもつ仏さまとされることもありますが三十三間堂の摩侯羅王は5つの眼を持ち頭にヘビを巻きつけるというとても珍しい姿をしています。どんな音色を奏でているのでしょうか。ぜひ心の耳で聞いてみてください!

 

出典:日本の仏像

 

金大王(こんだいおう):二十八部衆(国宝)

悪いことをもたらすとされる敵をやっつけるため三鈷杵という仏教ならではの武器をもっています。八大夜叉の、宝顕夜叉(ほうけんやしゃ)という別名をもっています。金大王という名前をもつのはこの三十三間堂だけと言われています。

出典:日本の仏像

 

満仙人(まんせんにん):二十八部衆(国宝)

鼻が高く、天狗のような、河童のようなちょっと仏教の仏さまとはいえない顔を持っています。独鈷杵という武器と三叉の槍をもって武闘派の姿をしています。像高は161cmです。

 

 

金毘羅王(こんぴらおう):二十八部衆(国宝)

 

別名は「宮毘羅(くびら)」。宮毘羅(くびら)といえば薬師如来につかえる十二神将のひとりです。ガードマンの役割をしますが、もともとはガンジス川にすんでいるワニを神格化した水神です。

出典:日本の仏像

 

満善車王(まんぜんしゃおう):二十八部衆(国宝)

 

右手にハンマー(槌)左手にヘビを持つ、一体なにをしようとしている姿なのか不思議な天部。実際、観音菩薩の親族であると言われていますが謎多い仏さま。インドの竜王の一種と考えられています。

 

出典:日本の仏像

 

金色孔雀王(こんじきくじゃくおう):二十八部衆(国宝)

 

仏教において毒蛇を食べるという存在は孔雀であり、その孔雀が神格化した姿。元は綺麗な孔雀ですが、武闘派の天部の姿で現されます。密教では孔雀明王という菩薩顔の明王像に変身します。

出典:日本の仏像

 

大弁功徳天(だいべんくどくてん):二十八部衆(国宝)

 

同じ二十八部衆の中にいる婆数仙と共に千手観音の脇侍として必ず登場する幸福をもたらす神様。女性の仏さまとして仏教では吉祥天として取り入れられています。大弁功徳天単体としてはあまり有名ではありませんが、とても美しい仏さまです。

出典:日本の仏像

 

神母天王(じんもてんおう):二十八部衆(国宝)

 

両手で小さなシンバルを叩いている姿で現されます。別名、鬼子母神(きしもじん)、訶梨帝母(かりていも)と言われており、こちらの名前のほうが仏像を好きな人からすると有名だったりしますが、もともとは子供をつかまえては食べていたという恐ろしい存在でしたがお釈迦さまが鬼子母神の子供を隠したことで、子を亡くした親と同じ苦しみを味わい、改心して仏教の守護神となった、ものすごいエピソードを持つ仏さまです。

 

出典:日本の仏像

 

散脂大将(さんしたいしょう):二十八部衆(国宝)

 

鬼子母神の子供(夫という説もあります)で、大弁功徳天(吉祥天)のお兄さんである仏像です。右手に三叉戟を持ち、左手に宝珠を持って相手を威嚇する力強い姿をしています。兄妹である吉祥天と一緒に登場することが多く、奈良時代のころから人々に信仰されていたようです。

出典:日本の仏像

 

難陀龍王(なんだりゅうおう):二十八部衆(国宝)

 

八大龍王のひとりで千手観音の眷属として二十八部衆にも加わります。ヘビを意味する「ナーガ」が語源であり中国では竜王と言われます。三十三間堂の難陀竜王はヘビを肩にかついで金管楽器の吹き鳴らす奏者のようなめずらしい姿で立体的な表現をしているのが印象的です。水の神様としての信仰も受けます。

出典:日本の仏像

 

摩醯首羅王(まけいしゅらおう):二十八部衆(国宝)

 

相手をイカクしているというよりも自分がびっくりしてしまっているような表情をしている
摩醯首羅王(まけいしゅらおう)ですが、元々はヒンドゥー教の最高の神であるシヴァ神が仏教に取り入れられた姿をしているとても偉い仏さま。大自在天ともいいます。像高は160cmほどになります。

出典:日本の仏像

 

婆藪仙人(ばすせんにん):二十八部衆(国宝)

ガリガリのお爺ちゃん的な姿をしていて初めて見た時にはぎょっとしたことを覚えています。古くから千手観音のお供として登場して殺生やお肉を食べる事を悪いことだと認めなかったため地獄に落ちてしまったけどお釈迦様によって助けられた、というエピソードを持っているそうです。一度地獄に落ちているからこんなガリガリの姿なんでしょうね。

出典:日本の仏像

 

摩和羅女(まわらにょ):二十八部衆(国宝)

 

大将軍女とも訳されますが詳細は不明。髪を垂らして一心不乱に合唱する姿やその眼差しは仏様への絶対の危機への決意の表れと考えられています。大地を神格化したもので、地神とも言われるそう。古くは、大地の堅牢さ・万物を生育させる恵みをあらわす神として信仰されたのでゆるながない存在と考えられているのではないでしょうか。像高は153cmです。

出典:日本の仏像

 

風神・雷神像(国宝)

この三十三間堂にはこの千手観音像を守る形で風神・雷神像があります。風神雷神は俵屋宗達の絵や、薬のコマーシャルなどでおなじみです。昔から風や雷に対しての恐怖の心が人々にはありましたが、その一方で日照り作物が取れない時期が続く時などは、風や雨は五穀豊穣をもたらす存在でもあります。それら五穀豊穣をさずけてくれる神様として、むかしの人々から信仰されました。

 

 

千手観音のケライである二十八部衆に降伏したのが風神と雷神でした。そのため風神と雷神は仏の世界の神々には加えられていません。あくまで二十八部衆のケライであり風の神と雷の神の姿を自由に現した存在です。

 

二十八部衆の中にこの風神雷神をカウントすることもありますが、三十三間堂の場合はカウントせず独立して風神雷神が存在しています。この2体も他の二十八部衆と同様に国宝です。

 

 

風神は千手観音の向かって左に配置されています。仏像の高さは111cm
あり鎌倉時代13世紀に製作されたと考えられています。巻雲に乗って大きな風の入った袋を背負って、牙を剥いて威嚇する表情をしています。体の姿勢は左足を前に置いて、今まさに風を起こそうと身構えています。

 

雷神は千手観音の向かって右端に配置されていて、これは我々来場者が三十三間堂のお堂に入った最も手前にあり、来場者を迎えてくれる様な存在となっています。仏像の高さは風神よりも少し低く100cmあります。風神とセットで作成されたと考えられています。右足を前にして雲から下の世界を見下ろして、雷鳴をたてようと3本の指でバチを持って体の周囲に輪っか状に繋いだ小さな太鼓を打ち鳴らして髪を逆立てて怒った表情をしています。

 

まとめ

 三十三間堂を訪ねると数の力というものは、それだけで我々を感動させるものすごい力を持っていると感じてしまいます。三十三間堂の場合、数だけでなく質もあわせ持っていて、三十三間堂に入るだけで、この世の世界とは思えない「極楽浄土ってこういう世界なのかなぁ」と思うほどです。

 また仏像の質だけではなく、お寺の背景には火災によって燃えてしまったお寺を、何とか立て直そうと、仏師の流派を超えて、たくさんの人々が協力しあって力を合わせ、復活をしたという、先の大震災の時に日本中・世界中の人々が力をあわせて被災地を復旧していく姿は、現代のわれわれにも通じる、人々の「心」を感じることができるのではないでしょうか。

京都駅からもアクセスが良いので、京都へ立ち寄った際にはぜひ訪れていただきたいと思います。今回は仏像の宝庫、三十三間堂のご紹介でした。

 

三十三間堂の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

蓮華王院本堂

宗派

天台宗

住所

〒605-0941  京都府京都市東山区三十三間堂廻町657

電話

075-561-0467

拝観時間・料金


こちらでご確認ください

周辺の観光地・口コミ


こちらでご確認ください

 

より詳しく知りたい方は…

見仏記 (角川文庫)【おすすめ度:★★★★★】

 

新版 古寺巡礼京都〈18〉妙法院・三十三間堂【おすすめ度:★★★】