No.47:滋賀県・己高閣、世代閣の仏像/十一面観音像、薬師如来立像、七仏薬師如来像、魚籃観音立像


滋賀県の北部、湖北の観音さまめぐりをしよう!と思ってちょっと調べるときっと己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)というキーワードにすぐ出会うはず。でもそれって名前だけ聞くと「お寺?それとも宿?」と、ちょっと不思議な名前に感じると思います。

己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)は、かつて琵琶湖の湖北地方にある己高山(こだかみやま)を中心に興った一種独特の仏教文化圏の関連寺院に残された寺宝を納めるために建てられた文化財の収蔵施設です。

己高閣には鶏足寺(けいそくじ)の十一面観音像をはじめ、多くの重要文化財が収められています。また世代閣は、己高閣よりも後に造られましたが、(世代山)戸岩寺の薬師如来立像をはじめ多くの仏像仏画や古文書類が収納されています。また、この鶏足寺周辺は紅葉の名所として有名です。

渡岸寺観音堂の国宝十一面観音と並んで、この己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)は湖北の観音さまめぐりのなかでは見逃せないスポットです!

訪問前に己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)とは一体どんなスポットなのか、どんな仏さまがいらっしゃるのか見てみましょう~

己高閣・世代閣へのアクセス

己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)は標高923mの己高山(こだかみやま)の麓の與(与)志漏(よしろ)神社の境内にあります。

JR北陸本線木ノ本駅(きのもとえき)からバスにて14分「古橋」下車 徒歩5分です。バスの本数は少ないので木ノ本駅から歩いても行けますが、1時間近くかかります。

駅からはタクシーで6~7分ですのでタクシーを利用するか、または駅の観光案内所でレンタサイクルを借りてこの地を巡ってみるのもよいでしょう。

ここは「石道寺(しゃくどうじ)」に近く、琵琶湖の北東にあるこの己高山(こだかみやま)には、昔から多くの寺が点在していました。

何故この地にたくさんの信仰の寺や神社が集まって、古来から十一面観音をはじめとする観音信仰がこの地に広まったのかについては同じ地区にある「石道寺(しゃくどうじ)」の紹介記事の中に書きましたのでそちらを参考にしてください。

己高閣・世代閣の歴史

己高閣(ここうかく)は己高山(こだかみやま)に点在した寺々の寺宝を納めるため、昭和38年(1963)に滋賀県が建てた文化財収蔵庫です。

設置された場所は延喜式に記載のある式内社である與(与)志漏(よしろ)神社の境内です。ここには主に、己高山の中心寺院であった鶏足寺(けいそくじ)の寺宝を中心に、飯福寺(はんぷくじ)法華寺など己高山(こだかみやま)の今は廃寺になってしまった寺の諸仏を安置・収蔵しています。

一方、世代閣(よしろかく)は、己高閣(ここうかく)と同じ與(与)志漏(よしろ)神社の境内に平成2年に地元の方達が中心となり建設されたものです。

こちらには地元の鎮守神社である「與(与)志漏神社」とその神宮寺と考えられる「(世代山)戸岩寺」に安置されていた仏像や書物などの文化財を主に収蔵しています。現在「戸岩寺」もこの与志漏神社の境内に存在します。きっと戸岩寺は与志漏神社の神宮寺として建てられたものだと思います。

また鶏足寺もこの収蔵館より少し山の方に入った場所に存在し、この2つの収蔵館の寺宝の所有者は鶏足寺となっています。己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)はお互いに隣接して建てられています。地元の人々など一般には「鶏足寺(けいそくじ)収蔵庫」とも呼ばれています。

鶏足寺ってなに?って思われたのではないでしょうか。

では「鶏足寺(けいそくじ)」の歴史を少し見ていきましょう。

鶏足寺とは?

寺の縁起書などによると、己高山(こだかみやま)に726年頃に行基(ぎょうき)僧正泰澄(たいちょう)大師によってたくさんのお堂や修験者の道場が建てられたとされています。

これを805年に比叡山天台宗の祖といわれる最澄(さいちょう)が寺の建物などを再興して、ここに一大山岳仏教圏が形成され、観音寺・法華寺・石道寺・満願寺・安楽寺・松尾寺・円満寺の己高山七寺があり、この中の観音寺の別院として、飯福寺、鶏足寺、円満寺などの名前が残されています。

その後、これらの寺も荒廃が進み、1374年頃からそれぞれの寺の統廃合も進められたと考えられています。

鶏足寺は、室町時代には僧坊百二十宇もある大寺院となり、湖北仏教文化圏の中核として隆盛を極め、小谷城主浅井家三代、次いで豊臣家の祈願所となったといわれています。

しかし、現在の鶏足寺は己高山七寺の中心寺院であった観音寺の別院である「飯福寺(はんぷくじ)」の継承寺院だといわれています。

また、現在山頂付近に寺院跡が残されていますが、これは当初の観音寺の跡と思われますが、地元では山の上の寺跡を「鶏足寺跡」と呼んでいます。

己高山七寺とその中心であった観音寺の別院であった飯福寺、鶏足寺などの寺は次第に統廃合され、山の上から麓に下りてきたものだと考えられます。

現在の鶏足寺の本堂は旧飯福寺のものと考えられますが、これも昭和8年に焼失してしまいました。

ただ残された仏像たちは新しい収蔵庫にまとめられて拝観できるのですからこれらを管理されている地元の方々には感謝の気持ちで一杯です。

己高閣・世代閣の仏像の詳細

<己高閣(ここうかく)の仏像>

己高閣は滋賀県においてはじめて国庫を投じて作られた文化財収納庫です。

 

十一面観世音立像【重文】(平安時代初期10世紀後半 ヒノキ材一木造)〈像高172.1cm〉

己高閣の正面中央に安置されています。鶏足寺の本尊として伝えられ、9世紀~10世紀初めの平安時代前期から中期に制作されたものと考えられています。

言い伝えでは、行基菩薩が彫り、その後焼けて最澄が頭部を発見して再製したとも言われていますが製作された年代は行基菩薩より後の時代です。ただ、石道寺の十一面観音像が制作された11世紀よりは前の作品です。この2つの十一面観音像は、共にヒノキ材の一造りで像高もほぼ同じ等身大です。

また、顔の表情は石道寺の像が少女のような少しあどけない純真な乙女の優しさを持っているのに比べ、こちらの像はきりっとした目鼻立ちで威厳を備え、慈愛に充ち溢れた表情に見えます。はっきりした衣紋も特徴です。

七仏薬師如来像 7躯【県指定】(平安時代後期ヒノキ材 一木造と寄木造))〈像高:約100cm〉

平安時代頃から、薬師如来像を7体を並べて祈る「七仏薬師法」という密教修法にのっとった仏像の安置法が盛んになってきました。特に比叡山中興の祖ともいわれる天台宗の良源大師(りょうげんだいし)という僧侶が、10世紀の中ごろに摂関家(せっかんけ:摂政や関白に任ぜられる家柄)の安産祈願をこの方法で行ったことから特に有名になりました。

無病・息災・安産など7つの功徳を授ける薬師如来を7体に分身することで強い功徳を授けてくれると信じられたものといわれています。

しかし、この七仏薬師が七体揃って残っている例は少なく、今は己高閣の他には千葉県の松虫寺や岩手県の赤沢薬師堂などに残されているだけともいわれています。

こちらの松虫寺も松虫姫が病でこの地に来て行基菩薩が彫った七仏薬師にお詣りして病を克服したといわれています。

兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像【無指定】(平安時代の作 ケヤキの一木造り)〈像高162cm〉

地天女の手の上に乗った兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)です。

兜跋毘沙門天像については国宝の教王護国寺(東寺)像が有名ですが、西域兜跋国(とばつこく:現在のトゥルファン)で、城を守るために毘沙門天がこの姿で現れたという伝説に基づいている特殊な毘沙門天です。

この像は両手を失っていますが、「無眼」の像として紹介されています。目があるはずのところは少し膨らんでいますがはっきり目は彫られていません。このため昔は色彩で目を描いていたのではないかなどともいわれますが、確認はできていません。

また顔が少し異国風のため渡来仏という見方もあります。ただ兜跋毘沙門天は外部との入口山門などに祀られる像であるため、どこの門にあったものなのかなど興味は尽きません。

その他「己高閣」には

・毘沙門天像(平安時代)

・不動明王像(平安時代)

・日光月光菩薩像(江戸時代)

・破損仏(平安時代)多数

などの仏像が安置されています。

<世代閣(よしろかく)の仏像>

世代閣は、己高閣の裏手にあり、薬師如来魚藍観音など20数体の仏様が安置されています。

こちらは与志漏神社(よしろじんじゃ)の境内にあった「岩戸寺」の薬師堂と大日堂に安置されていた仏像を収蔵するために、里人の浄財で建てられた収納庫です。

岩戸寺 薬師堂:薬師如来、日光月光菩薩、十二神将など

岩戸寺 大日堂:大日如来、阿弥陀如来、多聞天など

が祀られていました。

薬師如来立像【重文】(奈良時代~平安時代初期の作 楠木の一木造り 漆箔一部乾漆)〈像高181.6cm〉

湖国で最古といわれる薬師如来像です。作風、技法等に奈良時代(天平時代)の彫刻文化の特徴がよく出ていますが、ボリューム感のある胸や体、また大腿部の量感などの特徴は平安時代初期に作られた仏像を思わせる特色もみられます。

この像は、岩戸寺の薬師堂に鎌倉時代に制作された日光・月光菩薩像を両側に配置して岩戸寺の本尊として安置されていたものです。

しかし制作された当初は己高山中にあった法華寺の本尊であったと見られています。

また岩戸寺と法華寺の関係は良くわかっていません。

また、製作法は木心乾漆の技法に近く、衣文の描き方など、唐招提寺旧講堂の薬師如来立像に近いといわれており、奈良時代(8世紀後半)の作品に間違いないとの見方もあります。

(乾漆)十二神将立像【重文:十二神将のうち3躯】(奈良時代末頃 木心乾漆・彩色 )〈像高: 91.8cm、 94.8cm、 87.0cm〉

奈良時代後半から制作されるようになった木心乾漆法は大量の高価な漆を使い、製作期間もかかるため、奈良や京都の都以外ではあまり多くはありません。滋賀県内ではこの3例と余呉町菅山寺の聖観音の4体のみといわれています。

この己高山地域には、行基を始め、泰澄、最澄などがやってきて地域一帯に信仰も深まっていきました。そのため、これらの像がどこで作られたものかはわかっていませんが、奈良や京都とのつながりを感じさせてくれます。

これらの3体は薬師如来を守護する十二神将のうちの3体としていますが、四天王として造られた可能性もあります。

魚籃観音(ぎょらんかんのん)立像【県指定】(平安初期 ヒノキ一木造 漆箔)〈像高160cm〉

魚籃観音(ぎょらんかんのん)は、三十三観音の一つで、中国で生れた馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体といわれる観音様です。

中国唐の時代に、魚を扱う(魚売り)美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探して結婚したがまもなく死んでしまった。その後この女性が法華経を広めるために観音となって現れ、これが魚籃観音(馬郎婦観音)だといいます。

手に魚の入ったかごを持つ像と、大魚に乗る像とがあります。絵などでは大きな魚の上に立った姿で描かれることが多いようです。こちらの観音様は左手に魚の入った駕籠を持っています。

また悪鬼・羅刹(らせつ)・毒竜の害を除く力をもつとされていますので、ふぐを扱う漁師・調理人・料理屋などに祀られることが多いようです。

こちらの像は上半身が裸形の姿で彫られていて少しなまめかしくもありますね。またどこかエキゾチックな趣のする像です。頭上の化仏はすべて失われています。

十所権現神像10躯【県指定】(平安後期~鎌倉前期)〈像高:日吉大宮21.6㎝ ・熊野大権現29.1㎝ ・八幡大菩薩28.0㎝ ・白山大権現30.4㎝・横山大明神29.4㎝ ・揵部大明神30.1㎝ ・世代大明神30.3㎝ ・大社大明神27.8㎝ ・金峯大明神33.4㎝ ・日吉十禅師29.8㎝〉

十所権現は、鶏足寺の鎮守として十所より明神(本地仏)を勧請したものです。

最澄鶏足寺の守護のために祀ったとの伝承があります。

己高閣、世代閣には、その他、地蔵菩薩立像【県指定】(平安時代、一木造 漆箔)〈像高120cm〉など全部で97体の仏像が安置されています。

己高閣、世代閣のご朱印

己高閣・世代閣の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

己高閣(鶏足寺収蔵庫)、世代閣(戸岩寺収蔵庫)

宗派

真言宗豊山派(鶏足寺)

住所

〒529-0412 滋賀県長浜市木之本町石道419

電話

0749-82-3730

拝観時間

9:00~16:00

拝観料金

拝観料500円(己高閣と世代閣の両方を合わせた金額)

団体(15名以上)は400円

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