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【見仏入門】No.13 岩手県二戸・天台寺の仏像/聖観音立像・十一面観音立像・瀬戸内寂聴住職青空法話など

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岩手県二戸浄法寺町にある天台宗の古刹「天台寺」は仏教が伝播した日本で最北の寺だといわれています。仏教の終着駅と評されることもあります。

このあたり平安時代にはまだ大和朝廷の力は東北地方に北の方までは及んでいませんでした。この岩手県の北の方はもともと日本に住んでいた原住民、蝦夷(えみし)が勢力を持っていた蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、国の管理外の土地でした。

そのような時にすでに、ここまで仏教が伝わっていたことを示す貴重な場所といえます。

松島の瑞巌寺、平泉の毛越寺、中尊寺 、山形の山寺こと立石寺と共に東北地方の古刹(こさつ)として代表的なお寺のひとつに数えられています。

この天台寺には親しみを感じる不思議な仏像がたくさん!ちょっと遠いですが、仏像ファンはぜひとも訪問していただきたいお寺です。今回は天台寺の歴史と仏像について紹介していきます。

天台寺へのアクセス

 天台寺は東北新幹線またはIGRいわて銀河鉄道「二戸(にのへ)駅」からバスで鹿角街道を15kmほど南西に30分くらいです。バスを降りて徒歩15分ほどで天台寺の上り口になり、さらに登ること10分ほどかかります。

車の場合は高速八戸自動車道の浄法寺ICから10分ほどです。盛岡からは70kmほど北になり、青森県との県境にも近い場所です。

天台寺の駐車場

歴史民俗資料館の少し先にあります専用駐車場(12月~3月は閉鎖となります)もしくは滴生舎の駐車場(大型車駐車可)が御利用できます。比較的広い駐車場でいつもは比較的空いておりますので停めることができないということはあまりないと思います。

天台寺の歴史

 天台寺は寺伝によると奈良時代の728年に行基(ぎょうぎ)菩薩が聖武天皇の命を受けて、清らかな泉が湧くこの地を霊地とし、泉の脇の桂の木で聖観音菩薩像を彫り、これを本尊として祀ったのが始まりだと伝えられています。しかし、奈良時代に大和朝廷が取り入れた律令制度の及んでいた地域は陸奥国(むつこく)(現在の仙台近郊の多賀城が国府)まででした。陸奥国分寺が建立されたのもその頃で、それより北の地域は未開拓の土地、蝦夷地(えぞち)と呼ばれていました。9世紀に入って征夷大将軍の坂上田村麻呂が水沢近郊に胆沢(いざわ)城を築いて、蝦夷征伐を成し遂げるのですがそのことを考えると、奈良の都とその周辺で橋を架けたり、道路を整備したりさまざまな人民救済活動をし、菩薩と慕われ、東大寺の建設の実質的な指揮を採ったといわれる僧行基のさまざまな話が各地に広がっていったとも考えられます。

また行基を慕う多くの弟子たちにより、各地に仏教が伝わっていきました。日本書紀には811年に、この地にいた「爾薩体(にさったい)」という蝦夷(えみし)を征夷将軍が征服したとも書かれています。しかし、この岩手県の天台寺に伝わるこの仏像の制作年代からしても少なくとも平安時代中期(11世紀)頃の像と考えられ、その頃に寺として整えられたものと思われます。

江戸時代になり、盛岡藩南部氏の保護を受け、多くの建物が作られ、観音霊場として隆盛を誇りました。現在の本堂(観音堂)も1690年に南部重信により建てられたものです。しかし、この岩手の地は冷夏などには、たびたび食べるものが無くなり、飢餓(きが)が発生し、多くの住民を悲しませてきたとも言われています。このようなこともこの地の信仰に大きく影響を及ぼしているのかもしれません。

明治になり、政府が出した仏教排除・神道統一運動の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」令により、この地の役人たちが拡大解釈をしてこの寺のまわりにあった末社(27社あった)を含む多くの寺の建物が破壊され、現在の天台寺の領地(全体の20分に1程度)のみが残されたのです。

また多くの仏像や経文などが焼かれ、破壊されてしまいました。ここはこの廃仏毀釈による日本で最大級の被害を受けた寺だとも言われています。現在残る本尊等の仏像は、檀家の人たちが山林などに隠して難を逃れたといわれています。中には土中に埋められていたものもあり、保存状態が悪いものも多くあります。これは仕方が無いですね。

天台寺の住職、瀬戸内寂聴

その後、寺領内の杉の古木が伐採されたりする事件などがあり、仏教の北限を伝える重要な寺もかなり荒れてしまいました。これを見かねた天台宗作家中尊寺貫主であった作家・今東光(今春聽)が1975年にこの寺の再興にとりかかりました。しかし1977年に急逝してしまわれたため、その弟子で作家でもある瀬戸内寂静(せとうちじゃくじょう)が1987年~2005年までこの寺の住職を務め、寺の再興に尽くしたのです。

堂宇などの再建と月一回の法話が行われ、寺も多くの人に知られるようになって来ました。全国各地から多くの人がこの寺を訪れてるようになりました。

入口参道や境内にはアジサイの木が植えられ、7月には「あじさい祭り」が行われています。

この寺の周辺の地域の地名は「浄法寺町」といいます。この地には昔から「浄法寺塗」という漆(うるし)塗りの国内有数の産地です。これは天台寺の僧侶たちが、平安時代から自分たちの食事に使うための漆塗りの器を作っていたことが始まりだといわれています。

天台寺の仏像の詳細

聖観音立像【国重要文化財】(平安時代中期) 像高116cm

 この寺の本尊は行基菩薩が自らこの地にあった大きな桂の霊木から彫ったといわれる像です。像は本堂裏に作られている収納庫に安置されており、ガラスケースに覆われています。高さは116.5cmで、桂材の一木造で国の重要文化財に指定されています。製作されたのは行基菩薩の時代よりも少し後の平安時代半ばと見られています。

この地より北には平安時代頃から続く(後の世に移動したものを除く)仏像は存在していません。このためわが国における仏教伝来の最北地の仏像といわれています。

寺の入口にある桂の大木の下から清らかな泉が湧いており、この観音像は、この桂の木を使った一木造の仏像で、別名「桂泉(けいせん)観音」と呼ばれて親しまれてきました。この像の表面はノミの彫り目をあえて残す手法(鉈彫(なたぼり)といいます)がとられていますが、顔や手、また像の裏側は滑らかに仕上げられています。

お顔は優しい端正な表情をしており、お腹は少しふっくらとしています。鉈彫手法は体から下の部分に用いられています。横にきれいに残る縞模様が独特の美しさを持っています。

また、この像は「一刀三礼」(一彫りするごとに三回礼拝して作った)といわれています。

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十一面観音立像【国重要文化財】(平安時代中期) 像高174cm

 この寺のもう一つの国指定重要文化財の仏像です。聖観音立像(本尊)とほぼ同じ頃の製作だといわれ、像の持つ特徴が両者似ているため、同一仏師の手によるものではないかといわれています。

像高は174cmで本尊と同じ桂の一木造です。ただ鉈彫手法は使われていません。

収蔵庫内のその他の仏像

収納庫内には一部破損されている仏像も含めて、全部で10体ほどの仏像が安置されています。

そして、これら全て桂の木が使われています。

これらの像も素朴で、皆不思議な魅力を持った像ばかりです。たとえば、吉祥天立像は、顔の部分は彫刻されていますが、体にまとう着衣などは墨で書かれていて、素朴そのものです。

本堂の薬師如来像

 本堂にどっしりと置かれている大仏様のような像ですが、一時野ざらしだったためか木の風化もかなり進んでいます。こちらの像は他の天台寺の仏像と同じく独特の雰囲気をもち親しみを感じるような温かみのある像です。

仁王門の仁王像(阿形・吽形)

 どちらも大変ユニークな表情をした像です。東北ならではのおおらかさがあるのかもしれません。身体の悪いところに白紙を貼ると仁王さまが病気を引き受けてくれるという伝承が残り、ひとびとの願いが形になっています。

寺の参道や境内にはいたるところに、とてもかわいい地蔵像がたくさん祀られています。

これは寺で起きた古木が伐採された事件とも関係があり、伐採された木を供養するために祀るようになったと言います。

以上、八葉山天台寺の歴史や仏像のご紹介でした。
天台寺は、奈良時代の神亀5年(728)に開山した東北最古の名刹。糠部三十三所観音巡礼の第三十三番礼所で、全国から沢山の方々がお参りにいらっしゃいます。

歴史的に所縁のある八葉山天台寺、皆様もよろしければ訪れてみてはいかがでしょうか。

天台寺・東北の仏像をもっとめぐりたい時に

 

天台寺の御朱印

天台寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

八葉山天台寺

宗派

天台宗

住所

〒028-6942 岩手県二戸市浄法寺町御山久保33

電話

0195-38-2500

拝観時間・料金

9~17時(10~3月は~16時)

拝観300円

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