【見仏入門】No.8 神奈川県・高徳院の仏像/鎌倉の大仏(国宝・銅造阿弥陀如来坐像)


鎌倉の大仏で知られる神奈川県鎌倉市長谷にある高徳院(こうとくいん)は、

国宝鎌倉の大仏」「長谷(はせ)の大仏」をおまつりしている、外国からの観光客もたくさん来る鎌倉観光の定番スポットです。

一般的には「鎌倉の大仏」と言われていますが

みなさんは、この大仏様の正式な名前を知っていますか?

実はちゃんとした鎌倉の大仏の名前は

「銅造阿弥陀如来坐像(どうぞう・あみだにょらい・ざぞう)」と言います。

 

「鎌倉の大仏」の呼び方が広まっているので、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」と言われてもピンと来ないかもしれませんね。

この大仏様、実は何度もつらい目にあっている、じつは苦労人?の仏様なんです。

今回は鎌倉の大仏さんにまつわるいろんなお話を混じえて、この高徳院のご紹介です。

高徳院(鎌倉の大仏)へのアクセス

高徳院へのアクセスは、江ノ島電鉄藤沢方面行きに乗って長谷駅で下車徒歩約7分です。

東京方面からは、JR横須賀線普通の逗子行に乗り、鎌倉駅で江ノ島電鉄に乗り換えて長谷駅までが約1時間です。

 

JR鎌倉駅からバスを利用する場合は、JR鎌倉駅東口バス乗り場1番から江ノ島電鉄バス、またはバス乗り場6番から京浜急行バスに乗って約10分、「大仏前」停留所下車すぐです。

大仏様の見仏に疲れたら、高徳院から歩いて15分ほどの「鎌倉文学館」でゆっくりすることもできます。

こちらは侯爵(こうしゃく)の別邸だった洋館を利用した施設で、夏目漱石や芥川龍之介など、鎌倉ゆかりの文学者の手紙や生原稿を展示しており、レトロな雰囲気やきれいな庭の散策を楽しむことができます。

 

晴れていたら、海へのお散歩コースもおすすめです。高徳院から歩いて約15分で海を見ることができます!ちょっと寄り道すれば、地元名産の生しらす丼を食べられる食堂をはじめ、老舗和菓子屋に老舗レストラン、人気ドラマの舞台にもなったカフェなど立ち寄りたくなるお店がたくさんあるので、やはり鎌倉は何度足を運んでもなかなか飽きませんね。

高徳院(鎌倉の大仏)の歴史

鎌倉の大仏様は、誰が、何のために作ったのでしょうか?

実は正確なことはよくわかっていません。

完成までにかなり時間がかかったようですが、いつ完成したのかも不明です。

謎の多い、ミステリアスな仏様なんですね。

 

鎌倉幕府が作ったという歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」の記録や古い時代に書かれた年表、そして今までの研究からいろんな説が考えられてきました。今回はそんな推測も含めながら、大仏様のなりたちをご紹介していきます。

 

さてみなさんご存知の鎌倉の大仏ですが、今の大仏さま、実は2代目なんです。

今でこそ青銅色ですが、最初につくられた大仏様は、木造でした。

その木造の大仏様が嵐で壊れた後につくられたのが、現在の銅の大仏様なのです。

 

また一説には鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝が奈良の大仏様を見て感動し、「鎌倉にもつくろう!」と計画したことによるものと言われています。

頼朝はその計画を実行する前に亡くなり、頼朝につかえていた稲田野局(いなだのつぼね)という老婆が主人の願いをかなえようと、大仏づくりのお金を必死になって集め始めました。そのことを聞いた浄光(じょうこう)というお坊さんが稲田野局に協力し、あちこち旅して大仏をつくるための寄付を集めたと考えられています。

当時の鎌倉幕府のトップであった北条泰時も援助をするようになり、1238年から5年をかけて、最初の木造大仏と大仏殿(大仏様の家)がつくられました。

しかし1247年、嵐によってこの大仏様と大仏殿は壊れてしまい、その後1252年に再び大仏様をつくりはじめました。これが現在我々が目にしているあの「鎌倉の大仏」さんです。

なぜ最初から銅でつくらなかったのでしょうか?嵐で壊れたから仕方なく、お金が足りなかった、実は木造の大仏様は銅のものをつくるための木の型だったなど、いろんな説があり、これについてもよく分かっていません。

 

しかしながら新たにつくられた大仏様にも、たび重なる災害が降りかかります。

南北朝時代から室町時代(1334年~1498年ごろ)にかけて、立て続けに嵐や地震などの災害が大仏様と大仏殿を襲いました。

その結果、大仏様は無事でしたが、大仏殿は再び壊れてしまいました。

大仏殿という家を失ってしまった大仏様。その後は、お参りする人も、お坊さんすらもいなくなり、だれからも省みられずに見捨てられ、雨ざらしの状態が続きました。。。江戸時代には壊れてしまった大仏殿をつくろうとする動きもありましたが、お金が集まらずかないませんでした。

 

しかしその後、野島新左衛門(のじましんざえもん)という浅草の商人から寄付があったことをきっかけに、祐天と養国(ようこく)という二人の偉いお坊さんによって像やお寺の復興が進んだのです。

こうして「鎌倉の大仏」が今日も多くの人から慕われる存在として居続けるのです。

高徳院(鎌倉の大仏)の仏像の詳細

鎌倉の大仏様は、大仏殿こそなくなりましたが、およそ700年前につくられた当時の姿をほぼ残しています。

作者は不明ですが、運慶の影響を受けた仏師がつくる仏と、中国は宋時代の仏の特徴があわさった、いかにも鎌倉時代らしい仏像といわれています。

 

みなさんは、鎌倉の大仏様と奈良の大仏様の違いがわかりますか?

まず外見の違いですが、鎌倉の大仏様の背の高さは約13mで体重121トン、いっぽう奈良の大仏様は約18mで体重250トンと、鎌倉の大仏様は奈良の大仏様に比べて少し小柄です。

また奈良の大仏様は姿勢正しく、視線はまっすぐ前を向いていますが、鎌倉の大仏様は少し猫背ぎみで、お参りする人と視線が合うようになっています。

 

しかし一番の違いは、「仏」の種類が違うという点でしょう。

奈良の大仏様は盧舎那仏(るしゃなぶつ)で、鎌倉の大仏様は阿弥陀如来なんです。

印相、つまり手の形によって見分けてみましょう。特に阿弥陀如来は、両手の指で輪を作っているのが一番の特徴です。ほとんどの阿弥陀如来がこの手の形をしており、鎌倉の大仏様は阿弥陀定印(あみだじょういん)という手の形をしています。実際にお参りに行った時にぜひ、確認してみてください。

 

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  一方、盧舎那仏は、サンスクリット語で「輝くものの子」のことをさし、仏の世界をひきいるリーダーとして、全宇宙をてらす太陽にも例えられます。

仏様の背中につけられた飾りの中にたくさんの小さな仏様の姿があることや、仏像が乗っている蓮の形の台にたくさんのお釈迦様がいることが特徴です。

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 このようなことから、同じように見えても違う大仏様だとわかるんですね。

 

鎌倉の大仏は、小・中学校の校外学習の定番。

大人になった今、懐かしの鎌倉の大仏と&鎌倉文学館で大人な一日を!

高徳院(鎌倉の大仏)の御朱印

高徳院(鎌倉の大仏)の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

大異山高徳院清浄泉寺

宗派

浄土宗

住所

神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号

電話

0467-22-0703

拝観時間・料金

8:00~17:00(春~夏は17:30まで)
大仏胎内の公開は16:30まで

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