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【レポート】武蔵国分寺・薬師如来像の御開帳<毎年10月10日>

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西国分寺の住宅街を歩いてく。周囲の街並みは 再開発されとても綺麗な住宅が立ち並んでいた。

西国分寺駅から歩いて15分ほど歩いて武蔵国分寺に到着した。

 

 バランスの整った比較的小柄な金剛力士像がみたい祀られる仁王門をくぐると、石段があり、その登った先に薬師堂本堂となる建物があった。薬師堂という名前のわりにはとても立派な寺社建築で、到着した午後2時には中は到着した時には厨子の扉が開け放たれ、すでに大勢の参拝客で賑わっていた。

 

 

 薬師堂の中央、仄暗い祭壇のうえに平安時代の薬師如来が姿を現していた。薬師如来は坐像にもかかわらず像高2mもある大きな坐像。まわりに十二神将、左右に日光菩薩・月光菩薩がかためる中、ひときわ大きな薬師如来が暗闇に浮かび上がっていた。

 

 

 初見では瞼が厚く、少し腫れぼったい印象を受けました。しかし身体のバランスはすっきりとしていて、首も若干長く全体的には整った身体つきをしている。間違いなく平安後期の薬師如来です。

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この国分寺は741年聖武天皇の命令によって鎮護国家を祈願して、日本各地に国分寺が建設されることになりました。この武蔵国分寺は武蔵の国に建てられた国分寺。現在その跡地の遺構からして、当時日本中に作られた国分寺の中でも有数の規模であったことが分かっているそうです。

 

この薬師如来も国分寺建立の命が発せられた奈良時代に作成されたものではないものの都内にしては大変古い像です。薬師如来の御開帳は毎年10月10日。お寺の方の話によると、体育の日に合わせて御開帳の日が決まったそうです。

 

調査によるとこの武蔵国分寺は当時の中でも最大規模の金堂を始め、講堂、七重塔などが あったと分かっています。
武蔵の国の中心となる施設であった国分寺がなぜ衰退したのかは、不明でありますが1333年の分倍河原の合戦で焼失してしまったと伝えられています。その後、再建され当時の薬師如来を薬師堂としてお寺の北側に安置したことが始まりとされているようです。

 

 国分寺を訪問した後、国分寺の南に広がる国分寺跡地をふるさと文化財課の増井さまと一緒にめぐりました。当時の講堂跡地の中心に薬師如来が祀られ当時は四隅に四天王が祀られていたそうですが現在はなにもなく、どのような仏像が祀られていたのか想像していました。この武蔵国分寺の特徴としては金堂間に幢竿(どうかん)の遺構が確認されているそうです。
幢竿(どうかん)というのは長い旗の柱を取り付ける竿。これがあるというのはかなり大規模な寺院であったと伺えるのだそうです。

 

 

帰りに近くにある国分寺市文化財資料展示室に訪問。この地域から出土した奈良時代の観音菩薩立像を拝見し、このような金銅仏が発見されるようにこの地域がいかに歴史がある場所なのかということを知らされました。

ここが東京であることを忘れさせ、東京にもこのようなのびのびとした仏像が存在することを知り、とても良い発見をすることできました。みなさんも機会があればぜひ訪問してみてください。

武蔵国分寺薬師堂の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

医王山最勝院国分寺

宗派

真言宗豊山派

住所

東京都国分寺市西元町1-13-16

電話

042-325-2211

拝観時間・料金

志納・拝観可能はお昼前後とのこと

拝観可能日

薬師如来は毎年10月10日、国分寺市文化財資料展示室は月曜休館

 

地図