【見仏入門】No.20 奈良・秋篠寺の仏像・見どころ/伎芸天・秘仏大元帥明王と限定御朱印など


奈良の秋篠の里に静かにたたずむ奈良朝最後の官寺「秋篠寺(あきしのでら)」を紹介します。

 

寺はこぢんまりしていますが、境内は緑豊かで、とてもすがすがしいところです。

また、ここには「東洋のミューズ」と呼ばれている有名な伎芸天(ぎげいてん)像が安置されています。ミューズはギリシャ神話で音楽や芸術を司る(つかさどる)女神のことです。

この像をはじめて「東洋のミューズ」と呼んだのは、作家の堀辰雄です。

1954年の作品『大和路・信濃路』のなかで「このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい」と絶賛しているのです。

またこの像は、他にも多くの芸術家、文化人などの心を虜にしてしまった様です。

やさしく微笑みかける伎芸天。伎芸天はその名前の通り技芸がすぐれた天部の仏像ですが、その由来などはいまいちちゃんと分かっておりません。
ミステリアスな美しさをはなつ伎芸天、また6月6日限定で御開帳される大元帥明王について詳しく紹介していきたいと思います!

秋篠寺へのアクセス

 

 秋篠寺(あきしのでら)には近鉄大和西大寺駅下車、北口から奈良交通バス押熊行に乗車して、約6分で「秋篠寺」バス停につきます。バス停からは秋篠寺の東門がすぐです。

歩いて行く場合は近鉄京都線の「平城駅」から800~900mほどですので駅から11分ほどで「東門」に行けます。大和西大寺駅からも1.5kmほどで秋篠寺「南門」に行くことができます。

 

秋篠寺の駐車場

秋篠寺無料駐車場に、普通車12台、バス8台の駐車が出来ます。料金は無料です。

 

秋篠寺の歴史

 秋篠寺(あきしのでら)は奈良時代末期の776年に光仁(こうにん)天皇の勅願により法相宗(ほっそうしゅう)の僧・善珠(ぜんじゅ)が創建したと伝えらる奈良時代最後の官寺です。

 

この善珠は法相六祖(善珠,玄賓,行賀,常騰,玄昉,神叡)の一人で奈良仏教の歴史の上で有数の著述家といわれており、多くの著作物が残されています。また善珠は794年に最澄(さいちょう)に請われて比叡山延暦寺の根本中堂が完成した時の導師をつとめています。

 

 

最盛期にはかなり大きな寺でしたが、平安期末期 1135 年の兵火により講堂以外の主要伽藍(金堂、東塔、西塔、南大門、東大門、真言堂、鐘楼など)はすべて焼けてしまい、 焼け残ったこの講堂を寺の本堂にして続いてきました。

また各建物に安置されていた仏像で残されたものはこの本堂に集められたのです。この講堂から転じて本堂となった建物は、鎌倉時代初期に改築されて、現在国宝に指定されています。

 

 

現在まで、多くの建物が再建されてきましたが、金堂や東塔、西塔などは再建されていません。この秋篠寺の境内は、森林に囲まれた静寂な場所にあり、苔むした庭などじっくり散策しながら、神秘的な古仏に対面してみてはいかがでしょうか。

また「秋篠」の名前は、皇室の「秋篠宮」号の由来の土地でもあります。

古くから土師(はじ)氏ゆかりの土地であったと言われていて、桓武天皇は782年土師氏(百済系渡来人か?)を優遇し、土師氏総てに対し朝臣姓が賜姓されることになったのです。この時に土師氏は住んでいた土地の名前を与えられました。

大枝郷の土師氏には「大枝氏」が、大和国添下郡菅原庄を本拠としていた土師氏には、「菅原氏」が、また大和国添下郡秋篠郷に本拠を有していた土師氏には「秋篠氏」が与えられました。これにより、土師安人は「秋篠安人(あきしのやすひと)」と改名した記録が残されています。

秋篠寺の苔庭

南門を入ると、苔むした庭の中を木々に覆われた参道が真っ直ぐ続いており、自然豊かな幻想的な森を体感することができます。

※こちらの門からの方がお寺の雰囲気としてはお勧めです。

この秋篠寺のある地は、「秋篠の里」とよばれていますが、寺の周囲は少し開発も進み、東側には競輪場もあります。しかし、寺の境内は緑豊かで、秋には黄葉もきれいです、静かな寺の佇まいを見せています。

秋篠寺の仏像の詳細

本堂(国宝)は1135年に寺が火災にあった時に、焼けずに済んだ講堂を本堂にした建物で、鎌倉時代初期に建てなおしたものです。

この本堂の中に入ると、中は薄暗いですが、正面の須弥壇中央に本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光両菩薩の立像が安置され、その両側を少し可愛い十二神将が守る配置です。さらにその両側に、不動明王と地蔵菩薩、東端に伝・帝釈天立像、西側に有名な伎芸天像を拝すことができます。

そしてこれらの像はすべて間近に拝観することができるのです。しかし、秘仏の大元帥明王像は6月6日(結縁開扉の日)のみ拝観できます

伝・伎芸天立像【重文】〈像高204cm〉

(頭部:天平時代末期の脱活乾漆像、体部:鎌倉時代に補作された寄木造り)

 

 秋篠寺で最も有名なのがこの伎芸天(ぎげいてん)立像です。

天平時代の脱活乾漆造りですが、これは頭部のみが残されており、体部は鎌倉時代の木造で寄木造りです。ただ、全体のバランスは、全く違和感がなく一体とみえます。

また、伎芸天像は、国内ではこの秋篠寺だけといわれています。

伎芸天ですから、芸術の神様ですね。ギリシャ神話に出てくる女神「ミューズ」も芸術の女神です。こんなところから「東洋のミューズ」といわれるのでしょう。

この女神(伎芸天)に是非文化・芸術に関するお願いをしてみてはいかがでしょうか。

 

この像は、首を少し左に傾け、伏し目がちに微笑んでいます。また、
胸元は大きく開いて、全体的に豊満な体つきです。そして、ゆったりと腰をひねり、足先を少し開いて立っています。確かに仏像というよりはすばらしい芸術品を見ているような感覚になります。

多くの方が、この像の前で動けなくなるとも言われています。

それほど魅力にあふれる仏様です。

 

この寺には、この技芸天像と同じく、天平時代に乾漆像として作られ、後に体部以下を鎌倉時代に寄木造りで補ったと思われる像が三体の像(帝釈天立像・梵天立像・救脱菩薩立像)が残されています。

しかし、梵天立像と救脱菩薩立像は奈良国立博物館に寄託されています。 帝釈天立像は本堂で伎芸天立像とともに拝観することができます。

【秘仏】大元帥明王(たいげんすいみょうおう)立像【重文】(鎌倉時代 13世紀 寄木造り 彩色)〈像高229.5cm〉

 

 本像は、大元堂の秘仏で、通常は厨子の中に安置されています。

6月6日の結縁開扉の日のみ一般公開されます。大元帥明王は、古代インド神話では弱者を襲って食う悪鬼神とされていましたが、大日如来によって、国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮する国土の守護神に変わったとされています。このため、宮中では古くから信仰されてきました。

 

この像は、一面六臂(手が6本)で、顔は憤怒相で、手にはそれぞれ武器を構えています。

密教で祀られている「軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)」とよく似ており、身体には同じく蛇を巻き付けています。

大元帥明王像は秋篠寺以外にあまり作例がなく、京都の東寺などにわずかに残されているだけです。

 伝承では、遣唐使小栗栖常暁(おぐるすじょうぎょう)が、遣唐前に境内にある閼伽井(あかい)に写る自身姿をながめていると、自分の背後に立つものすごい憤怒の形相を像が見えたといいます。そして唐に渡った時に同じ形相の像に出会ったのです。

そしてこの像を彫ったと伝わっています。この閼伽井は、現在の本堂の東側にあり「香水閣」と呼ばれています。

ただ、小栗栖常暁がこの寺に唐から「大元帥御修法」を伝えたのは834年頃といわれ、本像の制作は鎌倉時代ですので、伝えられた当時のものではなく、鎌倉時代に制作されたものと思われます。

十一面観音立像【重文】(平安時代9世紀 ヒノキ材一木造 極彩色)〈像高165.8cm〉

東京国立博物館に委託中

 

ほぼ等身大の十一面観音像で、ヒノキの一木造に内刳りはされていません。ただ、頂上の仏面を除いて、体幹部と別材で造られている部分があり、これは後補と見られています。

顔は、目じりを少し上げ、口をキリッと結んだ少し厳しい表情に見えます。また高い鼻や薄い唇の形などどこか異国的な顔立ちにも見えます。

体全体はふっくらした質感があり、左ひざを少し曲げて今にも動き出しそうな動きが感じられます。

背面で天衣(てんい)と条帛(じょうはく:左肩から斜めに垂らした布)がX字状に交差する形式は9世紀の檀像(だんぞう)の作例に通ずるものがあり、唐時代の彫刻との関係を強くうかがうことが出来ます。

また衣文に渦文を多用していることもこの像の特色で9世紀の作を裏付けるものといわれています。

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伝帝釈天立像【重文】(頭部:天平期 脱活乾漆造、体部:鎌倉時代 寄木造)〈像高 206cm〉

本堂に安置されています。

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伎芸天立像とともに、本堂に安置されています。またこちらも頭部は天平時代の乾漆造りで、 体部は後補で鎌倉時代の寄木造りです。

かなり引き締まった体つきや衣の文様の彫の深さなどに鎌倉彫刻の特徴がみられます。

梵天立像【重文】(頭部:天平期 脱活乾漆造、体部:鎌倉時代1289年の寄木造)〈像高 205.0cm〉

 

この梵天(ぼんてん)立像と次に述べる伝・救脱菩薩(くだつぼさつ)立像はいずれも奈良国立博物館に寄託されています。

またどちらも顔の部分は8~9世紀の乾漆造で、首から下は鎌倉時代(1289年)の寄木造りです。

奈良国立博物館の「なら仏像館」でほぼ毎年期間を限定して公開されていますが公開となるタイミングは不定期です 。

 

この像も寺の伝承では梵天になっていますが、体は甲(よろい)をつけており、帝釈天を思わせる像です。しかし、帝釈天と名のついた像が秋篠寺に別に存在するので梵天になったものかもしれません。像内の修理銘に体部は正応2年(1289年)に補われたことがわかっています。なら仏像館ではひときわ存在感を見せており、もし狙って訪問することは難しいかもしれませんが訪問した時にもし見ることができた人はとてもラッキーですね!

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伝・救脱菩薩立像 【重文】(頭部:天平時代9世紀の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造)〈像高244cm〉

 

救脱菩薩(くだつぼさつ)とは近代につけた仮の名前で、本当は何の像か分らないと云われています。帝釈天立像によく似ています。

救脱菩薩は「薬師本願功徳経」に説かれている菩薩で、病苦や厄難を除く菩薩とされています。

この像の体内に「院湛(いんたん)」という仏師の名前が残されています。このため、この像を始め、梵天像など秋篠寺の天平期の仏像の体部を作ったのは院派の仏師によるものだと考えられています。院派の仏師は主に京都の貴族世界で活躍していた仏師集団です。

薬師如来及両脇侍像(薬師如来三尊像)【重文】

薬師如来(薬師瑠璃光如来)坐像(平安時代中期 寄木造り 素地仕上げ)〈像高140cm〉

この薬師如来坐像は、秋篠寺の本尊です。

素彫りの美しい仏像です。

 

左手に薬壺を持ち、右手は施無畏印をしている薬師如来です。

大きな丸い顔と大きな耳、また体もどっしりしていてさすがにこの寺の本尊です。

本堂の正面に安置されています。また光背には10個の梵字が墨書されています。

左脇侍:日光菩薩立像【重文】(平安時代初期 一木造 極彩色)〈像高156cm〉

右脇侍:月光菩薩立像【重文】(平安時代初期 一木造 極彩色)〈像高155cm〉

 

 現在色は大分取れてしまっていますが、当初は極彩色だったとされています。

袖の背面に翻波様式のきざしが認められるため、天平末期より平安初期への様式変化の過程にある像と見られています。

この薬師三尊像の脇にはこれらの像を守るため「十二神将像」が配置されています。

しかし像の大きさがいずれも65.8cm~72.5cmと少し小さめで、どこかコミカルな表情をしています。

 

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地蔵菩薩立像【重文】 (平安時代中期 針葉樹の一木造 素色)〈像高92.9cm〉

 

本像の顔つきはきりっとした、少し厳しい表情をしていますが、全体に寸足らず(短躯)で、少し子供のようにも見えます。衣の先端部分や裾の一部は後補されたものです。衣の文様などや、立体感など、すぐれた木彫技術がみられる独特の雰囲気のある像です。

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以上、秋篠寺の歴史や仏像のご紹介でした。

秋篠寺は、日本国内で芸能を司る女神の伎芸天立像が安置される唯一の寺です。苔で一面覆われた庭は情緒があり、ひっそりとした空間を味わうには、素晴らしい場所です。奈良市内かも比較的アクセスしやすい場所にありますので、奈良市内観光にぜひ訪れてみてください。

 

秋篠寺が登場します!

 

秋篠寺の御朱印

この大元帥明王の御朱印は大変人気で6月6日は長蛇の行列が毎年できています。

大元帥明王の御朱印は6月6日限定です。長蛇の行列になるので時間に余裕をもって計画を立てましょう。

秋篠寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

秋篠寺

宗派

単立

住所

〒631-0811 奈良県奈良市秋篠町757

電話

0742-45-4600

拝観時間・料金

9:30~16:30

大人、大学、高校生500円

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