【仏像の種類:梵天・帝釈天とは】仏像界の貴公子コンビ!梵天勧請や阿修羅との戦いの裏側


今回は梵天帝釈天という2人の仏さまについてご紹介します。帝釈天は「寅さん」でお馴染みの舞台になっている「葛飾柴又・帝釈天」として一度は耳にしたことがある人が多いかもしれません。梵天さんは…なかなか聞くこともないかもしれませんね。どこかで聞いた気もするけど、よくは知らないなー。というのが正直な感想かもしれませんね。でも、これらの仏さまも興味深いエピソードのある、いい味出してる仏教界の重鎮たちなんです。

そしてこのお2人は仏像ファンのなかではきってのイケメン仏像として1位、2位を争う人気ぶり。あなたは梵天派?帝釈天派?などの会話が飛び交うこともしばしば。今回は仏像界のイケメン仏の2人のことをもっと深く知っていきましょう。

梵天・帝釈天の主な働き

 

梵天も帝釈天も釈迦の悟りより以前から釈迦を助け、その説法を聴聞したという仏教の二大護法善神。四天王を配下として、須弥山という仏教世界の中心にある高山の頂上の城に住んでいる天部のメンバーです。

 

梵天・帝釈天の成り立ち

梵天も帝釈天も日本では奈良時代から一対となる像が制作されました。両尊とも中国風の服装で、姿が似ていて見た目は普通の人間と変わらないものでした。ところが、平安時代初期に密教が影響すると様変わりします。

梵天がガチョウをかたどった台座に坐り、多面多臂像(ためんたひぞう)として作られるようになったのは、ヒンドゥー教のブラフマー像の姿が取り入れられたためです。ただ、宇宙創造神であり、「万物の根源」という漠然としたものを形に表わした神のため、親しみがわきにくいのか、インドでも日本でも梵天に対する民衆の信仰はあまり高まりませんでした。仏尽くす、影のプロデューサー的存在です。

帝釈天は白象に乗る坐像に変化。一面二臂ですが、密教像の時には額に第三の眼が作られます。古代インド神話の武勇神・インドラは、天空を駆け抜け「インドラの矢」と呼ばれる雷を武器に凶暴な魔神たちと戦っていたのですが、仏教に取り入れられると慈悲深く柔和な性格に変わりました。お釈迦様の伝記にも梵天と共に登場します。お釈迦様のガードマンであると共に、お釈迦様の生涯を見守った目撃者の役割を果たします。

 

梵天について・梵天のエピソード|梵天勧請

 

梵天は、古代インドのバラモン教で、宇宙創造神として君臨したブラフマー神というのが梵天の前身。宇宙を作った神なんですから、相当なえらい神さまでインド神話に登場する神の中でも最古参です。真っ先に仏教に迎え入れられてからもその地位は高く、天部の最高位という別格の存在。

 

 

実は、目の付け所がよい梵天は、まだ修行中の釈迦に早くから帰依しました。釈迦が悟りを開いた時、その理解の難しさに釈迦は誰も理解してくれないのではないかと人に伝えることをためらっていました。そこをプッシュして悟りを広めるように勧めたのが梵天です。

 

「そんなスゴいこと、みんなに教えてあげてくださいよー、頼みますよぉー」と、宇宙創造神で世界の中心的存在だった梵天が釈迦に真理を広く衆生に説くことを懇願したのですから、釈迦のすごさが分かりますか。

 

この伝説は「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と言われました。彼がいなければ、釈迦は誰にも説法しなかったかもしれず、梵天のプロデューサーとしての腕前に敬意を表さなければダメでしょう。そういうわけで、釈迦とは古いおつきあいの梵天です。

 

帝釈天について・帝釈天のエピソード|阿修羅との壮絶な戦い

 

帝釈天の前身はインド最古の聖典に登場する、最強神インドラです。雷神であり、勇ましい逸話を数々もつ戦いの神。釈迦の修業時代から側にいて、悟りを開くのを応援した仲間です。釈迦と帝釈天の関係は釈迦と梵天の関係に似た感じで同じくらい重要な地位にあります。

 

実際に梵天とペアを組んで釈迦如来の脇を固めることが多く、姿もお互い似ています。戦いの神であったこともあって釈迦のガードマンをしながら、釈迦の生涯の中での重要な出来事を目撃してきた証人でもあります。

帝釈天には阿修羅とのあるエピソードがあります。古代インドの神々を統率していた帝釈天でしたが、阿修羅はそのメンバーの一員でした。

 

阿修羅には舎脂(しゃし)という超美人の娘がおり、いずれは帝釈天のお嫁さんにしようとプランしていました。しかし、帝釈天はそのことを知らずに舎脂を奪い取り、レイプしてしまうのです。怒り狂った阿修羅。帝釈天に戦いを挑みます。ところが、舎脂はその戦いの真っ最中に帝釈天を愛し正式な夫人となってしまいます。

 

それを知ってよけいに逆上した阿修羅は、天界全体を巻き込む大戦争を引き起こします。“修羅場(しゅらば)”という言葉はここから生まれた言葉です。

 

 

結局阿修羅が戦いの神に勝てるわけはなく、負けて天界から追放されます。でもそれって酷いと思いませんか? 阿修羅の怒りはもっともです。娘を陵辱した帝釈天は悪、娘の父の阿修羅は正義でしょう。しかし、仏教ではそう考えません。

 

阿修羅は怒りで自分を忘れ、戦いに目を奪われて、すでに舎脂が帝釈天の正式な奥さんだったのにも関わらず相手を赦す心を失っていました。

 

たとえ、正義であってもそれに固執しては、善の心を忘れ、妄執の悪・復讐の鬼になってしまうこともあるんです。過去を水に流し、人を赦すことの大切さをこのお話から学ぶことができるわけです。

 

 

葛飾柴又帝釈天

 

もし、あなたが「帝釈天なら名前だけは聞いたことある」というなら、それを知ったきっかけは映画「男はつらいよ」で有名な寅さんの口上じゃないですか? 「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」っていう例の自己紹介。

その「葛飾柴又帝釈天」というのは、東京都葛飾区柴又にある日蓮宗のお寺のニックネーム。正式なお寺の名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)です。地元で「帝釈天」と言えばこのお寺のこと。帝釈天は天部の最高位に属しますが、独尊となることは殆どなく、本尊として祀られている柴又の帝釈天は大変珍しいケースです。

「経栄山題経寺」の画像検索結果

梵天・帝釈天の見た目の特徴、見分け方

 

梵天の場合

 

日本の梵天像は、大きく分けて顕教(けんぎょう/密教以外の仏教)像と密教像の二種類があり、それぞれ見た目が全く違います。顕教像は人間のように顔が一つで手が2本。中国・唐時代の貴人の服装で、帝釈天と一対となる場合が多いです。しかし、大日如来を本尊とする密教では四面四臂という顔が四つで手が四本などの像容が多く、蓮華、水瓶、矛などを持っています。4羽のガチョウ(7羽のことも)の背に蓮華座を乗せ、その上に座っているといった具合です。

帝釈天の場合

顕教像は一面二臂像で、梵天と一対のものが多く、服装も梵天同様中国の貴人のよう。梵天と外見が似ているので区別をつけにくいのですが、帝釈天は武勇神だったことから、衣の下に皮でできた甲(よろい)を着用する場合が多い、というのがポイント。密教における帝釈天は、六つの牙のある白象に乗る坐像で表わされるなどします。密教化する以前も以後も、一面二臂象ですが、密教像では、額に第三の目が作られます。手には雷を操る金剛杵・独鈷杵などの武器や蓮の茎を持つことが多いです。

真言と梵字

梵天と帝釈天の真言と梵字の種字はこのようになっています。

梵天の真言と梵字

 

この文字が梵天を一字で示す梵字種字(しゅじ)です。「ボラ」と読みます。その真言は「ナウマク・サマンダ・ボダナン・ボラカンマネイ・ソワカ」。仏教守護、国土安堵、そして立身出世をご利益とします。

帝釈天の真言と梵字

この文字が帝釈天を一字で示す梵字種字です。「イー」と読みます。その真言は「オン・インドラヤ・ソワカ」。戦勝祈願、国家安泰、厄除け、立身出世や蓄財のご利益があるとされます。

梵天・帝釈天の日本での主な例

東寺講堂、梵天帝釈天

 

こちらの東寺の梵天・帝釈天こそが仏像界のなかでのきってのイケメン仏として名を馳せるゆえんとなった仏像です。真言宗総本山東寺(教王護国寺)の講堂は密教を伝え広めるために建立され、空海によってその教えを視覚的に表わした立体曼荼羅がある場所です。如来、菩薩、明王、そして天部の21尊の仏さまの中に含まれて仏教界のアイドル並にきれいなお顔の梵天、帝釈天が安置されています。

 

奈良・東寺講堂/梵天坐像【国宝】(平安時代)

四つのお顔と4本の腕、そして正面の顔の額に第三の目を持っています。座っているのは4羽のガチョウが支える蓮華の花の上。ちょっとふっくらしたイケメンの梵天です。正面のお顔の左右にそれぞれ一面ずつ、そして頭頂部にもう一つのお顔があり、全部で四つの面があります。どのお顔もきりりとして素敵ですが、正面の顔だけがオリジナルで、残りは後補なんだそうです。

奈良・東寺講堂/帝釈天半跏像【国宝】(平安時代)

 

一面三目二臂、つまり額に第三の眼がついている以外は顔が一つで腕は2本、人間と同じ。金剛杵(こんごうしょ)を持ち、白象に乗って左足を下ろす、半跏踏み下げの姿勢をとっています。背中がピンと伸びて、誰が観ても異議なしの超イケメン! ただし、この帝釈天の頭部は鎌倉時代の後補だということで、オリジナルの顔がどうだったのか気になるところですけれども。

 

奈良・東大寺三月堂(法華堂)/梵天・帝釈天脱活乾漆立像【国宝】(奈良時代)

東大寺法華堂は一般に三月堂と呼ばれ、建物自体が国宝に指定されている貴重な奈良時代建築の建物です。ここの梵天像と帝釈天立像は、安置されている法華堂内陣の仏像の中で最も大きな像です。

向かって右側が梵天、左側が帝釈天。

動きのない静的な立像ですが、像高4mを超す像は内側からじわりとわき上がる迫力を感じる二像です。

さて、注目ポイントは二像の服装です。梵天像は袈裟の下に甲(よろい/革製のもの)を着用し、帝釈天は甲を着用していません。通常と逆なんです。武勇神である帝釈天が甲を着けるのが普通ですから、伝来するときに名前が入れ替わったか、従来呼ばれていた名前から何かのきっかけで入れ替わってしまったのかも。

その上、本尊の不空羂索観音像は像高が362.1cmですが、脇侍である梵天と帝釈天の像高が本尊より40cmも高いというのはちょっと不自然です。おそらく梵天と帝釈天は別の場所から移されたものだろうということだそうです。

 

参考ページ

 

【見仏入門】No.6 奈良・東大寺Part.2/二月堂、三月堂(法華堂)、四月堂、東大寺ミ...
 東大寺の大仏殿・戒壇院の紹介に引き続いて、三月堂や二月堂などの東大寺の前身寺院があったといわれる東側のエリアを紹介をします。東大寺Part1の記事はこちらをご...

 

滝山寺(たきさんじ)

愛知県岡崎市滝町にある天台宗の寺院です。奈良時代に創建されたと言われ、一時は荒れ寺でしたが、1120年代に再興されました。ここには木造観音菩薩立像と共に梵天・帝釈天立像が祀られています。聖観音の脇侍に梵天と帝釈天が配されるのは珍しい例といえます。これら三尊は源頼朝の三回忌の1201年、追善供養のために運慶とその子湛慶によって造像されたとのこと。

愛知・滝山寺/梵天立像【重文】(鎌倉時代)〈運慶・湛慶作〉

 

白い梵天像は四面四臂像。各面に三つの眼があります。左足を一歩手前に出して腰をひねるような立ち方、天衣の布の流れ方などに慶派仏師の特徴が現れています。現在、像の表面には江戸時代末期から明治頃の後補の極彩色が施されていますが、元の木部は健全に保たれています。

愛知・滝山寺/帝釈天立像【重文】(鎌倉時代)〈運慶・湛慶作〉

帝釈天の肌は金色で一面三眼。梵天像同様彩色が施されています。胸甲を着け、右手に独鈷杵(とっこしょ)という武器を持ちます。右足をやや踏み出したのが特徴。荷葉座(かしょうざ)という台座の上に立っています。梵天同様源頼朝の菩提を弔うために造像された三尊のうちの一体です。目尻の切れ上がったハリのある力強い顔立ちの像は美しく、さすがの慶派の実力が感じられます。

 
 
 
 
 
  .
 
 
 
 
 .