福を招く!おめでたい7人の神さま「七福神」私たちに「福」を授けてくださる、おめでたい神さまとして馴染み深い七福神(しちふくじん)。縁起物なんかで、宝船に乗ったこの7人の神さまの姿をご存知の方も多いでしょう。
皆さんは7人全員言えますか?
正解は、、
大黒天(だいこくてん)、恵比寿(えびす)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)
この7人の神さま、どのような由来の神さまたちなのでしょうか。そして、この神さまたちが授けてくださる「福」とはいったい何なのでしょうか?
七福神を、その由来ごとに4つのグループに分けてご紹介し、「福」とはいったい何なのか、ご利益や物語で説明したいと思います!
① 仏教の仏さま:毘沙門天、弁才天、大黒天
お名前に「天」という字がついているこの3人の神さま、実は仏教における天部の仏さまでもあります。もともとはそれぞれがインド・ヒンドゥー教の神さまで、それが仏教に取り入れられて仏法(ぶっぽう)を守護するようになりました。
仏教最強の北方守護神:毘沙門天(びしゃもんてん)

七福神の中では最も古く、平安時代から「福神」として人気を誇ったのが毘沙門天です。ヒンドゥー教のクベーラという財宝神が仏教に取り入れられる過程で、武神としての信仰が生まれて毘沙門天となりました。
独尊(どくそん/一人の意)で祀(まつ)られる場合には「毘沙門天」と呼びますが、四方を守護する四天王のうちのひとりとして祀られる場合には「多聞天(たもんてん)」と呼びます。北方を守護する武神としても信仰されています。
そのため、京(みやこ)の北方守護の役割を担った京都・鞍馬寺は毘沙門天信仰の中心地です。室町時代には、鞍馬の毘沙門天が福神として流行していたといわれています。
鞍馬寺は現在もパワースポットとして人気を集めるお寺です。毘沙門天のご利益としては、商売繁盛、金運財運、勝運などが挙げられます。
毘沙門天の姿は武神として甲冑を身にまとった姿で表され、片手には武器、もう片方の手には宝塔(ほうとう)を持っています。
また七福神の中で唯一、吉祥天(きっしょうてん)という奥さんと、善膩師童子(ぜんにしどうじ)という子どもがいます。吉祥天もまた財福、繁栄を司る福神のひとりです。
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音楽と弁舌の水の女神:弁才天(べんざいてん)
サラスヴァティーというヒンドゥー教の水の女神が、仏教に取り入れられて弁才天となりました。サラスヴァティーは聖なる河とその化身として、12世紀に編集されたとされる、インドで最も古い聖典「リグ・ヴェーダ」に登場します。
次第に音楽、芸術、学問、福徳などを司る女神となり、また他方で戦勝神の性格も持つようになりました。「大日経」というお経では「妙音天」「美音天」とも呼ばれています。
七福神としての姿は、琵琶を奏する女神像です。日本では弁才天の水神としての性格から、福岡・宗像大社に祀られる海上神の市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと/宗像三女神のうちの一人)と習合して祀られることもあります。
また、財宝神としての性格が強調されるようになると「弁財天」と書かれるようにもなりました。
水神である竹生島の弁才天は、それ以前に福徳をもたらすことで人気の高かった観音菩薩や吉祥天、ダキニ天(稲荷)などを取り込むことで、福神としての人気が高まっていきました。
弁才天のご利益は五穀豊穣、商売繁盛、祈願成就などです。
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創造と破壊を司るインド神話の主神:大黒天(だいこくてん)

ヒンドゥー教の主神のひとりであるシヴァ神の化身・マハーカーラが密教に取り入れられ、大黒天という護法善神(ごほうざんじん)になりました。「マハー」は「偉大な」、「カーラ」は「黒(もしくは時)」という意味です。
特に中国ではマハーカーラの軍神、戦闘神、富貴爵禄といった性格のうち、財福が強調して祀られました。
日本には密教の伝来とともに伝わり、毘沙門天、弁才天と合体した「三面大黒」は、伝教大師・最澄(767-822)が台所の神さまとして日本へもたらし、天台系寺院の厨房でもお祀りされています。
また台所の守護神であると同時に、大黒天の使者がネズミであることから、ネズミ駆除の神さまとしても祀られました。
陰陽道系の台所の神さまである「竃神(かまどがみ)」や「荒神(こうじん)」とも結び付けられています。
さらに、「大国」を「ダイコク」と読むことができる、ということから、日本神話に登場する神さま・大国主命(おおくにぬしのみこと)との習合も、人気の理由のひとつです。
七福神としては狩衣を着て頭巾をかぶり、大きな袋を背負って打出の小槌を持った姿で表されています。米俵の上に立っているのも特徴です。
大黒天のご利益は五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛などです。
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② 日本の神さま:福をもたらす謎の神:恵比寿

大黒天と対で祀られることも多い恵比寿。日本由来の神さまではありますが、諸説あって正体の見えない神さまです。
七福神としての恵比寿は、狩衣を着て立烏帽子をかぶり、大きな鯛を抱えた姿で表されています。
まずは恵比寿の正体として、2つの説をご紹介します。
(1)日本神話「蛭子(ひるこ)」「事代主(ことしろぬし)」
日本の神話上、『日本書紀』『古事記』に記される国生み神話で、イザナキとイザナミの間に生まれた最初の子どもである「蛭子」(ひるこ)です。生まれた時からぐにゃぐにゃで骨がなく、海に流されてしまった神さまです。
神社には「蛭子大明神」として、お祀りされていることもあります。「蛭子」は「えびす」と読むこともできます。
また恵比寿は、大黒天が習合した大国主命の息子である「事代主命(ことしろぬしのみこと)」のことであるともいわれています。
(2)漁業神・漂着神・寄り神
恵比寿の鯛を持った姿から、漁業神であったと考えられます。漁村ではクジラやイルカなどが姿を現すと豊漁になることが多かったことから、これらの生き物を「えびす」と呼び、漁業神としてお祀りしていました。
また、海からの漂着物を「えびす」と呼ぶ地域があり、漁のはじめに漂着物を御神体(ごしんたい)として拾うこともあるそうです。
さて、商売繁盛といえば「えべっさん」こと恵比寿というイメージがありますが、信仰の中心地となったのは兵庫・西宮神社です。もともと西宮神社は広田社に所属しており、平安時代の末頃に広田社の摂末社として「えびす」が登場します。
室町時代の中頃には、大黒天と恵比寿はセットで祀られるようになりました。恵比寿を祀る神社では正月十日の「十日えびす」で、大国主、事代主親子でもある大黒天と恵比寿をあしらった縁起物が売られることもあります。
恵比寿のご利益は商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大漁守護です。
③ 実在の人物:もとはお坊さま!?布袋尊

中国唐代末の明州(浙江省寧波市)で、生涯放浪の生活を送ったといわれるお坊さんです。釈契此(しゃくかいし)という名前でしたが、いつも袋を背負っていたことから「布袋」と呼ばれていました。
中国では弥勒菩薩(みろくぼさつ)という仏さまの化身であったともいわれています。
七福神の中で実在した人物は布袋尊だけです。禅宗のお坊さまであったと、いわれることもあります。その太ってふくふくとした風貌が日本でも好まれ、水墨画の画題としても人気がありました。
そういった絵画の中には、布袋が恵比寿や大黒天といっしょに描かれることもあり、福神の仲間としてかなりの人気者であったようです。
布袋のご利益は開運、夫婦円満、商売繫盛、金運向上などです。
④ 道教の神さま:正体は星?寿老人と福禄寿
おそらく、七福神の中でもこの二人の神さまがいったい何者なのか、知らないっていう人の方が多いのではないでしょうか。寿老人と福禄寿は同一神として数えられてしまい、ほかの福神が七福神としてメンバー入りすることも…。
それもそのはず、この二人はもともと中国で信仰された福星、禄星、寿星の三星を合わせた神さまであるのです。つまり二人とも同じ由来を持っています。
このうちの寿星とは道教の南極老人星(南極老人)のことであり、これが単独で日本に伝わり寿老人として信仰されたと考えられます。
七福神としての姿は、長い頭に長いひげを持ちツルを連れた福禄寿と、先端に巻物を付けた杖をついてシカを連れた寿老人に描き分けられています。
福禄寿のご利益は財運招福、子孫繁栄、延命長寿、立身出世など、寿老人のご利益は知恵授け、延命長寿、身体健全、福徳円満、厄払いなどです。
「七福神」とは?選抜の理由
そもそも、七福神の「福神」とは何なのでしょうか。福神(ふくじん/ふくがみ)は「福の神」とも呼ばれる、人々に幸福や利益をもたらす神さまのことです。
「福」を授ける神さまは「七福神」だけではありません。お稲荷さんやお不動さん、聖天さんなど、日本にはたくさんの福神がいます。そんな中から七福神のメンバーが選ばれたのはなぜでしょうか。
この七人の神さまが選ばれたのは、室町時代であると考えられます。当時庶民から人気のあった福神である西宮の夷三郎(えびすさぶろう)、比叡山の三面大黒、鞍馬山の毘沙門天、竹生島の弁才天。まずはこの四人が七福神のレギュラーメンバーに選抜されます。
これらは現在も人気のある社寺で、参詣された方もいらっしゃるでしょう。この四人に対して、残る布袋尊、寿老人、福禄寿は普段目にすることの少ない神さまではないでしょうか。
ここで、七福神が選ばれた室町時代の文化についてふれると、この時代の文化には大きく禅宗の影響があります。
この影響によって、掛軸や扇の画題に神仙の世界や、滑稽で面白おかしいものが好まれていました。
禅宗のお坊さんたちの間では「竹林の七賢」といい、老荘思想の影響を受け、俗世間から離れて竹林の中で談話にふける、七人の賢人たちの姿を描いた絵も流行します。
この「竹林の七賢」の絵を真似て「七福神図」を作ったともいわれています。また、老荘思想を理解した人びとは、神仙思想における不老長寿や、道教の福・禄・寿的富貴繁栄を求めるようになりました。
こういった風潮から、布袋尊、寿老人、福禄寿の三人は七福神のメンバーに選ばれ、定着していったようです。
七福神がそろい踏み!「梅津長者物語」
福神として人気を博した「七福神」たち。彼らのご利益は商売繁盛や財運、延命長寿といった、今の生活に「富」をもたらして豊かなものにすることでした。
そんな彼らが勢ぞろいして、主人公に「富」をもたらすお話があるんです。室町時代末から江戸時代初期に成立したと考えられる「梅津長者物語」です。
自らをかえりみず他人に親切、でも貧しい主人公が、福神を信仰したことで、福神たちに助けられて富み栄えるという典型的な物語になります。あらすじを簡単にご紹介しましょう。
物語の前半は恵比寿、稲荷、鞍馬の毘沙門天によって、主人公の家から貧乏神が追い出されるといった内容になっています。貧乏神とは名前の通り、取り憑いた家や人に貧乏をもたらす恐ろしい神さまです。主人公が善人にもかかわらず、貧しかったのはこの神さまが原因だったのですね。
後半は貧乏神がいなくなり、かわりに福神たちによって「福」をもたらされた主人公の家に、大黒天を始め、さらなる福神たちがどんどん集まるところから始まります。ここに七福神が勢ぞろいするのです。
神々が屋敷で宴を開いていたところに強盗が押し入りますが、それを福神たちが退治してしまいます。そして最後に、かつて主人公が親切にした人との縁で立身出世し、経済的にも社会的にも富み栄えることになります。
この物語で神さまたちがもたらした「福」はやはり、高い身分とお金持ちという、現世利益的な「富」だったのです。
室町時代にはこういった物語以外にも、お祭の時に参加者たちが大黒天や恵比寿など「福神」の仮装をしたという記録もあります。また福神たちは、猿楽や狂言といった芸能の演目にも取り入れられるほどの人気振りでした。
七福神のご利益
七福神は7人の福の神のオールスターチームですから、強大なご利益を得られるとして昔から多くの人の信仰を集めました。七福神全体での決められたご利益は定めがないため、それぞれの神仏のご利益が得られると考えられています。
七福神それぞれのご利益としてはこのようなものがあげられます。
まとめ
七福神の由来と、彼らが活躍する物語を紹介しました。「福」とは高い地位の取得、子孫繁栄、長寿、そして何よりお金持ちになるということが、七福神のご利益や物語にも表されていました。
物語には「貧乏神」という、人に「福」とは正反対の、「貧乏」をもたらす神さまも登場していました。
「人に悪いものをもたらすのに神さまなの?」と思われるかもしれませんが、神さまというのは、そもそも祟る存在なのです。「福」を頂戴したければ、きちんとお祀りして、お願いを聞いてもらったならばお礼参りをしなければなりません。
「七福神」とは、様々な宗教の中から庶民の間で人気を集めた「福」をもたらす神さまたちをセットにして、いっぺんにお祀りできてしまう、なんともおめでたく、ありがたい存在なのです。
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