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【3分でわかる仏教・仏像の歴史】仏教の始まり・伝来~仏像の誕生まで

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日本各地にはたくさんのお寺があって数えきれないくらいの仏像が祀られています。おうちに仏壇がある家庭では小さな仏像が置いてあるかもしれません。

仏像はそもそもどのようにして造られるようになったのでしょうか。それに仏像ってたくさんの種類がありますよね。仏教をはじめたのはおしゃかさまなのに、なんでブッダ以外にもたくさんの種類があるの?って思いませんか。どうしてたくさんの仏像が生まれたんでしょうか。

まず、仏教を創始したシャカについてご紹介し、そのあと仏像が誕生した経緯についてまとめてみました。一緒に見ていきましょう。

お釈迦様の悟りストーリー

ブッダって聞いたことありますか?仏教を始めたのが「ブッダ」と理解している人は多いかもしれませんね。ブッダというのはサンスクリット語で「仏の悟りを開いた人」を指す言葉です。名前ではないんですね。仏教を始めたのはお釈迦(しゃか)さまです。

 

お釈迦さまの正式名称はゴーダマ・シッダールタと言って、インドのシャーキヤ族出身の王子さまでした。“シャーキヤ”を漢字で表すと“釈迦”となるんです。“釈迦”族のシッダールタ王子が長い修行の末に悟りを開いて「ブッダ」となり、仏教が始まったというワケです。「悟りを開いた人」がブッダならば、他にもいそうですが、現時点の仏教界ではお釈迦さまの死後から現在まで、お釈迦さまただ一人のみがブッダとされています。遠い未来には第二のブッダが現れるかもしれませんが。

 

それでは、釈迦族のシッダールタ王子が誕生してブッダになるまでのストーリーを追ってみましょう。

※時間がない人はこの漫画で超ざっくりわかっちゃいます↓

 

お釈迦さまの誕生 ~ゴータマシッダールタ王子~

シッダールタ王子は紀元前5~6世紀ごろ、現在のインドとネパールの国境付近にあった小さな国の王子として生まれました。父親は釈迦族の王様、母親はコーリヤ国の執政の娘だったそうで、由緒正しい血筋のお坊ちゃま王子ですね。シッダールタ王子が生まれたのは4月8日の春。花が咲き誇っていたため、お釈迦さまの誕生日である4月8日には「花まつり」というお祝いが行われています。

 

 

シッダールタ王子は誕生してすぐに7歩歩いて、右手で天を、左手で大地を指さし、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったそうです。「この世界に生きる人々は誰一人として尊い存在である」という意味です。生まれてすぐの赤ちゃんが立ち上がっておしゃべりする、というのは後世の作り話でしょうが、それだけお釈迦さまが尊ばれているということでしょう。

 

裕福なお釈迦さまが感じた疑問 ~なぜ人は苦しむのか~

シッダールタ王子のお母さんは残念ながら出産後まもなく亡くなってしまいましたが、父親は跡継ぎのシッダールタをとても可愛がりました。シッダールタ専用の宮殿、豪華な衣装、美しい女性を呼んだ宴といった誰もがうらやむような優雅な毎日を送っていました。19歳になったシッダールタは結婚して息子も生まれています。

 

まさに順風満帆は人生ですが、シッダールタの心は満たされません。ある日、城の外に出ると歯の抜けた老人ややせ衰えた病人、骨と皮になって死んでしまった遺体を目にします。

 

宮殿での華やかな生活しか知らなかったシッダールタはとても大きなショックを受けました。そして老い、病、死といった様々な苦しみから人々を救いたいと思い、出家を決意します。

 

ついに満ち足りた生活を捨てて出家 ~苦行の日々~

出家をしたシッダールタ王子、ここからはお釈迦さまと呼びましょうか。お釈迦さまはある師匠のもとで瞑想の修行に励みます。そこではたくさんの弟子たちも修行していました。みんなと同じく、呼吸を制限したり、太陽の直射日光に体をさらし続けたり、断食したりとととても過酷な修行をしました。しかし苦痛を感じて心身が衰えていくばかりでまったく悟りが開ける様子はありません。

 

6年間、苦行を続けますが、何の教えにもたどり着けなかったお釈迦さまはついに修行をやめてしまいます。

そして近くの河で身を清めて体を休めていると、通りかかった村娘のスジャータが乳かゆを施してくれました。おかげでお釈迦さまは体力を回復させます。スジャータの歌も聴いて元気を取り戻したお釈迦さまは苦行が間違いだったと気が付きます。そして菩提樹の下で坐禅を組んで瞑想を始めました。悪魔や鬼が瞑想をやめるように脅したり誘惑しますが、お釈迦さまは動じません。

そしてついに悟りの境地に至ることができました。お釈迦さま35歳のときでした。

煩悩を捨てて、悟りを開く ~仏教のはじまり~

お釈迦さまが出家した理由は、老い、病、死という苦しみから人々を救うための方法を探すためでした。お釈迦さまは人が抱える苦しみは「煩悩」が原因だと考えました。煩悩というのは、人間が持つ欲望や執着のことです。欲望のままに富を追い求めたとしても人間は決して満足することはありません。それに愛する者に執着していてもいつかはお別れをしなければいけませんから。欲望や執着という煩悩を持っている限り人は苦しむ、と気づいたのです。

 

煩悩が原因となって人が苦しむのならば、煩悩を捨てなければならないのです。あらゆる煩悩から離れて、苦しみから解き放たれることが悟りの境地なんですね。

 

悟りの境地に近づくことを説いたお釈迦さま。インドは雨季・乾季があり、気候条件が厳しいため、長雨や日照りによる不作でたびび飢饉がおきていました。また洪水などの災害も多かったんです。そんな厳しい状況で苦しい生活を強いられていたインドの人たちに、お釈迦さまの教えは広く受け入れられていきます。

 

 

悟りを開いてブッダとして教えを広めながら、たくさんの弟子もできたお釈迦さま。インド各地で教えを説いていましたが病にかかり80歳で亡くなりました。涅槃(ねはん)と言います。亡くなった後もお釈迦さまの教えはどんどん広まってやがて仏教という一大宗教へと発展していきました。

 

 

お釈迦さまが人々を苦しみから救いたいと思って始まった仏教。ここまで長い説明が続きました。次はいよいよ仏像についてです。仏教のお寺では、仏像がたくさんあって拝まれていますよね。仏壇に小さな仏像があるおうちもあるのではないでしょうか。そんな仏像たちは、いったいどのように造られるようになったのでしょうか。

仏像が誕生するまで ~最初は仏像禁止だった?!~

仏像は、仏教が広まるにつれて信仰の対象として造られるようになりますが、初めから造られていた訳ではありません。では、まずお釈迦さまが亡くなってすぐの頃を振り返ってみましょう

 

仏像ができる前の信仰対象

今から約2500年前、紀元前4~5世紀にお釈迦さまは亡くなりました。お釈迦さまが亡くなってすぐは、仏像はありませんでした。お釈迦さまは「他者に頼らず自己を拠り所として、法(仏教の教え)を拠り所として生きなさい」と遺言したので仏像が造られなかったんです。これを難しいことばで「自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)」と言います。つまり他者の像=偶像を造って崇拝することを禁じていたので、像を造って拝むことができなかったんです。

もともとインドではバラモン教という宗教が広く信仰されていました。バラモン教は、天、地、太陽、風という自然のものに宿る神様を崇める宗教で、神様の像というのは造られていませんでした。像を拝むという風潮があまりなかったんですね。

 

でも、お釈迦さまを慕っていた人たちは何か信仰の対象とするものを欲していました。そこでまず目を付けたのがお釈迦さまの遺骨です。お釈迦さまの遺骨は仏舎利(ぶっしゃり)と呼ばれて、特に信仰心のあつかった8つの国の王様に分骨されました。王様はそれぞれの国に仏舎利を持って帰って、卒塔婆(そとば)という仏塔を建設し仏舎利を納めました。

卒塔婆はお釈迦さまのありがたい遺骨が納められているわけですから、恰好の信仰対象。自然と人々に崇拝されるようになったんです。

 

卒塔婆の他にも、お釈迦さまのシンボルが信仰の対象になりました。やはり人ですから、心の中のお釈迦さまを拝むだけでは物足りなくなるものです。

 

 

そこで、法輪とか「仏足石」を造って崇めるようになります。法輪というのは丸い輪のデザインを刻んだ焼き物で仏の教えが広まる様子を表現しています。「仏足石」というのは読んで字のごとく、仏さまの足をかたどった石のことです。他にも、菩提樹や仏舎利そのものを拝むこともあったようです。

仏像が無かった時代は、お釈迦さまの遺骨や足型を拝んでいたんですね。仏教がさらに広まるにつれて、言葉だけではなく実際に仏の教えを形づくったものが求められるようになりました。ストーリーを聞かされるだけでなく、目で見た方が分かりやすいし説得力が増しますよね。そして信仰の対象として、石にお釈迦さまの像を刻んだりするようになります。これが徐々に仏さまの像=仏像となっていくわけです。それでは、次は、仏像誕生の背景について見てみましょう。

 

仏像の誕生!初期の仏像は超イケメン!

お釈迦さまが亡くなってから約500年を過ぎた頃、1世紀のインドではたくさんの民族が存在していて争いが絶えませんでした。たくさんの人が戦争の犠牲になる世の中、人々は仏教に救いを求めるようになりました。つらい戦乱の世ですから、ますます「お釈迦さまの姿を見て拝みたい」というリクエストが高まります。そして仏教がインドの北の方(現在のパキスタンあたり)にまで伝わると、とうとう仏像が造られるようになりました。最初はお墓のレリーフなどに仏さまが型取られたとこからスタートしたのですが徐々に立体的になり我々がイメージする仏像となっていきました。

 

 

まず、インドの北西部ガンダーラ地方で、ギリシャやローマ美術の影響を受けた仏像が造られます。東京国立博物館には1世紀のガンダーラ地方で造られてた仏像を見ることができますよ。顔立ちがくっきりしていて東洋人というよりは西洋人よりの特徴があるんです。

 

紀元前330年頃に、あの有名なアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越えてインドにまでやってきたため、ギリシャやローマの文化が持ち込まれたわけです。また、ペルシャ文化の影響もガンダーラの仏像は受けているようです。

仏像の背中には、よく光背と呼ばれる光が飾られていますよね。あれはペルシャ文化の影響と言われています。そもそも偶像崇拝をお釈迦さまに禁じられていた仏教ですが、神の像を崇めるギリシャ文化の影響で仏像を拝むことが普及していったとも考えられています。

 

実は、仏像が最初に造られたのはインド北西部のガンダーラ地方か、中北部のマトゥラーのどちらかという論争がくりひろげられて調査が進んでいます。ちなみにマトゥラーの仏像はいかり型で力強い印象なのが特徴です。最近の調査ではガンダーラが1世紀ごろ、マトゥラーは2世紀初頭に仏像が造られ始めたという説が有力です。ガンダーラが仏像誕生の地ということになります。今後、発掘でもっと古い仏像が発見されれば・・・仏像誕生の地は変わるかもしれませんね。

 

お釈迦さまの死後500年たってやっと造られ始めた仏像。仏像ってたくさんの種類がありますよね。なぜ、たくさんの仏像が造られるようになったんでしょうか。

仏像がたくさん生まれた理由(ワケ)

仏像が造られるようになった初めころは出家後のお釈迦さまの姿をかたどったものでした。そのため、初期の仏像は1枚の布だけを巻いている姿で、宝冠や耳飾りといった装飾品は一切身につけていません。最初はお釈迦さまの姿を型どったものだけだった仏像も時を経るにしたがい、だんだんとたくさんの種類が生まれてきました。その背景について説明していきます。

 

 

大乗仏教の始まりと興隆

1世紀ころになると、仏像にとって転機が訪れます。大乗仏教というある仏教の分派が勢力を強め始めたのです。お釈迦さまが始めた仏教は、お釈迦さまが亡くなってからは保守派、改革派など様々な分派に分裂が繰り返されていました。大乗仏教はそういった分派の一つです。

初期仏教では、悟りを開いて成仏するために「煩悩は消滅させるべき」とされていました。お釈迦さまも煩悩は消さなければ悟りは開けないと説いていましたよね。ですが、出家していない一般人が煩悩を完全に消滅させるというのは不可能でした。つまり一般庶民は成仏ができなかったんです。これでは苦しんでるほとんどの人は救われません。そこで「煩悩があることは否定せず、人がもともと持っている生命力を活かせばすべての人は成仏できる」という教えが広まってきました。この教えを大乗仏教と言います。大乗とは大きな乗り物という意味で、仏教は多くの人が乗れるくらい大きな乗り物なのでどんな人でも信仰すれば救われるという意味を持っていました。

 

これに対して、出家した人など、限られた人しか救われない=小さな乗り物しかない仏教の分派を小乗仏教と呼びました。

 

そして、大乗仏教ではすべての人は成仏できると説いたのですから、お釈迦さま以外にもブッダ=悟りを開いた人はいるだろうと考えました。お釈迦さまの過去だけでなく、未来にもブッダは現れるだろうと想像したんです。

そしてこの想像から極楽浄土にいる阿弥陀如来や病を治す薬師如来という様々なキャラクターを持つ仏さまが生み出されました。

大乗仏教はこれから悟りを開く存在である菩薩にもいろいろいらっしゃると説きました。そしてたくさんのキャラクターを持った如来や菩薩が生まれたため、そのぶん仏像もたくさんできてきたという理由(わけ)です。

 

華厳経や密教の登場

華厳経は3世紀ごろに中央アジアでまとめられて、5世紀ころには中国で完成したと言われています。華厳経にはそれまで大乗仏教での想像で生み出された阿弥陀如来や薬師如来をさらに超える存在、宇宙の真理である毘盧遮那如来という仏さまが登場しました。これでまた新しい毘盧遮那如来という仏像が造られるようになります。ちなみに東大寺の大仏様が毘盧遮那如来です。

 

また7世紀になると密教という新しい宗派が起こりました。密教の経典である「大日経」には大日如来という太陽の化身とされる仏さまが登場します。また、金剛界にいる阿閦如来(あしゅくにょらい)という仏さまも登場。如来以外に、明王、毘沙門天などの天部という仏さまも現れました。そして、これらニューフェースの仏さまも仏像として造られることになります。お経や新しい宗派である密教によってさらにたくさんの種類の仏像が造られていったんですね。

たくさん種類がある如来や菩薩の仏像、それぞれの特徴についてはそれぞれのページで確認くださいね。

★仏像の種類★

如来の仏像】【菩薩の仏像】【明王の仏像】【天の仏像

仏教を始めたお釈迦さまについてと、仏像の始まりからたくさん種類が造られるようになった背景について見てきました。それではまとめに入りましょう。

まとめ

仏像がうまれるまでについてまとめると以下のようになります。

  1. 釈迦族のシッダールタ王子が悟りを開いてブッダとなってから徐々に広がっていった教えが仏教。

  2. お釈迦さまが亡くなってからも仏教はどんどん広がっていった。初めは仏像ではなく、卒塔婆や仏足石が信仰の対象だった

  3. お釈迦さまが亡くなってから約500年後、1世紀頃に仏像が造られるようになった。仏像製造第1号はインド北西部のガンダーラ地方で、ギリシャやローマ美術の影響を受けた仏像が造られた。

  4. 初期の仏像はお釈迦さまの姿をかたどった者だった。

  5. 大乗仏教が勢いを強めた1世紀ころからいろいろなキャラクターを持った如来や菩薩という仏像が造られるようになった

  6. 華厳経や密教の教えにも、如来、菩薩、明王、天というたくさんの種類の仏像が造られるようになった。

始まりはお釈迦さまの姿をかたどった仏像のみが存在していたんですね。日本中のお寺には如来や菩薩、明王といった無数の仏さまが存在します。お釈迦さまの死後、大乗仏教という教えや華厳経、密教の教えから次々と新しい如来や菩薩ができあがり、仏像として信仰されるようになったんですね。

 

人間には様々な悩みが尽きないのですから、たくさんの仏像にすがりたくなった、というのはムリもない話なのかもしれませんね。

 
 
 
 
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