No.52:京都府・仲源寺の仏像/目疾地蔵、千手観音坐像、山越阿弥陀如来像、ご朱印など


仲源寺(ちゅうげんじ)は京都祇園の町の中にある小さなお寺です。

四条通りの面しているのに気が付かずに通り過ごしてしまう人がほとんどです。

入り口には「目やみ地蔵」と書かれています。

「目」と名のつくように、目の病気でお困りの方や健康にご利益があるといわれ、多くの方が参拝されます。

こちらは仏像ファンたちの間では知られざる京都の穴場。

祇園も近いし無料で鑑賞もできる、そして見応えもある千手観音が祀られています!

今回は仲源寺をご案内させていただきます~

仲源寺へのアクセス

仲源寺(ちゅうげんじ)は京都の祇園の町中にある小さなお堂です。

四条通に面し、鴨川を渡って(四条大橋)すぐ南にあります。電車なら京阪本線の祇園四条駅下車東へ3分くらいです。

バスなら「四条河原町」または「祇園」バス停の中間にあって、それぞれバス停から徒歩で5分くらいです。

 

 

四条通りは観光客などで混み合っていて、お店などが立ち並んでいますが、一歩寺の境内に入ると静かで落ち着いた別世界が広がります。

観光客は前をたくさん通るのですが、このお寺に立ち寄る人はほとんどいません。

このお寺、せっかく京都に来て拝観しないで帰るのは実にもったいないのです。

この寺の本尊「目やみ地蔵」は、伝承では平安時代に仏師「定朝」が彫ったともいわれ、また重要文化財に指定されている丈六仏の千手観音坐像も平安時代の仏師による像ですよ。

7月10日から始まる八坂神社の祇園祭で、まずこのお寺では、『神輿洗い』に使われる水を鴨川に汲みにいく神事「神用水清祓式(しんじようすいきよめはらいしき)」が行われます。ここで汲み取られた鴨川の水を仲源寺に保管して、夜から行われる『神輿洗い』に使われます。有名な祇園祭の出発点となっているのです。

仲源寺の歴史

仲源寺は祇園の街の中心となるお宮として親しまれてきました。

いつできたのかということも諸説あって皆伝承として伝わっているものばかりです。

その伝承話を少し紹介していくときっとこのお寺の歴史が見えてくると思います。

(伝承1)

平安時代中期の1022年に仏師・定朝(じょうちょう)が四条大橋の東北に地蔵尊を祀ったといわれており、この寺の創建といわれています。

しかし、1022年というと定朝は、摂関政治で力を得ていた藤原道長が晩年出家して壮大な法成寺(ほうじょうじ)を鴨川の西岸に建て、この京極御堂とも呼ばれた法成寺の金堂・五大堂の造仏を造仏した功績が認められて仏師としては初めての法橋という最高位の称号を得た年です。またこの定朝は仏像の寄木造り技法の完成者といわれています。

この定朝がこの時期にこの地蔵尊を作ったとしてもどのような祭られ方をしたのかは良くわかりません。この大きな法成寺には丈六の大きな阿弥陀如来像が9体あって、道長はこの各阿弥陀如来像の手にひもをつけて自分の手とつないでなくなったといわれています。

 

その後何度か火災にあっていますが、14世紀前半に書かれた吉田兼好の「徒然草(つれづれぐさ)」にはこの9体の丈六仏と法華堂のみが残されていることが記されています。この丈六仏が現在どこにあるのかはわかっていません。そのため、ここに祀られている本尊の木造地蔵尊は定朝が法成寺建立の時に造ったものという見方もできますが、はっきりしてはいません。鎌倉時代の仏師・湛慶の作ともいわれています。

(伝承2)

この定朝が人々の安寧を願って木造の地蔵菩薩を彫ったのだが、平安末期には度重なる戦で地蔵を収めた堂は荒れ果て、草木が生い茂るまでになっていた。

そして、鎌倉時代になって1228年の秋に暴風雨が吹荒れ、鴨川が氾濫(はんらん)したのです。朝廷は、防鴨河使(ぼうかし)と呼ばれる鴨川が氾濫した時に堤防などを復旧させたりする臨時の任務をおこなう役人に「勢多判官(ぜいたはんがん)中原為兼(なかはらためかね)」を任命しました。

任命された中原為兼は鴨川に行ってみると、橋は流され、家屋まで流されていたのですが、不思議なことに流された人々は四条河原の茂みに流れ着いて皆命を救われたのです。その命を救われた茂みの中には、この忘れ去られた地蔵の姿があったのです。

このため、中原為兼はこの地蔵尊に念じると、たちまち水は引き、平常の鴨川の姿に戻ったといいます。そしてこの地蔵尊を安置するために寺を建立し名前を「中原為兼」の名字に「」と「」を付けて「仲源寺」としたといいます。

この伝承からこの寺は「雨止(あめやみ)地蔵」として信仰を集めるようになったといわれています。また、その後、この寺は天皇の勅願寺となり、祇園村の惣堂(そうどう:村の中心となるみんなのお堂)となったといわれています。

また、この逸話の他に、鎌倉時代には、四条大橋近くの畦道にお堂があったため、「畦(くろ)の地蔵(畦地蔵)」と呼ばれて、鴨川の氾濫を鎮める地蔵として信仰を集めていたともいわれています。これも伝承といわざるを得ませんが、いずれにしても鴨川の氾濫を鎮めてくれるお宮としてかなりの信仰があったようです。

 

 

また、鎌倉時代に中国古代の聖王で治水の功があった禹王(うおう)を鴨川の治水の水神様として鴨川東岸に祀ったという話もあります。

この禹王を祀った水神宮は夏禹廟(かのうおう)と呼ばれ、この中原為兼がこの地蔵尊のお告げで祀ったと言う話もあります。

(伝承3)

1349年に中国からやってきた林浄因(塩瀬浄因:しおせじょういん)によりこの寺が開かれたという説があります。林浄因は日本で初めて餡(あん)入りの饅頭(まんじゅう)を作った人物で、現在の京都の老舗のお菓子屋さん「塩瀬総本家」の始祖となったといわれる僧侶です。昔、僧侶は肉食が許されないために、小豆を煮つめた餡入りの饅頭は評判になったようです。

 さて、伝承話はここまでとして、この仲源寺は「雨止(あめやみ)地蔵」として最初は鴨川の洪水防止にご利益があるということで近隣の人々に親しまれてきました。

安土・桃山時代の1585年に、豊臣秀吉の命令により、四条橋の東北辺りから現在地に移ったとされ、江戸時代になって、1660年に満誉という僧侶により中興されたといわれています。

また、江戸時代には、祇園周辺や祇園社(八坂神社)などに行く途中で旧に雨に降られたときなどに雨宿りの場所としてこの寺が使われたため「雨止(あめやみ)地蔵」と呼ばれるようになったともいわれています。

また、鴨川が増水すると川を渡れなくなったため、ここで雨宿りしていたために「雨止地蔵」となったという話もあります。

 

やがて「雨止(あめやみ)地蔵」の「あ」がとれて、いつのまにか「めやみ地蔵」と呼ばれるようになり、「目疾(めやみ)地蔵」となって、目の病気に効果があるありがたい地蔵様として信仰が変わっていったと見られています。

また、この「雨止(あめやみ)地蔵」が「目疾(めやみ)地蔵」と呼ばれるようになったのにも次のような逸話もあります。

「あるとき地蔵を熱心に信仰していた夫妻がいました。その夫が目の病で失明してしまったので、妻は地蔵に恨み言をいいました。するとその夜に、夫の枕元に地蔵が現れ、寺のわき水で目を洗うよう告げて消えてしまいました。さっそく、お告げの通りにわき水で目を洗うと次第に目が見えるようになったのです。そして喜んだ夫婦がお礼に地蔵尊にお参りすると、地蔵の右目が朱色になり、涙がつたっていたとのです。

このため、「雨止」から転じ、眼病に御利益がある「目疾(めやみ)地蔵」とも呼ばれるようになったともいわれています。」

実際にこの地蔵尊の玉眼入りの眼は赤くみえます。

こんなさまざまな逸話や伝承のあるお地蔵さんは、長い間、地元の人々に信仰され、愛され続けてきたのだと思います。

仏像の詳細

観音堂(収蔵庫)創建 十一面千手観音坐像【重文】(平安時代後期)〈作者不詳 像高248㎝ ヒノキの寄木造 漆箔〉

 

 

この像は伝承として春日仏師の作といわれていますが、春日仏師ももともと正確な素性はわかっていません。奈良の春日山付近で仏像を製作していた仏師、または仏師集団を指していますが、詳細は不明です。

本堂右側の観音堂(収蔵庫)に安置されています。

丈六の大きな観音像で、全体的に黒みがかり、胸は堂々と大きく、目は切れ長で、優しい顔つきなど全体にやわらかい雰囲気の観音像です。脇手および持物の大部分は後補といわれます。

近年の調査によれば、東南にあった桂橋寺(けいきょうじ)の旧本尊であり、この寺が15世紀後半の京都市内で起こった内乱「応仁の乱」の戦火のために廃寺となったために、ここに移されてきたといわれています。

この像はガラスケースに納められており、昼間は日の反射で見難いという。

夜間は20時頃まで拝観でき、内部にライトがあるので像を良く観察するには夕方以降のほうが良さそうです。

本堂 本尊:地蔵菩薩 〈寄木造、玉願嵌入〉

目やみ地蔵」と呼ばれるこの寺のご本尊で、伝承では平安時代に仏師「定朝」が彫って四条橋の東北に祀っていた仏像が、戦火等により辺りが荒廃して土の中に埋もれていたものを掘り出して祀ったともいわれています。また作者も鎌倉時代の仏師・湛慶ではないかともいわれています。

また『仲源寺略縁起』によれば、平安時代の1022年に仏師・定朝は、末代衆生済度のために、護持仏の厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)が自ら彫ったという地蔵菩薩をその胎内に納め、38カ月の歳月をかけ丈六の地蔵菩薩を造立したといいます。

大きな地蔵尊で、目が赤くなっているのが特徴的です。

この像もガラス越しに、少しはなれて拝観するため、昼間は懐中電灯などを持参した方がよいでしょう。また暗くなる時間に行くと薄暗い御堂の奥にこの本尊が照らし出されて、かなり迫力があります。

(その他)

本尊の目疾地蔵尊に向かって左の脇檀に、木造の「山越(やまごえ)阿弥陀如来像」が安置されています。

この像は、室町時代の恵心僧都(源信、942-1017)作との伝承があり、手を胸前で構える阿弥陀如来の胸像とその前に山の形をした彫刻がセットになっており、山を越えて来迎する阿弥陀如来の姿を造形化したものといわれています。

このような山越(やまごえ)阿弥陀如来は、絵画作品にはあるが、彫刻としては非常に珍しいといえます。

また、本尊に向かって右側には「走り大黒天像」と「天道大日如来像」が安置されています。この大黒天像は「瀬田の唐橋」と同一素材で造られたといわれ、祇園の女将の信仰を集め、23日の縁日には欠かさず遠方からも参拝客があるといいます。

仲源寺のご朱印

仲源寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

寿福山 仲源寺

宗派

浄土宗

住所

〒605-1273  京都府京都市東山区祇園町南側585-1

電話

075-561-1273

拝観時間

7:00~19:30

拝観料金

志納

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