京都・仲源寺の仏像|目疾地蔵と重要文化財の千手観音坐像に会う(拝観料・時間つき)

京都・祇園の四条通は、いつも人でぎっしりです。鴨川を渡った先の歩道を、観光客が肩を並べて進んでいきます。その流れの中に、「目やみ地蔵」と書かれた入口がひとつあります。
仲源寺(ちゅうげんじ)。通りに面しているのに、足を止める人は多くありません。京阪「祇園四条」駅から歩いて1分。拝観料は志納です。
一歩入れば、通りの音が遠くなります。本堂には「目疾(めやみ)地蔵」と呼ばれる大きな地蔵さん、右手の観音堂には重要文化財の千手観音坐像。どちらも丈六、つまり立てば約4.8mという大きさの像と伝わります。
この寺をひとことで言うなら、「水の寺」です。鴨川の洪水を止めた地蔵さん、祇園祭の神輿洗いの水を汲む寺、目を洗うわき水、そして寺の名前そのもの。水の話をたどっていくと、本堂の地蔵さんの顔つきが、少し違って見えてきます。
仲源寺・目疾地蔵:川の水を止め、目の病を引き受けた地蔵さん
本堂の本尊は、ガラスの向こうにいます。堂の奥まで見通すと、どっしりと座った地蔵さんの、赤みを帯びた目に視線が引き寄せられます。玉眼という、水晶を内側からはめこんだ目です。
この寺の地蔵さんは、2つの顔を持っています。ひとつは、鴨川の水を止める「雨止(あめやみ)地蔵」。もうひとつは、目の病を治す「目疾(めやみ)地蔵」。水と目。一見つながらない2つが、同じ像の中に重なっています。
仏像リンク編集部MEMO 📝




つくった人は、はっきりしません。寺には、仏師の定朝(じょうちょう)が1022年に四条橋の東北に地蔵尊をまつったのが始まり、という話が伝わります。『仲源寺略縁起』には、聖徳太子が自ら彫ったという地蔵菩薩を胎内に納め、38か月かけて丈六の地蔵尊をつくった、とあります。鎌倉時代の仏師・湛慶(たんけい)の作とも伝わります。どれも伝承で、決め手は見つかっていません。
地蔵菩薩さんが、なぜ頭を丸めた僧の姿をしているのかは、こちらの解説にまとめています。
名称: 木造地蔵菩薩坐像(本堂の本尊・目疾地蔵)
時代: 不明(寺の伝えは平安時代。定朝作、湛慶作とも伝わる)
材質: 木造寄木造、玉眼
特徴: 赤みを帯びた玉眼。雨止地蔵から目疾地蔵へと呼び名が変わったと伝わる。毎月23日に目の病の回復を祈る法要がある。
仲源寺・十一面千手観音坐像:町なかの丈六、観音堂の重要文化財
本堂の右にある観音堂に、もう1体の本尊級の像がいます。千手観音坐像です。胸の前で手を合わせ、うつむき加減の穏やかな顔。黒ずんだ肌に、金の光が点々と残っています。四条通のすぐそばに、これだけの像が座っている。その距離の近さに、口元がゆるみます。
ガラスケースに納められているので、昼は光が映りこんで見えにくいことがあります。堂内に灯りが入る夕方以降のほうが、像の輪郭を追いやすいと言われています。
仏像リンク編集部MEMO 📝




像の頭の上には小さな顔がのっています。十一面千手観音という姿です。平安時代後期の像で、重要文化財に指定されています。春日仏師の作と伝わりますが、春日仏師は奈良の春日山のあたりで仏像をつくった仏師、またはその集団を指す呼び名で、くわしい素性は分かっていません。
もとは、東南にあった桂橋寺(けいきょうじ)の本尊だったとも伝わります。応仁の乱で寺が廃れ、この寺に移された。町が何度も燃えた京都で、この像は場所を変えながら、人の前に座り続けてきたことになります。洛陽三十三所観音霊場の第16番札所の本尊でもあります。
千手観音の持ち物や、手の数のわけは、こちらの解説にまとめています。
名称: 木造十一面千手観音坐像(重要文化財)
時代: 平安時代後期
像高: 約248cm(丈六)
材質: ヒノキの寄木造、漆箔
特徴: 胸の前で合掌した姿。脇手と持物の大部分は後の時代に補われたといわれる。春日仏師の作と伝わる。
その他の見どころ
本堂の本尊に向かって左には、山越阿弥陀如来像が安置されています。山の形の彫刻の向こうから、胸から上をのぞかせた阿弥陀如来さんが、手を胸の前に構えています。山を越えて迎えに来る姿を、立体にしたものです。室町時代の像で、恵心僧都源信の作と伝わります。絵ではよく見かける姿が、彫刻として残っているのは珍しい例です。阿弥陀如来さんの基本は阿弥陀如来の解説にまとめています。
右側には、走り大黒天像と天道大日如来像が並びます。大黒天像は、瀬田の唐橋と同じ木からつくられたと伝わり、毎月23日の縁日には祇園の女将さんたちが欠かさず参ると言われます。
7月の祇園祭では、この寺が出発点のひとつになります。神輿洗いに使う水を鴨川に汲みにいく神事「神用水清祓式(しんじようすいきよめはらいしき)」が行われ、汲んだ水はこの寺に保管されると紹介されています。
お寺の歴史と伝承


1つめは定朝説です。1022年、定朝は藤原道長の法成寺の造仏の功で、仏師として初めて法橋の位を得ました。寄木造の技法を完成させた人と言われます。法成寺には丈六の阿弥陀如来像が9体あり、道長はその手にひもをつないで亡くなったと伝わります。
吉田兼好の『徒然草』には、法成寺ではのちに9体の丈六仏と法華堂だけが残ったと記されます。この丈六仏がいまどこにあるのかは分かっていません。この寺の地蔵尊が法成寺のころの像だという見方もできますが、はっきりしません。
2つめは、鎌倉時代の洪水の話です。1228年の秋、暴風雨で鴨川があふれました。朝廷は、川の堤を直す役人に、勢多判官の中原為兼(勢多為兼とも伝わります)を任命します。行ってみると橋も家も流されていましたが、流された人々は四条河原の茂みに流れ着き、みな命を救われていました。その茂みの中に、忘れられていた地蔵の姿があった。為兼が念じると水が引き、その地蔵を安置するために寺を建てた。名は、為兼の姓「中原」に、「人」と「水」を足して「仲源寺」にした、と言います。
3つめは、1349年に中国から来た林浄因(塩瀬浄因)が開いたという説です。日本で初めて餡入りの饅頭をつくった人で、京都の老舗菓子店・塩瀬総本家の始祖とされます。
安土桃山時代の1585年、豊臣秀吉の命でいまの場所に移ったと伝えられます。江戸時代の1660年に、満誉という僧が中興したといわれます。
主な歴史年表
1022年: 定朝が四条橋の東北に地蔵尊をまつったと伝わる(寺の伝え)
平安時代後期: 千手観音坐像がつくられたとされる
1228年: 鴨川の洪水。為兼が地蔵のお告げで水をおさめ、寺を建てたと伝わる
14世紀前半: 『徒然草』に法成寺の9体の丈六仏が記される
1349年: 林浄因が寺を開いたという説がある
15世紀後半: 応仁の乱で桂橋寺が廃れ、千手観音坐像が移されたと伝わる
1585年: 豊臣秀吉の命で現在地へ移ったと伝えられる
1660年: 満誉が中興したといわれる
なぜ、水を止める地蔵さんが、目の地蔵さんになったのか
仲源寺は、もとは「雨止(あめやみ)地蔵」でした。それがいつのまにか、頭の「あ」が落ちて「めやみ」になり、「目疾(めやみ)」の字があてられた、と考えられています。
江戸時代、祇園社(八坂神社)へ向かう人が、急な雨でここへ雨宿りした。鴨川が増水して橋を渡れなくなった人が、ここで水が引くのを待った。そういう場所だったから「雨止」と呼ばれた、という話も伝わります。


ここからは私の想像です。
洪水の年、人々が失ったのは家や橋だけではなかったはずです。泥水が目に入る。涙で視界がにじむ。暗い川面を見つめ続けて、目をやられる。水の災いは、目の悩みとも近いところにありました。「水を止めてほしい」という願いと、「目を治してほしい」という願いは、はじめから別々のものではなかったのではないか。
そう考えると、物語にも水が出てきます。夫の目を洗うわき水。地蔵の目に伝う涙。川から汲んだ神事の水。この寺では、水がずっと真ん中にあります。名前の「仲源」のなかにも、水があります。
まとめ:水の流れる町の真ん中で、水を受けとめてきた寺
四条通の人波は、鴨川の水のように、休まず流れていきます。その岸のような場所に、仲源寺はあります。
洪水をおさめた地蔵さんは、やがて目の病を引き受ける地蔵さんになりました。観音堂では、戦乱を越えて移ってきた千手観音さんが、合掌したまま座っています。水を止める、病を引き受ける、場所を移されても座り続ける。この寺の像は、流れ去らずに「受けとめる」姿をしています。
通り過ぎる人が多い場所で、受けとめ続けてきたもの。それは何だったのか。私は、答えより、その問いを持ち帰りたくなります。


次に会いに行くなら
町なかの座る千手観音さんの次は、山の上の座る千手観音さん、香川の屋島寺。平安時代の十一面千手観音坐像が、四国の札所に伝わっています。私は10年ほど前に個人で訪ねました。仲源寺の像と見比べると、同じ姿勢でも、置かれた場所で表情が変わって見えるはずです。
京都で、座る姿ではなく「半跏」の姿を見るなら、宝菩提院願徳寺。大原野の国宝・菩薩半跏像(伝如意輪観音)が待っています。町なかの賑わいとは別の、静かな時間が流れる寺です。
祇園から東山の仏像をもう1か所歩くなら、六波羅蜜寺。空也上人立像など、町に近い場所で出会える像があります。仲源寺と組み合わせて歩けます。
同じコース「京都の基本をおさえる」で、こんなところはどうでしょう
仲源寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 寿福山 仲源寺(通称:目疾地蔵) |
宗派 | 浄土宗 |
住所・アクセス | 京都府京都市東山区祇園町南側585-1。京阪「祇園四条」駅から歩いて1分、市バス「京阪四条」から歩いて1分。南座の東、四条通に面しています |
電話 | 075-561-1273 |
拝観時間・拝観方法 | 7:00〜19:30ごろ(変わることがあります)。観音堂の千手観音坐像は、着いたら寺の方にお声がけください。お出かけ前に電話でのご確認をおすすめします |
拝観料金 | 志納 |
拝観時間・料金は変わることがあります。お出かけ前にご確認ください。参考:京都観光Navi「仲源寺」
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地域タグ:京都府の仏像

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