No.53:東京都・養玉院の仏像/五智如来像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来立像、木造天海僧正坐像/御朱印など


東京都品川区西大井にある養玉院(ようぎょくいん)は「養玉院」と「如来寺」が大正時代の末に合併して「帰命山 養玉院如来寺」となりましたが、現在の正式登録名は「養玉院」となっています。東海道新幹線からも下りの右手車窓からこのお寺の赤いお堂が見えます。このお堂の中には高さが3m前後の大きな如来坐像5体(五智如来像)がズラ~リと並んでいて迫力満点です。これらの仏像(坐像)は、一般の丈六仏(立像なら一丈六尺=約4.85m、坐像では半分の2.45m)よりも大きく、大仏(だいぶつ)と呼ばれる部類に入ります。このためもあって、今では大井の大佛(おおぼとけ)と呼ばれ親しまれています.。

養玉院へのアクセス

養玉院は東京都品川区の、都営浅草線「馬込」駅から東に徒歩8分、またはJR横須賀線の「西大井」駅から南西に徒歩10分ほどの地にあります。

東海道新幹線からも東京駅から10分ほど行ったところの右手に車窓からこのお寺の赤いお堂(瑞應殿)が見えます。

お寺の周りは静かな住宅地です。お寺の入り口には「大佛 如来寺」という大きな石柱が立てられています。寺の境内に続く参道はきれいな石畳が敷き詰められた緩やかな上り坂で木々や花が日本庭園風にきれいに手入れされ気持ちの良い雰囲気です。

境内の真ん中に「五智如来」と書かれた石柱が立っており、その左手に本堂があります。本堂内には「木造釈迦如来及び両脇侍像」が安置されています。

五智如来像は本堂隣の正面にある「瑞應殿」と扁額に書かれた大きな赤い建物(木造)の中に安置されています。建物の入り口には石の仁王像が置かれています。

五智如来像はすべて高さが3m前後ありますので、木造でこれだけ大きな仏像はあまりないでしょう。そのスケールはまさに圧巻です。またお盆の8月13日には、境内に約1000個の堤灯に火を灯し、千灯供養が行われます。

養玉院の歴史

養玉院如来寺は、台東区下谷にあった養玉院と高輪の如来寺という別々のお寺でした。それが品川区西大井に移転して合併し「養玉院如来寺」という一つの寺院(天台宗)になりました。

養玉院は「金光山養玉院大覚寺」といい、創建されたのは平安時代頃までさかのぼるとも言われますが詳細は不明です。しかしそれが三貌院(さんみゃくいん:後の三明院)という寺院となり、現在の千代田区大手町あたりにあったといわれています。

 

 

そして慶長年間(1596一1615)の江戸城周辺の都市計画工事によって上野山内に移転され、その後1635年に上野寛永寺の子院として天海僧正を開基として、天海の弟子の賢海を迎えて天台宗三明院流としてはじまりました。二世の代に対馬藩主宗家の菩提寺となっていて、対馬藩二代藩主宗義成の室・お福の方の遺言により1663年にその戒名をとって「養玉院」と改称されました。

また1698年の火災により被災し寺を台東区内の下谷坂本に移しました。この火災で寺の建物はそのほとんどを消失してしまいましたが、本尊や主要な宝物は幸いにも無事だったといいます。

一方、如来寺は、
帰命山如来寺大日院」といい、1636年に木食但唱(もくじきたんしょう)上人により建立されました。但唱上人は現在の長野県や和歌山県の山中で木食(もくじき:火を使わず木の実や草などだけを食べる)修業をした後に江戸に出て、1636年に高輪に如来寺を建て、上人自らと弟子たちとで彫刻した大きな「五智如来像」を安置しました。

 

但唱上人は修行僧ではありますが仏師としてその名を知られています。長野の奇妙山には木食修業をしていた12年間に木食をしながら岩盤に刻んだといわれる石仏や千体木仏などが残されています。その他に各地に千体仏(石仏、木仏)がたくさん残されています。

また長野県駒ヶ根の歸命山安性寺(きみょうざん あんしょうじ)木造阿弥陀如来像など多くの優れた仏像も制作しています。

如来寺が最初に建てられた地は、泉岳寺に近い高輪にあり、旧東海道に沿った往来の非常に多い地であり、海に面していた絶好の場所だったようです。また祀られた五智如来像は像高が一丈(約 3.3メートル)もある坐像で丈六仏よりも大きく「芝高輪大仏」と呼ばれて江戸の人々からも注目され親しまれました。なにしろ五躯の大仏(五智如来坐像)がずらっと並ぶ姿は人々を驚かせる名所ともなっていたようです。

しかし、如来寺は1725年と1745年におこった火事により、但唱らの造った五智如来像をはじめ石造仁王像などが焼失する大きな被害に遭っていますが、その都度再建されにぎわいは続いたといいます。1908年に現在地に移転しました。

そこに、1920年になって養玉院が移転してきて2つの寺院は合併し、合併後の名称「養玉院如来寺」となりましたが、1942年に宗教法人法の制定により、公称名を「養玉院」としました。

養玉院の仏像の詳細

木造五智如来(ごちにょらい)坐像 5躯:別称 大井の大佛(おおぼとけ)品川区指定文化財

寺の山門をくぐって一番奥のお堂「瑞應殿(ずいおうでん)」(別名 五智如来堂)に安置されている像高3m前後(最大は中尊の大日如来座像で像高3.22m)の大きな寄木造りの大仏5体です。向かって右から、薬師如来宝生(ほうしょう)如来大日如来・阿弥陀如来釈迦如来の順に安置されています。

木食但唱上人が弟子とともに制作し、1636年に高輪の如来寺に建て、そこに安置したものです。しかしその後、1725年と1745年の火災により寺の建物の多くが焼失して、この5体の像も薬師如来像の頭部のみを残して焼けてしまいました。従って残りの4体と薬師如来の身体の部分などはその後に再興されたものです。

五智如来とは密教の中心となる大日如来の持つ5つの知恵を5体の如来に象徴してあてはめたものと言われています。大日如来を中心として東西南北に4体を配置するという考え方もありますが、ここでは横一列に安置されています。大日如来を中尊として、向って左から
北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来と並んでいます。五智とは密教でいう仏様の持つ知恵(仏智)を表していますが、江戸時代になり民間信仰として庶民はさまざまな苦難をこの仏智にすがって逃れたいという願望が強くなってきました。

このためこの5仏の持つ意味はそれぞれ以下のように考えられています。

大日如来:万物を慈しむ太陽の功徳

薬師如来:医薬の功徳

宝生如来:福徳財宝・五穀豊穣の功徳

阿弥陀如来:往生極楽の功徳

釈迦如来:真の真理に導いてくださる功徳(悟りを開いたお釈迦様です)。

その他寺には品川区指定の文化財があります。以下に紹介します。

木造釈迦如来(坐像)及両脇侍像 3躯

1677年沙門兆渓が長崎で明の范印官の弟子范宗仁に彫らせたもの 品川区指定文化財 本堂に安置されています。脇侍は向かって右側に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、左側に阿難尊者(あなんそんじゃ)像です。

木造阿弥陀如来立像 1躯  平安時代末期~鎌倉時代初期 像高91cm寄木造 品川区指定文化財

 

 

この像は対馬藩(長崎県)宗家の念持仏であったものといわれています。右手を胸脇に上げ、左手を下げて来迎印を結ぶ姿です。

木造天海僧正坐像 1躯 1644年大仏師慶雄の作 像高90cm寄木造 品川区指定文化財

 

天海僧正は徳川家康の信任厚く、上野寛永寺やここの養玉院などを開山しています。

木造念海和尚像 1躯 1671年仏師長五郎の作 像高50.5cm寄木造の坐像 品川区指定文化財

 

 

養玉院2代住持念海の生存中に弟子の玄悦坊快運が願主となり制作した。

石造線刻地蔵菩薩坐像 1躯

 

高さ2m67cmの安山岩の表面に結跏趺坐する地蔵菩薩坐像を線刻 品川区指定文化財 1651年に念仏講衆25人の結縁によって制作されたものです。旧如来寺(芝高輪)の本堂の脇にあった納骨堂の本尊として祀られていました。

荏原七福神

 

このお寺は荏原七福神の寺としても有名です。東はJR大井町駅に近い、大井蔵王権現神社に祀る福禄寿から、第二京浜・中原街道を越えて西へ、摩耶寺の寿老人、小山八幡神社の大国天に到る、約6kmにわたり連なっております。
いずれも武蔵国荏原郷の歴史と伝統を今に伝える、由緒ある七社寺に祀られており、養玉院はその中ほどにあり、「布袋尊」を安置しています。この布袋尊も五智如来像と同じ瑞應殿の中にガラスのケースに入れて安置されています。

 

養玉院のご朱印

養玉院の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

帰命山養玉院如来寺

宗派

天台宗

住所

〒140-0015 東京都品川区西大井5-22-25

電話

03-3771-4816

拝観時間

9:00-17:00

拝観料金

志納

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地図
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※この記事の写真は養玉院如来寺様のホームページなどより一部引用させていただいております