No.54:奈良県・新薬師寺の仏像/薬師如来坐像、十二神将像、十一面観音立像、おたま地蔵、ご朱印など


遊園地でおなじみのメリーゴーランド。実はこのメリーゴーランドは仏像の世界にもあったんです…!それが奈良の市内にある新薬師寺。

新薬師寺は、奈良公園のはずれ、東大寺のちょうど反対側に位置する華厳宗の寺院です。薬師寺といえば奈良市西ノ京町にある薬師寺が有名ですが、この寺院と直接の関係はありません。新薬師寺の「新」は霊験あらたかなという意味で、寺院の歴史は奈良時代にまで遡ります。国宝に指定されている本堂の中には、同じく国宝の薬師如来像・十二神将が安置されています。

さぁ仏像メリーゴーランドに乗ってめくるめく歴史の旅へでかけましょう~!

 

新薬師寺へのアクセス

新薬師寺は、奈良市の春日大社(若草山)の南にあります。奈良公園などに行かれたらそれほど遠いこともありませんので歩いても行けます。

また市内循環のバスで「破石町」で降りて山側に10分ほどです。

昔はとても広い敷地があったといわれ、現在の奈良教育大のキャンパスあたりまで敷地だったようです。

新薬師寺の入り口は「南門」から入ります。入口には「大和十三仏第七番霊場、西国薬師第六番霊場」の看板が掲げられています。中に入ってもシンプルな国宝の「本堂」(旧食堂)があるだけといった感じで、どこか殺風景です。でも「鐘楼」「地蔵堂」「竜王社(神社)」などがあり、その先が本堂です。

でもなんといってもこの本堂に足を踏み入れると本尊の薬師如来坐像を囲って、ずらっと国宝の有名な十二神将が少し薄暗いですが、本当にまじかに鑑賞できるので見応え充分です!

新薬師寺の行事としては1月に「修正会(しゅうしょうえ)」(または初薬師)が行われます。これは、1月8日の午後3時から本尊の薬師如来の前で、すべての人々の罪を悔いあらためる「薬師悔過法要〈やくしかけほうよう〉」が営まれます。だれでも参加できるようですよ。

また旧暦の2月末(現在は4月8日に「修二会(しゅうにえ)」が行われます。新薬師寺ではこの修二会を十種の造花が本尊に供えられるところから「花会式」と呼んでいます。東大寺の「お水取り」と呼ばれる行事と同じです。

午後5時から初夜法要が行われ、そのあと午後7時から長さ7mほどのおおきな松明(たいまつ)10本と籠松明1本に火をつけて、僧侶を先導して本堂の周りをまわる「おたいまつ」という行事が行われます。

ちょうど桜の季節でもあり境内の桜の花が松明の灯りに浮かび上がって幻想的な風情が広がります。そのあと松明にともされて、夜の法要が行われます。

この寺の「修二会」はわれわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、本尊の薬師如来の前で、懺悔(さんげ)することを意味します。一方、東大寺二月堂の修二会は、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」ともいわれ、二月堂の本尊である十一面観音の前で、日常に犯しているさまざまな過ちを懺悔(さんげ)するものです。

この法要は奈良時代から脈々と続いてきた法要で、現在の形となっての法要は1107年に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈り、病気が回復したため、皇后はその翌年に10種類の造花を作らせて、この薬師様に供えられたといわれています。

このことから『花会式』と呼ばれるようになったそうですよ。東大寺のお水取りは有名ですが、こちらの花会式はあまり知られていませんね。

新薬師寺の歴史

平安時代末期に編纂された史料(東大寺要録)によれば、新薬師寺は東大寺の末寺にあり、その創建については、747年に光明皇后(こうみょうこうごう)が聖武天皇(しょうむてんのう)の病気平癒(へいゆ)を願って建立し、七仏薬師像を祀ったとされています。ただ、これを裏付ける記録は見つかっておらず明確ではありません。また逆に、聖武天皇光明皇后の病気平癒を願って建立したという説もあります。いずれにせよ8世紀頃に創建された寺であることは間違いないようです。

また、新薬師寺の「新」は「あたらしい」という意味ではなく、「霊験あらたか」という意味で、薬師寺とは関係はないとみられています。ただ宗派は違いますが、どちらも病気平癒などを願って薬師如来を祀っていることは同じです。

新薬師寺は別名を香薬寺ともいわれていて、九間の仏堂に「七仏(薬師)浄土七躯」があったといわれています。正倉院に残されている文書(762年)によれば、当時「造香山薬師寺所」という臨時の役所が存在し、この新薬師寺の別名である「香山薬師寺」がまだ造営途中であったことが知られています。

 

 

また、正倉院に残されている東大寺の昔の領域には現在の新薬師寺のある場所には「新薬師堂」があり、春日山の山中に「香山堂」が記されていて、新薬師寺と「香山薬師寺」は別々な寺院とする説もあります。それでも後に合併して一つの寺院となったと考える説もあり意外に不明な点が多いです。

奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、金堂、東西両塔などをもつ大寺院でした。

本尊は当時、七体の薬師如来で、「七仏薬師」と呼ばれるものでした。

また脇侍の日光・月光菩薩も七体ずつ作られ、これに十二神将が加わってまるで浄土のようだったといわれています。

780年に西塔が落雷で焼失し、962年には暴風雨で金堂などの建物が倒壊した記録が残されています。

その後徐々に衰退していったものと考えられていて、現在の国宝である奈良時代に建てられたといわれる「本堂」は元「食堂(じきどう)」であった建物だろうと考えられています。

この小さめの建物の中に、本尊の薬師如来坐像を取り囲むように、有名な十二神将などがひしめいています。

鎌倉時代には華厳宗中興の祖といわれる明恵上人(みょうえじょうにん)によって再興され、奈良時代の本堂(旧食堂)以外の建物(東門・南門・鐘楼・地蔵堂など)はすべて鎌倉時代に再興されたものです。

薬師如来は病気を治す仏様といわれていますが,西の阿弥陀如来に対し、東は薬師如来で、次々に七つの浄土があり、一番遠い七番目の浄土に薬師如来が居ます。この遠い薬師如来の居る浄土を浄瑠璃国とか浄瑠璃浄土といい、この薬師如来を薬師瑠璃光如来ともいいます。

七仏薬師」とは、薬師如来7体(薬師瑠璃光(るりこう)如来のほかに如来六仏を 加えたもの)のことで、この七尊によって極楽浄土に導かれるとの考え方で安置されます。

新薬師寺の仏像の詳細 


本尊の薬師如来坐像を囲むように十二神将像が並んでいます。

平安初期の制作である「薬師如来坐像」をはじめ、1854年の地震で失われて後の捕作した宮比羅(クビラ)大将以外はすべて国宝指定。これだけ多くの国宝の仏像と間近に対峙できる場所は、かなり希少で、これを見るためだけにでも訪れる価値は十分あります。

薬師如来坐像 【国宝】(奈良時代~平安時代初期)〈作 像高191cm カヤ材の寄木造〉

新薬師寺の金堂は「七仏薬師堂」といわれるが、2008年の奈良教育大の敷地の発掘調査などから、そ礎石などが見つかり、8世紀半ばの建造物だったとされています。その規模も現在の東大寺大仏殿に匹敵する規模であったと推定されています。またその建物の中には薬師如来像が七体日光月光菩薩十二神将像などの眷属(けんぞく:部下)も7セット安置されていたようです。でも現在残されている国宝「薬師如来坐像」国宝「十二神将」1セットだけです。

本薬師如来坐像は、寺の初期のものではなく、平安時代に入ってから制作されたものではないかと見られています。昭和50年の調査で像内から平安時代初期と見られる法華経8巻が発見されており、この経典も国宝に指定されています。また、七仏薬師も七体ではなく、光背に六体の仏像(化仏)を配して全体で七仏薬師を表現しています。

薬師如来坐像は像高が1.91mという巨大なものですが、カヤの一木造です。

また通常より目が大きく表現されていて、一部には、聖武天皇の眼病平癒を祈願するためだとも言われています。全体的にふっくらとした豊かな体つきのふくよかな像です。

 一部に墨や朱が使われていますが、彩色や漆箔はありません。

写真家土門拳は、新薬師寺の本尊である薬師如来座像について、「 薬師如来の眼玉」という文章で、『堂々たる量感と共に、流動的な軟らか味もあって、仰ぎ見ているうちに、その幅の広い厚い胸にすがりたくなるような頼もしさを感じさせる』と書いています。

確かに堂々としたこの厚い胸にすがりたくなるのかもしれませんね。

また、光背に描かれた模様には「アカンサス」の模様があり、寺の庭にアカンサスを植えているようです。アカンサスは、アザミに似た形の葉で、古代のギリシャ建築の模様などにも使われているものです。なぜこのような模様が使われているのかギリシャの文化がシルクロードなどを経由して伝えられたなどと考えることができますので、とても興味深いですね。

塑造十二神将立像【国宝 1軀補作】(奈良時代)〈作 像高152~166cm〉

この国宝「十二神将像」は、もとから新薬師寺にあった仏像ではなく、高円山の麓(現在の白毫町)に建てられた「岩淵寺(いわぶちでら)」という寺から移したものだと伝えられています。

岩淵寺というのは、弘法大師の師といわれる僧正「勤操(ごんそう)大徳」が奈良時代後期に創建した寺で、最盛期には1000近い数の堂坊があったといわれています。

しかし、次第に荒廃してしまい、この十二神将像が新薬師寺に移されたと伝わっています。

ただ、12体の内、宮毘羅(くびら)大将像[寺伝では波夷羅(はいら)大将像]は、江戸時代末期の地震で倒壊し、昭和になって補作されたものです。このため、国宝しては残りの11体のみです。

像の製作者は、この岩淵寺の「勤操」が制作したとも言われています。またこの十二神将像の製作年代は、天平年間(729-749)であることが確認されています。

出典:日本の仏像

《塑造(そぞう)》

この十二神将像は塑造という製作方法が取られています。塑造(そぞう)はいわゆる粘土の像です。木でできた芯(しん)に縄などを巻いてその上に塑土を肉づけする方法で、最後に精土で仕上げをし,表面に金箔や彩色を施したものもあります東大寺三月堂の日光月光菩薩像などが有名です。

しかし湿気には敏感ですので保存にも注意が必要だといわれています。

造られたのは奈良時代で、それ以降はあまり造られていません。

十一面観音立像(奈良国立博物館)【重文】(平安時代12世紀)〈檜(ヒノキ)材の寄木造 漆箔 彩色 像高178.6cm 光背高218.2cm〉

 この十一面観音像は新薬師寺金堂の本尊薬師如来像の脇侍として安置されていたといわれています。今は奈良国立博物館に保管されています。

左手は肘(ひじ)を前方に曲げて華瓶(けびょう)を持ち、右手はゆるやかに下にたらし、親指と中指を合わせています。下半身は長く静かな動きが感じられます。体型の似た像は東大寺二月堂等にもあり、平安時代後期の南都の一作風を示すととらえられています。  光背は板光背で、透彫は行わず、彩色で唐草文などが描かれています。蓮華座も一部に当初の部分が残されています。

十一面観音立像(奈良国立博物館)【重文】(奈良~平安時代8~9世紀)〈白檀材 一木造 彫眼 像高42.8cm〉

香りの良い「白檀(ビャクダン)」の木で造られた「檀像(だんぞう)彫刻」です。この像も奈良国立博物館に保管されています。

白檀は香木で木目が細かいため、その木地を生かして製作されています。平安時代に多く造られましたが木の性質上小さな像が多いです。

この像も42.8cmという比較的小さな像です。細身の体つきではありますが、平安初期の充実した気風が感じられます。目鼻立ちもはっきりして、彫も深く、装身具・持物(じもつ)・天衣(てんね)など、身体から遊離した部分も本体と共彫りされていてかなり精密に細かく彫られています。髻(もとどり)や、右前膊(ぜんぱく)から先、瓔珞(ようらく)の一部などは別の小材を矧(は)ぎ接がれています。また一部に彩色が施されています。 頭の上の十一面は左面を除いて温顔です。ただ右側の三面は牙があらわされています。左の面は天王の顔に似た怒った顔に表されています。

地蔵菩薩立像

近隣の地蔵堂から移された地蔵尊で、平家の勇者「平景清」の伝承にちなんで「景清地蔵」とも言われています。

地蔵菩薩立像 鎌倉時代 木造

光背の上の方に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の姿が刻まれています。脇侍に冥界を司る十王を配しています。

地蔵菩薩立像(おたま地蔵)(鎌倉時代)

近年景清地蔵尊の体内から発見された裸形の地蔵尊です。

安産や健康などの霊験あらたかなお地蔵さんとして「おたま地蔵」と呼ばれて信仰されています。「おたま」というのはこの像は裸の像で男性のシンボルがついているからです。

 

銅造薬師如来立像 – 通称「香薬師」(飛鳥時代) 【旧国宝(盗難)】高さ75cm 金銅仏

この像は、白鳳彫刻として名高い仏像で国宝でしたが、昭和18年に3度目の盗難にあい、現在も行方が分かっていません。

現在は実物をかたどったレプリカが安置されています。

笑みを含んだ少年のような表情や表現など白鳳時代(飛鳥時代後期)の造形的特徴がみられます。

聖武天皇光明皇后が尊崇していたとされる仏像です。

古代ギリシャ彫刻にみられる「アルカイック・スマイル」という顔の表情を抑えながら口元だけが微笑している美形の像です。

これは広隆寺の有名な弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)などでもみられるものです。

盗難されたことはとても残念ですが、このレプリカでも当時の像の特徴がよくわかります。

新薬師寺のご朱印

 

新薬師寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

華厳宗日輪山新薬師寺

宗派

華厳宗

住所

〒630-8301  奈良県奈良市高畑町1352 

電話

0472-22-3736

拝観時間

9:00~17:00

拝観料金

個人: 一般600円 、大学生600円 、中高生350円 、小学生150円
団体: 一般550円、 大学生550円、 中高生300円 、小学生120円

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地図

※こちらのページの画像は「講談社 日本の仏像」や新薬師寺の公式ホームページより一部引用させていただていております