京都・平等院鳳凰堂の仏像|定朝作の阿弥陀如来坐像と雲中供養菩薩像に会う(拝観料・時間つき)

財布から10円玉を出して、裏を見てください。屋根が左右に張り出した、朱色の建物。あれが宇治・平等院の鳳凰堂です。
世界遺産で、歴史の教科書にも載っている。建物の姿は毎日のように目にしているのに、堂の中に誰がいるのかを答えられる人は、意外と少ないのではないでしょうか。中にいるのは、阿弥陀如来さん。そして壁の上には、雲に乗って楽器を奏でる菩薩像が52体、ぐるりと並んでいます。
宇治駅から歩いて、参道の茶店を抜けると、池の向こうに堂が見えてきます。屋根の上には鳳凰が1対。翼を広げた鳥に見立てて、いつしか「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。ただ、正式な名前は「阿弥陀堂」です。鳳凰堂の名が使われはじめたのは江戸時代のころで、それまでは阿弥陀堂や「御堂(みどう)」と呼ばれていました。
この記事は、この堂を「お迎えの舞台」として見ていきます。阿弥陀さんが、菩薩たちを連れて、あなたを迎えに来る。その場面を、堂ごとつくってしまった。そう思って見ると、10円玉の建物が少し違って見えてきます。
平等院・阿弥陀如来坐像:定朝がつくった、ただ1体
堂の正面は格子になっていて、中の阿弥陀さんの顔が、格子の向こうに金色に浮かんで見えます。丸みのある顔、伏せたような目、ゆったり組んだ足。急かされない顔です。拝む人に何かを求める顔ではなく、ただそこで待っていてくれる顔。私は、この穏やかさが、1000年近く人を堂に呼び続けてきた理由だと思っています。
この像をつくったのが、仏師の定朝(じょうちょう)です。1053年、藤原道長・頼通の時代を代表する仏師が仕上げました。国宝の指定名にも「定朝作」と入っていて、当時の記録からも作者が分かります。定朝の作と確かめられる、今に残るただ1体の像です。
仏像リンク編集部MEMO 📝




定朝が完成させたといわれるのが、いくつもの木を組み合わせる寄木造(よせぎづくり)です。それまでの像は、1本の大きな木から彫り出すのが基本でした。寄木造なら、大きな像を、複数の職人で分担してつくれます。1体の像を、工房の仕事として仕上げる道が開けたわけです。
そして、彫りの浅い衣のひだが、流れるように平行に並ぶこと。円満な顔と、バランスのとれた体つき。この姿が「定朝様(じょうちょうよう)」と呼ばれ、平安時代後期の阿弥陀如来像のお手本になりました。鎌倉時代の慶派の仏師たちは、そこに力強さと生き生きとした表情を足していきます。出発点にあるのが、この像です。
手は膝の上で組んだ定印(じょういん)。定朝やその様式について詳しくは定朝の解説、阿弥陀如来の見分け方は阿弥陀如来の解説にまとめています。
名称: 木造阿弥陀如来坐像(国宝・定朝作)
時代: 平安時代(1053年)
像高: 277.2cm
材質: 木造、寄木造、漆箔
特徴: 丸みのある顔と伏せた目。浅くなだらかな衣のひだ。定印を結ぶ。像内にある木板梵字阿弥陀大小呪月輪と木造蓮台は、付属として国宝に指定。
平等院・雲中供養菩薩像:52体の行列は、来迎の続きだった
阿弥陀さんの後ろの壁を、見上げてください。長押(なげし)の上に、小さな菩薩たちが掛かっています。雲に乗り、笛や琵琶、太鼓を奏でる像。立って舞う像。手を合わせる像。全部で52体、国宝です。
この菩薩たちは、阿弥陀さんが極楽から迎えに来るときに、一緒に降りてくる姿だと考えられています。つまり、堂の中の阿弥陀さんは「座っている」のではなく、すでに「着いた」ところなのです。1053年、定朝の工房でつくられました。
仏像リンク編集部MEMO 📝




堂の中では、菩薩たちは見上げる高さにいます。そこで鳳翔館(ミュージアム)の出番です。52体のうち26体が、ここに移されています。堂では見上げていた同じ行列を、館では目の高さに近い位置で、楽器の形や衣のひるがえりまで見られます。
堂の中に入れなかった日でも、鳳翔館に行けば雲中供養菩薩さんに会えます。順番としては、堂の内部拝観の受付をすませてから、時間まで鳳翔館を見る、という流れがおすすめです。
名称: 木造雲中供養菩薩像(国宝)
時代: 平安時代(1053年)
像高: 像ごとに異なる
材質: 木造
特徴: 雲に乗り、楽器を奏でたり、舞ったり、合掌したりする小さな菩薩像。全52体、うち26体が鳳翔館にあり、5体は僧の姿。
その他の見どころ
鳳翔館のほかの収蔵品
鳳翔館には、鳳凰堂の屋根にあった初代の鳳凰(国宝・1対)、国宝の梵鐘、重要文化財の十一面観音菩薩立像もあります。10円玉の屋根の上に載っていた鳥を、すぐ近くで見られます。
鳳凰堂の中に入るには
鳳凰堂の内部拝観は、庭園・ミュージアムの入園料とは別に、1人300円の志納です。9:30から16:10まで、20分ごとの時間制で、先着順の時間券になります。受付は9:10から、庭園内の内部拝観受付です。内部の説明は、職員の方が日本語で行います。
混む日は待ち時間が長くなります。着いたらまず受付、という順番をおすすめします。法要や行事で、内部拝観が休止されることもあります。
行き方と、宇治のまち
JR奈良線の宇治駅、京阪宇治線の宇治駅から、歩いて行けます。川をはさんで両側に駅があり、参道には茶店が並びます。さすが茶どころです。
平等院のすぐ裏手を流れるのが宇治川です。琵琶湖から流れ出て、滋賀県では瀬田川、京都府で宇治川、大阪府で淀川と名前を変えます。対岸には、もう一つの世界遺産の宇治上神社があります。京阪宇治駅の近くには源氏物語ミュージアムもあり、このあたりは源氏物語の後半「宇治十帖」の舞台です。
お寺の歴史と伝承
寺になる前、この場所は貴族の別荘でした。京の都より暖かい宇治は、平安貴族に好まれた土地だったのです。


998年、藤原道長がこの地の別荘を手に入れ、「宇治殿」と名づけました。道長の没後、子の関白・藤原頼通が1052年に、宇治殿を寺に改めて「平等院」としました。翌1053年に阿弥陀堂、いまの鳳凰堂が完成し、定朝の阿弥陀如来坐像が安置されます。
創建のころの平等院には、鳳凰堂のほかにも、本堂や多宝塔など、いくつもの堂が建っていたと伝わります。のちの戦乱でそれらは失われ、鳳凰堂だけが残りました。京都には、平安時代に貴族や天皇が建てた大寺院がたくさんありましたが、ほとんどが失われ、堂内の仏像や庭園も残っていません。その中で、平安時代の堂と像が今も見られる場所として、平等院は貴重です。
2012年から2014年にかけて、1年半をかけた大修理があり、堂は色あざやかによみがえりました。1994年には世界遺産に登録されています。
主な歴史年表
998年: 藤原道長が宇治の別荘を手に入れ、「宇治殿」と名づける
1052年: 藤原頼通が宇治殿を寺に改め、「平等院」とする(この年が末法元年とされた)
1053年: 阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成。定朝作の阿弥陀如来坐像が安置される
江戸時代ごろ: 「鳳凰堂」の名が使われはじめる
1994年: 世界遺産に登録される
2012〜2014年: 鳳凰堂の大修理
なぜ、極楽を堂の形にして建てたのか
平等院が寺になった1052年は、「末法(まっぽう)元年」とされた年でした。お釈迦さんの死後、正しい教えが実践される正法の時代、修行する人はいても悟る人がいない像法の時代が過ぎると、教えそのものが滅びる末法がやってくる。当時の日本では、それが1052年から始まると考えられていたのです。


悟る人がいないなら、誰が極楽へ導いてくれるのか。そこで頼られたのが、極楽浄土の主である阿弥陀如来さんでした。平等院には、西の方角にある極楽浄土を模した庭園が、阿弥陀堂とともにつくられます。
備え方は、もう一つありました。末法の世が過ぎるまで、お経を地中に埋めて守るやり方です。お経を金属や陶器の容器(経筒)に入れて埋めたものが各地で見つかっていて、埋めた場所は経塚と呼ばれます。
最も古い経筒は、藤原道長が奈良の金峰山に営んだ経塚から、寛弘4年(1007年)の銘とともに見つかっています。道長はここにも出てきます。小石に1字ずつお経を書いて埋めたものも、経塚とされます。
お経を地面に埋める人もいれば、阿弥陀さんを堂ごとこの世に呼ぶ人もいた。同じ不安への、2通りの答えです。
ここからは私の想像です。
鳳凰堂の阿弥陀さんが、ただ座っている像ではなく、菩薩たちを従えて「着いた」姿にされているのは、拝む人に、自分が迎えられる場面を思い浮かべてほしかったからではないでしょうか。祈る先が遠い極楽のままだと、不安は消えません。それなら、迎えに来る場面そのものを堂の中に建てて、目の前に置いてしまおう。末法の不安に対して、約束ではなく、場面を用意したのだと思います。
まとめ:鳳凰堂は、お迎えの舞台だった
もう一度、10円玉の建物を思い出してください。あれは、極楽にある阿弥陀さんの宮殿の姿をこの世に写したものとされます。堂の中では、定朝がつくった阿弥陀さんが静かに待っていて、壁の上には、楽器を奏でる52体の菩薩たちが雲に乗って降りてきている。
お迎えの場面を、建物と像と庭で一度に見せる。それが平等院の堂です。像が1体ずつ置かれているのではなく、行列の途中を切り取った場面になっている。ここが、ほかの寺と違うところだと私は思っています。


では、都から遠い土地の人は、このお迎えをどんな形で願ったのでしょう。京都で完成した定朝様の阿弥陀さんが、東北でどう受け継がれたのか。問いを、次の寺に持っていきましょう。
次に会いに行くなら
「都のお迎えは、地方でどう形になったのか」を見るなら、福島の白水阿弥陀堂。京都で定朝が完成させた阿弥陀如来の姿が、東北でどう受け継がれたかを見に行きましょう。私が2026年に訪ねたときは、予約なしで拝観できました。
「定朝から約170年後の仏師たち」を見るなら、京都の千本釈迦堂(大報恩寺)。慶派の仏師たちの名が残る像に会えます。定朝様の次の時代が、どんな顔をしているか見比べられます。
「定朝より前の阿弥陀さん」を見るなら、京都の仁和寺。平安時代はじめの阿弥陀三尊が、定朝様の前の姿を教えてくれます。
同じコース「京都の基本をおさえる」で、こんなところはどうでしょう
平等院の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 朝日山平等院 |
宗派 | 単立(特定の宗派に属さない) |
住所・アクセス | 〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116/JR奈良線・京阪宇治線の宇治駅から徒歩圏 |
電話 | 0774-21-2861 |
拝観時間・拝観方法 | 庭園 8:45〜17:30(受付17:15まで)/鳳翔館 9:00〜17:00(受付16:45まで)/鳳凰堂の内部は 9:30〜16:10、20分ごとの時間制・先着順の時間券(受付は9:10から庭園内の内部拝観受付)。法要・行事で休止することあり |
拝観料金 | 庭園+鳳翔館:大人700円、中高生400円、小学生300円/鳳凰堂の内部拝観:1人300円(志納) |
拝観時間・料金は変わることがあります。内部拝観の定員や休止日は、お出かけ前にご確認ください。参考:平等院公式サイト
.

地域タグ:京都府の仏像

下記バナーをクリックしてアカウントをフォローしてみてくださいね!
【地方仏めぐりおすすめの書籍】

見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
新TV見仏記
地方仏を歩く|丸山尚一
【各エリアのおすすめ仏像本】

■東北エリア
図説 みちのく古仏紀行
■関東エリア
東京近郊仏像めぐり
■東海エリア
東海美仏散歩 愛知・岐阜・三重
■関西エリア

















