No.56:兵庫県・鶴林寺の仏像/銅造聖観音立像(あいたた観音)、薬師如来坐像、聖徳太子、ご朱印など


鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県の播磨地方にあって、「西の法隆寺」「播磨の法隆寺」などといわれる聖徳太子ゆかりの古寺です。

奈良の都が出来る前の仏教が日本に伝わったすぐ後に出来たかなり由緒のある古い寺です。

また時代により繁栄や衰退などを繰り返してきましたが、戦国時代などの戦火でも守られてきたことで、白鳳時代から続く文化財などが焼滅することもなく守られてきた大変貴重なお寺です。

鶴林寺(かくりんじ)という名前の由来は、お釈迦が亡くなった時にその死を悲しんで沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の森が一夜にして枯れて、一面に白い花が咲き鶴が降りて来たような風景となったという伝説によります。

なにやらこちらのお寺では「あいたた観音」と呼ばれる不思議な仏像があるそう…

果たしてどんな仏像なのか、なぜ“あいたた”なのかその謎と魅力に触れてみましょう。

鶴林寺へのアクセス

鶴林寺(かくりんじ)へはJR山陽本線「東加古川駅」から南に歩いて20分、または山陽電鉄の「尾上の松駅」(高砂の一つ東側の駅)から北東に歩いて15分くらいの場所にあります。歩くのは少し遠い距離ですので加古川駅からは1時間に2本くらいコミュニティバスがでています。「鶴林寺」バス停下車すぐです。

境内には、「西の法隆寺」ともいわれるこの聖徳太子ゆかりの寺に伝わる寺宝を管理・展示するために「新宝物館」が2012年10月に開館しました。

また、寺の北側を鶴林寺(かくりんじ)公園として整備していて、広い敷地に芝生広場、池、屋根つきの休憩所などがあります。芝生広場の入り口に機関車が展示され、石造りの滑り台などの子供向けの遊具もあります。

鶴林寺の歴史

 鶴林寺(かくりんじ)の歴史は589年に聖徳太子が建てた寺といわれていますが、正確には不明な部分が多くあります。これは奈良時代よりもかなり前ですのではっきりしないのもいたしかたないでしょう。

でも現在伝わっている伝承からその当時の状況を以下にまとめてみました。

日本に仏教が入ってきたのは538年頃といわれていて、当時の有力氏であった蘇我氏は仏教を信奉するようになりました。

そこへ朝鮮半島の高麗(こま)から565年に日本に仏教を広めようと僧・恵便(えべん)がやって来ました。蘇我氏は、この僧・恵便の教えを受けていましたが、神道を信奉する物部(もののべ)氏との間で争いが起こります。そして恵便は、物部氏による排仏の迫害から逃れるために、都から播磨(はりま:現兵庫県南西部)に身を隠したのです。

一方、585年、まだ12歳の若き聖徳太子は、仏教の教えを受けるために、はるばる大和から播磨に恵便の教えを受けるために出かけ、恵便のために「木の丸殿」という社を建てたとされています。

聖徳太子はその2年後(587年)に蘇我氏と物部氏との争いに参戦して勝利し、大坂に四天王寺を建立して、自らの守り本尊である四天王像を祀りました。

さらにその2年後の589年(聖徳太子16歳)の時に、秦河勝(はたのかわかつ)に命じて、仏教を広める道場として、恵便のために3間4面の精舎(しょうじゃ)を建てさせて「刀田山(とたさん)四天王寺聖霊院」と名付けました。これが鶴林寺の始まりだとされています。」

ここまでは史実もあるでしょうが、かなり憶測も含まれていそうです。

ただ記録では606年に聖徳太子がここで法華経を講義して、天皇から水田百町を賜ったとされる記録もあるといわれていて、寺の建立年はこれより前だと見られています。

この寺も、聖徳太子が開基した寺(七大寺)の一つとも言われていますが、一般に言われている七大寺(法隆寺〈斑鳩寺〉、広隆寺〈蜂丘寺〉、法起寺〈池後寺〉、四天王寺、中宮寺、橘寺、葛木寺)には入っていません。

寺伝ではさらに、718年に武蔵国の大目(だいさかん)「身人部春則」(むとべはるのり)」が聖徳太子を祀るために七堂伽藍を建立し、寺の名前も「刀田山(とたさん)四天王寺」としたといいます。大目(だいさかん)というのは国司の役職の一つです。

また、852年には天台座主の円仁(慈覚大師)が中国に渡る時に、この寺へ立ち寄り諸堂が修理され、宗派も天台宗になりました。

863年には播磨地方を巨大地震が襲った記録があり、播磨地方にあった法隆寺文化を示す大きな寺が皆倒壊して、その後なくなってしまったのですが、この寺の被害は伝わっていません。

しかし、この寺もおそらくかなりの大きな被害があったものと考えられます。

1112年には鳥羽天皇の勅願所となり、寺の名前も現在の「鶴林寺」となりました。

そのときに、現在残されている太子堂【国宝】常行堂【重文】が建てられました。

鎌倉・室町時代には(聖徳)太子信仰が盛んとなり、寺坊だけで30以上ある大きな規模のお寺であったといわれています。

また戦国時代には近くで大きな戦いがありましたが、信長に寺領を差し出したりして何とか戦火はまぬかれたようです。また宗教弾圧などでかなり寺領も縮小していた時期もありますが、白鳳の時代から平安・鎌倉・室町の各時代にわたる多くの文化財が、幸いなことに大きな戦渦などに巻き込まれずに現在まで残されていることは大変貴重です。

仏像の詳細

≪新宝物館安置≫

飛鳥時代後期(白鳳期)から奈良・平安時代の仏像は主に2012年に完成した「新宝物館」に展示されています。

 

銅造聖観音立像【重文】(飛鳥時代後期の作) 〈像高 約83cm〉

宝物館の右手に単独のガラスケース内に安置されています。ケースの裏側にも廻って後ろ側も見ることができます。

この像は、鶴林寺の仏像で最も有名な仏像(ブロンズ像)で、白鳳期の仏像の代表作のひとつといわれています。ただ制作年代や制作場所についてはほとんどわかっていません。

太平洋戦争直前の1939年にドイツでヒットラー総統のもとで開かれた「伯林(ベルリン)日本古美術展」や、戦後のアメリカの展覧会などでも日本の仏像を代表してこの像が出品されました。

この像は奈良平安時代より多く造られ始めた木造仏よりも前の時代のブロンズ(金銅)仏です。像の顔はやや大きめで、少しやさしくほほえんでいます。細身の気高い立ち姿に絞られた腰、その腰をすこしひねって、左足を前に少し浮かせているポーズは軽やかな印象をうけます。また流れるような衣の文様が巧みに表現されています。有名な興福寺の仏頭によく比較されます。聖観音像といわれるのは、頭に載せた三面頭飾の正面の頭飾に抽象化したような阿弥陀像が描かれているためです。

この像は1963年に盗難に遭い、発見されたときには天衣(てんね)の一部が切断されるなどしていましたが、その後、原状どおりに修復されました。

また噂としては、この像を盗んだ泥棒が、像を壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえてきたため、改心して像を壊すのを止めたとも言われています。

そのため、この観音様は「あいたた観音」とも呼ばれています。

この像が旧宝物館で盗難にあったことから、セキュリティを強化した現在の新宝物館が建てられたといわれています。

実は、その他に重文の「聖徳太子絵伝」6幅、「阿弥陀三尊像」1幅、市指定文化財「釈迦三尊十六善神像」が盗まれ、韓国人の窃盗グループが逮捕されました。「聖徳太子絵伝」と「釈迦三尊十六善神像」は戻りましたが、まだ「阿弥陀三尊像」は韓国の寺へ渡り、いまだ返還されていません。

十一面観音立像 【重文】(平安時代初期 一木造)〈像高170cm〉

左右の手の先が欠損していますが、平安時代初期の一木造りの代表的な仏像です。どっしりとした量感にあふれた観音像で、圧倒的な存在感があります。

太子堂に安置されていた仏像

太子堂は本堂の横にある小さな建物で、平安後期の1112年に造られた建物です。内部は非公開のため、その内陣部分のレプリカが新宝物館内で公開されています。

この内陣レプリカの内部に太子堂の本尊である釈迦三尊像が安置され、また四天王像も新宝物館で展示されています。

釈迦三尊像(釈迦坐像、文殊菩薩・普賢菩薩像)【重文】

中尊:釈迦如来(鎌倉時代 寄木・割矧(わりは)ぎ造 玉眼)〈像高45.5cm〉

脇侍:文殊菩薩普賢菩薩 (平安時代の作 一木造)〈像高約30cm〉

釈迦三尊の中尊ですが、この像だけが寄木造りで玉眼のため、鎌倉時代にこの太子堂が建設された頃に作られたと思われます。

脇侍の2尊は一木造で、やや素朴な像です。像の台座部分(獅子座、象座)も像と一体で、この太子堂が建てられた1112年よりも古い像と思われます。

四天王像:持国天、多聞天、増長天、広目天(平安時代の作 一木造)

太子堂の内陣に安置された釈迦三尊像の四隅を守る四天王像です。すべて一木造で、素朴な趣のある像です。

 

二臂如意輪観音半跏思惟像【県指定】(平安後期の作)

十二神将像

僧形坐像(伝恵便法師像)【県指定】(平安中期)

行基菩薩像

聖徳太子像

≪本堂≫

本堂は、室町時代の1397年に建てられた建物で国宝に指定されています。内部の仏像は厨子中に安置されていますが、60年に一度の開扉とされる秘仏です。しかし、特別な行事がある場合には開扉されます。

薬師如来及び両脇侍像【重文】(平安時代前期・10世紀)本堂本尊 秘仏

薬師如来坐像(本尊)は半丈六(約120cm)の坐像で、両脇侍:日光菩薩、月光菩薩(像高:約150cm弱)の他に、持国天、多聞天の二天王像(各像高:約150cm)がその脇を固めています。

中尊の薬師如来坐像は、カヤの縦一材から彫出して、内部を内刳しています。

左側の側材や両足部などは別木を矧いでいます。また光背は、ヒノキ材製です。

両脇侍(日光・月光菩薩)はともにカヤの一材から彫出し、肩や手の部分などを矧ぐものと思われます。

二天王像(持国天、多聞天)は、両像とも邪鬼までをカヤの左右二材から彫出しており、持国天には内刳が施されています。(文化遺産データベースより)

鶴林寺の御朱印

鶴林寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

刀田山鶴林寺

宗派

天台宗

住所

〒675-0031 兵庫県加古川市加古川町北在家424

電話

079-422-2563

拝観時間

9:00~17:00

拝観料金

入山料:500円(小中学生:200円)

宝物館拝観料:500円(小中学生:200円、ココロンカード提示で無料)

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地図

★こちらの記事は鶴林寺のHPや日本の仏像などから画像を引用しております