【見仏入門】No.16 岩手・中尊寺金色堂の仏像/讃衡蔵の諸仏、秘仏一字金輪仏頂坐像、ミイラの謎?!など


 平泉中尊寺は世界遺産にも登録され、だれでもが知っている場所ですね。

でも有名な金色堂は実はお墓なのですよ。金色に輝く実にまばゆい美術工芸品のような金色堂の中には藤原四代のミイラや棺が眠っています。

 

 平安時代に前九年の役、後三年の役と続いた大和朝廷との戦いにより疲弊したこの地に奥州藤原氏が興ります。そして源頼朝によって滅ぼされるまで、京都の都と同じような絢爛豪華できらびやかな文化が花開きました。東北地方で産出された金などをふんだんに使用したきらびやかで大きな仏像もたく作られています。今はその面影をその仏像たちや世界遺産に登録された金色堂や境内と数々の文化財に触れられる貴重な場所でもあります。

江戸時代にこの地を訪れた松尾芭蕉は奥の細道に

五月雨の 降(ふり)のこしてや 光堂 (金色堂)

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

と有名な句を詠んでいます。

中尊寺へのアクセス

 

 岩手県平泉にある中尊寺へはJR平泉駅から歩いて25分ほどかかりますが、東北新幹線一ノ関駅から中尊寺行のバスや盛岡方面の路線バスもたくさん出ていますのでバスで行かれるのも便利です。また近くにある毛越寺(もうつうじ)や達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)、厳美渓(げんびけい)などの観光地を回る周遊バスも運行していてとても便利なところです。さすが世界遺産登録された効果ですね。

 

 陸羽街道(国道4号)に面した入り口から大きな杉並木の続く緩やかな坂(月見坂)の参道を登っていくと中尊寺の八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂、本堂、不動堂、峯薬師堂、大日堂、弁天堂などたくさんのお堂が次々と並んでいます。

仏像ファンお目当ての「讃衡蔵(さんこうぞう)」「金色堂(こんじきどう)」「経蔵(きょうぞう)」「旧覆堂」などの建物は奥の方にまとまって建っています。

 

中尊寺の駐車場

中尊寺周辺に、3ヶ所が設けられています。

中尊寺第1駐車場、中尊寺第2駐車場、坂の上駐車場です。メインは、中尊寺第1駐車場で、中尊寺に一番近い駐車場は坂の上駐車場です。一番近いですが、階段を登る必要があるため、足腰の弱い方にはお勧め出来ません。その場合、中尊寺第1駐車場、中尊寺第2駐車場をご利用ください。

 

中尊寺の歴史

 

 中尊寺は日本から唐に渡って長い修業を終えて帰国した天台宗の高僧である慈覚大師(円仁)により平安時代の850年創建されたといわれています。慈覚大師の創建が伝えられている寺は関東や東北に500以上あるといわれており、」中でもこの中尊寺を始め、山形の立石寺(りっしゃくじ)や松島の瑞巌寺(ずいがんじ)は特に有名です。

 

 その後この地を支配した阿倍氏清原氏などと大和朝廷との間で前九年の役・後三年の役などが起こりますが、この争いの後に清原氏などが所有していた奥六郡(岩手県中南部を陸奥の豪族であった藤原清衡(ふじわらのきよひら)が受領して奥州藤原氏が中心となって、ここに京都の都を模したような藤原文化が花開きました。

 

中尊寺は奥州藤原氏初代の清衡(きよひら)が1105年に平泉に住居を移して寺塔や数々の建物を造営して一大伽藍を造りました。そして清衡亡き後も二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)と藤原三代にわたってここに一大仏教文化が花開きました。奥州藤原氏の建てた当時の建物として現在残っているのは、1124年に建てられた金箔で輝くまばゆいばかりの金色堂だけですが、吾妻鏡(あずまかがみ)によれば、その他に多宝塔や二階大堂(大長寿院)などの塔やお堂が40ほどあったそうです。この二階大堂は阿弥陀堂であり、現在の白山神社の西にあったといわれており、建物の高さは五丈(約15m)、本尊の阿弥陀如来像は三丈(約9m)あって金色に輝いていたといわれています。

しかし、源頼朝(みなもとよりとも)が平家を破り政権を掌握した時に、実弟である義経(よしつね)討伐に動きます。義経はここ奥州藤原氏を頼ってやってきます。もうこれは涙ながらのお話はみなさんよくご存知ですね。

 

 

この義経が平泉に逃げてきたのが1187年1~2月頃です。その年の10月に藤原秀衡が死去してしまいます。この跡を継いだのが藤原四代泰衡(やすひら)でしたが、最初は父の命を守って義経を匿い、頼朝と対立していましたが、頼朝の再三にわたる圧力に屈して、泰衡義経を自害に追い込みます。しかし、奥州藤原氏を邪魔に思っていた頼朝は1189年に奥州追討令を発します。これにより奥州藤原氏は四代で滅びました。

ではその後中尊寺はどうなったかというと、この戦で寺は衰退していきましたが、この仏教文化は素晴らしいもので1213年に鎌倉幕府により中尊寺の修復が始まり、1288年には金色堂の修理が行われ、金色堂をかぶせるように覆堂(おおいどう)か造られました。しかし残念なことに1337年に野火による火災で金色堂と経蔵の一部を残して多くの建物が消失してしまいました。その後は江戸時代に仙台伊達藩の所領となり、参道の杉並木や、現在の建物などの多くが整備されました。

 

1929年に国宝保存法が新たに施工され、この金色堂は国宝登録第1号の1つとなりました。

また1926年には文化財保護法による国宝建造物第1号にも指定され、1979年には寺の境内が国の特別史跡に登録され、2011年には世界遺産に登録されました。

金色堂と共に残った経蔵は1108年に建立された経典などを保管するための建物。中尊寺には貴重な国保にも指定されている国宝指定の八角須弥壇(はっかくしゅみだん)、金銀字交書一切経(きんぎんじこうしょいっさいきょう)等がここに保存されていました。本尊は騎師文殊菩薩(きしもんじゅぼさつ)で現在は、経文などと共に宝物館讃衡蔵(さんこうぞう)に保管され、展示されています。

 

中尊寺金色堂のミイラ?!

ミイラのイラスト

少しびっくりさせてしまうかもしれませんが、金色堂にはミイラがあります。

ミイラの正体は藤原氏ご本人金色堂はいわばお墓です。

中央壇には清衡、右壇には基衡、左壇には秀衡の遺体(ミイラ)が安置され、その下には藤原四代の首桶(くびおけ)がおかれています。

1950年に人類学者で東北帝国大学名誉教授の長谷部言人さんを団長とした調査チームにより学術調査がおこなわれ、ミイラ状態の藤原氏の姿が写真に収められています。調査以降の公開ということは特にされておりませんし、今後もよほどのことがない限り公開されることはないと考えます。

私も一度その調査風景の貴重な映像を拝見させていただいたことがありますが、平安時代の偉人たちの姿が現存していることに衝撃を受けました。今でも残る藤原氏の肉体と、極楽浄土への浄土信仰の有り様をリアルな体験として感じることができる場所です。

ミイラがあるなんて呪われている?!と考える人もいるかもしれませんが、これが平安時代の人々の願いの形なのです。そういう意味でも金色堂はまた特別な存在なのです。

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中尊寺の仏像の詳細

金色堂は奥州藤原氏4代の墓堂でもありますが、阿弥陀堂として貴重な仏像を安置しています。金色堂はガラスケースに収納し、外気に触れないようにしています。金色堂内部は中央壇、左壇(向かって右側)、右壇(向かって左側)の3つの須弥壇(しゅみだん:本尊を安置する壇)があります。

 

中尊寺金色堂(こんじきどう)の仏像

 中尊寺金色堂は1124年に藤原初代清衡により建立された仏堂で、国宝に登録されています。現在は1965年に建設されたコンクリート製の覆堂(ふくどう又は、おおいどう)におおわれています。その前までは現在この堂の裏手に置かれている鎌倉時代(1288年)に作られた旧覆堂で保護されていました。

3つの須弥壇には一部無くなっている像もありますが、それぞれ、阿弥陀三尊像を中心に地蔵菩薩像(六地蔵)、持国天、増長天の二天像の11躯(く)を配置しています。

像の製作年代はそれぞれ1124年頃(清衡の晩年)1157年頃(基衡の没後)1187年頃(秀衡の没後)の時期です。定朝(じょうちょう)様式をもった平安時代の貴重な仏像です。

このうち金色堂が建立された1124年頃の作とみられる11躯はすべてヒノキ材が使われ、寄木造または一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり:一木を木目に沿って割って内側をくりぬいてからまた貼り合せる製法)で作られています。また1157年頃の仏像はカツラ材の一木割矧造で、1187年頃の仏像はヒバやヒノミ材などが混在している一木割矧造です。像高は50~70cmほどです。また全部で33躯の仏像があったはずですが、現在残っているのは31躯です。また一回り小さな阿弥陀像が混ざっており、江戸時代に盗難にあって金色堂以外から別な像を移したとも言われています。

仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期にこの地方で多くに人々が戦い(前九年の役、後三年の役)で亡くなりました。後にこの地方を治めた藤原清衡公がこれらすべての人々の魂を極楽浄土に導くよう願ってこの中尊寺は建立されたものと考えられます。

昭和37年 中尊寺金色堂の修復の貴重な映像です

 

中尊寺讃衡蔵(さんこうぞう)宝物館の諸仏

中尊寺讃衡蔵は1955年に建設され、2000年に新しく建て替えられました。中尊寺の多くの宝物を一度に見学できる場所です。

讃衡(さんこう)とは奥州藤原氏の名前につく「衡(ひら)」を賛美して残すという意味でつけられました。そのためここには、平安期の仏像、中尊寺経(国宝)、奥州藤原氏のミイラなどの副葬品など奥州藤原氏が残した文化財3000点程が収蔵されています。

それでは展示物を紹介していきましょう。

まず目に飛び込むのは入り口正面に大きな丈六仏(坐像なので約2.4m)の阿弥陀如来三尊(坐像)です。

 

阿弥陀如来坐像(中央)(重要文化財)

像高は2.68mで平安時代末期の桂の木の寄木造りの定朝(じょうちょう)様式の像です。像表面は漆箔(漆(うるし)を塗った上に金箔をはる)が施されています。中尊寺の本尊ですが、現在は本堂に新しい丈六仏「阿弥陀如来坐像」が奉納されています。

 

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薬師如来像(向かって右側)(重要文化財)

向かって右の薬師如来。像高は2.66mで同じく平安時代末期の作で、桂の木の寄木造りで漆箔が施されています。峰薬師堂の本尊だった像です。均整のとれた張りのある姿で衣紋のあしらいや表情に強さも伺えます。お堂の中には未指定ですが丈六仏の光背につけられたという言い伝えのある化仏十体が祀られています。

 

薬師如来像(向かって左側)(重要文化財)

むかって左側に祀られるのも薬師如来です。薬師如来の像高は2.65mで同じく平安時代末期の作で、桂の木の寄木造りで製作当時は漆箔が施され表面に金箔がありましたが後に修理した時に黒漆で補修されました。旧閼伽堂(あかどう)にあった像です。光背などには金箔が残されています。三尊を並べて比べるとこの像だけが黒く一目瞭然です。

おそらく修理途中だったためか体や肩、膝、各部材を金具で止めている様子がはっきりと見えるため、寄木造の典型的な構造がわかりやすい仏像になっています。

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大日如来坐像(重要文化財)

大日如来は像高95cmの大日如来像です。平安時代末期の作です。中尊寺にはここともう一か所(大日堂)合わせて2体の大日如来像が安置されています。

 

千手観音菩薩立像(重要文化財)

像高174cmで平安時代末期の作です。木造十一面の観音菩薩で手の数は32本です。

その他仏像以外にも平安時代後期の国宝や重要文化財など多くに貴重な文化財が保管展示されています。拝観券も金色堂・経蔵・讃衡蔵がセットとなっていますので、ぜひじっくりと訪れたい場所です。

騎師文殊菩薩像(きしもんじゅぼさつぞう)と四眷属(けんぞく)像(重要文化財)

像高70.6cmの黒色の獅子に乗った金色の文殊菩薩像とその4人の従者として優塡王(うでんおう)、善財童子(ざいぜんどうじ)、婆藪仙人(ばすうせんにん)、仏陀婆利(ぶっだばり)の四眷属像です。経蔵の本尊です。共に平安時代後期の作です。ヒバ材の一木造です。この文殊菩薩と眷属の姿はこの寺を建てた慈覚大師が唐で修業していた時に目指した五台山への旅姿を現したものと伝えられています。

 

 

さてもう一つ重要な中尊寺の秘仏を紹介します。

【秘仏】一字金輪仏頂坐像(いちじきんりんぶっちょうざぞう)

この像は中尊寺の秘仏とされ重要文化財に指定されています。奥州藤原氏三代秀衡の念持仏と伝えられる仏様(12世紀の作)です。一般公開も数年に1度しか開催されず、間隔も一定ではありません。展示は讃衡蔵の通常の展示室とは別な秘仏室にて行われます。

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この像は諸仏の頂点であり真言密教の最強の仏様だといわれています。像高は76cmほどですが7頭の獅子が彫られた台座(昭和に製作)に乗っているのでかなり高く感じます。

体は粉で白く塗られ(17世紀の修善時)、顔もふんわりやわらかな化粧が施されているようです。目は細く唇は赤く紅をさしているようです。やわらかな人間の肌のようなので「人肌の大日如来」とも呼ばれて、美しい仏像の代表とみられています。

 

一字金輪仏頂尊はほとんど公開されているものがない秘仏で、一般には仏画に表されることが多く仏像に現されるのはきわめて稀です。ただ中尊寺の像も正面から見ると立体的な仏像ですが、後ろ半分は平たくなっていて壁掛け用に作られたのではないかともいわれています。

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以上、中尊寺の歴史や仏像のご紹介でした。
参道の入り口から中尊寺まで続く月見坂は坂道ではあるものの、杉が両脇に立ち、清々しく姿勢が正される気持ちになります。是非、歴史や自然に触れてみて下さい。

 

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中尊寺の御朱印

 

中尊寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

関山中尊寺

宗派

天台宗東北大本山

住所

〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202

電話

0191-46-2211

拝観時間・料金

8:30~17:00(3月1日から11月3日まで、年中無休)
8:30~16:30(11月4日から2月末日まで、年中無休)

大人800円、高校生500円、中学生300円、小学生200円
30名以上(1割引)、100名以上(2割引)

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