【見仏入門】No.15 京都府左京区・永観堂の仏像/阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)、紅葉ライトアップなど


 永観堂(えいかんどう)は京都東山にある平安時代から続く古刹で、寺の正式名称は「禅林寺(ぜんりんじ)」といいます。京都の秋のもみじの名所はいくつもありますが、昔から「もみじの永観堂」とうたわれる京都屈指の名所です。

 

 

永観堂の見どころ

 

11月中旬過ぎから境内の3000本のもみじがライトアップされ、回遊式庭園池や多宝塔、御影堂などとのマッチングがその美しさを際立たせます。また高台から京都の町が良く見えるのです。また寺宝展もこの時期に開催されます。

 

 

この紅葉を目当てに何度もこの寺を訪れる観光客もたくさんいるのです。

でもなんといっても「みかえり阿弥陀」と呼ばれる阿弥陀像があることが最大の魅力です。

 

江戸時代初期に菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が描いた浮世絵「見返り美人」は切手にもなっていて、多くの方が知っていると思いますが、この永観堂の本尊である「みかえり阿弥陀」さまを拝観すると、見返り美人ならぬ「みかえり阿弥陀」のその色っぽさに思わずついて行きたくなりますよ。

阿弥陀様は極楽浄土に案内してくれる仏様ですので、私のようにまだこの世に未練のある方は、「その時が来るまで何度もお参りに来ますから、もう少しお待ちください」とお願いして、ついていくのはもう少し先に延ばしましょうね。

 またこの阿弥陀さんが、今のように後ろを振り向く姿をしているのにはある逸話が残っています。

 

なんでもこの寺の11代住職の僧・永観(ようかん)が行道念仏(ぎょうどうねんぶつ:仏の周りを、念仏を唱えながらまわる行)をしている時に須弥壇に安置されていた阿弥陀如来が突然降りてきて、前を先導して歩き出したのです。

そして驚いて立ち止まってしまった永観(ようかん)を叱るように振り返った阿弥陀様は「永観遅し」と言ったというのです。それ以来この寺の阿弥陀如来像は首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだそうです。

 

ところで僧の名前は「永観」ですが、読みは「ようかん」が正式なのだといいます。この永観の名前をつけて呼ばれている寺の名前は「永観堂=えいかんどう」です。

 

 

永観堂の紅葉情報(ライトアップ)

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毎年11月中旬~12月上旬にライトアップが行われます。ライトアップ期間は、11月上旬~12月上旬です。
以下のお時間帯で拝観が可能です。9:00~16:00、17:30~20:30(閉門は21:00)

永観堂の紅葉はとても有名で、全国各地から客足が途絶えません。
紅葉のスケールは圧巻するものがあり、京都の他のお寺と比べても上位にランクインするほどの評判を得ています。

くわしくは永観堂のホームページをご確認ください。

永観堂へのアクセス

 

 通称永観堂(えいかんどう)こと「禅林寺」は京都市東山(左京区)にあります。

平安時代から続く古刹で、寺の正式名称は「禅林寺(ぜんりんじ)」で、浄土宗のお寺です。

 

JR京都駅から市バス(5系統)で「南禅寺永観堂道」下車、徒歩3分で山門に到着します。境内はかなり広く、大きな池を持つ庭園および、東山の斜面には数多くのもみじが植えられ、春には若葉が目にしみ、晩秋にはいっせいに赤く色づいた紅葉で全山が覆われます。紅葉シーズンには夜間のライトアップも行われるので、境内奥の「多宝塔」辺りから京都も市街地の灯りを眺めるのも特別な思いに駆られますよ。

 

ただ、この紅葉シーズンの休日となると多くの人が訪れるため、ご本尊のみかえり阿弥陀像を拝観するのに1時間以上待たされるということもありますので気をつけてくださいね。

 

“もみじの永観堂”と呼ばれて親しまれてきましたが、歴史は古く、古今集にもこの山の斜面にある「岩がき紅葉」が歌われています。

平安神宮の東に当たり、寺の南には「南禅寺」があります。

また浄土宗の総本山である「知恩院」は1kmほど京都駅よりにあります。

また、哲学の道とつながっており、銀閣寺の方にも歩いていけますよ。

 

永観堂の駐車場

永観堂には総門のすぐ近くにバス9台・自家用車20台ほどが停車できる無料駐車場があります。
しかしながら人気のためすぐに埋まってしまいますし、秋の寺宝展開催期間、駐車できなくなってしまいます。

その場合、徒歩13分と少し離れますが岡崎公園駐車場であれば比較的余裕があるので、有料ではありますがもし永観堂の駐車場が満車になった場合はこちらの駐車場を利用することを想定したほうがいいかもしれません。

しかし秋の紅葉シーズンは超人気スポットであるため岡崎公園駐車場も人気のためすぐ満車になる可能性があります。
その場合は山科駅前駐車場に駐車し、山科から蹴上まで電車のご利用、もしくは路線バスの利用をご検討いただければと思います。

 

永観堂の歴史

 平安時代前期の853年に、僧「真紹(しんしょう)」は公家の故藤原関雄(ふじわらのせきゆう)が所有する別荘を買い取り、尊像(毘盧遮那仏と四方四仏)を安置して、真言宗密教の道場としました。

 

その10年後の863年に清和天皇より定額寺(じょうがくじ)として正式な寺としての許可を与えられ、「禅林寺(ぜんりんじ)」となりました。当時京都では勝手に私寺を造る事は認めていなかったのです。「定額寺」とは国分寺などの官寺に次ぐ寺格の寺を呼んでいました。

真紹は、10歳で空海に師事して密教修学を開始

僧「真紹(しんしょう)」は、空海(弘法大師)に師事して真言密教を学び

平安時代前期の僧「真紹(しんしょう)」は空海(弘法大師)に師事して真言密教を学びました。843年には東寺(教王護国寺)の実恵(じちえ)阿闍梨(あじゃり:弟子を教える規範となる高いくらいの僧)から後継者として灌頂(かんじょう:頭に水をかけて、悟りの位に進んだことを証する儀式)を受け、日本真言宗の第3番目の阿闍梨となった人物です。ですからこの「禅林寺(永観堂)」は真言宗密教の道場として始まりました。 それが、法然を開祖とする浄土信仰の念仏寺に変わっていったのは、中興の祖といわれている平安時代後期の7世住持の永観(ようかん)律師の時だといわれています。

 

永観は11歳で禅林寺の深観(花山天皇皇子)に弟子入りし、東大寺で南都六宗のうちの三論宗を学び、特にその中の浄土の教えに感銘を受け、熱烈な阿弥陀信者となって、6万遍の念仏を唱えることが日課となったといいます。

そして、1072年に師深観の跡を継いで禅林寺に戻った永観(40才位?)は人々に念仏を勧め、1097年には寺内に薬王院(現東五条の悲田院の近くの薬王寺)を建て、阿弥陀像を安置して、病人救済の施療所を設けています。

正式に浄土宗となったのは、鎌倉時代の住職・静遍(じょうへん)僧都が法然上人の教えに帰依したことから浄土宗となりました。

静遍も元々は真言宗の僧で後に法然の熱烈な信者となったようです。

この禅林寺も法然(ほうねん)を11世として譲り(法然は実際にはこの寺には住していない)、静遍は12世となっています。

 

 

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)が今のような後ろを振り返るお姿になった逸話については先に述べていますが、この時期は、永観が禅林寺の住職となって10年後の1082年で、永観50歳の時だと伝わっています。

 

それまで正面を向いていた阿弥陀様が突然後ろに首をひねったら戻らなくなってしまったようです。今でも「永観遅し」といって振り返ったままなのですね。永観は1111年に79歳で亡くなっています。今では浄土の世界からこの「みかえり阿弥陀様」をどのような思いで眺めておられるのでしょうか?

 

きっと日頃から信心していれば、あの世からのお迎えが来るときには私についていらっしゃいねとやさしく微笑む阿弥陀様の横顔は、熱心に拝む信者の心を捉えて放さないのだと思いますよ。慈悲深いですね。

 

ところで浄土宗の開祖である「法然」が生まれたのは1133年ですから永観が活躍していた時にはまだ今の浄土宗はありません。

 

また、15世紀後半におこった応仁の乱では、全山が被災したといわれています。

この本尊「阿弥陀如来像」(みかえり阿弥陀)が安置されている阿弥陀堂(本堂)は1597年に大坂の四天王寺に建設された曼荼羅堂(まんだらどう)を1607年に現在地に移築したものです。

 

永観堂の仏像の詳細

永観堂(禅林寺)・阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀)【重文】(平安時代末期)〈像高77.7cm ヒノキの寄木造漆箔〉

通称「みかえり阿弥陀」と呼ばれる仏像で、左側後方へ顔を見返った珍しいポーズの阿弥陀像です。また右足を少しだけ前に出して歩いている歩行の形をとっています。

優しい目鼻立ちや繊細で柔らかな丸みのある体などの作風、および構造等から平安時代末期の12世紀後半の作とみられています。作者はわかっていませんが、慶派などとは異なる系統の平安から鎌倉時代の京都の仏師による作とみられています。

像が制作された年代を12世紀後半と見ると、永観の逸話の時期よりも100年ほど後の時代になります。

 

この像がなぜこの寺に安置されているのか、これも伝説しか残されていません。

 

禅林寺のホームページによれば…
「伝説がある。東大寺開創供養の時一老翁が捧げた阿弥陀像を宮中で祀りになっていたが、やがて東大寺に下賜された『東大寺要録』。
この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたのだが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、尊像の奥深いところから呼びかける声を聞いた。永観は、「衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない」と嘆いた。これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し供養することとなった。後年、永観が東大寺別当職を辞して尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけて京都の木幡まできたところ、尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめたと言い伝えられている。」

 

しかし像の制作年代からするとこの話もやはり伝説であり、寺に来たのももう少し後の時代でしょう。

この種の「みかえり阿弥陀」の像はこの寺のものが日本では最も古く、鎌倉時代以降では山形県善光寺像などがあります。中国にはもう少し古く北宋時代(960年- 1127年)の例もありますが、この像は比較的小さな像ですが、やはり一度見たら忘れられない像には違いありません。

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以上、永観堂の歴史や仏像のご紹介でした。 永観堂は、歴史あるお寺の一つで、何といっても秋の紅葉は圧巻です。秋が深まる頃に拝観すれば、素晴らしい紅葉を見ることができ、大変お勧めです。

 

 

仏像をもっと知るには

 

永観堂の御朱印

永観堂の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺

宗派

浄土宗 西山禅林寺派 総本山

住所

〒606-8445 京都府京都市左京区永観堂町48

電話

075-761-0007

拝観時間・料金

9:00~17:00( 受付16時まで。年中無休)

一般 団体割引一般 600円 500円小・中・高校生400円 350円寺宝展開催中一般 1,000円 900円小・中・高校生400円 なし夜間拝観 600円

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