No.58:徳島県・丈六寺の仏像/聖観音坐像


四国徳島で最古の曹洞宗の禅寺といわれ、文化財が多く残されているために「阿波の法隆寺」「阿波の正倉院」などともといわれる「丈六寺(じょうろくじ)」を紹介します。

徳島の仏像といえば井戸寺の十一面観音や雲辺寺の仏像を連想される方も多いのですが、秘仏だったりしてなかなかお会いするのは難しいのが難点。。しかしこちらの丈六寺さんはとても大きな仏像にいつでもお会いすることができます。

丈六寺の創建は弘法大師空海の生まれる100年以上前とされています。
丈六寺の名前の由来はその名の通り、本尊に丈六仏の聖観音菩薩像が安置されているからです。

今回はそんな丈六寺さんの見仏入門ガイドといきましょう。

丈六寺のアクセス

 丈六寺(じょうろくじ)は四国徳島駅のほぼ真南の小松島に近い勝浦川沿いにある比較的小さな寺です。

JR徳島駅より徳島市営バスで「八多」または「五滝」または大久保」行きで約30分、「丈六北」バス停下車、徒歩2~3分です。又は徳島駅からJR牟岐線(阿波室戸スカイライナー)で地蔵橋駅または中田(ちゅうでん)駅下車、徒歩30~40分くらいです。このJR牟岐線では、ウミガメの産卵地として知られた日和佐(ひわさ)等にも行けますので観光して回るのも良いのではないでしょうか。

古びた山門前の参道は秋には黄葉のトンネルのようになります。境内も楓の巨木が赤・黄に染まり、紅葉の穴場ともいわれています。しかし、本堂や観音堂など重要文化財に指定されている多くの建造物が、普段は扉が閉まっていて外部からの見学しかできません。

毎年11月1日から3日間のみ特別公開として、観音堂や経蔵(きょうぞう)などの扉が開かれ、本堂・書院・庭園などが公開されます。ただ仏像自体はとても大きいので、外陣からでもしっかりと拝むことは可能ですよ。

丈六寺の歴史

丈六寺(じょうろくじ)は寺伝によれば、白雉元年(650年)に関東地方よりたどり着いた尼僧(天真正覚尼)が、この地に庵を構えた尼寺(淨楽寺)として始まり、朱鳥年間(688~700年)に丈六の観音像が安置されて、名前を淨楽寺から丈六寺に改められたと伝えられています。

その後衰退している時期もあったようですが、室町時代の中期1466年に阿波国、讃岐国、三河国の守護職であった細川成之(しげゆき)が、芸州(げいしゅう:安芸国、現広島県)洞雲寺(とううんじ)の僧・金岡用兼(きんこうようけん)禅師を招いてこの寺を再興して、真言宗から禅宗寺院(曹洞宗)に改め、寺領200石を寄進して再興に当たったといわれています。

金岡用兼は讃岐国(現香川県)生まれの僧で、厳島神社の神主であった藤原教親を開基として現広島県廿日市市に洞雲寺(とううんじ)という曹洞宗の寺院を創建しました。

この用兼(ようけん)禅師がこの寺の曹洞宗としての開山とも言われます。また用兼禅師は各地の行脚し、途中没しますが墓はこの丈六寺にあります。江戸時代には、徳島藩の蜂須賀家が代々、この丈六寺を庇護し、伽藍を整備しました。このため、境内には細川成之(しげゆき)・持隆・真之の墓や、蜂須賀家の家臣の墓も多く残されています。

また、この寺には「血天井」というすこし生くさい名前の天井が残されていて有名です。この血天井があるのは、寺の境内にある「徳雲院」という古びた建物の回廊部分の天井板です。この建物は細川持隆(もちたか)が瑠璃殿として寄進した建物を、1563年に細川真之(さねゆき)が改築し、自身の法名である徳雲院という名に改称したものです。

話は戦国時代の末期の事です。四国では土佐の長宗我部元親もとちか)が四国を平定しようと阿波国に踏み込んできました。

那賀郡の富岡まで攻め込んできたのですが、この地には牛岐城(富岡城)城主の新開遠江守忠之新開入道道善は知力のある猛勇として知られており、なかなか攻め落とすことができませんでした。そこで元親は策をめぐらし和議を申し入れました。

和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという道善にとっては好条件を提示したのです。この和解条件をのんだ道善と元親は、1581年11月に丈六寺で和解の酒宴が開かれました。

道善が部下と共に酒宴で大いに飲んで、夕刻に宴を辞して帰ろうと部屋を出たところ、縁側に隠れていた元親の家臣により襲撃されたのです。道善も応戦したのですが、多勢に無勢で全員が殺害されてしまいました。

この時の手形や足形の血痕が縁側にのこり、この血の跡はその後も、いくら拭っても消えなかったと言われています。そのことを後世に残そうと後に、この縁側の板を徳雲院の天井板に使用したのです。血天井は徳雲院の堂内ではなく回廊部分にあり、ほとんど雨ざらしに近い状態で置かれています。

しかし、この和平話もどうやら正確には少し違っているようです。

道善は阿波国守護の細川氏に仕え、さらにそれに代わって実権を握った三好氏と縁戚を結ぶなどして阿波の豪族として知られていましたが、長宗我部軍が阿波に侵攻してくるとついに長宗我部元親の軍門に下り、阿波統一に力を貸すことになりました。そして、統一をほぼ成し遂げた元親は道善を論功行賞の話と称して丈六寺へ呼び寄せ、酒宴を開いたともいわれています。そしてここで酒宴後に隠れていた元親の家来たちに切り殺されてしまったのです。

このような話は戦国末期に全国各地を統一していく過程として各地に残されています。元親にとっては、道善の力が将来自分にとって禍になることを恐れていたのでしょうね。

丈六寺の仏像の詳細

聖観音坐像【重文】(平安時代末期 割矧(わりはぎ)造り)〈像高3.1m〉

この像の大きさは、立ち上がれば背丈が1丈6尺(約4・85メートル)になることから「丈六仏」と呼ばれ、寺号の由来となっています。寺伝では丈六物がこの寺に安置されたのは朱鳥年間(688~700年)とされていますが、この本尊の聖観音坐像の制作されたのは平安時代末期と見られています。

2015~2017年にかけてこの像の本格的な修理が行われました。それにより、これまでヒノキの寄せ木造りとされていたのですが、製法は一本の木から彫られた「割矧(わりはぎ)造り」という技法が使われていたことが判明しました。像を前後半分に割って中をくりぬいたものです。

また以前修理した時に高さ32cmほどの胎内仏が発見され、現在は宝物館に納められています.。

聖観音はみなさんも馴染みのある仏像かと思いますが、立像(りゅうぞう)といって立っている姿をしていることが多くあります。

こちらの丈六寺の聖観音は大きな観音像ということだけでなく珍しい座っている姿をしているのも特徴的です。

何事も基本は大事なのです。観音さまには千手観音や十一面観音などいろんな種類がありますが、やはりその基本となる原型の観音さまのことを知らずして観音菩薩は語れま...

丈六寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

瑞麟山慈雲院 丈六寺

宗派

曹洞宗

住所

〒771-4263 徳島県徳島市丈六町丈領32

電話

088-645-0334

拝観時間

外陣からであればいつでも可

拝観料金

志納

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