No.63:高知県・竹林寺の仏像/文殊菩薩侍者像、阿弥陀如来立像、千手観音立像、薬師如来坐像、ご朱印など


四国土佐(高知)の竹林寺四国霊場第31番札所ですが、中国の霊峰五台山から名前が付けらえた高知県の五台山(標高146m)の上に建っています。

上からの眺望は素晴らしく、まさに360度パノラマの世界が広がります。

山頂には展望台があり、公園となっていて桜やツツジの名所でもあり、世界的植物学者である牧野富太郎博士の偉業を記念して作られた県立牧野植物園や記念館もあります。

竹林寺には土佐の文殊といわれる文殊菩薩像(秘仏)があり、京都・切戸(きれと)の文殊、奈良・安倍(あべ)の文殊とともに「日本三文殊」の1つと言われています。四国88ヶ所霊場で文殊菩薩を本尊としているところはここだけです。

また宝物館には仏像が17体安置されており、そのすべてが国の重要文化財に指定されています。

境内にある庭園も夢窓疎石(むそうそせき)が造園したと伝えられる庭で、高知県三名園の一つといわれ、国の名勝指定を受けています。

文殊菩薩は知恵を授けてくれる仏様ですので、素晴らしい眺めと歴史ある寺を鑑賞して、頭が良くなるようにお詣りしてはいかがでしょうか。

もくじ

竹林寺へのアクセス

竹林寺のある五台山の上までは、JR高知駅からMY遊バス(高知市内観光周遊バス)で26分 竹林寺前下車すぐです。このバスは高知駅から「はりまや橋」「五台山」を通って「桂浜」までの往復です。休日以外は少し本数が少なくなります。

路線バスもありますが、不便でもありこのMY遊バスの1日乗車券の方が便利でお得です。市内の観光施設や飲食店などの割引サービスもついています。片道(高知駅→五台山→桂浜)だけの利用も可能で、桂浜から路線バスで直接高知駅に帰ることもできます。

自家用車なら高知自動車道 高知ICから約20分ほどです。山への上り下りはそれぞれ一方通行になっていますので注意してください。

中国の五台山に似た山を行基菩薩が日本で探して、ここに寺を建てたといわれていますが、中国の仏教の霊山「五台山」は標高3000m程あるのに対し、こちらの山は標高146mです。ただながめはよく、お遍路道で山に登ってみるとかなりの急坂です。

竹林寺境内で売られている「竹林寺羊羹」は、竹筒のような容器に入っていて、お遍路さん向けに考え出されたものですが、おやつ代わりに食べながら歩けますよ。

宝物館と竹林寺庭園は有料ですが、券は共通で使えます。

また、高知と言えば「南国土佐を後にして」の歌でなじみ深い「はりまや橋」ですが、この歌に出てくる「純信・お馬の悲恋物語」(江戸時代末)は意外に知られていません。純信はこの竹林寺脇坊(南の坊)の修行僧をしていた時(37歳)に20歳も年下の鋳掛屋の娘「お馬」(17歳)と禁断の恋に落ちます。

 

はりまや橋にある小間物屋で「坊さん かんざし買うを見た~」の歌詞にあるようにかんざしをお坊さんが買ったのですが、実はこれを買ったのは純信ではなく、若いお弟子「慶全」という修行僧だったといいます。慶全がお馬に恋してかんざしを買い、お馬に贈りますが、お馬は慶全の師匠でもあった純信(じゅんしん)に恋してしまい相手にされず、当時お坊さんは妻帯が許されていなかったので、純信がかんざしを買ったと嘘のうわさを広めてしまいました。そして、いたたまれなくなった純信とお馬は駆け落ちしますが、2人は捕まり、晒し者にされて国外追放されたのです。こんな悲しい恋物語なのです。

竹林寺の歴史

竹林寺の創建された年はよくわかっていませんが、寺伝によれば奈良時代の724年に、聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見たので、天皇は行基菩薩に(文殊菩薩の霊山とも言われる)中国の五台山に似た山を国内で捜すように命じました。行基はこの土佐の山が霊地であると感得して、栴檀(せんだん)の木に文殊菩薩像を刻んで、その山上にお堂を建てて文殊菩薩像を安置したといわれています。

その後、大同年間(806 – 810年)に空海(弘法大師)がこの地で修業し、荒廃した堂塔を修復したと伝わっています。

中世以降は武家の信仰も厚く寺運も隆盛し、1318年に当地に滞在していた夢窓疎石が現在の池のある庭園を造園し、この庭は江戸時代初期に大きく手が加えられています。しかし、巨石や池泉を配した庭の形は当初の痕跡は各所にみられます。

江戸時代に土佐国を治めることになった山内一豊は、掛川城から浦戸城に移りますが、浦戸城が狭いために現在の高知城がある大高坂山に城を築きました。そして城の名前を「河中山城」(こうちやまじょう)と名付けられました。しかし、2代目の山内忠義は当時洪水に悩まされており、この名前を嫌い、この竹林寺の空鏡上人に頼んで「高智山城」と変更したのです。

それが次第に「高知城」と呼ばれるようになりました。そして城下の町も「高知」になったのです。

江戸時代は土佐藩の藩主祈願寺となり、寺の建物も整備され、僧侶の学問所として土佐の宗教・文化の中心的役割を担う寺として発展してきました。

「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。ここには秘仏の文殊菩薩像が安置されています。

しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で一時衰退しましたが、その後、建物(伽藍)の復興整備を進め、現在は、山全体が県の公園となっていて桜やツツジなど花も咲き、緑豊かな場所として親しまれています。寺も四国霊場第三十一番札所として多くの参拝者が訪れています。

竹林寺の仏像の詳細

竹林寺には藤原時代から鎌倉時代にかけての仏像17体(すべて重文)が所蔵されています。
ご本尊の文殊菩薩像(秘仏)を除いて宝物館に安置され、常時拝観できます。

文殊菩薩像【重文】(平安時代後期 クスの一木造、彩色)〈像高60.4cm〉≪秘仏≫

文殊菩薩像は竹林寺の本尊で、本堂(【重文】室町時代再建)の内陣の厨子に安置されています。この像は50年に1度の開帳で、最近は2014年に開帳されました。

 

文殊菩薩が乗る台座は2種類あり、春は江戸時代に奉納された獅子の台座に騎乗していますが、秋は平安時代の造顕当初の獅子台座(クスの一木造の獅子の上に蓮華座をのせている)の上に結跏趺坐(けつかふざ)して騎乗した姿で公開されました。

またこの室町時代の台座は侍者像4躯とともに宝物館に安置されていて常時拝観できます。

現在本堂の厨子内に安置されている文殊菩薩像は、後補された獅子台座に騎乗して安置されています。

 

寺の説明では本尊の秘仏「文殊菩薩像」は724年に寺を開創した僧「行基」によって彫られたものとしています。この本像は絶対秘仏で写真なども公開されていません。

侍者像 4躯「善財童子・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人」【重文】(平安時代後期 栴檀の一木造)〈像高:それぞれ76.0cm、75.4cm、76.8cm、77.3cm〉

 

 

本尊である文殊菩薩像の侍者像です。この4躯の像は宝物館で常時拝観できます。4体ともに首をかしげたり横向きであったりしていて、少しユーモラスな雰囲気がします。彫刻としては細かな彫は加えておらず、簡素な表現がかえって生き生きとしています。

本尊とこれらの侍者像は、唐様の系統を伝える作例として、現存する日本最古の古様の遺品といわれています。

 

阿弥陀如来立像【重文】(平安時代後期、ヒノキ材、寄木造、彫眼 彩色古色)〈像高 98.1cm〉

 

 

頭部は前後二材、体部は左右二材を矧ぎついでいます。 また内刳がされています。このため、ある時期にばらばらとなっていたものを組み合わせたとも考える見方もあります。

ただおだやかな表情で、しずかに立っている姿から平安時代末期の来迎像として優れた像といわれています。

多聞天・増長天立像【重文】(平安時代後期 クス材 一木造、彫眼の彩色)〈像高 90.9cm、93.5cm〉

 

 四天王像のうちの二天像ですが、両像は左右相対の形で造られており、当初から二天像として制作されたものと考えられています。腰から下が太めに造られており、どっしりとした印象です。足元の邪鬼を含めた台座や光背、持物などは後補されたものです。

愛染明王坐像【重文】(鎌倉時代 ヒノキ材、寄木造、彫眼 彩色)〈像高 102.5cm〉

 

像全体に前後に矧いて造られています。また内刳がされています。太造りの像で、古様な様式の数少ない作例で注目されます。現在、全身の朱彩色は剥落して木肌が見えており、台座、光背、持物などは後補です。

千手観音立像【重文】(鎌倉時代 ヒノキ材、寄木造、玉眼の漆箔)〈像高 88.2cm〉

 

頭上に十一面化仏を頂き、四十二臂ある一般的な十一面千手観音像です。

90cm弱と比較的小さな像ですが、優れた作品といえます。

薬師如来坐像【重文】(平安時代後期 桜の一木造、彫眼 素地)〈像高 104.1cm〉

この像は、後頭部、右手、膝の前部の一部が失われています。像は頭体をふくめて一材から彫りだされたもので、内刳がされています。また顔も一部に虫食いなどがあり状態は良くありませんが、しっかりとした顔立ちと、充実した体、ととのった衣文の彫りなど風格のある作品です。

十一面観音立像【重文】(平安時代中 – 後期 カヤの一木造、素地)〈像高 48.7cm〉

頭部が小さく、十一面の頭部の化仏を含め、胸飾りなども一木で彫出されています。

肩、胸を張ってりりしく立つ姿は独特の風格があります。

釈迦如来坐像【重文】(平安時代後期 ヒノキ材、一木造、彫眼、古色)〈像高52.1cm〉

頭体部を一材から彫り出しています。背面から大きく内刳がされています。穏やかな表情の像ですが、全体に虫食いなどがあります。

勢至菩薩立像【重文】(平安時代後期 ヒノキ材、寄木造、彫眼、漆箔)〈像高106.8cm〉

本像は阿弥陀三尊像の右脇侍として造られた勢至菩薩像ですが、本尊阿弥陀如来像と左脇侍の観音菩薩像は失われていて残されていません。

やや上体を前方にかたむけた立ち姿で、おだやかなお顔に、きりっとした目鼻立ちなど穏やかな中にも動きが見て取れます。 細身の体に、さっとながれるような衣文の浅い彫り口など、定朝様の作風を伝える遺品と見られています。

阿弥陀如来坐像【重文】(鎌倉時代 ヒノキ材、寄木造、彫眼の漆箔)〈像高86.1cm〉

背面は頭体部を左右に割って内刳がほどこされている割矧の像です。全体に整った衣文の彫り口は定朝様の像と見られます。

台座は寄せ集めの七重座で、大きな光背も後補です。

白衣観音立像【重文】(室町時代 ヒノキ材、寄木造、玉眼)〈像高105.0cm〉

頭部は面相部を耳前で縦に矧ぎ、背面の白衣部は二段に横に矧ぎしています。

体部は斜めに割矧いで内刳がされています。顔立ちは全体に厚ぼったい印象を受けます。

馬頭観音立像【重文】(室町時代 ヒノキ材、寄木造、玉眼)〈像高99.5cm〉

三面三目二臂の立像で彫刻としての例はあまり多くありません。

頭の馬頭は付根で矧ぎ、三面とも面相部を矧付けして、首はほぞで体部にさししています。

大日如来坐像【重文】(室町時代 14世紀末頃 ヒノキ材、寄木造、玉眼の漆箔)〈像高61.8cm〉

本像は14世紀末頃の作と見られています。どっしりとした太造りの坐像です。

胎蔵界の大日如来は、通常は上半身裸形に条帛(じょうはく)をつける姿が一般的ですが、本像は偏袒右肩(へんたんうけん:僧が相手に恭敬の意を表する方位の着方で、右肩を肩脱ぎにし、左肩のみを覆う)の法衣をつけ、右腕に腕釧(わんせん:法具)を彫出しています。これは如来形と菩薩形が入り交じった形式といえます。

大威徳明王【重文】(鎌倉時代 ヒノキ材、寄木造、彫眼の彩色)〈像高 145.3cm〉

 

 

大威徳明王(だいとくみょうおう)は密教における五大明王の1つで、
西方の守護仏といわれています。6面,6臂,6足で忿怒形に表わされ、水牛に乗る姿が一般的です。この像もその特色で造られていますが、五大明王の一つとして作られたものなのか、それとも独立像として造られたものなのかははっきりしません。

竹林寺のご朱印

 

竹林寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

五大山金色院 竹林寺

宗派

真言宗智山派

住所

〒781-8125
高知県高知市五台山3577

電話

088-882-3085

拝観時間

8:30~17:00

拝観料金

400円

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