奈良・法隆寺の仏像|金堂の釈迦三尊・百済観音・夢殿の救世観音に会う(拝観料・時間つき)

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。正岡子規の句で、お寺の名前だけは知っている、という人も多いはずです。
奈良県斑鳩町。南大門をくぐり、中門の脇から回廊に入ると、金堂と五重塔が並ぶ西院伽藍に出ます。西院から東大門を抜けて石畳を東へ進むと、八角形の夢殿が建つ東院伽藍です。境内は約18万7千平方メートル。1993年には日本で最初の世界遺産の一つになりました。
仏像の側から見ると、ここは日本の仏像の「物差し」を手に入れる場所だと私は思っています。飛鳥時代の像がこれだけまとまって残る寺は、ほかにありません。ここで古い顔と体つきを目に入れておくと、あとで地方の寺の古い像の前に立ったとき、「法隆寺の釈迦さんより柔らかいな」「ここは似ているな」と比べられます。この記事では、まず見る3つを軸に、金堂の四天王、五重塔の塑像、大宝蔵院までを順に歩きます。


拝観券は、西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍(夢殿)の3か所がひと続きの1枚です。歩いてまわるだけでも最低1時間半は見ておきたい広さなので、時間には余裕をもたせてください。

法隆寺金堂・釈迦三尊像:日本の仏像の物差しになる顔

法隆寺に「本堂」はなく、金堂が本堂にあたります。内陣は3つに分かれ、中の間に釈迦三尊像、東の間に薬師如来像、西の間に阿弥陀三尊像が安置されています。

まず見てほしいのは、中尊の口元です。両端がほんのわずかに上がっている。笑っているとも、笑っていないとも言い切れない。この微かな笑みをアルカイックスマイルと呼びます。目は、杏の種のようなカーブを描いています。
私は、この顔を飛鳥時代の「基準の顔」だと思っています。左右対称で、正面をまっすぐ向き、衣の裾は絵のように平らに広がる。ここを基準にしておけば、あとで出会う像が、基準からどちらへ動いたのかが見えてきます。

仏像リンク編集部MEMO 📝


光背の裏には銘文があり、623年に止利(とり)仏師が造ったことが読み取れます。作者と年が銘文で分かる、日本の仏像の中でもとくに古い例です。聖徳太子の追善のために造られた像とされます。

堂内は暗く、像との間に距離があります。細部は、少し時間をかけて光に慣れてから追うのがおすすめです。中尊の両脇には、イラン風の冠をつけた脇侍が立ち、寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩とされます。ふつうは左右対称に造られる脇侍が、この三尊ではどちらも同じ構えを見せています。
釈迦如来さんがどんな如来なのかは、こちらの解説にまとめています。
名称: 銅造釈迦如来及両脇侍像(国宝)〈止利作〉
時代: 飛鳥時代(623年)
像高: 中尊87.5cm、左脇侍92.3cm、右脇侍93.9cm(左右は像から見たとき)
材質: 銅造、鍍金(金銅仏)
特徴: 杏の種のような目と、口元の微かな笑み。ひとつの光背に3体が入る一光三尊形式。左右対称の衣の裾。
金堂の薬師如来坐像:似ているのに、違う

東の間の薬師如来さんは、光背の裏の銘文を信じれば607年の造像で、釈迦三尊像より古いことになります。ただ、造像年には疑問の声があり、作風や技法から7世紀後半とみる説もあります。像高は63.8cmの金銅仏です。
中尊の釈迦如来さんの顔に、どこか似て見えます。並べると、こちらのほうが丸顔で、衣の紋様のあらわし方も違います。同じ飛鳥の像でも、1体ずつ顔つきが違う。この「似ているのに違う」が分かると、見る目が一段細かくなります。
金堂の四天王立像:踏まれる側の顔を見る

金堂の四隅には、国宝の四天王立像が立ちます。クスノキ材の一木造で、日本最古の四天王とされる像です。
後の時代の四天王は、怒りの表情で、暴れる邪鬼を踏みつけて動きのある姿をとるのがお約束になります。ところがここの四天王は、両脚をそろえ、静かな顔で立っています。甲冑も、後世によくある中国風の皮の甲冑とは違う古い形で、着物のような柔らかな袖が見えます。

仏像リンク編集部MEMO 📝


踏む側が静かで、踏まれる側も静か。後の時代の四天王に会ったとき、「怒りの表情」と「暴れる邪鬼」の目盛りがどれだけ上がったかが、この像で測れます。四天王さんの見分け方は、こちらにまとめています。
金堂にはこのほか、平安時代の木造毘沙門天立像と吉祥天立像(ともに国宝)も安置されています。

法隆寺大宝蔵院・百済観音像:すっと空へ伸びる細い体

釈迦三尊像が座ってこちらを見つめる像なら、百済観音像は立って、見る人の視線を上へ逃がす像です。像高は約2.1m。大宝蔵院の中ほどにある百済観音堂に立ち、体は8頭身ほどに細く、右手は肘から先を直角に曲げて手のひらを上に向け、左手は垂らして水瓶(すいびょう)を持ちます。

正面から見たあと、ぜひ横にまわってください。体が前後に薄く、すっと上に伸びています。釈迦三尊像の左右対称のかたさとは、同じ飛鳥時代でも印象が変わります。
名前の「百済」は、近世の記録に「百済から来た虚空蔵菩薩」とあったことに由来します。明治時代に、阿弥陀如来の小さな像(化仏)がついた宝冠が見つかってから、観音菩薩として「百済観音」と呼ばれるようになりました。法隆寺では明治初期まで虚空蔵菩薩と呼ばれ、金堂の北側に客仏として祀られていたといいます。和辻哲郎の『古寺巡礼』で広く知られるようになった像です。
名称: 木造観音菩薩立像(百済観音・国宝)
時代: 飛鳥時代(7世紀)
像高: 約2.1m
材質: 木造(クスノキの一木造とされる)
特徴: 細く長い体つき。右手は手のひらを上に向け、左手に水瓶を持つ。
法隆寺夢殿・救世観音像:春と秋だけ開く八角の堂

東院伽藍の中心にある夢殿は、八角形の堂です。奈良時代、聖徳太子が住んだ斑鳩宮の跡に建てられました。堂の本尊が救世観音さん。聖徳太子の等身の像と伝わります。扉が開くのは、春と秋の決まった期間だけです。

両手を胸の前で組むようにして、火焔の宝珠を持つ姿です。頭から台座、手、持物の宝珠まで一木で彫り出し、垂髪と衣の一部は別の材でつくられました。アーモンド形の目、口元の微かな笑みは、釈迦三尊像と同じ止利仏師の様式を受け継ぐといわれます。
仏像リンク編集部MEMO 📝


長いあいだ、法隆寺の僧も目にすることがなかったといいます。それが1884年、古社寺調査で訪れたフェノロサと岡倉天心によって開かれました。いまも秘仏で、扉が開くのは春と秋だけ。公開日を確かめてから行くなら、こちらのカレンダーが便利です。
名称: 木造観音菩薩立像(国宝・夢殿安置、通称 救世観音)
時代: 飛鳥時代(7世紀)
像高: 約179cm(資料により178.8cmとも)
材質: クスノキの一木造、金箔
特徴: 両手を胸の前で組み、火焔宝珠を持つ。アーモンド形の目と、口元の微かな笑み。春と秋の決まった期間だけ公開される秘仏。
その他の見どころ
中門の金剛力士像


入口の左右に立つのは、奈良時代の塑像の金剛力士像(重要文化財)で、現存する最古の金剛力士像とされます。ほぼ屋外に近い門の中で、塗りは相当に落ち、吽形像は16世紀に顔以外が木造に作り替えられました。それでも、筋肉の盛り上がりが残っています。
中門は、入口の真ん中に柱が立っているのも特徴です。この柱の謎を、一冊まるごと追った本もあります。

金剛力士像について詳しく知りたい方は、こちらもどうぞ。
五重塔の塑像群

五重塔の初層には、心柱の四方に洞窟のような舞台がつくられ、釈迦の生涯の4つの場面が粘土の群像で再現されています。国宝の塔本塑像で、711年の造像とされます。東は文殊菩薩と維摩居士の問答、北は釈迦の入滅、西は入滅後の舎利の分配、南は弥勒の浄土です。いまは金網越しの拝観になりますが、塔の初層にこうした像が残る例は、ほかにありません。
仏像リンク編集部MEMO 📝



大講堂の薬師如来坐像と四天王立像

大講堂には、国宝の薬師如来及び両脇侍坐像と、重要文化財の四天王立像が安置されています。薬師如来像は、講堂が再建された990年ごろの作と考えられ、台座から光背の先まで約4mあります。頭の盛り上がり(肉髻)が低いのは、平安時代の像の特徴です。中尊と脇侍は作風が異なり、別の仏師の手になる可能性が高いとされます。日光・月光菩薩が坐像なのも、ほかの寺ではあまり見ません。
四天王像は平安時代、10〜11世紀ごろの作で、いずれも2m前後。薬師如来さんの台座の四隅を守ります。足元の邪鬼は筋肉質で、踏まれていてもどこか余裕があります。金堂の四天王と見比べると、300年以上の時間が顔に出ます。
聖霊院の聖徳太子像

聖霊院の内陣には、大きな厨子が3間分並びます。中央に聖徳太子像、左右に侍者像4体が安置され、5体とも国宝の秘仏です。冠をかぶり、袖から出した両手で笏(しゃく)を持つ束帯姿で、正面をぐっと見据えています。公開は、3月21日のお逮夜法要のあとだけです。公開の有無は、お出かけ前に公式でご確認ください。
西円堂の薬師如来坐像と千手観音立像

西院伽藍の丘の上に建つ八角円堂が西円堂です。堂内いっぱいに座る本尊の乾漆薬師如来坐像(国宝)は、像高246.3cm。法隆寺の像の中でいちばん大きく、乾漆像としても日本最大級です。古くから「峰の薬師」と呼ばれてきました。

台座のまわりには、十二神将立像と千手観音立像(ともに重要文化財)が薬師如来さんを守っています。千手観音さんについては、こちらの解説もどうぞ。
上御堂の釈迦三尊像:3日間だけ開く扉

上御堂は、毎年11月1日から3日の3日間だけ、大講堂の右奥の扉が開き、堂に上がれます。奈良時代に建ち、989年に倒壊して、鎌倉時代に再建されました。堂内には国宝の釈迦三尊像が座ります。釈迦如来像は227.9cm、金箔に覆われた三尊とも坐像です。


室町時代の四天王像(重要文化財)もあわせて見てください。右手前の持国天が踏む邪鬼は、左手に蛇を持っています。蛇の由来は分かっていません。
東院・夢殿の僧の像

夢殿には、救世観音さんのほかにも国宝の像が並びます。東院伽藍をつくった行信僧都の乾漆坐像は、もとの彩色がほとんど落ちています。尖った頭頂と、つり上がった目の、個性の強い顔です。

道詮律師の塑造坐像は、859年ごろに荒れていた東院を再興した僧の像です。奈良時代にはよく造られた塑像が、平安時代の像として残るのは珍しいといいます。胸元に、かすかに朱色が残ります。
大宝蔵院:玉虫厨子と飛鳥・白鳳の像

大宝蔵院には、教科書でおなじみの玉虫厨子(国宝)があります。釈迦が飢えた虎に身を投げ与える捨身飼虎図が刻まれています。仏像では、百済観音さんのほかにも、見たい像が続きます。

橘夫人念持仏は、光明皇后の母・橘夫人の念持仏と伝わる阿弥陀三尊像です。厨子は高さ263cm、中の三尊は像高60cmほどの銅造で、白鳳時代末期の作とみられ、日本最古の念持仏とされます。蓮華座は、日本でいちばん古い台座の形式ともいわれます。阿弥陀如来さんの見分け方は、こちらの解説をどうぞ。

九面観音は、白檀を使った像高38cmほどの一木造です。唐から719年に渡ってきたと伝わります。身体から浮いた飾りや天衣まで、一木から彫り出されています。小さな像ですが、細部の彫りに目が引き込まれます。

夢違観音は、白鳳時代を代表する像高87.3cmの金銅仏です。江戸時代の『古今一陽集』に、悪い夢を見たらこの観音に祈れば良い夢に変えてくれる、とあるのが名前の由来といわれます。体つきはふっくらとして、顔はどこか童顔。釈迦三尊像と見比べると、仏像が日本風に変わっていく途中の姿に見えてきます。
もう1体、平安時代の地蔵菩薩立像(国宝)にも会えます。像高172cmのヒノキ造りで、がっしりした体に、翻波式の衣文が深く刻まれています。もとは桜井市の大神神社の神宮寺だった大御輪寺にあった像です。明治の神仏分離で大御輪寺が廃寺になる危機に、いったん近くの聖林寺へ避難し、その後、法隆寺に祀られました。同じ大御輪寺にあった十一面観音は、いま聖林寺にあります。像も、歴史の中で動いてきました。

大宝蔵殿と春秋の秘宝展

大宝蔵殿は、西院伽藍と東院伽藍をつなぐ東大門の北側にあり、大宝蔵院とは別の建物です。春と秋の各2〜3か月ほど、毎回テーマを決めた秘宝展が開かれます。聖観音立像(重要文化財)は、カヤ材の一木造で像高182cm。かつて金堂に客仏として祀られていました。公開の時期は変わるので、お出かけ前に公式でご確認ください。

各堂の公開日は、必ずしも重なりません。一度に全部をまわるのは難しいので、場所を絞って、数回に分けるのが法隆寺の見仏の理想です。
法隆寺の御朱印

もっと深く知りたい人の本


お寺の歴史と伝承

法隆寺は、推古天皇と聖徳太子が607年ごろに建て、薬師如来像を祀ったのが始まりと伝わります。聖徳太子の父・用明天皇が、自分の病気平癒のために寺の建立を願いながら、志半ばで亡くなりました。その遺志を、2人が継いだといいます。

『日本書紀』には、670年に落雷の火災で伽藍が焼けたという記事があります。いまの西院伽藍は、その後に再建されたとする考えが有力です。金堂や五重塔などは、現存する世界最古の木造建造物とされます。東院伽藍は、738年ごろ、僧の行信が聖徳太子を偲んで建てました。もとは別の寺で、この地は太子たちが暮らした斑鳩宮の跡です。


西院伽藍の柱は、中ほどがふくらんだ「エンタシス」と呼ばれる形で、パルテノン神殿の柱と並べて語られます。同じ世界遺産に、北に隣り合う法起寺も登録されています。
主な歴史年表
607年ごろ: 推古天皇と聖徳太子が創建したと伝わる
623年: 金堂の釈迦三尊像がつくられる
670年: 『日本書紀』に落雷による火災の記事
711年: 五重塔の塔本塑像がつくられたとされる
738年ごろ: 行信が東院伽藍を建てる
859年ごろ: 道詮が荒れた東院を再興する
990年ごろ: 大講堂が再建される
1232年: 金堂の阿弥陀三尊像がつくられる(康勝作)
1884年: 古社寺調査で夢殿の救世観音像が開かれる
1993年: 世界遺産に登録される
金堂の阿弥陀三尊像は、運慶の子とされる康勝の作として知られる鎌倉時代の像です。飛鳥の釈迦三尊像にならって造られました。並べて見ると、600年の差が顔に出ます。

なぜ、飛鳥の像はどれもまっすぐこちらを向いているのか
ここまでの像を思い出してください。釈迦三尊像は左右対称で、正面を向く。救世観音さんも、おおよそ左右対称です。百済観音さんは細く立ち、金堂の四天王は静かに立つ。飛鳥の像は、どれも動かず、正面を向いています。


ここからは私の想像です。
まっすぐ正面を向いて動かない形は、見る側にとって分かりやすい形だったのではないでしょうか。仏教が来て間もない頃、像は見るものというより、まっすぐ向き合って拝む相手でした。時代が下ると、四天王は怒りの表情をつくり、邪鬼は踏まれて悶え、像のほうが人に近づいてきます。大講堂の四天王の邪鬼に余裕が出てくるのも、その流れの途中だと感じます。
そう考えると、法隆寺の像は「下手だから動かない」のではなく、「動かさない」形を選んだ像に見えてきます。正面を向く像の前に立つと、こちらが見られている感じがする。それも、この形の力だと思います。
まとめ:ここで目盛りのついた物差しを手に入れる
金堂の釈迦三尊像で「基準の顔」を、四天王で「踏む側と踏まれる側の目盛り」を、百済観音さんで「同じ飛鳥でも違う体つき」を、夢違観音さんで「日本風に変わる途中」を見てきました。法隆寺は、仏像の目盛りがついた物差しをくれる寺です。
ただ、この物差しは、都の最上級の像で作られています。では、都から遠く離れた地方で、聖徳太子を慕った人たちが刻んだ像に当てたら、どんな目盛りが読めるのでしょう。基準から外れるところにこそ、その土地の顔があるはずです。


次に会いに行くなら
物差しを持って、聖徳太子ゆかりの地方の寺へ。まずは、兵庫の鶴林寺です。聖徳太子が開いたと伝わる播磨の寺で、太子ゆかりの寺が地方でどう守られてきたかに会えます。
太子の姿を、鎌倉の人の手で見るなら、埼玉の天洲寺。鎌倉時代1247年の聖徳太子立像(重要文化財)があります。夢殿の「太子の等身の像」と伝わる観音から、鎌倉の人が刻んだ太子の姿へ。公開は2月22日の太子会だけです。
同じ奈良で、飛鳥から奈良時代へ進むなら、薬師寺。飛鳥の釈迦三尊像から、奈良時代の金銅の薬師三尊像へ。銅の像の肌と体つきの変化を見比べられます。
同じコース「奈良の基本をおさえる」で、こんなところはどうでしょう
法隆寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 法隆寺(別名:斑鳩寺) |
宗派 | 聖徳宗 |
住所・アクセス | 〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1/JR大和路線 法隆寺駅からバスか徒歩 |
電話 | 0745-75-2555 |
拝観時間・拝観方法 | 2/22〜11/3は8:00〜17:00、11/4〜2/21は8:00〜16:30。西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍(夢殿)の共通拝観券。夢殿の救世観音は春と秋の決まった期間のみ公開 |
拝観料金 | 共通拝観券あり。金額はお出かけ前に公式サイトか電話でご確認ください |
拝観時間・料金は変わることがあります。お出かけ前にご確認ください。参考:法隆寺公式サイト
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地域タグ:奈良県の仏像

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