【見仏入門】No.33 京都・宝菩提院願徳寺の仏像/菩薩半跏像(伝如意輪観音)、御朱印など


向源寺十一面観音と双璧を成すといわれる絶世の美仏の国宝「如意輪観世音菩薩半跏像」が安置されている宝菩提院願徳寺(ほうぼだいいんがんとくじ)を紹介します。

京都一小さなお寺といわれ、昔の地図には載っていないようなお寺ですが、奈良国立博物館で初めて展示され2006年に東京国立博物館で展示されると、多くの仏像ファン必見の名作といわれる様になりました。

しかし、その後は博物館などでの展示は行わない意向とされ、現地での拝観が基本となっています。小さなお寺ではありますが、住職さんがコンクリート製の本堂を開けて、像の説明をしていただけます。是非ゆっくり座ってこの国宝仏をじっと眺めてみてください。素晴らしさにため息が出ますよ。

拝観後に有料ですが抹茶の接待もありますので、心が洗われるような気持ちになると思います。

宝菩提院願徳寺へのアクセス

 宝菩提院願徳寺(ほうぼだいいんがんとくじ)は京都駅の西側で長岡京駅の北西部の山の麓にあります。すぐ東側を京都縦貫自動車道が走っており、比較的長い北春日トンネルが掘られています。

電車で行くには、阪急京都線の東向日駅(ひがしむこうえき)から阪急バス(洛西バスターミナル行)で18分、南春日町下車し、そこから西に徒歩で約20分(約1.2km)です。

阪急の東向日駅はJR東海道線の向日町(むこうまち)駅から西に500mほどの距離にありますので向日町駅から歩いて東向日駅までの移動も出来ます。

また、東向日駅から南春日町間へのバスは1時間に1本くらいの間隔で出ています。京都駅前から京阪京都交通バスの長峰行きでも南春日町に行くことも出来ますので良く調べてお出かけください。お急ぎの場合は阪急東向日駅またはJR向日町駅からタクシーでも行くことができます(約15分)。

ただし、このお寺は比較的小さく新しいので地元のタクシー会社の人もあまり知らないようです。すぐ近くの「花の寺の勝持寺」を目当てにしていくのが良いかもしれません。最近まで地図にも載っていないような小さな寺ですが、このご本尊をゆっくり心静かに拝観できるので足を伸ばしてでも拝観してもらいたいお寺です。ただ2月は閉門されますので、この時期にどうしても拝観したいときは予約する必要があるので注意!

コンクリート造りの本堂へ入ると、正面に厨子があり、照明を少し落として、寺の住職よりお寺の縁起や、脇立ちの薬師如来立像・聖徳太子立像などの説明があります。そして5分ほどして本尊の菩薩半跏像(伝・如意輪観音像)の説明に入るとライトをつけて、この像が浮かび上がるようにその姿がくっきりと見えてきます。

向源寺十一面観音と双璧を成す絶世の美仏であるというこの菩薩坐像は、今にも動き出すのではないかという躍動感にあふれています。う~ん 美しくみなさんもきっと見惚れてしまうと思いますよ。

宝菩提院願徳寺の歴史

寺伝によると願徳寺は、奈良時代の始まる少し前の679年に持統天皇(天武天皇の皇后)が夢の啓示を受け薬師如来を本尊として向日市寺戸町古城に創建されたと伝わっています。

当時は南北800m、東西1,300mの広大な敷地に多くの伽藍が建ち並ぶ大寺院でしたが、平安時代中ごろから一時衰退していました。これを平安時代の末期になって、平家一門の武将で、平忠盛の四男である平教盛(たいらののりもり)の子供で、僧侶となった小川法印忠快(かいちゅう)和尚が京都東山三条の宝菩提院におりましたが、こちらの寺の衰退を聞いて、この寺に入って中興の祖となりました。

願徳寺は創設当時から天台密教(台密)の秘法を行う寺院でしたが、この平安末期からさらに天台密教の中心寺院として大いに発展したとされています。

しかし、室町時代後期の応仁の乱による兵火や戦国時代には織田信長による兵火などで、寺の建物はほぼ全て灰となってしまいました。

そして、江戸時代に入ると、家康が寺を保護して再興し「洛西観音巡礼第三十三番札所」としても信仰を集めたようですが、往年の面影を取り戻すことが出来ず、明治始めの廃仏毀釈により荒廃してしまいました。

戦後の1962年(昭和37年)にこの寺が建てられていた寺戸の地(現在の地より東へ約3.5の阪急東向日駅の南西部)に住宅が建てられることになり、寺は移転を余儀なくされ、大野原の「花の寺」として知られる勝持寺にまず国宝の本尊(如意輪観世音菩薩半跏像)が移されたそうです。その後本堂などの建物も解体して勝持寺近くに移築されます。

1973年になって、願徳寺本堂と庫裏が勝持寺のすぐ隣に再建されましたが、本尊で国宝の観音像が勝持寺から願徳寺に戻されたのは1996年と最近のお話です。

 最初に建てられていた寺戸の寺院跡は、2003年に発掘調査が行われ、心礎石、土器、瓦等の他に、浴場(蒸し風呂)跡が見つかりました。これは9世紀後半のものと見られており、東大寺の湯屋よりも古い国内最古と考えられています。

宝菩提院願徳寺の仏像の詳細

菩薩半跏像(伝・如意輪観音)【国宝】(平安時代初期 台座までカヤの木などの針葉樹の一木造り 内ぐりなし)〈像高 88.2cm〉

寺伝では「如意輪観音」と伝わっているそうですが、蓮華座の上からゆったりと右足を垂らし左足を横に組んだ菩薩半跏像です。像全体に彩色は施されていないのですが、全体にまるでブロンズのような光沢があります。顔は引き締まった表情で、すこし切れ上がった目に黒石が嵌め込まれ、頬はふっくらとしたいかにも生き生きとした感じの中に、凛とした神々しい雰囲気があります。

腰から下の衣文はかなり細かく彫り込まれていて、その造形の美しさは目を見張るものがあり、今にも動き出すような躍動感にあふれています。用いられている木材はカヤなどの針葉樹ですが、古来の日本のものではないと考えられています。このため、この像は渡来仏もしくは渡来人の製作ではないかという説が言われています。

 

像の名称は菩薩半跏像となっていますが、これは如来でもなく明王でもないことからの区分で、寺では(如意輪)観音菩薩としています。

でも京都広隆寺の国宝である弥勒菩薩とどこか似ていますから、弥勒菩薩と分類しても良いのかもしれません。また、印相や半跏の脚の曲げ具合等がその他の同種の例とは左右逆になっています。

願徳寺の本尊は、初期の頃9世紀前半に京都府長岡京市にある乙訓寺(おとくにでら)から移された薬師如来像だったといわれており、その像が西暦864年に広隆寺に移されました。この薬師如来像は今でも広隆寺にて安置されています。

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現在の本尊であるこの菩薩半跏像が制作されたのは平安時代初期頃と見られていますが、渡来した仏像という見方もありいつからこちらの寺に移ってきたのかなどはわかっていません。

この観音像は、2006年秋に東京国立博物館で「一木にこめられた祈り」と題した大きな仏像展が開かれ、滋賀県の向源寺蔵(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩像などと共に出展されました。この展示会では前半はこの菩薩半跏像が目玉で、後半は十一面観音像が目玉となり多くの仏像ファンのみならずその存在が知られるようになりました。

展覧会での本像の説明には「肉体とそれを覆う衣、そこにできる皺(しわ)を完璧にとらえた一木彫の名作です。瞳に黒い珠を嵌め、二重瞼で切れ長な眼の表情は異国的で、中国・唐代彫刻との強い関連性がうかがえるでしょう」と書かれていました。背面でクロスした衣の文様が、平安時代のものとは思われないとてもオシャレな印象です。

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薬師如来立像【重文】(平安時代後期 寄木造、漆箔、彩色)〈像高 110.3cm〉

こちらの像も平安時代後期の作で薬師瑠璃光如来像とよばれています。彩色はほとんど残されていません。本堂内中央の本尊で国宝の「菩薩半跏像」の右脇侍として安置されています。 左脇侍は「聖徳太子二歳像」です。

本薬師如来像は、願徳寺を中興した小川法印忠快(かいちゅう)和尚いた京都東山三条の小川殿より遷された像だとされています。

右手で施無畏印を結び、左手に薬壺をもつ典型的な薬師像で、衣文の襞が少ないY字状になっているのが特徴です。

 願徳寺の本尊は最初の頃は「薬師如来像」だったとされています。そして太秦の広隆寺由来記(1499年)によると乙訓地域の古い神様である向日明神が神木を彫って薬師如来像は制作し、これが仁明天皇(810-850年)のころに願徳寺に安置されました。

それが清和天皇(850-880年)の病気平癒を祈るために広隆寺に迎えられることになりました。そして、清和天皇はかわりに同じような薬師如来像を作って願徳寺に贈り、もとの薬師如来像は広隆寺にとどめたといいます。

願徳寺の僧は本尊を返してもらおうと朝廷に訴えたが認めてもらえず、清和天皇から贈られてきた像をもとの薬師如来像の置いてあった台座に置こうとしましたが、台座や光背が揺れ動いて安置できなかったといいます。そこでしかたなく、この願徳寺ではお堂に台座と光背だけを置き「座光堂」と呼ぶようになったといわれています。

その他に、この本殿の中には、聖徳太子立像(2歳像)【府指定】(鎌倉時代1290年頃の製作 寄木造、漆箔、玉眼)〈像高70.4cm〉 が安置されています。

聖徳太子が2歳の春に、東方の釈迦浄土に向かい合掌したときに、手の間に釈迦の舎利が現れたという古事による様を表した南無仏太子像です。

最後に隣にある花の寺として知られる「勝持寺(しょうじじ)」を紹介しましょう。

花の寺 勝持寺の見どころ

小塩山(おしおさん)大原院勝持寺という天台宗の古刹です。

花の寺として有名で、西行法師ゆかりの寺としても知られます。

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こちらも2月は拝観休止です。しかし予約すれば拝観できる場合もあるようです。

 寺伝によれば、西暦679年に天武天皇の勅によって役小角(えんのおづぬ)が創建し、791年に桓武天皇の勅により伝教大師が伽藍を再建し、薬師瑠璃光如来を刻んで本尊としたと伝えられています。当初は大原寺(たいげんじ)と呼ばれていましたが、仁寿年間(851~854)に大原院勝持寺と改めました。

鳥羽上皇に仕えていた北面の武士「佐藤義清(さとうのりきよ)」が、この小塩山 大原院
勝持寺において1140年に出家し、名を西行と改めてここで庵を結びました。

そして一本の桜を植えてこの桜を愛でていました。このため、この桜は「西行桜」(枝垂れ桜)とよばれ、と称し、勝持寺は花の寺と呼ばれるようになったのです。

平安時代には世阿弥がこの「西行桜」を能にして表現してその後とても有名になったものです。寺の境内には多くの桜が植えられており、桜の時期は寺が花の中に埋もれているかのように見えます。

現在、境内の鐘楼の南にある八重桜は、西行法師(1118~1190年)が自ら植えた桜の第3世と伝えられています。

仁王門は応仁の兵火を免れた寺の最古の建造物です。

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重要文化財 薬師如来坐像【重文】(鎌倉時代 寄木造、漆箔、玉眼)〈像高85.1cm〉

勝持寺の瑠璃光殿に安置されている寺の本尊である薬師如来像です。左手にのせた薬壺から右手で薬を摘まみ取る珍しい姿です。薬師如来坐像の胎内からは胎内仏(平安時代 像高9.1cm、檀木)が見つかり、この胎内仏も一緒に拝観することが出来ます。

 

重要文化財 金剛力士像【重文】(鎌倉時代 1285年製作 ヒノキ材の寄木造りで湛康・慶秀の作 目には黒石)〈像高3m〉

当初、寺より500m山麓の仁王門に安置されていた仁王像です。

その他、日光菩薩像・月光菩薩像〈鎌倉時代 寄木造 像高120cm〉、十二神将像(鎌倉時代 寄木造 像高85cm)や西行法師像(室町時代 寄木造 像高55cm)などが安置されています。

宝菩提院願徳寺の御朱印

 

宝菩提院願徳寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

佛華林山 寶菩提院 願德寺

宗派

天台宗

住所

〒610-1153 京都市西京区大原野南春日町1223-2

電話

075-331-3823

拝観時間

9:30~16:00(2月中は閉門)

2月中及び団体の拝観は要予約。

大きなお寺ではないので、事前に電話で確認することが望ましいです。

拝観料金

500円

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地図

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