神奈川・弘明寺の仏像|鉈彫の十一面観音と、鎌倉時代の仁王像に会う(拝観料・時間つき)

「弘明寺」と書いて「ぐみょうじ」と読みます。京急線の駅名にもなっていて、神奈川の人には見慣れた字ですが、初めて目にすると読みにくい寺名です。
京急線の弘明寺駅から歩いて約2分。横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺駅からは、商店街を抜けて約5分です。駅前の町なかに、平安時代中期の十一面観音立像が立っています。
体の表面にノミの跡をそのまま残した、「鉈彫(なたぼり)」の像です。10年ほど前にツアーで訪ねたお寺で、個人でもいつでも会いに行けます。この記事では、この像から、岩手・天台寺の聖観音さんまで、鉈彫をたどります。
弘明寺・十一面観音立像:ノミの跡を残した平安の古仏
本尊の十一面観音立像は、本堂の奥、内陣にまつられています。かつては秘仏でしたが、いまは拝観料を納めれば、内陣で会えます。
まず見てほしいのは、体の表面です。丸ノミで彫った跡が、横縞のように並んでいます。つるりと磨かれた像を見慣れていると、荒々しく見えるかもしれません。像高は181.7cm。ほぼ人の背丈です。頭はわずかに右へ傾けて彫られています。
この像は、木が像になりかけて止まった姿ではない。木と像のさかいめに立っている。それが、私の見立てです。
仏像リンク編集部MEMO 📝




像は、ハルニレの1本の木から彫り出した一木造(いちぼくづくり)です。口には紅の跡があり、眉や目、ひげは墨で描かれています。彫り跡を残しただけの未完成の像ではなく、仕上げまで済んだ像だと分かります。
寺に伝わる話では、奈良時代の737年に、行基がひと彫りごとに3度礼拝しながら彫ったとされます。ただし像そのものは平安時代中期のつくりとされ、本堂が建てられた1044年ごろと年代が合う、とお寺は説明しています。1915年に国宝、1950年に重要文化財に指定されました。
十一面観音さんの見分け方は、十一面観音の解説にまとめています。
名称: 木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財)
時代: 平安時代中期
像高: 181.7cm
材質: ハルニレの一木造
特徴: 丸ノミの彫り跡を表面に残す鉈彫。頭をわずかに右へ傾ける。口に紅の跡、眉・目・ひげは墨で描く。
弘明寺・金剛力士像:山門で時代をさかのぼる
本堂へ入る前に、山門の金剛力士像(仁王像)に会います。13世紀後半に鎌倉仏師がつくったとされ、神奈川県内に残る最も古い中世の作と説明されています。1998年に横浜市の有形文化財に指定され、2001年に修理を受けました。
山門の仁王像は鎌倉時代、本堂の十一面観音さんは平安時代中期。門から内陣へ進むことが、そのまま時代をさかのぼる道になっています。

名称: 金剛力士像(横浜市指定有形文化財)
時代: 鎌倉時代(13世紀後半)
特徴: 山門に立つ仁王像。神奈川県内に残る最古の中世の作とされる。
その他の見どころ
境内の聖天堂には、弘法大師が彫ったと伝わる聖天(大聖歓喜天)がまつられています。象の顔を持つ尊格です。くわしくは歓喜天の解説へ。
お寺の前には弘明寺商店街がのびています。毎年5月から9月のはじめまで、8と3のつく日に、観音さんと聖天さんの縁日にちなんだ屋台が並びます。50年以上続く縁日で、地元では「サンパチ縁日」と呼ばれています。


観音さんの縁日には、誰でも参加できる護摩修行があります。毎年7月8日から10日の「四万六千日功徳参拝」は、この日の参拝が約126年分にあたるとされます。春には、商店街の中を流れる大岡川沿いの桜の下に明かりがともります。
お寺の歴史と伝承


お寺の伝えでは、721年にインドの僧・善無畏三蔵がこの地を霊場と定め、7つの石を置いたのが始まりとされます。737年、疫病の流行を止めるために聖武天皇が行基へ命じて十一面観音をつくらせた、とも伝わります。814年には弘法大師がこの地を訪れ、聖天を彫ってまつったといいます。
実際の開創は、光慧上人が本堂を建てた1044年と考えられています。鎌倉時代には、源頼朝が妻の北条政子とともに参拝し、戦勝を祈願したと伝わります。室町時代から江戸時代には、幕府から天下安泰の祈願寺と認められ、手厚く保護されました。
明治時代に入ると、1868年の神仏分離令で、神と仏を分けるよう命じられます。弘明寺も寺の土地を政府に取り上げられ、住職もいなくなって荒れました。

1901年以降、ふたたび住職が入り、近隣の人々の協力で町おこしとともに復興が進みました。いまの本堂は1766年に智光上人が再建したもので、初代の本堂に使われた木材の一部も見られます。
主な歴史年表
721年: 善無畏三蔵がこの地を霊場と定めたと伝わる
737年: 行基が十一面観音をつくったと伝わる
814年: 弘法大師が聖天をまつったと伝わる
1044年: 光慧上人が本堂を建てる
鎌倉時代: 源頼朝・北条政子が参拝したと伝わる
1766年: いまの本堂が再建される
1868年: 神仏分離令が出される
1901年以降: 住職が入り、復興が進む
なぜ、ノミの跡は消されなかったのか
鉈彫は、かつて「つくりかけで止めた像」と見る意見が強かったそうです。ところが、この彫り方の像は、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、関東から東北にかけて多く見つかっています。地域がかぎられていることと、紅や墨で仕上げてあることから、いまは「わざと跡を残した完成の像」とする説が有力です。


もう1つの説は、ある美術史家が出した「霊木化現仏(れいぼくけげんぶつ)」です。霊木の中から仏が現れようとする、その瞬間を表した像だという見方です。
ここからは私の想像です。
ひと彫りごとに3度礼拝した、という弘明寺の伝えを思い出します。削る動作そのものが祈りだったなら、ノミ跡は消すものではなく、祈った道のりの記録になります。木を削ることが、木に礼を尽くすことだった。鉈彫が東の土地に多いことも、木への気持ちの強さと関係があるのかもしれません。確かめたわけではなく、あくまで私の見立てです。
対で見る:岩手・天台寺の聖観音立像
この見立てを試せる像が、岩手県二戸市の天台寺にいます。桂の木でつくられた聖観音立像(桂泉観音、重要文化財)で、体にノミの跡を残し、顔や手はなめらかに仕上げられた鉈彫の像です。
弘明寺は駅から約2分の町なか、天台寺は山の中。顔と体のなめらかさの差、ノミ跡の並び方の違いを、2体並べて思い浮かべてみてください。
まとめ:木と仏のあいだに立つ像
弘明寺の十一面観音さんは、磨いて仕上げた像とは別の道を選んだ像です。ノミの跡を消さず、木の肌をそのまま体に残している。紅と墨で顔を整えているのに、体は木のまま。そこに、木と仏のあいだに立つ像の姿があります。
門をくぐるときは鎌倉時代の仁王像、内陣に入れば平安の十一面観音さん。時代をさかのぼりながら進むと、最後に出会うのが、木の気配を残した体です。


では、同じ鉈彫を、町なかの弘明寺ではなく、山の中で見たらどうでしょう。木の肌は、同じ表情をしているでしょうか。
次に会いに行くなら
同じ鉈彫を、岩手の山の中で見るなら、天台寺。聖観音立像が、ノミ跡を残した体と、なめらかな顔で立っています。弘明寺で持ち帰った問いの答え合わせができます。
平安の鉈彫の次は、室町の十二神将、覚園寺。像の中の銘で、1年に1体ずつつくられたと分かる像です。
鉈彫の十一面観音をもう1体見るなら、群馬の日輪寺。関東の鉈彫を、訪問記で紹介しています。
同じコース「関東の日帰り見仏」で、こんなところはどうでしょう
弘明寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 瑞應山 蓮華院 弘明寺 |
宗派 | 高野山真言宗 |
住所・アクセス | 〒232-0067 横浜市南区弘明寺町267番地。京急線「弘明寺」駅から徒歩約2分、横浜市営地下鉄ブルーライン「弘明寺」駅から徒歩約5分 |
電話 | 045-711-1231 |
拝観時間・拝観方法 | 境内は自由に参拝できます。本堂内陣の十一面観音さんは8:00〜16:30に拝観でき、事前の予約は不要です(2026年11月にお寺へ電話で確認)。ご祈祷中は、終わるまで待つことになります。毎月8のつく日は護摩法要のため、13:00ごろから拝観できない場合があります。 |
拝観料金 | 本堂内陣は500円(2026年11月にお寺へ電話で確認)。境内は自由です。 |
拝観時間・料金は変わることがあります。2026年11月にお寺へ電話で確認した内容を載せています。お出かけ前にご確認ください。参考:弘明寺公式サイト
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地域タグ:神奈川県の仏像

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