【見仏入門】No.4 奈良国立博物館(なら仏像館)/若王子神社・薬師如来坐像や元興寺・薬師如来立像など


 平城京の都「奈良」はなんといっても仏像の日本一の宝庫です。この奈良の中心地にたくさんの宝物を所蔵・保存する施設として建てられたのが今回ご紹介する「奈良国立博物館」です。

 

正倉院の宝物を中心に、仏像などの工芸品、絵画や書などの美術品などが多く保管されており、これらを一般に公開する場として奈良国立博物館が東大寺や興福寺などの奈良中心エリアに建てられました。

 

奈良国立博物館のはじまりは明治維新直後に始まった博覧会でした。現在では新館も増設され、毎年公開される「正倉院展」をはじめ、さまざまな企画が実施され多くの観覧者が全国からつめかけます。

 

日本一の仏像の宝庫である奈良県にふさわしく、全国にある国立博物館のなかで飛び抜けて仏像の展示が充実しており、奈良の仏像めぐりをするのであれば欠かせない施設となっています。

 

今回は奈良国立博物館の歴史、所蔵されている代表的な仏像などについてご紹介いたします。

 

奈良国立博物館へのアクセス

 

 奈良国立博物館は古都奈良の中心の地にあります。これは隣の興福寺境内の東側に建てられたもので、奈良公園(若草山)に行く途中にあります。JR奈良駅よりも近鉄奈良駅からのほうがアクセスしやすくなります。

 

北側は東大寺が大きな敷地を占めていますが、最近できた東大寺ミュージアムは有名な日光・月光菩薩像などを始め、東大寺の仏像が豊富におさめられているミュージアムになるので、ミュージアムめぐりの方はこちらの奈良国立博物館と合わせて奈良のミュージアムめぐりもお勧めします。

奈良国立博物館の歴史

 現在、全国の国立博物館は東京(上野)、京都、奈良、九州(大宰府)の4箇所にあります。

 

これらの設立の歴史を見ていくと、まず明治5年(1972)3月に東京湯島で開催された「博覧会」がはじまりでした。

 

この博覧会の主催が「文部省博物館」という名前であり、これが東京国立博物館へ発展して行きます。上野の公園内(上野寛永寺の本房跡地)に博物館(レンガ造り総二階建て)が建設されたのは、この9年後の1881年でした。

 

この博物館の目的は「日本と東洋の文化財の収集、補間、展示、研究などをする」ということでした。今の東京国立博物館本館は1938年に建設されたもので鉄筋コンクリート造りとなっていますが、国の重要文化財に指定されています。

 

さて一方、奈良国立博物館は、同じように東京の博覧会の3年後の明治8年(1875)に開かれた「第1回奈良博覧会」がきっかけでした。この時の会場は東大寺大仏殿やその周囲で行われ、主に正倉院の宝物などが展示されたのです。それからほぼ毎年この奈良博覧会が開催され、1890年まで15回行われてきました。

1889年に東京上野の博物館が「帝国博物館」と名称を改めた時に、京都・奈良にも帝国博物館を建設することが決まり、奈良では1892年に興福寺の境内に建設が始まり、1895年4月に本館が開館しました。名称は1900年に「奈良帝室博物館」となり、1947年に文部省の管轄で「国立博物館奈良分館」となり、1952年に「奈良国立博物館」なっています。

 

奈良国立博物館は博物館建設前から、毎年のように行われてきた「正倉院展」を踏襲する形で現在まで続いてきました。今でも毎年秋には「正倉院展」が行われていて多くの人々が訪れています。

 

展示の建物も1972年に正倉院宝庫のイメージを取り入れた新館(西新館)が完成して、正倉院展はこの新館で展示されています。また1997年に東新館が完成し両館は地下通路(地下回廊)で結ばれました。

 

奥が東新館、手前が西新館

 

また2010年に従来の本館をリニューアルして「なら仏像館」としました。この建物は1969年に「旧帝国奈良博物館本館」として重要文化財に指定されています。(本館=なら仏像館)

 

「京都国立博物館」は「奈良国立博物館」の歩みと似ていますが、東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、九州国立博物館は歴史系博物館として、他の国立博物館より100年以上遅い2005年に設立されたものです。

仏像の修理専門の美術院 (美術院国宝修理所)

奈良国立博物館の敷地内には仏像を修復するための美術院の工房があります。

 

 美術院の歴史は1898年に国宝や重要文化財などの文化財保護を目的に、古い仏像や工芸品などを修理する国の機関として岡倉天心が「日本美術院」を創設しました。

 

その後、奈良東大寺内に修理保存を専門とする日本美術院第二部が創設され、高村光雲を顧問に迎えました。その後この第二部が独立して「奈良美術院」となったのです。

 

もともとあった日本美術院第一部は現在「財団法人日本美術院」となって美術品制作部門が中心となっています。

 

この「奈良美術院」は1946年に事務所を京都市に移転し、「美術院国宝修理所」と名称を変え、2013年には法人名称を「公益財団法人美術院」に変えていますが、「美術院国宝修理所」という名称で「古文化財である美術工芸品(彫刻及び大型工芸品)の修理、模写・模造、および修理技術者の養成、修理技術に関する調査研究・公開」を事業内容として現在も活動しています。

 

仏像を修復する工房は京都もしくは奈良にあり、全国の古い仏像の多くはこの奈良の美術院、もしくは京都の美術院の工房で修理されることが多いようです。

 

奈良国立博物館といえば正倉院展!

毎年秋(10月末~11月前半)に奈良東大寺正倉院の宝物を一般公開する「正倉院展」が東・西新館にて行われていて、仏像の展示ではないものの奈良博物館といえば「正倉院展」といわれるほど多くの人々で賑わいます。

 

この正倉院は奈良・平安時代の重要物品を納める正倉(しょうそう)でした。奈良の都はこの東大寺に集められ保管されました。当時地方の官寺や官庁の中央には穀物を保管する倉や重要書物を保管するこの正倉と同じような倉(高床式倉庫)が作られていましたが、そのほとんどは現在残っておらず、この奈良東大寺の倉だけが残ったのです。

 

 

ですからここには聖武天皇や光明皇后などにかかわりのある品々や、天平時代の美術品などたくさんの古代美術工芸品が残されています。

 

 これらは修理しなければならないものも多くあり、毎年修理を繰り返し、できるだけ多くの人に公開して日本の古代文化を知ってもらうために、館では趣向を凝らしています。

 

2017年(第69回)正倉院展の公開内容を参考に載せておきます。

 

「北倉10件、中倉25件、南倉20件、聖語蔵3件の、合わせて58件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳を含むものは10件です。正倉院宝物の全貌が概観される内容となっておりますが、仏・菩薩(ぼさつ)への献物(けんもつ)と考えられる品々を含めた仏具(ぶつぐ)類の充実や、佩飾品(はいしょくひん)や帯などの腰回りを飾った品々が多く出陳される点が特色となっております。」

と書かれています。

 

正倉院展には毎年、異国の文化がどのようにして日本に伝わり花開いていったのかを知る貴重な資料が展示されていますので是非一度、直に目で見て、その文化にふれてみられたらよいと思います。

なら仏像館:旧本館

 なら仏像館はそれまでこの博物館の本館として使われていた建物で、新館が完成したために、こちらをより分かりやすい名前とするため「なら仏像館」としました。ここでは飛鳥時代から鎌倉時代までの日本の仏像を中心に、国宝や重要文化財を含む常時100体近い数の仏像を展示していて、国内では最も充実した施設です。また中国古代の青銅器を中心として展示している「青銅器館」とは渡り廊下でつながっています。

では奈良国立博物館所有(寄託)の名宝といわれる仏像をいくつか紹介します。

 

奈良国立博物館に所蔵されている仏像の詳細

 

【国宝】若王子神社/薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)

榧(カヤ)材の一木造、彫眼 像高49.7cm 平安時代9世紀半ば頃の作

 

 

京都東山の若王子(にゃくおうじ)社(神社)の本地仏と伝えられています。

この若王子社は12世紀に後白河上皇が熊野三所権現を勧請したのが始まりとされ、この像は明治の神仏分離で民間に流出した後、国有になったといわれています。

 

カヤの一材より彫成し、内刳(うちぐり)は施されていません。頭部の螺髪(らほつ)は木製で後から植え付け、両手先は矧ぎ付ける構造をしています。像高約50㎝の小像ながら、面相の彫りも深く鋭い衣文のひだも力強い印象を受けます。この像の特徴は京都・東寺講堂の五菩薩像と近く、また大阪・四天王寺阿弥陀如来坐像とも近いといわれ注目されています。背面には光背の金具を取り付けていた痕があります。台座の八重蓮華座はあとから新しく補ったものです。

【左】大阪・四天王寺阿弥陀如来坐像【右】京都・東寺講堂の五菩薩像

【国宝】元興寺/薬師如来立像

榧(カヤ)材の一木造、像高164cm平安時代前期の作です。

6世紀末に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(ほうこうじ)が平城京に遷都された時に新しい都(奈良)に寺院を移しました。これが「元興寺(がんごうじ)」となりますが、この五重塔内に安置されていたといわれているのがこの薬師如来立像です。法興寺は前の場所にも残り、現在の飛鳥寺(あすがでら)となっています。

 

像は、厚みのあるがっしりとした体つきで、衣のひだは太く、彫りも深く、細部にも微妙な変化が加えられていて、この巧みな衣文(えもん)表現(翻波式衣文:はんぱしきえもん)が平安時代前期の特徴を現しています。

 

右の掌を開いて立てる施無畏(せむい:畏れ(おそれ)の心を取り去って救う)の印を結び、 左掌に薬壷を持ちます。 唐招提寺・伝薬師如来立像(国重文)や 京都・神護寺の薬師如来立像(国宝)とよく比較されます。

 

【左】京都・神護寺の薬師如来立像【中央】元興寺・薬師如来立像【右】唐招提寺・伝薬師如来立像

[重]兵庫県小野市・浄土寺/阿弥陀如来立像

 木造阿弥陀如来立像(裸形) 1201年、仏師快慶の作、像高:266.5cm

来迎会(らいごうえ:阿弥陀仏が死者を救済するために来迎する様を演ずる法会)用の本尊として造立された仏像で、上半身を裸形に作り、行事の際には実物の薄い衣を着せ、台車に乗せて動かしたといわれています。上半身裸の阿弥陀様なんてめずらしいですね。

 

この兵庫県小野市にある浄土寺ですが、浄土寺の建っている地は、東大寺大仏殿建立にも尽力したといわれている行基菩薩が建立した寺院があったとも言われています。

 

しかし実質には平安時代末~鎌倉時代の僧「重源(ちょうげん:俊乗房(しゅんじょうぼう)」により建立されました。この重源は東大寺の鎌倉時代の再興に大変尽力した僧で、1180年に平重衡軍の南都焼き討ちにより壊滅的な被害を受けた東大寺の大仏と大仏殿の再興の総責任者となったのがこの重源でした。当時61歳でしたが、大仏再興事業の拠点として、日本の7か所に東大寺の「別所」を造ったのです。このうちの「播磨別所」(当時は東大寺領)がこの浄土寺です。このため浄土寺は奈良東大寺とは密接に繋がっています。

 

また浄土寺には国宝に指定されている「木造阿弥陀如来及び両脇侍立像」があります。

これは 1195年に同じく快慶が製作した像で、阿弥陀如来像高:530cm 両脇侍像高:370cm と巨大な像です。

[重]京都・回向院/如意輪観音坐像

榧(カヤ)材の一木造 彩色(剥落) 彫眼 像高94.9cm 平安時代 9~10世紀の作

京都市上京区の回向院(えこういん)内の如意輪観音堂に安置されていたと伝えられています。回向院は江戸時代の創建で、寺伝によれば本像は、寛永5年(1628)に丹後国の海中から発見された二躯の如意輪観音像のうちの一躯といい、のこり一躯はやはり京都市内の善福寺に現存する像(10世紀)です。

[重]興福寺北円堂伝来/多聞天立像

檜(ヒノキ)材の寄木造 彩色 玉眼(瞳嵌入) 像高155.5cm 平安時代11~12世紀

もと興福寺北円堂にあった四天王像のうちの北方天ではないかといわれていますが、まだ明確にはなっていません。

 

さいごに

奈良国立博物館は本当に仏像の展示が充実しているので、常設展のなら仏像館を訪問するだけでもかなりの充実した仏像めぐりができると思います。

 

他の国立博物館同様に数ヶ月に1度は展示替えも行われているので、いつ訪問しても初めて出会うような仏像がたくさんあるので何度訪問しても飽きないのがいいですね。

 

あと全国の国立博物館のメンバーズパスをもっていると、なら仏像館はなんと無料で入れます!

 

1年に3回以上博物館に訪問するという方は、各博物館の会員制度をご検討されてみてはいかがでしょうか。

 

あとこれは本当に余談なのですが、奈良国立博物館は2011年までは東京上野国立博物館と同じく仏像の写真撮影が可能な博物館でしたが、リニューアルしたタイミングで写真撮影ができなくなってしまいました。

 

文化財の管理や観覧者への配慮などの措置として、博物館が撮影を禁止する気持ちも理解できます。賛否両論あるため、しっかり考えていく必要があるとは思いますが、国民に対して広く文化財の存在を周知していくための場所であったり、また海外では撮影できるところも多くあるということから、例えば曜日や時間を決めての撮影など、イチ仏像ファンとしては素晴らしい仏像をおさめることができる博物館としての復活を期待したいです。

 

今後開催予定の仏像の展覧会情報を知りたい場合はこちらの記事もぜひ!

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奈良国立博物館をもっと詳しく知りたいときには…

 


 

名称

奈良国立博物館

運営

管理運営 独立行政法人 国立文化財機構

住所

〒630-8213 奈良市登大路町50番地