【見仏入門】No.41 富山・日石寺の仏像・見どころ/不動明王坐像(磨崖仏)、阿弥陀如来、御朱印など


立山連邦の日本海側山裾にある真言密宗の本山「大岩山日石寺(にっせきじ)」を紹介します。ここの歴史は古く、大きな岩山を中心とした富山県屈指の山岳信仰で栄えた古刹です。

日石寺の名物は、なんといってもど迫力の大岩の岩肌に彫られた大きな不動明王(磨崖仏)本尊。地元や真言蜜宗のたくさんの信者の方々より「大岩のお不動さん」と呼ばれ親しまれてきました。

磨崖仏のある巨岩所在地一帯は「大岩日石寺石仏」として国の史跡に指定され、不動明王像を始めとした磨崖仏(5躯)は国の重要文化財にしてされています。

日石寺入り口には「百段坂」と呼ばれる長い石段の参道があり、この石段沿いにはお食事処や旅館が並んでいて、古くからの門前町を形成しています。そして、その多くのお店で、この地で最も有名な「(大岩)そうめん」を食べることが出来ます。

大岩山日石寺といえば「そうめん」と言われるくらい「そうめん」が有名なのです。ここのそうめんは麺と汁が一緒になっており、富山のおいしい水で作られていますので、のど越しもよく、とても評判です。こうやって書いているだけでも食べたくなってきた(笑)

話はそれますが歴史をたどると「そうめん」の起源については諸説ありますが、中国から奈良時代頃にもたらされたとも言われています。またこの「大岩そうめん」の歴史は室町時代頃までさかのぼることができるとも言われており、僧侶たちが修行の合間にサッと食べられるように、麺とつゆを一緒にしたのが始まりと言われています。また、戦国時代には僧侶は僧兵として戦争にも言っていたのでその保存食としても重宝されたようです。ただこのそうめんも庶民が食べだしたのは明治になってからのようです。

山菜や川魚などとも相性はばっちりです。旅館などを含め、どのお店でも、大概皆このそうめんを提供していますので、是非ここに行かれたら一度食べてみてください。そんな感じで今回は日石寺を紹介していきます!

日石寺へのアクセス

日石寺へ行くには、JR富山駅から富山地方鉄道に乗り換えて上市駅下車上市駅より町営バス(柿沢・大岩線)で約30分、タクシーなら約10分で行くことができます。

但しバスの本数は1日5~6本で、それほど多くはありません。

車の場合は北陸自動車道の立山インターより約15分で到着することができます。

県道157号線と152号線との交差点(大岩口)には「大岩不動大岩山 日本最大最古重文磨崖仏不動明王県指定霊水大岩の藤水」と書かれた大きな看板が立っています。

そこから大岩川に沿って登って行くと途中に1999年に完成した川沿いの公園「大岩親水公園」があり、その先に日石寺があります。

この親水公園は、川の護岸工事の時に自然石などを活用してまわりの自然環境に配慮した公園で、護岸と自然を融和した施設です。春には桜が咲きこの地の魅力を引き立てています。

日石寺の歴史

日石寺(にっせきじ)は大岩岸壁に刻まれた磨崖仏を本尊とする寺で、寺伝では奈良時代初頭の725年に行基(ぎょうき)菩薩が大岩川清流のほとりにこの大岩岸壁を発見し、この大岩に不動明王ほか四体の尊像を刻んだのが、大岩山日石寺の始まりだとされています。

しかしこの行基菩薩が彫ったという大きな磨崖仏(自然の巨石や岩壁に彫刻した仏像)の制作時期は平安時代中ごろと考えられています。

 その後、室町時代の立山を含めた山岳信仰が広まる中でこの大岩山日石寺は、21の末寺と寺の建物の数も60坊、僧兵の数も1000人を超える大寺として栄えました。

しかし、戦国末期に越後の上杉謙信が越中侵攻に伴う兵火により、その多くの寺の建物や寺宝、記録などが焼失し、寺もそのほとんどを失い衰退してしまいました。

江戸時代初期に弘寒和尚がこの大岩岸壁に刻まれた不動明王の脇に仮殿を設け復興を図りました。また時の加賀藩主(前田利常)が正室である珠姫(2代将軍徳川秀忠の娘)の子宝祈願をこの不動明王に行い、無事念願を成就したため、歴代前田家の祈願所として再興の支援がされ、1651年に大きな磨崖仏を安置する不動堂が完成しました。

江戸時代後期の1845年に第12世覚仁和尚が「三重塔」を建立し、第14世一覚和尚が現在滝修業を行っている「六本滝」を造りました。

この滝修業は、昭和初期頃には常時40人もの人が訪れていて、30人ほど収容できる籠り堂もありました。

今でも滝に打たれて修行する人は後を絶ちません。

 

日石寺の仏像の詳細

大岩日石寺磨崖仏 5躯(不動明王及二童子像 3躯<平安時代中期>、阿弥陀如来像1躯、僧形坐像1躯<平安時代後期~鎌倉時代>)【重文】

一般に磨崖仏と呼ばれる自然石や岩肌に直接彫り込まれた仏像は九州をはじめとして全国各地に残されていますが、その中でも本磨崖仏は、凝灰岩の巨岩に半肉彫りで彫り出されており、非常に保存状態が良く製作当時の姿が保たれているため国内磨崖仏の最高傑作ともいわれています。

この磨崖仏を正面の壁に見る形で造られた本堂の中央に座ると、蝋燭の灯りに照らされた不動明王が厳しい顔で見下ろしてきます。自然に気持ちが引き締まり凛として落ち着いた気持ちになってきます。

不動明王二童子像は平安時代中期~後期の作で、阿弥陀如来坐像僧形坐像は室町時代後期~鎌倉時代に追刻されたものと考えられています。

1335年に不動堂が大風で倒壊した際に大破し、1342年にこれを修理したと記録が残されていますが、各像とも根幹部分は造像当時のままです。

また戦国時代末期に上杉勢の兵火で寺の建物などはほとんど消失しましたが、本像の被害はほとんどありませんでした。

それではそれぞれの像を見ていきましょう。

不動明王坐像(平安時代中期)〈像高 不動明王像 313.5cm〉

本像は左右の二童子像(矜羯羅童子立像、制咤迦童子立像)と共に「不動明王三尊」として祀られたものです。この不動明王三尊は立山・剱岳の神の本地仏(ほんじぶつ)と言われています。寺伝ではこの三尊を彫ったのは奈良初期の名僧「行基」といわれていますが、実際の製作年代はもう少し後の時代になります。

不動明王坐像は右手に剣を持ち、左手には羂索(けんさく)を持っています。羂索は鳥獣をとらえるわなのことでしたが不動明王などが手にしているのは多くの人々をこれで救うことができる仏具であり、衆生救済の象徴とされています。

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制咤迦(せいたか)童子立像(室町時代中期)〈像高 214cm〉下の写真左側  / 僧形坐像(室町時代後期~鎌倉時代)〈像高 83cm〉下の写真右側

不動明王に向かって左端に彫られている二童子の一人「制咤迦(せいたか)童子立像」は、これらの諸仏の中では崩壊が激しく顔の表情などはわかりません。

制多迦」とは、サンスクリットで奴僕や従者を意味する言葉で、一般には十五歳ほどの童子の姿をしており、「五智」示す五髻(ごけい:五ケ所を結って髻<もとどり>が五つある結びかた)、左手には金剛杵(こんごうしょ)、右手には金剛棒を持つ姿で現されます。

この制咤迦童子の右側に小さな僧形の坐像が彫られています。こちらは不動明王三尊像に後から追加されたと考えられています。

矜羯羅童子(こんがらどうじ)(室町時代中期)〈像高 214cm〉

不動明王に向かって右端に彫られている二童子の一人「矜羯羅(こんがら)童子立像」です。

両手を前で合わせ合唱の姿勢です。

矜羯羅」とは、サンスクリットで「何をするべきかを問い、その命令の通りに動く」という意味です。そのため矜羯羅童子は仏法に対して深く敬い従うという恭敬の様を表しています。

制咤迦童子と同様に十五歳ほどの童子の姿をして、蓮華冠(レンゲの冠)をかぶり、合掌した親指と人差し指の間に独鈷杵(どっきょしょ)をはさんで持つ姿が一般的です。こちらの像は顔などの表情も比較的よく残されています。

阿弥陀如来坐像(室町時代後期~鎌倉時代初期)〈像高 92cm〉

 

この像は、左側の僧形坐像と共に、不動明王坐像と矜羯羅(こんがら)童子立像の間に後に追加で彫られたと考えられています。

阿弥陀如来と僧形像が何故追加されたのかということは良くわかりませんが、不動明王三尊は立山・剱岳の神の本地仏(ほんじぶつ)であり、阿弥陀如来は立山の神として祀ったもので、僧形像は行基菩薩の姿をうつしたものという見方がされているようです。

日石寺の御朱印

日石寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

大岩山日石寺(大岩不動)

宗派

真言密宗大本山

住所

〒930-0463 富山県中新川郡上市町大岩163

電話

076-472-2301

拝観時間

寺務所は16時まで

拝観料金

志納

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