静岡・河津平安の仏像展示館(南禅寺)の仏像|薬師如来坐像・十一面観音立像・地蔵菩薩立像に会う(拝観料・時間つき)

河津といえば、河津桜と温泉。その町の山手、坂を上った先に、平安時代を中心とする木の像が26体並んでいます。
伊豆急行の河津駅から歩いて25分ほど。河津川を渡り、線路の北側を西へ進むと、小さな南禅寺のお堂があります。お堂は無住で、展示館はその右手です。像を守る人がいなくなる前に、と2013年2月に建てられました。展示館ができる前のお堂では、せまい堂内に像がひしめくように並んでいたそうです。
この像たちは、土の中で過ごした時期があると伝わります。1432年に山津波で埋まり、1541年に掘り出された。そのせいか、手足が欠けた像、木目がむき出しの顔をした像が多くあります。きれいに残っていない像の前で、足が止まる。その理由を、この記事で考えてみます。
行く前に必ず確認を。2026年10月23日〜2027年1月3日は、26体のうち12体が熱海のMOA美術館の特別展「伊豆の仏像 PART1」に出ています。MOAの案内には、本尊の薬師如来坐像、奈良時代とされる十一面観音立像、地蔵菩薩立像、梵天・帝釈天立像、二天王立像が出品像として載っています。この時期は展示館の内容が変わるため、お出かけ前に展示館へ電話して、いま何が見られるかを確かめてください。
- 河津平安の仏像展示館・薬師如来坐像:1本の木の量
- 河津平安の仏像展示館・十一面観音立像:2体の時間の違い
- 河津平安の仏像展示館・地蔵菩薩立像:190cm級の、丸い頭
- その他の見どころ
- お寺の歴史と伝承
- なぜ、傷んだ像が捨てられずに残ったのか
- まとめ:ここは、守った人の手が残る場所
- 次に会いに行くなら
- 河津平安の仏像展示館の拝観料金、時間、宗派、電話など
- 見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
- 新TV見仏記
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河津平安の仏像展示館・薬師如来坐像:1本の木の量
展示室のまんなかに、薬師如来さんが座っています。ほかの像が壁ぎわに立つなか、この像だけが独立して置かれている。寄り合いのいちばん奥に座る長老のようです。私がいちばん見てほしいのも、この像です。3年ほど前に訪ねました。
見てほしいのは、大きさです。膝は左右に大きく張り、体には奥行きがあります。その量感が、1本の木から出ています。

仏像リンク編集部MEMO 📝




頭と体の主要部分をカヤの1材から彫り、両腕の肘から先、両手、脚部は別の材を寄せています。このつくり方は、平安時代でも古い像に多いとされます。衣のひだは、大きな波と小さな波を交互に刻む翻波式(ほんぱしき)です。
時代は9世紀後半〜10世紀とされます(9世紀とする解説もあります)。この時代の木彫仏は、近隣の都県を見ても少なく、伊豆では最古の仏像とされています。薬師如来さんがどんな存在なのかは、薬師如来の解説にまとめています。
名称: 木造薬師如来坐像(重要文化財)
時代: 平安時代(9世紀後半〜10世紀)
材質: カヤの一木造(両腕の肘先・両手・脚部は別材を寄せる)
特徴: 左手に薬壺。大きく張った厚い膝と、奥行きのある体。翻波式の衣のひだ。
河津平安の仏像展示館・十一面観音立像:2体の時間の違い
展示館には、十一面観音立像が2体あります。並べて見ると、同じ観音さんでも、時間の当たり方が違うと分かります。
1体は、黒ずんだ木肌に胸飾りが浮かび、金色の光背を背負っています。江戸時代に全面的に彫り直された像です。頭の上の小さな顔は失われていますが、頭に取り付けた穴が残るため、もとは十一面観音だったと分かります。江戸時代以降は、聖観音として祀られてきました。
もう1体は、木肌をそのままさらしています。
髷の上に仏面が残るため、十一面観音と分かります。背中にはノミの跡があり、東国に多い鉈彫りの像に通じる表現かもしれないとされます。2体のうち1体は、奈良時代にさかのぼる可能性があるとされています(静岡県の文化財ナビ。MOA美術館は「奈良時代・8世紀」と表記)。
仏像リンク編集部MEMO 📝




頭の上の顔で四方を見わたす観音さんについては、十一面観音の解説もどうぞ。
名称: 木造十一面観音立像(重要文化財)
時代: 平安時代(うち1体は奈良時代にさかのぼる可能性があるとされる)
像高: 190.0cm・165.0cm
材質: 一木造
特徴: 1体は江戸時代に全面的に彫り直され、頭上面の取り付け穴が残る。もう1体は木肌があらわで、背面にノミ目が残る。
河津平安の仏像展示館・地蔵菩薩立像:190cm級の、丸い頭
地蔵菩薩さんというと、小柄な像を思い浮かべる人も多いでしょう。この像は、等身大を超えます。見上げると、ひたいから頭にかけての丸みと、長く下がった耳たぶが目に入ります。
ここで、衣の彫りを見てください。縦に流れる深い線のあいだを、木目がさらに縦に走っています。これは私の見立てですが、刃が木目と同じ向きに走った跡のように見えます。
仏像リンク編集部MEMO 📝




衣のひだは浅く、形式化しています。実物を写したような表現から離れてきているため、10世紀の像とされます。両手と持ち物は後の時代に補われたもので、右手の錫杖も、もとは何も持たない与願印だった可能性があります。地蔵菩薩さんについては地蔵菩薩の解説をどうぞ。
名称: 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
時代: 平安時代(10世紀)
像高: 191.6cm
材質: 一木造(内刳りなし)
特徴: 等身大を超える大きさ。丸い頭と長い耳たぶ。両手と持ち物は後補。
その他の見どころ
梵天立像・帝釈天立像
梵天さんと帝釈天さんは、1対で釈迦や薬師、観音の脇に立つ神さまです。梵天は古代インドの創造神ブラフマンが、帝釈天は雷を操る神インドラが、仏教にとり入れられた姿です。梵天はためらう釈迦に、教えを説いてくださいと頼んだ神とされ、そのため帝釈天と並んで守護神になりました。10〜11世紀の像とされ、9世紀後半〜10世紀とする説も有力です。
二天王立像
カヤの1材から彫った像で、2体で1対です。口を開く像と閉じる像で阿吽の形をとるため、昔は仁王像と呼ばれたようです。鎧をつけているので、四天王のうちの2体をあらわす二天とされています。伊豆には古代・中世にさかのぼる四天王が知られず、二天が多いため、もとから二天だった可能性が高いとされます。時代は、展示の解説では9世紀、MOA美術館は10〜11世紀と表記しています。
菩薩立像
等身大の一木造です。上半身は裸で、条帛(じょうはく)と天衣をまとう姿から、菩薩とわかります。持ち物を失っているため、観音と決めることはできません。下半身に二重にかかる天衣と、裳(もすそ)のひだが見どころです。
僧形坐像
目尻が大きく下がった顔が、ひときわ目を引く像です。「おびんずるさま」として信仰されていますが、平安時代に賓頭盧信仰はほとんど知られていません。老僧の姿の文殊菩薩(聖僧文殊)か、南禅寺にゆかりの深い僧の像とみられています。脚部と両手は江戸時代に補われました。
南禅寺の近くで
栖足寺(せいそくじ)は鎌倉時代に開山した禅寺で、河童を助けた住職の伝承があります。お礼にもらったという「河童のかめ」が、いまも保管されています。
ここにも、平安時代の作と考えられる釈迦如来坐像があります。上原美術館の学芸員・田島整さんの調査では、頭、左半身、背中が当初の部分で、10世紀の像とされています。南禅寺に伝来し、埋まった像の1体だった可能性も指摘されています。お賽銭はPayPayでも納められます。
展示館への道の途中には、日帰り入浴ができる温泉施設「薬師の湯」があります。河津七滝(かわづななだる)や天城峠も、同じ温泉郷のなかです。
お寺の歴史と伝承


伝承では、8世紀なかばに行基が伊豆を訪れ、1万体の仏像を刻んだとされます。行基の伊豆来訪は、学問的には認められていません。749年に行基が開いたと伝わるのが、那蘭陀寺です。伊豆の地誌『豆州志稿』は、行基が自ら刻んだ薬師如来像を安置したと記しています。
一方、南禅寺の境内からは、「南寺」と墨書した10世紀の土器と、土製の螺髪が出土しています。この寺が平安時代前期にはあったことが分かります。
1099年には、実道法師が那蘭陀寺を建てたとも伝わります。ところが1432年、山津波で寺も像も埋まりました。この年代が正しいかは分かりませんが、展示館の建設に先立つ発掘調査で、土砂崩れの痕跡が見つかっています。本尊の薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音の3体は、無事だったという話もあります。
それから約110年後の1541年、鎌倉の正光院から来た南禅和尚が、谷津の人たちと一緒に像を掘り出しました。堂を建てて祀ったのが南禅寺の始まりです。2024年8月27日には、26体が「南禅寺伝来諸像」として国の重要文化財になりました。
主な歴史年表
749年: 行基が那蘭陀寺を開いたと伝わる
10世紀: 「南寺」と墨書された土器が使われる(境内から出土)
1099年: 実道法師が那蘭陀寺を建てたと伝わる
1432年: 山津波で寺と像が埋まったと伝わる
1541年: 南禅和尚が像を掘り出し、堂を建てて南禅寺となる
1814年: 南禅寺が再建されたと伝わる
2013年2月: 河津平安の仏像展示館が開館
2024年8月27日: 26体が「南禅寺伝来諸像」として重要文化財に指定される
なぜ、傷んだ像が捨てられずに残ったのか
展示室には、顔が削れた像や、手足を失った像が並びます。不動明王坐像は、木目が浮き出るほど、表面がやせています。
神像も、同じ運命をたどりました。仏像はおもにカヤ、神像はクスノキで彫られています。仏と神の像が、まとめて埋まり、まとめて掘り出されたのです。長く土の中にいた像は傷みが激しく、粘土質の土のおかげで、かろうじて元の姿を保ったといいます。


ここからは私の想像です。
掘り出した人たちにとって、像は「谷にいた仲間」だったのではないでしょうか。新しい像にするなら、掘る必要はありません。それでも掘って、堂を建てた。その堂が、いま展示館になっています。
この場所に残ったのは、きれいな像ではありません。傷んだ像を「うちの像」として祀り続ける人が、途切れなかったのだと思います。そう考えると、顔の削れた像の前でも、足が止まります。
まとめ:ここは、守った人の手が残る場所
薬師如来さんの前に、もう一度立ってみてください。1本の木の量が、まず目に入ります。そのまわりに、顔の削れた像、木目がむき出しの像が並んでいます。
ここは、完全な姿の像を見る場所ではありません。埋まり、掘り出され、小さなお堂で身を寄せ合い、いま展示室に立つ。そのたびに誰かが運び、祀った手が、像の傷のなかに残っています。


整った姿の像と、傷んだ像。あなたの足が先に止まるのは、どちらの前でしょう。
次に会いに行くなら
整った姿の像を見るなら、願成就院。同じ伊豆半島にあります。不動明王像と毘沙門天像から見つかった木札で、1186年に運慶が造ったと確かめられている像が伝わります。傷んだ平安仏のあとに見ると、鎌倉時代の像の輪郭がはっきりします。
同じ地方仏でも、山梨の像を見るなら、放光寺。大日如来、天弓愛染明王、不動明王が重要文化財として伝わります。地方ごとに、像の顔つきがどう違うかを見比べられます。
木から離れて、岩に彫られた像を見るなら、日石寺。岩壁に彫られた不動明王の磨崖仏です。素材が変わると、像の残り方も変わります。
同じコース「山梨・中部・伊豆の地方仏」で、こんなところはどうでしょう
河津平安の仏像展示館の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館 |
宗派 | なし |
住所・アクセス | 〒413-0515 静岡県賀茂郡河津町谷津138。伊豆急行の河津駅から西へ徒歩約25分。バスはなく、駅前からタクシーも使えます。展示館の手前は急な坂です |
電話 | 0558-32-0290 |
拝観時間・拝観方法 | 10:00〜16:00。水曜と12/29〜1/3は休み、河津桜まつりの期間は無休とされています。予約は不要とみられますが、念のため電話を。2026年10月23日〜2027年1月3日は12体がMOA美術館に出ているため、行く前に展示内容を電話で確認してください |
拝観料金 | 大人300円、小中学生100円、幼児無料 |
駐車場 | 駐車場の有無は、電話で確かめてください。足の不自由な方は、事前に連絡すると坂の上まで車で上がれると案内されています |
拝観時間・料金は変わることがあります。お出かけ前にご確認ください。参考:静岡県 しずおか文化財ナビ「南禅寺伝来諸像」、MOA美術館「伊豆の仏像 PART1」
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地域タグ:静岡県の仏像

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