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No.51:青森県・大円寺の仏像/阿弥陀如来坐像(伝・大日如来)

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大円寺は、津軽では「大鰐の大日様」として人々から慕われています。しかしこの本尊の大日様は昔から大日如来として信仰を集めてきていますが、実は像の姿は阿弥陀如来なのです。

しかし、この大きな阿弥陀如来像が大日如来像として信仰されてきた経緯も理由も解明されていません。謎は深まるばかりです。

また寺に伝わる歴史はかなり古く、藤原文化の花開いた平泉よりかなり北にあるこの地に、いつどのようにして仏教が伝わったのか今でも謎に包まれています。

この像はおそらく青森県地方で作られた像でもっとも古い仏像だと推察されています。

大円寺へのアクセス

JR弘前駅より奥羽本線で2駅目の大鰐温泉(おおわにおんせん)駅下車、東に歩いて10分ほどで行くことができます。平川(ひらかわ)沿いの県道198号線に面しています。また大鰐温泉駅は弘南鉄道の「大鰐駅(おおわにえき)」が隣接しており、弘前市内から通称「大鰐線」でも行くことができます。こちらは市民の足として中央弘前駅から13.9kmの間に14駅あります。

 大鰐温泉駅から線路沿いに東に進んで行くと、10分ほどで色鮮やかな朱色の山門(八脚2重の楼門形式)が見えてきます。

山門をくぐった正面には「大日堂」があり、ここに国重要文化財である阿弥陀如来坐像(通称大日如来坐像)が安置されています。左手にはりっぱな本堂が建てられていますが、本堂の向かい側には鐘楼堂と金比羅堂、その後ろに「西国三十三観音像」があります。

大日堂の隣りに旧大日堂と書かれたお堂があり、正面には弘法大師像と、不動明王像があります。また、以前に本尊が安置されていた場所の前には牛の石像が置かれています。大日如来牛の守護神とする信仰が盛んなようで、昔は農家にとって大切な牛ですから、大日様への信仰も深くなってきたのでしょうか。

また町では毎年7月に「大鰐温泉丑湯祭り」を開催していて、大日如来を背中に乗せた牛が「ご神体」となり、温泉の祈祷式を行っています。

 

大鰐温泉駅から東方面の平川沿いにはホテルなどがいくつも立ち並ぶ温泉街です。また共同浴場が9つもあり、駅前の地域交流センター「鰐come」には日帰り温泉施設もありますので旅の疲れを癒すにはもってこいです。

またこの地には温泉地熱を利用した江戸時代から続く長さ30cmと長い「温泉もやし」が名物です。またスキー場が近くにあるため冬場もにぎわいます。

また寺の前の通り(県道189号線)は、昔の秋田と青森を結ぶ街道の一部でした。この街道は、江戸時代には秋田街道とか羽州街道(うしゅうかいどう)などと呼ばれ、奥州街道の福島県から秋田を通って青森に出て、元の奥州街道に合流する脇往還(五街道以外の主要な街道)の一つでした。大鰐の少し南には、青森と秋田との間の重要な関所(碇ヶ関(いかりがせき))が置かれていました。これは1586年に津軽氏が秋田比内の浅利氏との間に設けた関所で、箱根の関所以上に厳しい関所とまで言われた場所です。

この青森県南部の秋田県との県境に近いこの大鰐地区にいつごろから一大仏教文化が築かれたのかはよくわかっていませんが、平泉の藤原文化がこの地まで伝わったと考えることもできそうです。この謎を、この秘められた大日様とともに考えてみるのもよいでしょう。また、この寺は「未申(ひつじ、さる)年生まれ」の津軽一代様としても知られています。

大円寺の歴史

 大円寺は寺伝によると、奈良時代に聖武天皇が全国に国分寺を建立することを命じた頃、現在の大鰐温泉の南にある>阿闍羅山(あじゃらやま)に仏教を広めるために大安国寺(だいあんこくじ)を建て大日如来を安置したことに始まったと伝えられています。

しかし、延暦年間(782~806年)に、蝦夷征伐にやってきた坂上田村麻呂が戦勝祈願のために、この阿闍羅山の山頂に大日如来を安置したことが始まりだという説もあります。

その後、この大安国寺は廃れていき、これを円智上人(えんちしょうにん)が鎌倉時代始めの1191年に、現在の大鰐温泉より少し北側の蔵館(くらだて)地区に高伯寺(こうはくじ)を建立し、この仏像を阿闍羅山の山頂から移しました。

円智上人はこの大鰐温泉を開湯した僧といわれており、この山一帯は「阿闍羅山千坊(せんぼう)」と称され、一時たくさんの寺があり仏教の一大聖地として人々の信仰を集めてきました。室町時代初期に南北朝の争乱による被害者の御霊を慰める為に足利尊氏によって指定された全国66ヶ所の安国寺のうちの1つとして信仰が継続されてきました。

また、江戸時代の初期1650年に津軽藩主(三代)がこの寺に自分の愛鷹(鷹狩りに使用する鷹(たか))の病気平癒を祈願して、無事治ったことから、現在の大円寺のある場所に高伯寺の本堂を建て、本尊を移し「神岡山(じんごうざん)高伯寺」となりました。

その後この寺は津軽藩の庇護(ひご)を受けて地元では「大日様」と呼ばれて人々に慕われてきました。

明治になり、神仏分離令により弘前の城下町にあった八幡神社と最勝院が分離して、最勝院が弘前市内の大円寺の境内に移りました。そして市内にあったこの大円寺が当時住職のいなかったこの高伯寺境内に移った事で、寺の名前も「大円寺」に改め、現在に至っています。

地元では昔からこの寺の大きな本尊を「大日様」と呼び、また像が安置されている建物を「大日堂」と呼んで親しんできています。しかし前にも書きましたが、この像は大日如来ではなく、阿弥陀如来なのです。

なぜ阿弥陀様を大日様として信仰したのかについては現在もよくわかっていません。地元には昔から「本当の大日如来像は阿弥陀像の胎内仏として中に納められている」という伝説がありました。しかし、大正時代に調査した結果、胎内からは何も出てきませんでした。

 

 

またこの像は「国指定重要文化財」として登録されており、登録名称は「木造阿弥陀如来坐像」です。またこの大円寺は、東北三十六不動尊霊場の第十四番札所でもあります。

また大鰐(おおわに)の地名についても、日本には昔から鰐(ワニ)はいませんので、その名前のいわれにもいくつかの説があるようです。町のHPによると、大きな阿弥陀如来の仏像があることから昔「大阿弥陀(おおあみだ)」と呼ばれ、それが、「大阿弥・大阿尓(おおあみ)」となり、「大阿子(おおあね)」と変化、室町時代を経て、「大安国寺(おおあに:地元ではこう呼ばれている)、大姉(アネ=アイヌ語で森林がある谷間)」と変化し、大きな山椒魚(サンショウウオ)=鰐が棲んでいたとの伝説があることから江戸時代初期には「大鰐」と書かれるようになったと伝えられています。しかし日本神話でも因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)のお話にもうさぎが沖ノ島から出雲の国までワニを並べて渡ったとする話があり、ワニは昔から日本の神話の謎とされています。

 

一方、山の名前である 阿闍羅(あじゃら)の由来にも諸説があり、阿遮羅(あしゃら=不動明王)、阿婆羅(あばら=五輪塔)、阿闍梨(あじゃり=修行を積んだ僧)、さらに聖徳太子が宮殿内に大日如来・不動尊・聖観音の三尊を祀り、阿闍羅不動と称したことなどからそのように名前が付いたといわれていますが、この地は青森地方でもいち早く仏教が広まった地であり、阿闍羅千坊というほど仏教寺院が立ち並んでいたのですから、仏教に関連する「阿闍羅」という名前がついたのもわかる気がします。現在、大鰐スキー場はこの阿闍羅山にあります。

大円寺の仏像の詳細

阿弥陀如来坐像(通称大日様):鎌倉時代前半の作、国重要文化財

 

ヒバ材が使われた定朝様式の寄木造りで、漆箔仕上げの丈六如来坐像(像高2.33m)です。

この阿弥陀如来坐像は、実に堂々とした大像で、全体の彫刻技術も優れています。

現在までのところこの像を彫った仏師の名前も判明していませんし、どこで彫られたのかも明確ではありません。しかし、堂々とした正式な定朝様式の仏像であり、平泉(奥州藤原氏)に来ていた都の仏師がこの大鰐の地で彫ったのではないかと考えられています。

津軽地方最古の仏像として1920年に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されました。

また国の重要文化財に指定された青森県の仏像は、他には、むつ市常念寺の「木造阿弥陀如来坐像」があるだけです。こちらの像は、都で彫られた後に、現在の青森県むつ市に運ばれたものと考えられています。

 

大円寺のご朱印

 

大円寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

神岡山大円寺

宗派

高野山真言宗

住所

〒038-0212  青森県南津軽郡大鰐町蔵館字村岡12

電話

0172-48-2017

拝観時間

5:00~17:00(念の為、事前にお寺へお問い合わせください)

拝観料金

志納

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地図
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