【見仏入門】No.37 山形・慈恩寺の仏像/弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、不動明王、十二神将、大日如来など


山形県寒河江(さがえ)市にある慈恩寺(じおんじ)は、奈良時代から続く古刹で、数々の仏像がまつられています。

慈恩寺のまわりは山形の名産さくらんぼの農家に囲まれていて、慈恩寺の仏像はさくらんぼと同じように小粒ながら洗練された仏像たちです。

江戸時代には東北随一の御朱印地(江戸幕府から年貢などの税を免除する証しとして朱色の印を押した朱印状が発行され、これにより寺領を保証された土地)を有したお寺。平安時代には京都の藤原摂関家が荘園主となり京の仏教文化がもたらされました。またその後代々の地頭や出羽藩、江戸幕府からの庇護(ひご:援助して助けること)をうけ発展してきました。特徴的なのは真言宗と天台宗が共存しており、法相宗、時宗などの影響も受けて独特の仏教文化が開花したことです。このため室町時代および鎌倉時代の仏像が数多く安置されており、ここはまさに秘仏の宝庫といえるでしょう。

もくじ

慈恩寺へのアクセス

慈恩寺は、JR佐沢(あてらざわ)線の羽前高松(うぜんたかまつ)駅から歩いて20分ほどかかります。ただ羽前高松駅は無人駅ですので、タクシーなどで行かれる場合は2つ手前の寒河江(さがえ)駅からがよいでしょう。JR佐沢線はJR仙山線(仙台~山形)の北山形駅から西北側の左沢駅を結ぶ鉄道で「フルーツライン佐沢線」という愛称がついていて、シーズンには「SLさくらんぼ号」などが走ります。

羽前高松駅から徒歩の場合は駅を降りて寒河江川に架かる慈恩寺大橋を渡ります。そのまま北の方に進むと寺の参道があります。坂道を上ると参道右手に最上院(さいじょういん)(非公開)があり正面に寺の山門があります。

慈恩寺のみどころ

山門は楽屋堂として1634年に建立されたものを、1736年に再建したものです。かなり立派な楼門(2階建て)形式の仁王門です。山門は県指定文化財です。楽屋というのはこの山門の2階から本堂に向かって舞台が組まれるためで、その際に山門が楽屋となるためのようです。毎年5月5日の一切経会の時に舞楽が奉納されるといいます。

山門をくぐってすぐ正面の石段の上の石垣を積んだ一段高くなった境内に大きな本堂が見えます。この寺は山の中腹に建てられていますのでこのように起伏があるのです。

境内には正面に慈恩寺本堂があり、右手に薬師堂阿弥陀堂、右手に大師堂釈迦堂がありその先に三重塔があります。さらにその西には熊野神社があります。慈恩寺三院の「華蔵院」「宝蔵院」はこの境内の東側、北側にありますが、「最上院」は山門の手前東側にあります。この慈恩寺は昔今の数倍規模のかなり広い敷地を有していたようです。

さて、本堂の内陣へと入ると正面に大きな厨子宮殿(ぐうでん)と呼ばれています)が安置されています。この中に本尊の弥勒菩薩坐像を始めとするたくさんの仏像が収められているのですが、ここはめったに開帳されません。

でも何かの機会には特別公開されますので、その時を逃さないようにしておくことが必要です。

慈恩寺の歴史

慈恩寺(じおんじ)は724年に行基(ぎょうき)菩薩が諸国を巡行した時にこの地の景勝な様を見て、都に帰ってから聖武天皇にその様子を話したところ勅命がくだり、インドから渡来していた婆羅門(ばらもん)僧正によって746年に開基されたと伝えられています。しかしこのことは明確にはなっていません。確かに行基菩薩は奈良東大寺の建設の中心人物とみなされるほど天皇からの信頼も厚く、また菩薩と名がつくほど行基集団と言われた仲間たちと都を中心に道路、橋、堀などの整備をして仏教の布教活動にも熱心に取り組み多くに民衆から絶大な信頼を得ていました。東国での記録は関東・東北など各地に残されていますがあまりはっきりしたことはわかっていません。

慈恩寺についても寺伝として残されているだけで、はっきりしたものは平安時代後期からのようです。

平安時代後期(12世紀初頭)にこの地は「寒河江荘(さげのしょう)」という摂関家(せっかんけ:摂政・関白に任じられる家柄)の荘園として成立していました。

そのため都の摂政関白である藤原(北)家が代々領地として伝承され、この寺も天皇の勅願寺として整備がされました(鳥羽上皇の勅宣により仁平年間(1151~1153年)に再建されたと寺伝では残っています)。

このように中央(京都)との関係が深く平安時代後期から都の文化が直接入るようになります。この寺に残された多くの仏像がこの時代の都の優れた仏師によるものです。

またこの寺の宗教ですが、1952年の政教分離の法改正の時に「慈恩宗総本山慈恩寺」として独立し、「天台真言両宗慈恩寺派」と称しています。

もともと慈恩の名前は法相宗の祖「慈恩大師」からつけられていますので法相宗でした。これは法相宗の総本山である奈良興福寺藤原氏の氏寺であり、弥勒菩薩を本尊とする法相宗の寺となっていたものと考えられます。しかしその後天台宗の影響を受け、鎌倉時代には源頼朝の影響を受けた高野山の弘俊阿闍梨がやってきて真言宗も入ってきました。室町時代には時宗が入ってきて、法相宗、天台宗、真言宗、時宗と4つの宗教が共存する特異な形式が続きました。1622年になり慈恩寺は天台真言両宗兼学の寺となったのです。このため現在もこの寺にはそれぞれの宗教形式の建物が共存しています。

慈恩寺は阿弥陀堂を中心に「最上院(さいじょういん)」「宝蔵院(ほうぞういん)」「華蔵院(けぞういん)」の三ヵ院の他48坊も関連寺院が存在したのですが、現在は17坊に減っています。また上記三ヶ院の中で「宝蔵院」「華蔵院」は真言宗、「最上院」はここでは最も古い院で真言宗でしたが、江戸時代初期に天台宗の上野寛永寺の末寺となりました。このためその2つの宗教間で争いもあったようです。

しかし現在は独立して「慈恩宗」となり総本山となっています。また2014年10月に「慈恩寺旧境内」が国史跡に指定されました。

 

慈恩寺の仏像の詳細

慈恩寺には数多くの仏像が安置されていて、2017年現在、文化財指定を受けているものは、国指定5件、県指定15件、市指定8件東北地方随一の仏像の宝庫となっています。

またその仏像の多くが非公開であったり期間限定の公開であったりしていますので、拝観する時には良く調べていかれる方がよいでしょう。

ではその中の主なものを紹介します。

木造阿弥陀如来坐像:国指定重要文化財

 

 

平安時代後期の1298年に鎌倉時代末期の奈良の仏師、法橋寛慶(ほうきょうかんけい)の作といわれています。像高52.1cm (阿弥陀堂安置)

本像は本堂に向かって境内の右側にある「阿弥陀堂」に安置されていますが、期間限定の公開です。ヒノキ材の寄木造、て元来釈迦堂に安置されきたもので釈迦如来像であったものだと思われます。それほど大きな像ではありませんが、髪は螺髪(らほつ)でどっしりとした感じの仏像です。像全体に漆箔(うるしはく:漆を塗った上に金箔を貼る)が施されています。

木造騎獅文殊(きしもんじゅ)菩薩及脇侍像、木造騎象普賢(きぞうふげん)菩薩及十羅刹女(じゅうらせつにょ)像:国指定重要文化財(本堂宮殿安置)

文殊菩薩坐像(37.2cm)、優填王像(42.6cm)、最勝老人像(39.5cm)、仏陀波利三蔵像(39.9cm)の4体は文殊菩薩5尊像のうち善材童子が失われている。

4体のうち2体は割矧造(わぎはぎづくり)で残り2体は一木造です。

普賢菩薩坐像(37.1cm)、十羅刹女像(4体:(41.3cm、42.0cm、40.4cm、36.4cm))

普賢菩薩は割矧造十羅刹女像は4体とも一木造です。これらの仏像は期間限定で公開されています。

 文殊菩薩が獅子に乗っているんだったら、こっちは象だ、とばかりに白象に乗った普賢菩薩の登場です。もちろん普賢菩薩は文殊菩薩に対抗するために象に乗っているわけで...

木造十二神将立像、附(つけたり) 木造十二神将立像(辰・午・未・申神)4躯:国指定重要文化財(薬師堂安置)

 

この仏像は薬師堂の薬師如来像を守る眷属(けんぞく)です。像はそれぞれ寄木、腕などを矧造しています。鎌倉時代の慶派仏師による作で、12体のうち2体は江戸時代の後補です。各像とも表現が豊かで生き生きとしていて小さい像ですがパワーを感じます。薬師堂内で公開されています。

木造弥勒菩薩及び諸尊像:国指定重要文化財 鎌倉時代の作

弥勒菩薩坐像(98.4cm)、釈迦如来坐像(52.0cm)、地蔵菩薩坐像(51.6cm)、不動明王立像(94.7cm)、降三世明王立像(101.3cm)

5仏まとめて国の重要文化財に指定されています。

5仏すべてヒメコマツ材の素木造(しらきづくり)です。同一仏師の作と見られています。この像は密教の尊像と考えられますが、この5仏の構成は国内では他に例がありません。

一般公開は特別なときのみで、通常は非公開です。

木造薬師如来及両脇侍像 国指定重要文化財 鎌倉時代末期の作 (薬師堂安置

薬師三尊像(薬師如来像69.4cm、日光菩薩像109.1cm・月光菩薩像109.1cm)

薬師如来像はヒノキ材の寄木造日光・月光菩薩像は一木から彫出し、前後に割矧ぎしています。3体ともに体は金色で着衣部分は漆箔(漆に金箔)が施されています。

薬師如来像は京都で作られ、脇侍の日光・月光菩薩京都からやってきた仏師たちによってこの地で作られたといわれています。薬師堂内で公開されています。

阿弥陀如来坐像: 県指定文化財 南北朝時代の作 像高87.2㎝(阿弥陀堂安置)

 

木造・漆箔の阿弥陀像ですが、頭に宝冠をつけています。これは天台系の常行堂本尊宝冠弥陀像です。阿弥陀堂にて公開されています。

軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)立像:県指定文化財 鎌倉後期の作 像高65.0㎝

 

一部の腕を除いて一木造の木像です。

髪は炎を表し、口を多く開けて怒りの表情をしています。胸の前で2本の手を交差させ、後ろに左右3本ずつ6本の手があるはずですが、左手側の3本が欠損してありません。

本殿宮殿の中に安置されていて、通常時には公開されていません。

虚空蔵菩薩坐像:鎌倉後期の作 像高32.0㎝

大日如来坐像:県指定文化財 鎌倉時代後期の作 像高73㎝ 木造・漆箔・金泥

 

三重塔に安置されていて、期間限定の公開です。

皆さんは如来グループの一人、「大日如来(だいにち・にょらい)」という仏様は知っていますか? その手をよくみると忍者のポーズのような手をしています。忍術を...

二天王立像 鎌倉前期の作 像高は右54.3㎝ 左53.9㎝

 

一木造で、製作した後に前後に割はぎ(内刳り)しています。本堂宮殿に安置されていますので通常時は非公開です。

如来坐像及び両脇侍立像:平安後期の作 如来坐像44.1㎝、脇侍右55.6㎝、脇侍左52.1㎝(本堂宮殿安置)

 

如来像の右腕、両脇侍の両腕がそれぞれ無くなっていますが、藤原様式を伝える貴重な像です。

本堂宮殿に安置されていますので通常時は非公開です。

如来立像:鎌倉時代の作 像高51.2㎝

 

左手はひじから先、右手は肩から先が失われています。

本堂宮殿に安置されていますので通常時は非公開です。

木造聖観音立像:県指定文化財 鎌倉時代の作 カツラの一木造 像高108.3㎝

本像は一般公開されています。

木造聖徳太子立像:県指定文化財 鎌倉末期(1314年)頃の作 像高95.0㎝

頭部と体部は、それぞれ前後別材ではぎ接ぎしています。体も厚くどっしりした像です。

 

木造不動明王及び二童子立像:県指定文化財 鎌倉時代末期

不動明王の像高93.5㎝です。また制咤迦(せいたか)童子は像高48.7㎝、矜羯羅(こんがら)童子は像高49.0㎝)です。仏像は公開されています。

仏教や仏像のことについて詳しくない人でも不動明王の名前なら聞いたことあるんじゃないでしょうか。人のことを例えて「不動明王のように・・・」と言うと、強そうで怖そう...

力士立像:鎌倉時代の作 像高57.0㎝

 

力士像という名称となっていますが、本来の尊名は不明です。

本像は本堂宮殿安置で、通常時非公開です。

その他市指定文化財の仏像も多数安置されています。

・阿弥陀如来(胎内仏)坐像(鎌倉時代)

・観世音菩薩、勢至菩薩立像(鎌倉時代)

などがあります。

慈恩寺の御朱印

慈恩寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

瑞宝山慈恩寺

宗派

慈恩宗本山(天台真言両宗慈恩寺派)

住所

〒990-0511 山形県寒河江市大字慈恩寺地籍31番地

電話

0237-87-3993

拝観時間

8:30~16:00(年中無休)

拝観料金

500円(15名以上の団体は300円)

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