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【3分でわかる般若心経】全文現代語訳で意味と読み方がスッキリわかる!

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行き詰まったとき、もやもやしたとき、背中を押してほしいとき。そんなとき、誰かの言葉に助けられることがあります。誰の言葉なのかはいろいろだと思いますが、いにしえより、時と場所を超えて多くの人々を救い続けてきた言葉が、この世にはたくさんもあります。

そんな言葉の集大成の一つが、般若心経。仏教のお経といえば般若心経を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。その言葉は、1300年の間、人々の心に問いかけ続けています。

今回はそんな般若心経をわかりやすく現代語訳でしっかり解説していきたいと思います。

ただ唱えるだけでなく、どんな意味があるのかわかって唱えるのでは、気持ちの入り方がまったく変わっていきますよね。

それでは般若心経ってどんなお経?という般若心経とは、というところからご紹介していきたいと思います。

般若心経全文(ひらがな・読み方・ふりがな付き)

なにはともあれ、まず般若心経の全文・ひらがなによる読み方をご紹介します。

ひらがなで振り仮名を付けているので漢字が難しい場合、下を読んでください~

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経

ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう

 

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ

 

照見五蘊皆空

しょうけんごうんかいくう

 

度一切苦厄

どいっさいくやく

 

舎利子。

しゃりし

色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。

しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき

 

受・想・行・識・亦復如是。

じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ

 

舎利子。

しゃりし

 

是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。

ぜしょほうくうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん

 

是故空中、無色、無受・想・行・識、

ぜこくうちゅう、むしき、むじゅそうぎょうしき

 

無眼・耳・鼻・舌・身・意、

むげんにびぜっしんに

 

無色・声・香・味・触・法。

むしきしょうこうみそくほう

 

無眼界、乃至、無意識界。

むげんかい、ないし、むいしきかい

 

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。

むむみょう、やくむむみょうじん、ないし、むろうし、やくむろうしじん

 

無苦・集・滅・道。無智、亦無得。

むくしゅうめつどう、むちやくむとく

 

以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、

いむしょとっこ、ぼだいさった、えはんにゃはらみったこ

 

心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖

しんむけげ、むけげこ、むうくふ、

 

遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。

おんりいっさい、てんどうむそう、くきょうねはん

 

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。

さんぜしょうぶつ、えはんにゃはらみったこ、とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 

故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、

こち、はんにゃはらみった、ぜだいじんしゅ、ぜだいみょうしゅ、ぜむじょうしゅ

 

是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。

ぜむとうどうしゅ、のうじょいっさいく、しんじつふこ

 

故説、般若波羅蜜多呪。

こせつ、はんにゃはらみったしゅ

 

即説呪曰、

そくせつしゅわつ

 

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。

ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか

 

般若心経

はんにゃしんぎょう

 

 

1300年前に生まれた般若心経ですが、その賞味期限はなく、いつの世でも新しい刺激と安らぎを人々に与え続けています。

 

現在の日本でも、本屋さんで般若心経の解説本をいくつも見かけますし、流行りの朝活でチョイスされることも多いお写経でも、お題となるお経は般若心経です。また、般若心経をロックテイストな歌詞にして歌った動画が注目されたこともあります。生活から仏教が遠退いた今でも、般若心経の魅力は衰えていないのです。

また、深みのある内容が故に読んだ人が受け取る印象も千差万別です。誰にとっても人生の芯について問いかけてくる般若心経は、たとえ時代が移り変わっても頼られる存在なのかもしれません。

暴挙!10秒で簡単に知る般若心経

 

1300年以上も愛される般若心経。

名前は聞いたことあるけど、お経を耳にしたことはあるけど、実際何を言ってるのかよく分からないと感じられることは多いでしょう。

 

でも、解説本を一冊読み切る時間もなければ、ありがたいお説法を聞いてもそのうちこっくりこっくり、、、、、だいたいこの記事を読み終えるのも煩わしい。

 

「要は、何のこと?」

 

そんなお声に応えて、般若心経を「10秒」で説明してみましょう。

 

仏教を愛する、思想を愛する方々からは総ツッコミを受けることを大覚悟の上。

でも「入り」は何でもいいだろうと割り切って、【10秒で知る般若心経】に挑戦してみることにします。

般若心経の現代訳(10秒Ver)

この世の物事は全部一人ひとりの頭の中であれこれ思うことで存在するので、あれこれ思わなければ全てのものは存在しない。

ということは、いくら生きることが苦しくても、その苦しみも存在しないし、気持ちは平穏そのものなんだ。それが悟りってもんだよ。

みんな悟ろうぜ。

.

 

以上。悟れましたか?

 

そうかな……人生も、般若心経も、そんな単純じゃないでしょ……

 

というお声が聞こえてきそうです。。。

ですよね。。。その通りです。。。

(10秒ではなくちゃんと訳したバージョンもあるよ!こちらを見てね)

 

般若心経は、「悟り」について語っておきながら、肝心の「HOW」については具体的には教えてくれません。教えてくれるのは、「悟り」の仕組みとその根拠です。そして、「HOW」については、「教えた仕組みを踏まえて各自の方法で頑張ってね!」ということなんだと思います。

そこが一番難しいのに。。。

 

ということは、10秒の中では端折られてしまった「悟り」の仕組みと根拠について、丁寧に読んでいく必要がありますね。そして、どんな環境下で、どんな時代背景で、般若心経が生まれ、必要とされてきたのかについて考えてみることで、もう少し深めて理解できるのではないかとも思います。

 

ですから、まずは般若心経が生まれたときのことについて少しお話して、それから中身を丁寧に読み解いていきたいと思います。

 

般若心経の歴史・誕生の経緯

 

般若心経とはいったい誰が生み出した言葉なのでしょうか。

 

昔々、唐の国(7~10世紀の中国)に陳褘というお坊さんがいました。今では戒名の「玄奘(げんしょう)」と呼ばれていますが、「三蔵法師(さんぞうほうし)」という名前の方がより親しまれています。『西遊記』の主人公ですね。

三蔵法師は、西遊記ではインドまで個性的なお供と一緒に旅をする冒険記のように描かれますが、彼の実際のお仕事は「訳経僧」、つまり仏教のオリジナルのお経をインドの昔の言葉であるサンスクリット語から漢訳するというものでした。三蔵法師は非常に優れた訳経僧として名を馳せ、「訳聖」と称されるほど敬われるお坊さんです。

彼はお経の翻訳のみならず、西遊記のモデルにもなったように自らインドに出向いて仏教を学ぶ素晴らしい研究家でもありました。そのようなストイックに突き詰めた姿勢が実を結び、それまでの翻訳されたお経の誤りを訂正し、正しい仏教思想を唐に持ち帰ることができたのです。そして、彼が唐に持ち帰った657部のお経の中にあり、中心的な位置を占めた般若経」を漢訳し、さらにそのエッセンスを取り出して300字足らずに凝縮したものが、般若心経なのです。

般若心経の素となった般若経とは、「般若波羅蜜」について説かれた膨大なお経の総称です。

般若」とは、仏教において迷い多きこの世界(此岸)から、悟りの世界(彼岸)に到達するため、つまり悟りに至るための「智慧」を意味します。また、「般若波羅蜜」とは、その智慧を得るためにすべきこと。

 

そして、心経の「心」には、般若波羅蜜の「核心」を意味するという説と、仏様を奉るための言葉である「心真言」を意味するという説があります。ですから、般若心経とは、

悟りの世界に赴くために必要なことの核心を説くお経

 

または、

 

悟りの世界に赴くために必要なことを教えてくださる仏様を奉る言葉の書かれたお経

 

ということになるでしょう。

 

ちなみに、「般若」と聞くと、角の生えた怖い能面を思い出す方もいらっしゃるでしょう。しかし、あのお面やあの表情を「般若」というわけではありません。とある説では、般若坊というお坊さんが作ったお面だから、とか、物語の中で般若のお面のモデルになった女性の生霊がお坊さんの読む般若経によって退治されたから、とか……

いずれにしても「悟りに至るための智慧」と般若のお面は、意味の上ではあまり関係はないようです。

皆さんは仏教の考え方は、どのような時代背景から生まれたと思いますか?

 

死や病、人間関係の不和や階級制度……昔、インドで、お釈迦様は人々が直面する数多くの「苦しみ」をご覧になられました。科学技術や社会制度が発達した現在では対処の方法がある問題でも、当時はただ指を咥えて苦しみに耐える他はありませんでした。そんな時に、お釈迦様は数多くの苦しみから「解き放たれる方法」、それも誰もがその気になれば「実践できる方法」を発明するのです。

仏教における空(くう)とは

その一つが「空(くう)」という捉え方。仏教では、「この世に存在している物事はすべて人が認識しているから存在しているのであって、自分自身の心で思っていること以外に存在するものは何もない」と、衝撃的なことを言うのです。

 

 私たちが生きる今では科学技術や社会制度が発達し、当時の苦しみのうちのいくつかは解消させることができるようになりました。なぜ天災が起こるのか。なぜ病気になるのか。なぜ争いが起きるのか。そのメカニズムを知ることができます。

しかし、生きることの「苦しみ」が無くなったわけではありません。「苦しみ」から解き放たれる術を昔の人々より知っている私たちだからこそ、持てる術を駆使しても逃れ難い「苦しみ」にはより臆病になりがちかもしれません。

現代でも般若心経や仏教の思想が人々の琴線に触れるのは、お釈迦様が発明し優秀なお弟子さんたちがまとめ上げた数々の「発明品」がいかにオールマイティーであるかということを示しているのかもしれません。

宗派による般若心経の違いはある?

オールマイティーがゆえ、どんな宗派にも愛された般若心経。今の日本には様々な仏教宗派があります。皆さんのお家の宗派では、般若心経はお読みになりますか?各宗派の般若心経をざっくりと見渡していきましょう。こちらにざっくりとまとめてみました。

 

般若心経の意味を現代語でわかりやすく解説してみる(部分解説編)

それでは、般若心経の中身を見ていくことにしましょう。ただここに書いてしまうととってーーも長くなってしまうので、別のエントリーで分けてご紹介しています。繰り返しにはなってしまいますが、超ざっくり言うと

この世の物事は全部一人ひとりの頭の中であれこれ思うことで存在するので、あれこれ思わなければ全てのものは存在しない。ということは、いくら生きることが苦しくても、その苦しみも存在しないし、気持ちは平穏そのものなんだ。それが悟りってもんだよ。みんな悟ろうぜ。

…です。はい。(しつこい!)

完璧に般若心経を理解したい!深いところまで般若心経を理解したい!という人はこちらのエントリーを読んでくださいね。

 

般若心経 現代訳全文(まとめ編)

上のエントリーではそれぞれについて必要な知識を盛り込みながら訳してきました。最後にそれらをまとめて、般若心経の現代日本語訳を完成させました!異論反論はあるかと思いますが、これがわたしの思う般若心経の現代訳です。

 

“書く”般若心経「写経」とは|写経の効果について

書く般若心経「写経」は般若心経などのお経を書き写しながら、精神を集中させ高め無我の境地を目指す心の修行です。

写経を実践することで心がすっきりする効果があると老若男女幅広い年代で手軽に写経を行う人が増えています。

般若心経を書き写す写経はもともとインドでお釈迦様のありがたい教えを多くの人に広めようとお釈迦様のお経を書き写していたことから発展していき、日本には奈良時代の頃から仏教の布教とともに盛んに写経が始まってきました。最初はお寺や仏教の専門家だけによって親しまれてきましたが、次第に貴族や豪族そして江戸時代になると一般大衆にも写経を行う文化が広がっていきました。

現代においては写経セットが市販されたり、日本全国の多く寺院でも写経体験が開催されていたり、身近な存在になってきました。

筆先に全身全霊を注いで、般若心経の文字を一文字一文字丁寧に書いていくことで般若心経を書き写すことで精神修行をすることができます。こちらのエントリーで詳しく書いていますのでご参考ください。

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なぞるだけ!写経入門

 

般若心経を唱え方のコツ!般若心経を読む時はできるだけ声を整えて読もう!

般若心経はお経を唱えることこそが大事なことであって読み上げる声はなんでも大丈夫!ただそれはその通りなのですが、どんな声でもいいかといえば、そうでもありません。
お経を読むのに、嘆き悲しむような声や、調子はずれの声、弱々しくか細い声、怒ったり叫んだりするような声は、ふさわしくないとされています。もっともなことです。
背筋を伸ばし、首や肩の力を抜いて、喉を開くようにして声を整え、適度な大きさで読んでみましょう。そして、できればお腹に力を入れてください。

 

お経を唱える時になぜ木魚を叩く?

木魚のイラスト

般若心経に限らず、お坊さんがお経を唱えているときには、木魚を叩いている姿をイメージする人も多いと思います。なぜ木魚や鐘、太鼓などをたたいてお唱えするのでしょうか?

お坊さんもはじめは師匠の後について少しずつ唱えながら、全文を覚えるということをしています。その際に弟子となる僧侶は大勢で唱えますから、リズムをとる打ち物の音が入ると、そろいやすいということがあります。打ち物とは、今でいう打楽器のことです。とくに般若心経は、祈祷のための読経や修験道では、大太鼓などをドンドンと叩きながら唱えるということがよく行われます。

修験道とは山にこもって修行し、霊験(ご利益)を得る日本独特の宗教のこと。現代の祈祷では、たとえばスポーツ選手の滝修行や護摩行などがわかりやすい例かもしれませんね。護摩行の火を前に祈祷師、煩悩を焼き払おうとつとめる行などのことです。

 

現代の般若心経カルチャー

現在では様々な解釈で般若心経が描かれています。般若心経をひとつの歌詞として捉え、様々なクリエイターたちが般若心経を楽しんでいます。

【MV】般若心経 cho ver. [short mix] / 薬師寺寛邦 キッサコ @京都・天龍寺

かなりかっこいいハイセンスな般若心経です。動画も京都・天龍寺で撮影され、静寂の中に響き渡る般若心経の唱えるお坊さんであるボーカルと、それにあわせてコンテンポラリーダンスを踊るダンサーさんがまたすばらしく、般若心経っていいなぁと思わせてくれる映像です。万人におすすめ。

 

さいごに

とても長くなってしまいましたが、般若心経の現代日本語訳を試みてきました。

たった300字足らずの原文ですが、そこには仏教が積み上げてきた数多くの知識が盛りだくさんで、読み解こうとこんなに紙幅を要してしまうのですね。私自身も改めてしっかりと読み直してみて、三蔵法師が心の底から、人々のために仏教の良い所を余すことなく伝えたかったんだなと実感することができました。

般若心経は、読む人によって、その読み解き方や感じ取るもの、そして活かし方が十人十色であることが、良いところなんじゃないかなと、勝手ながら思います。

 

みんな、それぞれ置かれている時間や場所や状況が異なります。学んできたことも、糧にしてきたこともそれぞれ異なります。

でも、みんな大なり小なり悩み、不安に陥り、立ち止まります。そんな時に般若心経に触れてみて、いつでも自由な学びが得られること、それが、このお経が1300年に渡って人々に寄り添い続けてこられた所以なのかもしれません。

あなたは、どんな「般若心経」を読みましたか。

色んなお経を覚えよう唱えよう!

 

 

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