写経とは?“書く”般若心経、写経体験の効果や意味、はじめ方


写経とはその名の通り、仏教のありがたいお経を紙に書き写す修行のことです。日々のストレスを忘れたい時、心をすっきりさせたい時に写経をすると気持ちがふっと軽くなることができます。

お経を書き写すことが写経ですが、今日みなさんが写経として実践するお経のほとんどが、般若心経のことが多いです。

奈良時代から行われていた写経には伝統があり、それなりの礼法や様式があります。写経が一般の人々に普及した現在では、伝統的な堅苦しい形式にこだわらず写経を楽しむ人もその方法も多くあります。しかし写経の本来の意味や目的、歴史を理解したうえで実践することで、より深く写経の世界、お経の世界、般若心経の世界を感じることができます。

 

難しそう、私、筆を使うことはできないんだけど…と思う人も多いと思います。でも大丈夫、写経というのは文字が上手とか下手とかは関係がないのです!その秘密については後ほどご紹介していきますね。

ともかくまず始めてみることから新たな一歩を進めていきましょう。写経とは、写経の世界についてわかりやすくガイドしていきたいと思います。

写経の効果、写経をするとこんな良いことがある

 

写経の効果の一つに心がすっきりするというものがあります。その理由について紹介します。仏教の修行には様々な形態があります。読経は発声の修行です。お百度参りや霊場巡りそして千日行という荒行は歩行の修行です。また瞑想、座禅、滝に打たれる水の行というものがあります。こうした修行の目的とするところは全てその過程で揺るぎない信仰心を育てていくことにあります。

写経はもともと仏教の経典や般若心経などのお経を書写する修行として行われていました。修行は信仰心を養ってこれを強くすることの訓練です。だからといって仏教徒でなければ写経をしてはいけないというわけではありません。神様や仏様に心の拠り所を求めて写経を志す人も多くいると思いますし、ただ集中できることを目標に写経をする人もいると思います。人は誰でも無意識のうちに心のどこかで信仰心を持っているのかもしれませんね。

 

写経を行うときは集中できる環境で、全身全霊で全てを持つ筆に注ぐことが肝心なのですが、誰もが初めからこのような気持ちで写経に臨める状態ではありませんよね。むしろ乱れた心やストレスを写経で鎮めたいという気持ちで写経をする人も多くいると思います。

写経の途中では誤字脱字がでてしまうかもしれません。多くの人は普段から筆を持つという機会はありませんのでなかなか思うように筆が進まないこともありますが、それでも大丈夫。大事なことは途中で挫折をせず、最後までやりきるということです。

 

写経に慣れてくると精神も集中していき、一定のリズムも生まれてきます。写経になれた人の言葉で「写経によって仏様の声を聞く」と言われたりするのですが、この集中している状態を「三昧(ざんまい)」といいます。写経の魅力の一つには、こうして書き上げた一つの写経にこの上ない喜び、満足感が得られるということがあります。

 

写経の意味と目標

今ちょっとした写経ブームもあり写経という言葉を耳にすることも増えていきました。

人それぞれに写経の動機は異なります。願いを込めて自分の願いを叶えるために写経をする人、先祖の供養のために写経をする人、中には宗教という枠を超えて精神修行のためやる人、単純に楽しく趣味でやる人、習字の上達させたい人など写経の目的は多種多様です。

 

写経と言うとまず般若心経から入っていく人が多いかもしれませんお寺の写経会でも短くて簡潔な般若心経を写経するのが一般的です。般若心経が仏教のほとんどの宗派で幅広く読まれていることも人気の秘密です。

 

みなさんそれぞれにご自身の目的に合わせて写経を楽しんでいただければと思うのですが、精神統一をして一文字一文字を書き写しながら筆に慣れ親しみ仏教の教えを体験していくことで写経を終えたときの達成感が大きく異なるため本来の写経の意味や目標ついてお話してみたいと思います。

 

写経の目標は、般若心経などのお経を写経することで会得できる「心の修行」です。人は108個の煩悩を持っていると言われていますよね。大仏さまの頭やお寺の鐘にはこの108の煩悩が付いています。大晦日の夜に人々が集まって除夜の鐘をつくのは1年のうちに降り積もった心の汚れや煩悩を取り払って清らかな心で新年を迎える準備をするためです。写経もこれと同じく心の迷いや煩悩を取り払う心を養って、ひたむきに一つのお経と自分と向き合うことが大事です。雑念を払い、心のうちに潜む全てのものを吐き出して無我の境地になることで、心がすっきり軽くなった気持ちになります。このすっきりとした爽やかな気持ちになることが写経の目指すところなのです。この心を養う修行が本来の意味での写経の意味、目標となります。

 

 

般若心経の意味を知って、写経はじめよう

 

写経そのものは般若心経の内容を理解していなくても作業としては成り立ちます。ですがここで心得ておきたいことは写経の間口が広いからといって、ただ般若心経の内容とは全く無関係に写経だけをただただ般若心経を書き写していくことよりも般若心経の内容や般若心経の教えをしっかりと理解したうえで写経を始めることが望ましいです。

 

般若心経の内容についてはこちらのエントリーでわかりやすく紹介していますので、ぜひ一読していただくことをおすすめいたします。

行き詰まったとき、もやもやしたとき、背中を押してほしいとき。 そんなとき、誰かの言葉に助けられることがあります。 誰の言葉なのかはいろいろだと思いま...

 

写経の歴史

写経の始まりはインド

 

写経の歴史について触れていきます。お釈迦様がインド各地を回って仏教を広めていたのは紀元前5~4世紀の頃で当時は口頭(口伝)で行われてきました。お釈迦様が亡くなる、つまり入滅した後はお釈迦様の弟子たちによって「お釈迦さまの良い教えを世の中に伝えていこう!」と釈迦の教えがまとめられた経典つまり「お釈迦さまのありがたい教えマニュアル」が出現しだすのですがこれは紀元前1世紀頃のお話です。

その後仏教には新しい運動が起こり、それまでは出家者つまり仏教の専門家によって守られていた小乗仏教に対してもっと広い範囲でそして原点に帰って分かりやすい形で布教するべきであると主張する大乗仏教が生まれました。この大乗仏教は一切の衆生には仏性が宿っている、つまり「みんなの心にはすでに仏様の心が宿っているんだよ」というのが大乗仏教の教義です。

インドの経典はパーリ語やサンスクリット語で記されていましたが当時はまだ紙がなく木の葉に書かれたり石に刻まれたりしていました、大乗仏教ではその後、在家の信徒たちによってたくさんの人々に対してお釈迦様のありがたい教えを伝えていきたいと仏教の教えが書かれた経典を広めようとお経をコピーして広める「写経」が開発されました。さらに写経が広められ同時にいろんな人にもわかるようにと翻訳も行われるようになっていきました。これが写経の始まりです。

 

写経が日本に伝わってくるまで

インドで生まれた仏教は4世紀頃には南の島スリランカに伝わり、そこからさらにミャンマーやタイなどの東南アジア諸国へと伝わって行きました。これが小乗仏教です。

 

一方で中央アジアから西域諸国を経て北へと伝わった大乗仏教は紀元前後に中国へ伝来したと考えられています。中国後漢の皇帝の時代には多くの学僧がインドからやってきて中国語ではすでに仏教の経典の翻訳が盛んに行われていました。4~6世紀頃の六朝時代には写経も盛んになり、1行を17文字で書く形式が定着していました。後の隋や唐の写経にみられる楷書体は奈良時代の日本の写経の模範ともなりました。

さてインドから中国へ伝わった仏教はやがて朝鮮半島へと伝わりこれが日本に入ってきたのは百済の時代です。538年当時の朝鮮を統括していた百済の皇帝が日本の朝廷に仏像や経典を献上したのがそのはじめとされています。

 

 

やがて朝鮮半島の新羅が朝鮮全土を統一する頃、668年には朝鮮での仏教は最盛期を迎えました。当時交流のあった中国の唐へは大勢の学者が入学しましたが、同時に朝鮮から日本へも多くの学僧がやってきました。彼らの中にはやがて日本へ帰化するものも増え、日本において仏典の研究や写経に指導的な役割を果たしていくことになります。

日本の写経のはじまりは奈良時代から

日本で写経が行われていたという最初の公式記録は日本書紀に記されています。天武天皇の白鳳2年、673年3月「書生をあつめて一切経を川原寺に移す」とあります。一切経は5000巻以上にものぼる大経典です。これはきっと国家レベルでの一大プロジェクトだったのでしょう。また現存する最古の写経は「金剛場陀羅尼経」で天武天皇14年686年の作とされています。このように日本の写経は7世紀後半の奈良時代から行われていたことがわかります。

 

新興宗教であった仏教ですが、百済系の蘇我一族の強力な後ろ盾によって用明天皇の代には仏教崇拝の方針が打ち出されて、いよいよ聖徳太子によって法隆寺が建立されるなど日本での仏教がとても盛んになっていきます。そして大化の改新の後、国家事業として近畿を中心に関東及び九州に至るまで多数の仏教寺院が造営されて、仏教を日本各地に広めようという動きが本格化していきます。それと同時に写経は活発に行われ仏教徒のみならず豪族によっても写経は盛んに行われるようになりました。

 

奈良時代には専門の経生(お経を書き写すこと)がいる「写経所」も設けられるようになりました。
東大寺の正倉院の文章には700名以上の写経の専門家の名前が記されていることも分かっています。平安時代に入ると仏教は国家事業ではなく個々の信仰として日本人に深く受け入れられるようになり写経は公家や貴族の間でのプライベートな行事として広まっていきました。厳島神社に奉納されている平家納経に見られるように平安時代には絵画をまじえ金銀で書写された華麗な装飾がなされたお経も生まれるようになりました。

 

 

鎌倉時代には仏教は一般的な民衆にも広まりこれをもっとわかりやすくするための念仏や数多くの宗派が登場します。その一方で自分自身の仏教が何なのか教えが何なのかを最重要視する禅宗も中国から取り入れられるようになりました。これらのお寺においては悟りは自分自身の心の問題であると考えられ、写経は今日に至るまで時代の流れとともにそのメインテーマを変えながらも長く伝えられています。

現在では数ある仏教宗派の中で般若心経の写経は浄土真宗を除いてほとんどの宗派で行われています。ここで大変興味深いのは般若心経の宝物となる教典が609年に中国から日本へ伝えられたのですが、現在では世界で唯一これが奈良の法隆寺に保管されているということです。このことは仏教の普及につれて翻訳された経典が数多く残り、大元となる教典はあまり重要視されなかったということではないかと思われています。

はじめてみよう写経体験!写経の正しい作法

まず写経の心構えについて理解しましょう。写経はお経の修行です。写経はただ手を使って字を上手に書くためのものではありません。仏教でのたくさんの精神修行のひとつが本来の写経です。

 

写経は体中の全ての感覚器官を使って行うものと考えられます。仏教では身体全身の感覚器官を6つあげていてこれを六根(ろっこん)と言います。

 

般若心経にも登場する「眼・耳・鼻・舌・身・意」のそれぞれが感覚と意識の根本だとして、この六つをすべて精一杯働かせて行う修行だとして考えられています。香りをくぐらせ心を鎮めて精神を集中統一して雑念を払い、無我の境地の中で一字一字丁寧に般若心経の意味を味わいながら書いていくことで精神修行ができると考えられています。

 

ただただ楽しみながら写経していくことも良いと思うのですが正しく写経の意味を頭に入れたうえで実践することでより一層、写経を終えたときに充実した気持ちを得ることができるでしょう。

① 部屋を清めて写経の用具を整える

奈良時代の写経は、天皇や皇后の勅願によってとても厳かな儀式として行われていました。ただ単に文字を書けばいいというわけではなく、礼拝、瞑想、説教が行われて食事や睡眠までもがその儀式の一つと考えられていました。となると、どうなるかというと写経の完成までには、短い場合でも数ヶ月、時には数年もの歳月をかけて一つの写経を完成して行きました。
お経を写経するということがどれだけ一大行事であったのかが分かりますね。

現在私たちがお寺で行う写経は簡略化されていますが写経はそれほど厳粛なものであることを心得て写経に臨みましょう。部屋を掃除して、写経に必要な用具を揃えて、ちゃんと用具が揃っているか、机の上の道具を整頓して心を静かに、
一呼吸して精神を集中させてから写経にのぞむようにしましょう。

②写経をする時の姿勢

 

椅子の場合はゆったりと腰掛け、畳の場合は正座をしましょう。両膝の間に握りこぶしひとつが入るくらい開けて、背中をピンと伸ばしましょう。お腹の力を抜いてしまうと背中が丸くなり、腰が前かがみになってしまいます。抜くのは肩の力だけです。

 

正しい姿勢ができたら静かに深く息を吐きましょう。これを2、3回繰り返して心を落ち着かせると自然に写経の心構えができるようになります。

③ 墨を磨る(磨墨:まぼく)

筆に染み込ませる墨を磨(す)ることを磨墨(まぼく)と言います。
墨はすでに水に馴染まされているものが市販されていますが、可能であれば固形の墨を水に溶くことから始めていきましょう。机に向かって静かに墨をすっていると不思議と心が落ち着いてきます。墨の香りはまた独特でこの香りが周囲に漂い始めると次第に、写経をするぞ!という気持ちが高まってきます。この気が体中に満ちていくことを気満と言います。

 

④ 般若心経を唱える

道具が揃い、姿勢を正して、墨をすって、これで写経の準備は整いました。気満の状態であれば机の前に座っている、心の中は真っ白な気持ちになっていることと思います。準備が整ったら目を閉じて両手を合わせ、般若心経を唱えます。

行き詰まったとき、もやもやしたとき、背中を押してほしいとき。 そんなとき、誰かの言葉に助けられることがあります。 誰の言葉なのかはいろいろだと思いま...

般若心経を読むときはできれば声に出して読むことが望ましいですが、周りに人がいる時などは心の中で静かに唱えても大丈夫です。

読み終わったら静かに目を閉じて心を整え、 写経を実践する心構えができたと思ったら 目を開いて筆を取りましょう。

 

写経観念文(しゃきょうかんねんぶん)を唱える

また般若心経に加えて写経観念文(しゃきょうかんねんぶん)を唱えることもあります。

写経の前に唱える経文として知られています。おおまかな意味は、「慈悲を含んだ智慧の水と、瞑想の石墨が混じり合って、真実で究極である仏が説いた文字を書き記す。この文字は三世諸仏の秘蔵、様々な姿をとる如来の真実の姿であって、禅定と智慧の教えであり、自から励み他を救う功徳をことごとく備えている。こういうわけで、この経典の文字は、衆生の前に姿を現し、教えと説いてくださるのだから、私はこの経を書写させていただく。写経という善行で、私とすべての生きとし生けるものの一切の罪の原因が消え、極楽に往生し、仏に見え、その教えを聞き、真理を体得することができますように」。そのような内容です。

写経観念文(しゃきょうかんねんぶん)
水は是れ大悲慈潤(だいひじじゅん)の智水、墨は楞厳禅定(りょうごんぜんじょう)の石墨(せきぼく)なり。
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定の墨、慧(え)の水和合して、実相法身()じっそうほっしんの文字を書写す。
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この文字は三世諸仏甚深(さんぜしょぶつのじんじん)の秘蔵、三身如来真実の正体にして、禅定智慧の法門、自行化他(じぎょうけた)の功徳(くどく)、悉(ことごと)く皆具足す。
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是れを以て此経(ひきょう)の文字は、十界に色身(しきしん)を現じ、随類説法(ずいるいせっぽう)したもう。
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この故に我れ、今この経を書写し奉る。
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この功徳の善根に依って、弟子法界の衆生と共に、無始巳来(むしいらい)の三業六根一切(さんごうろっこんいっさい)の罪障を、皆悉く消滅し臨終は正念に極楽往生し、仏を見奉り、法を聞いて無生忍を証せんことを。

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⑤ 手本を見ながら写経を始めます

筆を取ったらいよいよ写経を始めていきましょう。まず「般若心経」などの経題を書きます。本文は17字詰めで16行となります。写経をしている間は意識を集中させ、筆と文字に全身全霊を込めるつもりで書いていきます。書き終わったらこの後もう一度、経題を書いて書写は終了します。写経を終えたら最後にお経の文字よりも小さい文字で願文、書いた日付、氏名の順に書きます。

 

 

精神を集中して写経をしているつもりでも緊張をし過ぎてしまったり、またその反対についうっかり間違いを犯してしまうことがあります。お経を途中で間違えてしまった場合は、新規にまたお経をやり直さなければなりません!というワケではありませんのでご安心ください。校正方法も存在します。ここではもし間違えてしまった場合の校正方法について触れておきます。

写経の校正方法

・もし誤字をしてしまったら…

誤字に気付いたら誤字の右側に黒点を書きましょう。そしてその行の上下いずれかの余白に正しい文字を記入します。

・もし脱字をしてしまったら…

般若心経には「空」や「色」など、同じ漢字が何度も登場してきて、うっかり脱字をしてしまうことがあります。脱字に気付いたら。その箇所、つまり前後の文字と文字の間の右側に黒点を書いて、その行の末に脱けた文字を書きましょう。さらに書き足した文字の右側にも黒点を記すことで「本来はこの黒点のところにこの文字が入ります」という意味になり脱字を修正することができます。

 

⑥瞑想、合掌をして写経を終える

般若心経を全て書き終え写経が終わったら、めでたく完成となります。あまり上手くない筆であってもたとえ誤字や脱字があったとしても。ご自身が誠心誠意を込めて写経した文章は既に仏の魂が宿ったと言っても過言ではありません。静かに瞑想と合掌をして無事写経を終えたこと、自分を支えている多くの人に感謝の気持ちを持って合掌し仏さまに報告をしましょう。

 

書き終えた写経はどうすればいい?

書き終えた写経は、大切に保管しましょう。仏壇などに入れたり書いたお寺や菩提寺に奉納することもいいでしょう。場合によってはご自身で額に入れて記念に保管したり、掛軸に飾るのも良いしょう。お寺に奉納するという風習は既に平安時代末期から行われていました。

 

写経と習字はどう違う?

写経は文字の上達を目的とするものではありませんので、文字の上手い下手は、本来の意味では写経にはあまり関係がないのです。習字の練習として写経を楽しむ方もいらっしゃると思いますが写経の本来の意味ではしっかりと写経を実践していきたいという場合には、写経の異議や意味を正しく理解しておく必要があります。

逆に写経は文字の練習ではありませんので、下手な字でもまったく問題ありません。写経は繰り返し文字の練習をする技術の習得ではなくて、修行の一つであるということを理解しておきましょう。

 

また昔は写経の紙のかきつぶしはNGとされてきました。もし途中で書き損した場合には、習字の場合これを校正することははできますが、写経においては基本的にNGでした。とはいえ、上記に校正の方法もあるように今日、我々が行う写経では間違えても校正をしっかりすれば大丈夫です。重要なのは1文字、1文字に仏様が宿るつもりで心をこめて書いていくことを心得ましょう。

 

さいごに

いかがでしたでしょうか。写経の世界はとても奥深く、ただ単にお経を紙に書くというものではなかったのですね。どんなに下手な字だったとしても、一生懸命書く、最後まで書き遂げるということが大事であり、我々の生活にも通じる大事なメッセージを送っているようにも思えてきます。

 

写経セットを買って自宅で般若心経を始めてみてもいいですし、東京だけでなくその他の全国各地の地域でも、般若心経の写経をお寺の行事として行なっているところも多いです。そのようなお寺へ問い合わせをしてみて、気軽に写経を始めてみましょう。

 

なぞるだけ!写経入門

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