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【はじめての仏教:天台宗とは】最澄の教えやお経、葬儀などの特徴を解説!

天台宗とは
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 きょうは日本にあるたくさんの仏教宗派のうちのひとつ天台宗(てんだいしゅう)のお話。歴史で習ったことあるかも!って人、意外と多いかもしれませんね。

天台宗の総本山である比叡山延暦寺は、最澄(さいちょう)さんがひらいた巨大なお寺です。滋賀県にありますが、京都にも近いので京都観光や修学旅行でいったことある!って人も多いのではないでしょうか。

今回は天台宗の教えやお経、本尊、お葬式のことなどなど、天台宗のあれこれをまるっとわかるよう徹底解説してみたいと思います。

延暦寺は仏教の「総合大学」とも呼ばれていて、後世につづく仏教の宗派を立ち上げたスーパースターを続々と輩出しています。現代に例えると「仏教版シリコンバレー」と言えるかも。でも一方で巨大な勢力となって朝廷や戦国時代の大名たちに歯向かうこともあり、織田信長は手ごわい比叡山を焼き討ちされたりしてしまいました。

そんな比叡山を総本山とする天台宗ってどんな宗派なんでしょうか?まず、天台宗の基本情報からおさらいしましょう。

天台宗とはどんな宗教?

 天台宗の宗祖は最澄(さいちょう)です。比叡山延暦寺が総本山で、延暦寺は1200年の歴史があります。まず基本情報をまとめました。

・宗祖は最澄

・はじまり(開宗の年):806年1月26日、僧侶2名を天台宗の国家公認僧侶と定められる。この日を天台宗開宗の日としている。

・教えの特徴:
天台宗の特徴は「円、密、禅、戒」という四つの仏教の教えをミックスした「四宗融合」。四つの仏教要素を取り入れた天台宗では「人はみんな生きているうちに仏になれる」と考えている。

・本山 : 比叡山の延暦寺(滋賀県)

・本尊: とくに決まっていなくてお寺によって違う。釈迦如来、阿弥陀如来をご本尊にしているお寺が多い。

・特徴となるお経: 「法華経」

それでは、天台宗のはじまりから見ていきましょう。

天台宗のはじまり(開宗の年)

 

6世紀・隋の時代に中国の僧・智顗(ちぎ)が天台宗を開きました。日本だと聖徳太子が登場する50年くらい前です。天台宗の教えを中国から日本に持ち帰ったのが最澄です。僧だった最澄は遣唐使メンバーとして中国に行って、天台宗を持ち帰ったんです。では、最澄ってどんな人だったんでしょうか?最澄のプロフィールをみていきましょう。

最澄のあゆみ①滋賀県に生まれ、エリートコースを進む

 最澄は767年、近江国(現在の滋賀県)坂本にある生源寺で生まれました。父親は生源寺一帯を治めていた豪族でした。遠い祖先は中国に昔あった漢という国の孝献帝の子孫・登萬貴王(とまきおう)につながる由緒正しい家柄だったみたいです。登萬貴王は応神天皇の時代(4世紀後半くらい)に中国から日本にやってきたと伝わっています。母親は応神天皇の子孫で、当時の貴族・藤原鷹取の娘と言い伝えられています。最澄は血統正しいおぼっちゃんだったんですね。

 最澄は広野と名付けられました。小さい頃から学問に秀でていたようです。12歳から近江の国分寺で僧になる勉強を始めて、15歳で正式に僧侶になりました。“最澄”というお坊さん用の名前をもらったのはこの時です。19歳の時、当時のエリートコースだった東大寺の僧侶になりました。

小さい時から優秀だった最澄、順調なすべりだしですね。

最澄のあゆみ②比叡山で修行に励む、中国天台宗の研究

 エリートコース東大寺の僧になった最澄ですが、わずか3か月で東大寺を去ってしまいます。追い出されたのではなくて、自分から東大寺を出ていったんです。当時の東大寺は貴族の跡取りではない子弟が僧になるケースが多くて、激しい出世争いがおきていました。そういう風潮にイヤケがさしたのかもしれません。ただ単に、東大寺以外で仏教のことを学んでみたかったのかもしれませんが。最澄がどう思っていたのかは分かりませんが、東大寺を離れて、故郷にある比叡山で仏道修行に励みました。

 

 

一人で黙々と修行していたのではなく、東大寺や他のお寺の僧とも交流して意見を交わしていたようです。このあたりとてもバランスがとれていますね。ともかく比叡山で修行に励む最澄、ある日、天台宗のお経「法華経」に出会います。コレだ!と思った最澄は、法華経以外のお経も読んで、天台宗の研究にのめりこみました。

 

最澄のあゆみ③遣唐使として中国へ。天台宗を日本に持ち帰る

 

 天台宗のお経を読んで天台宗の研究を深めていた最澄。奈良や京都のお寺で他の僧侶たちと交流したり、講習会をすることもありました。797年、比叡山で写経事業をしたときは、比叡山の弟子たちに写経させたほか、奈良のいくつかのお寺にアシストを頼んでいます。

 同年、平安京の道場でお経を読む内供奉(ないぐぶ)に任命されました。802年には京都の高尾山寺の講演会に招かれて、天台宗について講演をしています。この講演会のことを聞いた桓武天皇は天台宗に興味を示して、弘世という僧侶にいろいろ質問しました。弘世は質問に答えるため最澄に相談したそうです。

比叡山で修行中も、宮中の役職をこなしたり、他のお寺とも仏道の交流をしたり。最澄、学問だけができるエリートじゃなくて、社交性・調整力もあるバランスのとれた人ですね。バランスのとれたエリート最澄は、804年に遣唐使メンバーに選ばれました。

 

最澄の遣唐使選抜には桓武天皇の意向もあったようです。桓武天皇は天台宗を中国から取り入れることを希望していたみたいです。遣唐使として中国にいった最澄は、中国天台宗の総本山・天台山に行きます。

 天台山で、中国天台宗を学び、他にも禅、戒律といった仏教の教えを学びます。最澄は中国天台宗をそのままコピーして日本に伝えることはしませんでした。中国天台宗、そして禅、戒律、密教という仏教のいろいろな教えから、主なエッセンス取り出して日本に持ち込みました。

 

 

そして806年、比叡山で天台宗を開きました。

では最澄が始めた天台宗にはどんな教えの特徴があるんでしょうか?

天台宗とは、天台宗教えの特徴

 最澄が日本で始めた天台宗では「人はみんな平等で、ことごとく成仏することができる」という教えを持っていました。そしてこの教えを支えていたのが「四宗融合」という考えです。四宗とは「円、密、禅、戒」という四つの要素のことです。最澄は「人はみんな平等で成仏できる」ことを実現するために、「円・密・禅・戒」が大切だと主張したんです。それでは、この四つの要素を一つずつ見てみましょう。

 

天台宗の教え「四宗融合」を解説

 

 

①円

中国天台宗本来の教えです。「法華経」をベースにしています。「法華経」は一乗思想というのがあって、人はみんな一つの乗り物に乗っていて、成仏できると説いています。これに対して、天台宗より古い旧仏教では「成仏できるのは声聞、緑覚、菩薩という三つの乗り物ののうち菩薩にのったものだけ」という考えを持っていました。これを三乗思想といいます。最澄は一乗こそ真実!と強く主張したそうです。

 

②密

天台密教のことです。天台密教を「台教」といいます。台教は一乗思想をとっていました。密教ではすべての人は一つの乗り物に乗っていて、生きたまま悟りを開いて即身成仏することが可能です。

天台宗では、台教(密教)の反対を顕教といいました。最澄の時代、密教は新しい宗派ですから、顕教は旧仏教を指します。顕教は理解しやすいように、言葉や文字を使った教えです。顕教は分かりやすいのが特徴ですが、三乗思想をとっていて、魂が繰り返し生まれかわって真理を習得した時に初めて成仏できるとしていました。

 

③禅

教えを実践する方法として、禅が大切だとしました。

 

④戒

仏教の戒律・受戒のことです。天台宗では一人でも誓うことができる戒律として大乗戒を主張しました。大乗戒では、人は修行すれば釈迦と同じ仏になれると考えられています。これにたいして「限られた人しか受戒は受けられない」小乗戒という考えがあります。小乗戒は東大寺など旧仏教勢力の考えです。

 

「円、密、禅、戒」の四宗融合。難しいですが、天台宗では「仏教の教えを守れば人はみんな仏になれるよ」を実現するためにこの四つの要素をミックスさせたんです。みんなが成仏するには、禅や戒律が大切だと。こういう、だれでも仏になれるという考えは、東大寺を代表とする旧仏教勢力(華厳宗、法相宗など)とは一線をひいていました。旧仏教勢力は、「三乗思想」や「小乗戒」からも分かるように、「限られた人しか仏になれない、救われない」という考えを持っています。こういうきゅうくつな考えを最澄は改めたかったのでしょうね。

 

一つ、大乗戒壇についてのエピソードをお伝えします。このエピソードで最澄の思いを感じてみましょう

天台宗の教え:大乗戒壇の設立

最澄は「すべての人は仏になれる」を目に見える形にするために、大乗戒壇を設置しようとしました。戒壇というのは仏教の戒律を守っている人が正式な僧になるための受戒を受けるための施設です。イメージとしては免許センターみたいなものです。

 

 

当時は、日本に3か所しか戒壇がなかったんです。「天下の三戒壇」といわれていて、東大寺(奈良)、観世音寺(筑紫:現在の福岡県)、薬師寺(下野:現在の栃木県)にありました。

仏教免許センターが日本に3つしかないのだから、普通の人が受戒を受けるのはかなりハードルが高そうですよね。

実際に、ごく限られた人しか受戒は受けられなかったんです。最澄はこれを改善しようとして、延暦寺に大乗戒壇を設けました。大乗戒壇を正式なものとして朝廷から許可をもらおうとしましたが、旧仏教勢力が反対します。結局、最澄が生きている間に朝廷から大乗戒壇の許可はもらえませんでした。最澄の死の知らせを受けた貴族たちが天皇に嘆願して、最澄の死から7日後にやっと朝廷から大乗戒壇の許可をもらいました。弟子たちや支援者のおかげですね。

 

 四宗融合、そして一乗思想、天台宗の特徴がわかってきました。同じ密教系の真言宗とは違って、密教、禅、戒律、そして「法華経」といろいろな要素が混じり合っていますよね。

真言宗を「密教単科大学」というのに対し、いろいろな教えを取り入れた天台宗は「総合大学」ともいわれるんですよ。こういう例えだと分かりやすいですね。

あと勝手なイメージですがこんなことも思いました。

 

 

さて、天台宗の特徴がわかったところで、次はご本尊について見てみましょう。

 

天台宗の本尊

 さまざまな教えをミックスさせた天台宗は、ご本尊もさまざまです。天台宗のお寺ではだいたい釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などをまつっています。

 釈迦如来をご本尊にしているお寺がおおいですね。釈迦如来とは仏教をつくったお釈迦様のことです。お寺ごとにいろいろなご本尊をまつっているというのも、いろいろな学部がある総合大学っぽいですね。さて、次は本山についてです。

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天台宗の総本山

 天台宗の総本山は比叡山延暦寺です。785年、東大寺を去った最澄は、故郷・比叡山の小さな草庵で修行を始めました。3年後には一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建てます。これが現在の根本中堂(総本堂)となっていて、国宝に指定されています。

823年、嵯峨天皇から「延暦寺」という寺号をもらいます。延暦寺と名前がついたのは、最澄が死んだ翌年でした。延暦寺は一つのお寺ではないんです。比叡山を「東塔」「西塔」「横川(よかわ 北側)」と3つの区域に分けていて、それぞれに本堂があります。塔は他にもあって、一番多いときは3000以上あったそうです。

 

 

 比叡山延暦寺では、たくさんの僧たちが修行をしました。浄土宗を開いた法然、臨済宗を開いた栄西、曹洞宗を開いた道元、そして日蓮宗の日蓮と、多くの名僧も輩出しています。天台宗では、法華経、密教、禅、念仏も教えてくれる総合大学のようでした。

 

 

延暦寺は「日本仏教の母山」として仰がれています。1200年の歴史をもつ比叡山延暦寺は、1994年にはユネスコ世界文化遺産に登録。今ではケーブルカーやドライブウエイも完備しているので、気軽に散策を楽しむこともできます。延暦寺とともに、長い歴史を持つ天台宗。歴史の長い天台宗にはいくつか分派があって3つの主な分派はそれぞれ本山を拠点にしています。

 

次は天台宗の主な3分派について見てみましょう。

 

天台宗の主な分派

天台宗の分派①山門派

最澄の弟子、円仁(えんにん)のながれをくんでいます。比叡山延暦寺を拠点とします。天台宗で大切とされる「法華経」と密教は同じ価値があるという考えを持っていました。

 

岩手県の中尊寺は円仁によって開かれたお寺で、奥州藤原氏が建てた金色堂は有名ですよね。山門派はさらに13の分派に分かれました。

天台宗の分派②寺門派

最澄の弟子、円珍のながれをくんでいます。比叡山のふもとにある三井寺(みいでら)こと園城寺(おんじょうじ)を拠点にしています。もともと円珍たちは比叡山の中に拠点をもっていたのですが、円仁の山門派とはげしく対立して焼き討ちにあったため比叡山をおりて園城寺に入りました。寺門派は「法華経」よりも密教を優位とみなしました。中世では寺門派の方が勢力が大きくて、特に鎌倉幕府は寺門派を優遇しました。源氏の氏神をまつっている鶴岡八幡宮は寺門派の末寺とされています。

天台宗の分派③真盛派

  戦国時代の僧・真盛によってはじまった分派。比叡山の西塔で修行をして、戒律と念仏の一致を唱えました。西教寺(滋賀県坂本)を拠点としています。西教寺は、坂本城主だった明智光秀の支援で再建されました。今は約400の末寺があります。東京の浅草寺は真盛派のお寺です。

さて、次はお経についてです。

天台宗の主なお経

 天台宗では「法華経」を大切にしています。「法華経」はお釈迦さまが「すべてのものは仏になる」と説いたお経です。

「すべてのものは仏になる」、天台宗の根本にある教えでしたよね。法華経を根本としているため、天台宗は「天台法華宗」とも呼ばれています。法華経の16番目に出てくる「自我偈(じがげ)」という項目を天台宗ではよく使います。自我偈は、「仏の命は永遠である。また仏の願いは人々を永遠の命がある仏にすることで、仏はそのために常に人々と共にある」と説いています。また法華経25番目の「観音経」もよく使われます。観音経では「南無観世音菩薩」と唱えることで誰もがわけへだてなく災いから逃れられると説いています。

法華経について、くわしくはこちらをご覧ください

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 他にも「阿弥陀経」を大切にしています。朝題目夕念仏といって、天台宗では朝は法華経を中心に、夕方は阿弥陀経を中心におつとめをしています。

 さて、天台宗の葬儀ではどんなことをするんでしょうか?

天台宗の葬儀・お葬式

 天台宗の葬儀では、顕教法要、例時作法、密教法要という3つの儀式を行います。いろいろな仏教の教えをミックスさせた天台宗では、葬儀でもいろいろな要素を組み合わせているんですね。

天台宗は仏教を大きく、密教と顕教に分けています。顕教は言葉や文字で分かりやすく仏の教えを説きます。密教は、音や色などで仏の存在を感じて仏の悟りに到達しようという教えです。顕教、密教、それぞれの特徴を葬儀では取り入れています。

天台宗の葬儀にでてくる3つの儀式をまとめてみます。

天台宗の葬儀①顕教法要

法華経を読んで、亡くなった人の罪を悔い改める儀式です。罪というのは犯罪ではありません。仏道では人は煩悩をもって生きているので、一切の言動が罪になるんです。人として生きた罪を法華経で悔い改めて、仏に近づけるという意味があります。

天台宗の葬儀②例時作法

阿弥陀経を読んで、仏教では最高の存在である阿弥陀如来に救いを求めます。阿弥陀如来による救いで亡くなった人が極楽浄土に行けるよう願うんです。

 

天台宗の葬儀③密教法要

サンスクリット語をそのまま映した「光明真言(マントラ)」を歌って、亡くなった人を供養します。これも亡くなった人を極楽浄土へ行けるよう願う儀式です。

他にも、「散華」という儀式があります。ハスの花びらに見たてた紙を棺にまくんです。ハスの花の香が悪いものを払うと考えられているからです。それでは次に戒名について見てみましょう。

天台宗の戒名は?

 天台宗の戒名は二文字が基本です。

 

「〇〇院(院号)□□(道号)△△(戒名)信士(位号)」

という構成です。天台宗は密教なので、戒名の一番上に梵字を入れるケースもあります。大日如来の梵字「」や、阿弥陀如来の梵字「キリーク」が用いられます。

 

 

使われる梵字はお寺のご本尊によって違います。戒名をつけるときに確認するのがいいですね。それでは次に仏壇について見てみましょう。

 

天台宗の仏壇

 天台宗は、釈迦如来をご本尊にしているお寺が多いので、仏壇でも釈迦如来を真ん中にまつるのが一般的です。阿弥陀如来を真ん中にまつっているご家庭も多いです。

そして向かって左に「伝教大師」、向かって右に「天台大師」を並べます。「天台大師」とは中国天台宗をはじめた智顗のことです。伝教大師は最澄です。特にきまりはありませんが、金仏壇はほとんど使われません。また位牌の色や形に決まりはありません。

 

 葬儀、戒名、仏壇についてはわかりましたね。では天台宗のお寺や信徒数について確認してみましょう。

天台宗の寺院数

 天台宗のお寺は約4500あります。総本山は最澄が開いた比叡山延暦寺です。延暦寺は山門派の拠点になっています。山門派の大本山として、中尊寺(岩手)、日光山輪王寺(栃木)、寛永寺(東京)、善光寺(長野)があります。他にも山門派のお寺だと、いずれも京都にある妙法院、毘沙門堂、三千院、青蓮院が有名ですね。山門派から分かれた寺門派では園城寺(滋賀)が総本山です。また真盛派だと西教寺(滋賀県)が総本山になります。

 

 浅草寺(東京)、四天王寺(大阪)、聖護院(京都)は行ったことある人、知っている人も多いのでは?これも天台宗のお寺ですよ。

 

有名なお寺がたくさんある天台宗。信徒はどのくらいいるんでしょうか?

 

天台宗の信者数

天台宗の信徒数は約320万人です。同時期に空海がはじめた真言宗が約897万人なので、半分以下ですね。信徒数は少ないかもしれませんが、天台宗の総本山・延暦寺で学んだ僧からは有名人がたくさんいます。

本山のところでずらっと上げましたけど、浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、そして日蓮宗の日蓮などですね。比叡山で修行をして、独自の宗派を立ち上げました。天台宗の考えがベースにあるんですね。他にも鎌倉時代に活躍した良源(慈恵大師)、「愚管抄」を書いた慈円なんかは天台宗の僧です。慈円は「前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)」という名前で、百人一首にも登場します。

「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣(そま)に 墨染の袖」

意:身の程知らずかもしれないが、世の中の人々の上に、墨染の袖(僧侶の服)をおおいかけよう。

 

名高い人をたくさん生み出した天台宗。総合大学と呼ばれる所以でしょうか。信徒数は少ないかもしれませんが、他の宗派とくらべても存在感がありますよね。それではそんな総合大学・天台宗の系列大学を上げてみましょう。

天台宗の系列の大学はある?

 天台宗の系列大学では、大正大学があります。東京、埼玉にキャンパスがあります。山門派の大本山である寛永寺の境内に設立された天台宗大学林支校がはじまりです。のちに真言宗の豊山派、智山派、浄土宗が加わって、三宗派四派の連合大学となりました。いろんな仏教の教えをミックスしてきた天台宗らしいですね。

 

 

 天台宗についてたくさん見てきましたね。それではまとめに入りましょう。

 

天台宗のまとめ

 天台宗について、まとめると次のようになります。

 

①天台宗は平安時代の僧、最澄によって中国からもたらされた。

②天台宗の教えは、法華経、密教、禅、戒律など仏教のいろいろな教えをとりいれてミックスしたもの。

③特定の人しか救われない三乗思想ではなく、一乗思想をとって「すべての人は仏になれる」と説いた

④天台宗は「すべてのものは仏になる」と説いた「法華経」を大切にした。ご本尊はとくに定まっていなくてお寺によってさまざま。釈迦如来、阿弥陀如来をまつっているお寺が多い。

⑤天台宗の総本山は比叡山の延暦寺。延暦寺はユネスコ世界文化遺産に登録されている。

⑥信徒数は同時期できた真言宗の半分以下だが、天台宗の総本山・延暦寺で修行した名高い僧はたくさんいる。

バランスのとれたエリート最澄。そのキャラクターにふさわしく、天台宗は仏教のいろいろな教えをミックスさせたバランスのとれた宗派です。

最澄は、同じ遣唐使船に乗っていた空海とも交流し、密教の教えを受けていたそうです。でもそのうち空海とは交流しなくなってしまいました。密教を深く追求した空海にしてみれば、いろんな教えがミックスされた天台宗は物足りなかったのかもしれません。天台宗は「すべての人は仏になれる」と説き、そのために最澄はいろいろな仏教を天台宗でミックスさせたんです。このあたりに最澄らしさや情熱を感じますよね。

仏像ファンとしては天台宗の寺院にはたくさんの種類の仏像があるイメージです。とくに比叡山延暦寺の宝物館や各お堂は仏像の濃度や空間的な荘厳さがあって何度も訪問したくなります。また琵琶湖の湖北の長浜〜高月町は「観音の里」として、地元の人々と仏像が密接に結びついた暮らしを見ることができます。みなさんも最澄さんの足跡を辿ってぜひ琵琶湖周辺の寺院にいってみてくださいね!

 

 

今回もお読みいただきましてありがとうございました。