「ありがとうございました。本日のお快慶はこちらです〜」って、
本日は「会計」じゃなく「快慶」の話。
仏師の快慶(かいけい)を紹介します。
「運慶・快慶(うんけい・かいけい)」という仏師界の2大スーパースターは耳にしたことがある方も多いはず。快慶は運慶と並んで日本史上、最も重要な仏師のひとり。鎌倉時代に活躍した仏像制作者です。
きっと歴史の教科書やテレビで見たことがあるはず。修学旅行で見たという人も多いかもしれません。
- 快慶はどんな作品を残したの?
- 運慶と快慶の違いは?どんな関係?
- 快慶の仏像の特徴ってどんなところ?
こんなことを知りたい人、手あげて〜
快慶さんの美しい仏像にうっとりしちゃうかも?!
まずは快慶のプロフィールからご紹介です!
快慶のプロフィール、快慶ってどんな人?
快慶の生涯って、実はあんまりよくわかっていません。鎌倉時代に活躍したことはわかっているのですが誰の子供なのか、いつどこで生まれたのか、いつどこで死んだのか、これら全ては謎に包まれています。逆に、作品はあの運慶よりもたくさん残っています。多くを語らずに作品だけで語る男ってかっこいいですよね。
東大寺再興の重源上人とゆかりが深い
慶派全体は鎌倉幕府の要人と結びついて急成長をとげましたが、快慶個人としては、奈良のお坊さんたち、特に俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)という偉いお坊さんとのゆかりが深かったことがわかっています。
この重源というお坊さんは、「奈良の大仏」で有名な東大寺(とうだいじ)の復興を指揮した人物として歴史上とても重要です。そもそも東大寺は8世紀に聖武天皇が大仏を造立して建立したお寺です。しかし源平の合戦のさなか、東大寺をはじめ奈良のお寺の多くは源氏に味方したために平氏によって焼き討ちにあい、多くの仏像が焼失、壊滅的な被害を受けたのでした。
平氏が滅亡し源氏の世の中になってから、興福寺や東大寺といった奈良のお寺は復興活動を始めました。その中で重源は、61歳にして東大寺大勧進職(復興責任者)として重要な地位についたのです。
重源と快慶がどこで知り合ったのかはこれまた謎です。しかし重源は快慶をとても気に入り、重要な作品の注文を次々に与えています。快慶の作風は運慶と比べて穏やか。また、快慶自身が当時始まったばかりの浄土宗を信仰し、阿弥陀信仰者であったことも重源と共通していました。

運慶と快慶はどんな関係?
快慶はよく運慶とセットで語られがち。でも2人はどんな関係なんでしょう。
親子?強大?双子?実は運慶と快慶の関係もよくわかっていないんです。
少なくとも、運慶と快慶の間には血縁関係はありません!セットで語られるのにびっくりですよね。
快慶は運慶の弟弟子、つまり、同じ師匠に師事していたというのが今の一応の定説です。運慶の弟子は、運慶の実のお父さんである康慶です。その康慶に快慶も師事していたようです。しかし実はもう一つ別の説があって、快慶が運慶自身の弟子だというものです。この2つの説のうちどちらが正解かはわかりません。
いずれにしても、慶派を代表する2人の天才というアツい展開はまるで少年漫画のようで、これからの研究の行く末が気になります!
それでは、そんな快慶の作風を、運慶と比べながら説明しましょう。

快慶の特徴・作風って?運慶と快慶の違いは?
運慶と快慶の違い・作風の特徴:動の運慶、静の快慶
運慶と快慶の作風の違いは動きのあるダイナミックな作風の運慶に対し、快慶の作品は穏やかで優しげといわれています。
運慶の得意分野は巨大で力強く誇張もきいた、武士好みの作品です。そのため鎌倉幕府のサポートを受けて活躍しました。彼の作品にはたとえば金剛峯寺「八大童子像」などがあります。晩年は注文者を選んでいたようで、幕府の要人からの注文だけを受けました。
【和歌山・金剛峯寺/八大童子立像(1197)】鳥羽天皇の皇女・八条女院(1137-1211)が願主となり、高野山内に建立された一心院の本堂に安置された。月輪型木札の納入が確認され運慶作と認められた。童子像の秀作として知られている。 pic.twitter.com/Gm46cyUIX6
— 仏師・『運慶』の仏像 (@unkei369) April 28, 2021
一方、快慶は比較的小さい1メートル以下の像を得意とし、優しげかつ写実的な地に足のついた表現が得意。穏やかな作風はお坊さんたちの心を掴み、特に重源からたくさん注文を受けました。快慶自身の浄土信仰の影響からか、お坊さんたちに加えて庶民からの注文にも応えています。そのため現存作品も運慶に比べて多くあります。
【快慶作の特徴】快慶は安阿弥陀仏とも称し、その理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様」(あんなみよう)と呼ばれる。三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多く、在銘の現存作も多い。 pic.twitter.com/X805JVBqZ1
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) May 27, 2021
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快慶独自のスタイル「安阿弥様」を確立
同じ慶派でありながら、運慶とは全く違う独自の作風を確立していった快慶。彼の作品は、快慶の別名である「安阿弥陀仏」からとって「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれるようになりました。
この「安阿弥様」は情熱的というよりも理知的なクールなスタイルで、静かな雰囲気が特徴。めちゃくちゃおおまかに言うと運慶が体育会系、快慶が文系のようなイメージですね。
繊細に着色された仏像も多く、絵画のようにきれいな印象を与えます。この「安阿弥様」は後世まで日本の仏像のお手本として長く残り続けることになるのです。
【和歌山・光台院/阿弥陀三尊像(1221)】国重要文化財79.2cm。光をまとって今まさに現前したかのような繊細かつ優美な姿は快慶が生涯にわたり追求し続けた来迎阿弥陀の極地を示している。快慶晩年の最善美として快慶最高傑作とも称される pic.twitter.com/pVareV1HmV
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) May 9, 2021
さて、こんな作風の快慶ですが、実際の作品はどんな感じだったのでしょうか。おすすめ作品を見てみましょう。
快慶の代表作、見るべき仏像作品はこれ!
快慶の現存作は運慶と比較しても多く、ここでは全てを紹介できません。筆者のおすすめ&特に重要な作品だけをいくつか取り上げてご紹介します。
快慶の仏像作品①ボストン美術館蔵「弥勒菩薩立像」
快慶の最初期の作品にあたるのがボストン美術館蔵「弥勒菩薩立像」です。こちらは残念ながら日本国外に流出してしまった作品ですが、作品の良さが外国の人にまで伝わっていることがよくわかりますよね。
元々は興福寺にあった仏像で、クールで知的な表情はすでにのちの快慶のスタイルを予告しているようです。明治時代、ボストン美術館の東洋部長になった岡倉天心によって国外に持ち出され、ボストン美術館日本コレクションの目玉作品のひとつとして現在でも大切に保存されています。
快慶の仏像作品②浄土寺「阿弥陀如来三尊立像」
兵庫県の中央部、小野市にある浄土寺というお寺にある「阿弥陀如来三尊立像」は1195〜1197年ごろ制作され、国宝に指定されている快慶中期の傑作です。ちょっと不便な兵庫県小野市ですが、なぜこんなところに快慶の傑作があるのでしょう。
【兵庫・浄土寺/阿弥陀三尊立像(1195)】中央の阿弥陀如来像の特徴として、人々に差し伸べられているのは右手、ほかの阿弥陀仏が左手なのとは逆の造りで、爪は長く伸びている。作風には当時流行の宋風が顕著である。 pic.twitter.com/Xbz5QWjnxg
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) January 24, 2020
それは、この小野の浄土寺が重源の建てたお寺だからです。東大寺復興の資金集めの一種の拠点として建てられたこのお寺では、快慶の仕掛けた最高の光のイリュージョンを見ることができます。
【兵庫・浄土寺/阿弥陀三尊立像(1195)】5mを超え快慶の作品には像高3尺(約1メートル)の像が多いが珍しい大作。堂の蔀戸を開け放つと背後からの光が入るようになっており夕刻には堂内全体が朱赤に深く輝くように染まり来迎の風景を現す。 pic.twitter.com/evEDQnGyd8
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) April 14, 2021
また阿弥陀如来裸像にも注目。こちらは現在奈良国立博物館に展示されています。
【兵庫・浄土寺/阿弥陀如来裸形像(1201)】像高266cm。切れ長の眼の形づくる理知的な風貌や、みずみずしい張りのある肉身表現に、快慶の作風が顕著に示されている。行事の際は実物の衣を着せた。現在は奈良国立博物館に寄託されている。 pic.twitter.com/eUM30QZhUx
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) December 25, 2020
こちらのお寺を訪れる際は、ぜひ天気をチェックしてから行ってください。晴れた日の夕方少し前にお寺に入り、じっくりと拝観しましょう。そうすると、金色に輝くお像を少しずつ夕日が照らしだし、最後には炎のように輝く感動的な光景が見られるはず。
ちょっと行きにくいところにあるお寺ですが、レンタカーを借りてでも行く価値ありです!わたしは駅から徒歩50分の道のりを学生時代に歩いたことがあります。つらかった。。

快慶の仏像作品③東大寺「僧形八幡菩薩像」
1201年頃制作された「僧形八幡菩薩像」は国宝に指定されている快慶の写実性ゆたかな傑作です。こちらの仏像も重源の依頼により制作されたもので、東大寺の秘仏(普段は拝観できないお像)として大切にされています。※毎年10月5日に御開帳されこの日はアフロ如来でおなじみの五劫思惟像とあわせてご開帳されます。是非この日に東大寺へ足を運んでみてください!
僧形八幡菩薩とは、日本の神様である八幡神を仏教の菩薩と同一視し、お坊さんの姿で表現したもの。秘仏として保存されてきただけあって、錫杖・光背・台座などの像の周囲を飾る付属物も制作当時のまま。そして何よりすごいのが、約800年前の彩色が見事に残っていること。美しい彩色は今塗られたばかりかのようで、当時の他の仏像の姿を想像する手がかりにもなりそうです。
拝観できる時期は限られているので、ぜひ公式サイトをチェックしてみてください。
快慶の仏像作品④藤田美術館「地蔵菩薩立像」
高さ60cmの小さな仏像に、無限の美しさが秘められている!大阪の藤田美術館に所蔵されている「地蔵菩薩立像」は快慶の円熟期から晩年にかけての最高傑作といってもいいでしょう。
【大阪・藤田美術館/地蔵菩薩立像(鎌倉)】袈裟は橙色に青や緑で遠山を描いて截金を施し、衣は絵具で美しく彩色されています。地獄へ堕ちた人々を救うため、蓮華座に乗った地蔵菩薩が雲に乗って飛ぶ姿として作られている。快慶法眼時代の作。 pic.twitter.com/537HgPOaiZ
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) August 6, 2020
興福寺に伝来した仏像で、1210〜1227年頃に制作されたそう。木でできているとは思えない流れるような衣の線や、理性的で美しいお顔は思わず手を合わせたくなることまちがいなし。わずかに右足を前に出した動きも、鎌倉時代ならではのダイナミズムです。
繊細に透かし彫りにされた光背(仏像の背中にある飾り)にも注目!
快慶の仏像作品⑤奈良・東大寺南大門「金剛力士像(仁王像)」
快慶の代表作といえば東大寺南大門の仁王像!8メートルにもなる巨像は東大寺の訪問者へ圧倒的なインパクトを示します。
右に吽形像、左に阿形像が向かい合う形で安置されています。
あえて筋肉を描写させることによってパワフルさが増しています。
【奈良・東大寺南大門/金剛力士立像(1203)】右に吽形像、左に阿形像が向かい合う形で安置されており通常配置とは逆だが創建当時には金剛力士像が向かい合って安置されていた。使用木材は遠く山口県で伐採をされ使用されたこと判明している。 pic.twitter.com/iP0dS9txra
— 仏師・『快慶』の仏像 (@kaikei33) April 21, 2021
快慶のまとめ
以上、運慶と並ぶ鎌倉仏像制作のスター・快慶についてご紹介しました。
快慶は繊細で写実的・理知的な作風で運慶とは一線を画しながらも、同じ慶派の仏像制作者として活躍、東大寺をはじめとした奈良の寺社復興に尽力しました。
彼の作品は各地にありますが、やはりゆかりの地である東大寺である程度まとまって見られます。奈良に行った際には快慶巡礼の旅ぜひやってみると楽しいですよ!
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