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仏師円空の生涯と代表作|微笑みのバガボンド(放浪者)

円空仏
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 今回はさすらいの仏師、円空(えんくう)をご紹介します。

円空は江戸時代初期の仏師。粗くて鋭い彫りが特徴の仏像を数多く制作し、その伝統にとらわれない作風は現在でも多くの人に愛好されています。

めちゃくちゃたくさん仏像を作ったことでも知られていて、生涯に12万点もの作品を制作したといわれています。

うひゃー!どんなペースで作ったんだろう…!

その作品は愛知県より東を中心に全国に散らばっていて、小さなお寺や神社にひっそりとお祀りされているのも味わい深いと人気です。

 現代彫刻にも通じるところのある抽象的な作品の数々がどのようにして生まれていったのか…。円空の仏像を楽しむため、円空について詳しくご紹介していきます!

 まずは円空の生涯を追ってみましょう。

円空ってどんな人?

岐阜県生まれの円空

 

 円空は寛永9年、1632年に生まれました。寛永というと、3代将軍徳川家光の時代。江戸時代の初期にあたります。生まれた場所ははっきりしませんが、美濃国、つまり現在でいう岐阜県だったことは確かなようです。

 

 

 円空に関する最初の記録は1663年に現れます。岐阜県郡上市にある神明神社の「天照皇太神像」と「阿賀田大権現像」、「八幡大菩薩像」を制作したそうです。これらの作品は円空の最初期の作品として今でも同じ神明神社に残されていて、大切に保存されています。

 

東北や北海道を巡回

 

 1665年頃から東北地方各地を巡り、さらには北海道にまで足を伸ばしたようです。当時の北海道は厳密にいえばまだ大部分が日本ではなく、松前藩が支配する「和人地」と呼ばれる地方にのみ日本の支配が及んでいました。

 

そのような北海道にまで岐阜から旅をするなんて、すごい行動力ですよね。それだけ仏像制作への情熱が強かったのでしょう。それは彼が仏像制作に対してお金を受け取らなかったことからもわかります。一宿一飯のお礼に仏像を作ってはまた旅に出る、それが円空の修行であり人生そのものであったようです。

 

 北海道時代には函館市の称名寺の「観音菩薩像」(制作年代不詳)などの作品があり、最初期の作品よりも安定感のある全体の構図が円空の成長を感じさせます。

 

 

また、東北時代の代表作である宮城県松島町に残る瑞巌寺の「釈迦如来像」(1667年)では、台座などを部分的に元の木のまま彫り残していて、芸術的な狙いをもってあえて彫り残しを見せる円空の技法がこの頃から現れているのがわかります。

旅から戻り、円空仏を大成していく

 

 1667年以降、長い旅から帰ってきた円空は、次第に独自の仏像の様式を成熟させていきます。割れた木をあえて使ってその表情を生かしたり、木目を最大限に活用して表情だけを彫り出したりする前衛的な円空の仏像は、まるで現代彫刻のよう。

 

この時期の円空の仏像は「円空仏」と呼ばれ、日本の仏像史の中でも特別な位置にあります。三重県津市、中山寺にある「護法神像」(1674年)はその典型です。

 

 

再び旅へ

 円空は1680年頃に関東にも旅行したらしく、北関東を中心に200点もの作品が残っています。栃木県日光市の「稲荷大明神」などはほとんど抽象彫刻のような雰囲気まで醸し出していて、見る人に深い感動を与えるのです。

 

 

晩年は画家、僧侶としても活動

 

 円空はいろいろな才能をもっていたようで、絵画作品もいくつか残しています。富士山の絵が4点残っていて、円空が旅の途中で見た富士山を描いたものと考えられています。

 また、円空はお坊さんとしても熱心に活動したようで、美濃国(岐阜県)関の弥勒寺というお寺が廃寺になっていたのを再興するなどしています。

 

このような熱心さが円空仏の魅力を高めているといわれています。その弥勒寺で1695年に円空は亡くなりました。63年にわたる生涯で、現在わかっているだけで2000点あまりの仏像を残し、日本の仏像史に新たなページを書き加えた人生でした。

それでは、円空の魅力というのは一体どんなところにあるのでしょう。

円空仏の魅力とは

 円空仏の魅力は、既存の仏像の枠にとらわれない新しさと考えます。それまでの仏像は、平安時代に定朝から興った「院派」や「円派」、そして鎌倉時代に運慶や快慶が活躍した「慶派」の流れを受け継ぐもので、同じパターンの繰り返しになってしまっていました。そしてその後の室町時代や戦国時代にかけての長い期間、目立った新しい潮流は生まれていなかったのです。

円空登場以前の鎌倉時代〜室町時代の仏像たち

 

 その停滞した流れに一石を投じたのが円空です。円空の仏像はそれまでのきっちりした彫刻ではなく、木そのものの表情を最大限生かしたものでした。そこには日本古来の、木を神聖なものとして考える思想が反映しているとも言われています。

そのため円空は木の特性を見定め、時には現代の抽象彫刻のようにさえ見える粗い彫りで制作を行いました。

 円空の仕事は一見すると、ちょっと鉈で彫っただけのように見えるかもしれません。しかし、じっくり見ると円空が木そのものの特性をじっくり見極めた上で、計算し尽くして彫刻刀を振るっていることがわかります。

 

 見れば見るほど良さが分かる、まるでスルメのような円空の代表作を次にご紹介しましょう。

おすすめ円空の代表作

荒子観音寺の円空仏群

 

  愛知県名古屋市にある天台宗のお寺である荒子観音寺は円空仏を多数見られるファン必見の場所です。こちらには2014年時点でなんと1255体もの円空仏が存在することが確認されています。本堂には「釈迦如来像」、「大黒天像」の二像があり、山門には「仁王像」二体があります。またその他に「木端仏」と呼ばれる板切れに目や鼻、口を表現した素朴なお像も多数あり、円空の大コレクションを築いています。

 円空を知りたいならまずはこちらのお寺にお参りするのがおすすめ!

太平寺観音堂「十一面観音像」

滋賀県米原市春照太平寺観音堂の「十一面観音像」は円空が58歳のときに制作した仏像です。元々伊吹山四ケ寺の一つ太平寺にお祀りされていたお像で、現在は集落全体の集団移住により米原市春照に移されています。円空は一時期伊吹山を拠点に修行していたそうで、数少ない滋賀県内にあるお像として貴重です。

 180.5cmと円空仏の中では大きい作品で、桜材の一本造りでできています。大きくお腹が膨らんでいることから、安産祈願に訪れる人も多いとか。通常の円空仏とは異なり優しく穏やかな表情も素敵です。

 拝観には予約が必要なので、事前に「伊吹山文化資料館」に問い合わせましょう。

東京国立博物館「如来立像」

 東京、上野公園内の東京国立博物館にも円空仏が収蔵されています。鴇田力氏の寄贈により東京国立博物館に所蔵されている貴重な一点です。

 原木の質感を生かした粗彫りの体の部分は厳しい感じを与えますが、お顔は一転して優しい表情。優しさと厳しさを併せ持つ仏様の本質を捉えているようです。

 円空仏の多くは小さなお寺や神社に収蔵されていて拝観が難しいことも多いのですが、こちらの「如来立像」は博物館に所蔵されていてタイミングがあえば見られるのがうれしいですね。東京国立博物館には他の仏像も数多く所蔵されているので、比較して見られるのもポイント。

千光寺「両面宿儺像(りょうめんすくなぞう)」

 

 長野県高山市の千光寺には63体の円空仏があり、その中でも「両面宿儺像(りょうめんすくなぞう)」はとても有名な作品です。千光寺を開山した両面宿儺という人物は、日本書紀にも出てくる顔が2つ、手が4本もある超人的な人物。土地を開き、水路を整備した人として尊敬されています。千光寺の「両面宿儺像」は円空晩年の作品としては珍しく、きっちりと細かに彫られていて、円空がこの像に大きな愛着をもって彫ったことがわかります。

 こちらのお寺には他に62体の円空仏があるので、それぞれを比較しながらゆっくりと鑑賞できるのもうれしいですね。

 それにしても、円空の仏像は全国に散らばってなかなか拝観が難しいですね。最後に円空仏を比較的まとまって見られる美術館をご紹介しましょう!

円空美術館に行ってみよう!

 円空仏は全国各地に散らばっていて、なかなかまとまって作品を見ることができません。でも、岐阜県岐阜市にある円空美術館には40体ほどの円空仏が所蔵されていて、まとまって円空仏を見られる貴重な場所です。

 岐阜駅から岐阜バスで「岐阜公園歴史博物館前」下車、徒歩3分とアクセスも良好。ぜひ円空の本場岐阜で、すぐ近くには岐阜大仏さまもいらっしゃいます!円空仏の魅力に触れる旅をどうぞ!

うまい棒が仏に?「うまい仏」

ここからはちょっと脱線しますが、円空彫刻の現代バージョン、なんとみんな大好きうまい棒が円空仏になるという作品もありました。

コンビニでちょっと小腹が空いた時にいつも食べてるあのうまい棒が、ありがたい円空仏の姿になる…!現在販売されている18種のうまい棒を素材に河地貢士さんが制作されたもの。これは食べるのがもったいない!

円空の参考書籍

円空仏をもっとたのしむおすすめ書籍

微笑みの美仏 円空 (エイムック 4556)

 

円空の旅 (魂の臨床医)

この記事の画像は円空巡礼さんより画像を引用させていただいております。