・同じ仏さまでも「あれ?顔やふんいきがちょっとちがう気がする?」
・仏像が日本につたわってきてどんな変化があったの?
・仏像の見た目でつくられた年代がわかるようになりたい!
このようなギモンを持ったあなたはきっと仏像への興味がどんどんわいていることでしょう。これ実は仏像がつくられた時代がちがうって可能性があります。
私たちの生活のなかでもファッションのブームやメイクのブームがあるように、仏像の世界にもそのつくられた時代の流行で見た目がへんかしてきました。
仏像せかいのファッションブームをみることで仏像がつくられただいたいの年代がわかるようになれます!
この記事では、日本の仏像のスタイルが確立する鎌倉時代までの各時代の特徴をわかりやすくご紹介していきます。
それぞれの時代の仏像の見分け方を知って、より深く仏像をしっていくと仏像をみることが、めちゃくちゃ楽しくなります!
とくに仏像の時代を見分けるときは、特に目や口の形に注目しましょう!アーモンド型の目、まぶたが重たい逆三日月型の目、への字の口やにっこり笑顔など、時代によって形はさまざま。また、衣の線にも注目!彫りが浅い深い、平行かバラバラかなど、こちらも時代時代の特徴がよく現れています。
それでは、ここから詳細について解説していきます。各時代の仏像の特徴や見分け方をみていきましょう!
各ほとけさまごとの見分け方についてはこちらの記事を参考にしてみてください

飛鳥時代の仏像の種類・特徴・見分け方
飛鳥時代は推古天皇即位の593年から藤原京遷都の694年まで。この時代には日本に仏教が伝わり聖徳太子が活躍するなど日本の仏教において大きななことがたくさん起きました。
飛鳥時代の仏像の特徴を見てみましょう。
飛鳥時代の仏像の特徴①金銅仏、釈迦如来、薬師如来が多い
飛鳥時代の人々にとって、仏教は初めて見る外国から来た宗教でした。日本には古来の神々を信仰する「神道(しんとう)」しかなかったので当時のひとびとには衝撃だったことでしょう。たぶん電気が発見、発明されたくらいのインパクトがあったと思います。
さいしょは仏教そのものを伝えることが目的だったため仏教のパイオニアである釈迦如来像や、わかりやすいご利益のある薬師如来(病気を治療してくれる仏様)の像が数多く作られました。
日本ではまだ仏像を作る技術が発達していなかったので、最初の頃は輸入品の仏像が多かったようです。それらは海を越えてくるので、小さくて持ち運びしやすくじょうぶな銅でできた仏像でした。金銅仏といいます。この金銅仏をみるのは上野国立博物館の法隆寺館がおすすめです。
また、木彫の仏像も最初は輸入され、それらを真似て日本でも木彫仏が作られました。
飛鳥時代の仏像の特徴②鞍作止利様式や百済系の様式が流行
飛鳥時代には日本に仏教をもたらした朝鮮半島の国・百済(くだら)の影響を受けた仏像が流行します。有名な法隆寺の百済観音像のように細長くS字を描く優雅な体の形が特徴です。
また、日本最初の仏像制作者である鞍作止利(くらつくりのとり)が活躍。うえの画像の右にある法隆寺釈迦三尊像が有名。鞍作止利は聖徳太子のもとでたくさんの仏像を残したといわれています。鞍作止利の作品の詳細はこちらの記事を見てみてください。

これら飛鳥時代の仏像は、アーモンド型の目、高く細い鼻、アルカイックスマイルと呼ばれる神秘的な微笑によって見分けることができます。
最初期の仏像はやっぱり外国っぽい特徴が明らかです。
それでは次の奈良時代にはどのように変化していったのか、みてみましょう。
奈良時代の仏像の種類・特徴・見分け方
時代は飛鳥時代から奈良時代に移ります。藤原京遷都(710年)から平安京遷都(794年)までを奈良時代と呼びます。短い間ですが、仏教の広がりとともに仏像も作られるようになり奈良時代のなかでも区分され白鳳文化、天平文化という2つの時代に更に分けられます。そしてそれぞれの特徴をもった美しい仏像がいくつも作られました。
また様々な素材で仏像が作られたのもこの時代の特徴です。
石や型取りした粘土、漆を使った乾漆像(かんしつぞう)などです。特に土で作った原型に麻布を漆で貼り重ねて形を作る「脱乾漆」の技法は細かな表現ができるので好まれ、有名な興福寺の「阿修羅像」などの傑作を生み出しました。乾漆造は2種類あり、脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)と木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)があります。
では奈良時代の仏像について白鳳時代、天平時代にそれぞれ分けて解説していきたいと思います。
白鳳時代の仏像の特徴・見分け方
奈良時代の前半、白鳳時代には、より現実的な仏像が求められるようになりました。飛鳥時代のエキゾチックな仏像よりも、仏様を身近な存在に感じられそうな現実感がほしかったのかもしれませんね。
そんなわけで白鳳時代の仏像は、現実の人間の体に近いプロポーションに。整った体型と伏し目がちの目、そしてほぼ水平にきゅっと閉じられた口がこの時代の仏像のポイントです。この時代の代表作は薬師寺東院堂「聖観音菩薩」です。
飛鳥時代の仏像に比べるとより人間的になり、美しい仏像がつぎつぎと登場してきます。
さぁ、では次の天平時代へジャンプ!
天平時代の仏像の種類・特徴・見分け方
天平時代になると、再び仏像の形に変化が現れます。白鳳時代には現実感のある像が主流でしたが、今度は当時の理想を仏像に投影するようになっていきます。やっぱり、エラい仏様には理想の姿でいてほしいものですよね。
日本を代表する仏像「奈良の大仏」こと東大寺の毘盧遮那如来が国家プロジェクトとしてつくられたのもこの時代です。
ということで、仏様の体は当時の理想の体型であるちょっとふっくら型に。お顔はより厳しく切れ長の目と、への字に結ばれたお口が特徴です。
仏像が作られる背景も仏教の伝来、崇拝の対象として作られることももちろんありましたが、この時代になると特定の敵から身を守るためとか、ちょっと怖いことをお伝えするとライバルを呪うために作られるようにもなりました。そのため仏像の表情も厳しい顔の雰囲気が漂ってきます。
この時代の代表作例として奈良・唐招提寺金堂「盧舎那仏像」や奈良聖林寺の「十一面観音像」などがあります。
奈良時代の仏像は、素材が多様化し、仏像造りの手探り期だったことがわかります。仏像のスタイルはより日本風に。それではその次の平安時代にはどうなったのでしょうか。
平安時代の仏像の種類・特徴・見分け方
平安京遷都(794年)から源頼朝の征夷大将軍就任(1192年)が平安時代です。非常に長い時代ですが、仏像史的には藤原時代より前と、それ以降とに分けて考えます。
平安時代の仏像のキーポイントは3つ
①(平安時代前期)密教が海外から輸入されて新しい仏像の種類や仏像におねがいする祈祷(きとう)がさかんになり、仏像もたくさんつくられた
②(平安時代後期、藤原時代)この世の終わりが来るとされる末法思想が流行してそこから救われるために大量の阿弥陀如来が作られるようになる
③材質は木の仏像が主流。初期の頃は一木造りの仏像で藤原時代になると寄木造の仏像の技術開発され大量生産できる時代になっていく。
この時代、日本の仏教に大きな変化が現れました。それまでの日本の仏教に対し、密教と呼ばれる宗派が入ってきたのです。空海と最澄によってもたらされた真言宗と天台宗という2つの密教、そして末世観による浄土信仰など、仏教の新しい動きは仏像の造形にも影響を与えました。また、奈良時代と異なり材質的には木で作られた仏像がほとんどを占めています。

平安時代前期の仏像
平安時代前期は仏像の多様化の時代です。密教がもたらされたことにより、日本の仏教観は大きく広がり、様々な仏様が知られるようになりました。
その中には、これまでの日本では知られていなかった複雑な概念を表した仏様も。それらを目で見てわかる仏像として表現するため、仏像制作にも一定のルールが作られていきました。例えば、不動明王は炎を背負い、普賢菩薩は象に乗っている、などです。
この時代の仏像は、ほとんど水平の切れ長の目、ツンと尖った上唇などが特徴です。また、仏様が立った姿を現した像では、太ももから楕円に広がる衣の線が大きな特徴です。このような線は断面が大きく頭の丸いものと、小さく鋭いものとを交互に配置する「翻波式衣文(ほんぱしきえもん)」という表現方法で更にダイナミックに表現されました。下の画像にもあるように讃岐うどんのような衣紋で破壊力のある表現が出てきます。
霊木信仰(れいぼくしんこう)も盛んで、樹齢の長い、特別ないわれのあるご霊木を仏像にすることも盛んでした。そのため、仏像は一本の木から全体を彫りだす「一木造り」が主流でした。白檀や紫檀などの香木を仏像に仕立てる「檀像(だんぞう)」も制作されました。
これは仏像を作るための説明書に仏像は白檀(びゃくだん)の木で作るように推奨されていました。しかし日本では白檀はなかなか取れなかったためカヤ、ヒノキ、ケヤキ、クスノキといった材質で代用され、これらの材質の仏像がたくさんつくられるようになります。
この時代の代表的な作品には元興寺「薬師如来立像」などがあります。
平安時代後期(藤原時代)の仏像:院派と円派
平安時代後期には、日本仏像史上重要な仏像制作者が現れました。定朝(じょうちょう)です。彼の作った仏像は優雅で美しく、貴族に大ウケ。以後の仏像のスタンダードスタイルになりました。
彼の弟子筋から院派と円派という2つの流派も登場。ますます仏像制作は盛んになりました。
もうすぐこの世の終わりが来るという「末法思想」が流行し、阿弥陀如来信仰が盛んになった影響で、阿弥陀如来の仏像がたくさん注文されました。「観無量寿経」というお経にで説明される9通りの極楽往生の方法から、9体の阿弥陀如来坐像をセットで表す「九阿弥陀仏」も制作されました。
平安時代後期の仏像は冷ややかでおすましなお顔が特徴。貴族っぽい雰囲気が特徴です。また、この時代のお像は耳にも注目。普通、仏像の耳は厚くてぽってりしたいわゆる「福耳」ですが、平安時代後期の仏像は耳たぶが薄くて繊細です。
技法の面でいえば、平安時代前期の「一木造り」に対して定朝が編み出した「寄木造り」が主流に。いくつかの木材を組み合わせて作るので、木の反りや割れが生じにくく、しかも分担作業ができるので仏像の大量生産が可能になりました。
この時代の代表作は定朝の平等院本尊「木造阿弥陀如来坐像」です。
鎌倉時代の仏像の種類・特徴・見分け方
いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府、の鎌倉時代に入ると時代の情勢は大きく変化。貴族の時代から武士の時代へと変わります。それにつれて仏像の好みも大きく変わりました。
鎌倉時代の仏像の特徴は彫りの深さです。平安時代のような形式的な衣の線はなくなり、本物の衣服を写し取ったような写実的な衣服に注目。また、鎌倉時代から仏像の目に水晶で作った人造の目を入れます。
また、仏像史的には東大寺と興福寺という2つの大きなお寺の復興も重要です。この2つのお寺が焼失、その後再建されるとき、大量の仏像が制作されたからです。
そこで大活躍したのが奈良の仏像制作集団である慶派でした。同じ定朝を遠い祖先としながらも、平安時代に活躍した院派や円派と比べると奈良にいたために中心的存在ではなかった慶派ですが、東大寺と興福寺の復興という一大イベントに乗じて一気にスター軍団に。
慶派の中心人物である運慶が、ダイナミックでカッコイイ仏像を作って鎌倉幕府の要人に気に入られたのも、慶派大躍進の一因でした。一方、もう一人の中心的存在である快慶は、リアルな表現力でお坊さんをとりこに。運慶と快慶という2大スターを擁する慶派はそれ以降の日本の仏像に決定的な影響を与えたのでした。
薄暗いお堂の中でキラリと光る目は驚くほどリアルです。この時代の代表作として、東大寺南大門の「金剛力士像」があります。
まとめ
以上、飛鳥時代から鎌倉時代までの仏像の特徴と見分け方を解説しました。
- 飛鳥時代は外国っぽい様式
- 奈良時代はだんだん日本風に
- 平安時代には優雅な定朝
- 鎌倉時代にはダイナミックな運慶と快慶というスターが誕生しました。
もちろん、室町、戦国、江戸時代に作られた仏像もたくさんありますが、現在国宝や重要文化財に指定されている仏像は飛鳥〜鎌倉期のものがほとんど。美術館で見られるお像もこの時代のものが多いんです。
仏像を鑑賞する際は、上記の説明を参考にして時代を当ててみるのも楽しいかもしれませんね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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