徳島・丈六寺の仏像|丈六の聖観音坐像に会う(拝観料・時間つき)

寺の名前が、仏像のサイズです。
徳島駅のほぼ真南、小松島に近い勝浦川沿いに、丈六寺(じょうろくじ)はあります。古びた山門の前から続く参道は、秋になると黄葉のトンネルに変わります。境内の楓の巨木も赤や黄に染まり、紅葉の穴場ともいわれる寺です。
四国徳島で最古の曹洞宗の禅寺といわれ、文化財が多く残ることから「阿波の法隆寺」「阿波の正倉院」とも呼ばれます。それでも、この寺でまず話したいのは建物の数ではありません。外陣(お堂の手前の空間)から拝める、大きな聖観音坐像です。観音さんの背丈が、そのまま寺の名札になっています。
丈六寺・聖観音坐像:背丈が寺の名札になった観音さん
私がこの寺でいちばん見てほしいのは、この聖観音坐像です。
坐った姿で像高3.1m。堂の梁が頭のすぐ上まで迫り、金色の光背が暗がりに浮かびます。首を後ろにそらして見上げる大きさです。
聖観音は、観音さんのいちばん基本の姿です。顔はひとつ、手は2本。立っている像が多いなかで、この像は坐っています。
仏像リンク編集部MEMO 📝




制作は平安時代末期とみられています。2015〜2017年にかけて本格的な修理が行われ、これまでヒノキの寄木造とされていた作りが、実は「割矧(わりはぎ)造」だったと分かりました。像を前後に割って、内側をくりぬいてから合わせる技法です。


聖観音さんについて知りたい方は、聖観音菩薩の解説へどうぞ。
名称: 木造聖観音坐像(重要文化財)
時代: 平安時代末期
像高: 3.1m(立ち上がれば1丈6尺=約4.85m)
材質: 木造。割矧造(従来はヒノキの寄木造とされていたが、2015〜2017年の修理で判明)
特徴: 寺名の由来になった大きさ。坐像の聖観音。金色の光背。
その他の見どころ
像の中から出てきた、もう1体:胎内仏
以前の修理のとき、聖観音坐像の中から、高さ約32cmの胎内仏(像の中に納められた小さな像)が見つかりました。いまは宝物館に納められています。


像は完成したあとも、修理のたびに中身を明かします。地方の像には、まだ眠っているものがありそうです。
徳雲院の血天井
境内の徳雲院という建物の回廊に、「血天井」と呼ばれる天井が残っています。堂の中ではなく、回廊の天井です。


話は戦国時代の末期です。土佐の長宗我部元親が阿波に攻め入り、牛岐城(富岡城)の城主・新開道善(新開遠江守忠之)となかなか決着がつきませんでした。元親は和議を申し入れ、1581年11月、この丈六寺で酒宴が開かれます。宴を終えて部屋を出た道善は、縁側に潜んでいた元親の家臣に襲われ、一行はみな討たれたと伝わります。論功行賞の名目で呼び出されたとする話もあります。
そのとき縁側に残った手形や足形の血の跡は、拭っても消えなかったといいます。後世に残そうと、その縁側の板を徳雲院の天井板に使ったのが、血天井です。
徳雲院は、細川持隆が瑠璃殿として寄進した建物を、1563年に細川真之が改築し、自身の法名にちなんで改めたものです。建物が像だけでなく、土地の記憶まで預かっている。そう思って見上げると、板の1枚1枚が違って見えてきます。
重要文化財の建物と、11月の特別公開
境内には、本堂、観音堂、三門、経蔵が重要文化財として並びます。ふだんは扉が閉まっていて、外からの見学が中心です。例年11月1日から3日間は特別公開があり、観音堂や経蔵の扉が開き、本堂・書院・庭園などが公開されます。日程と料金は寺にご確認ください。
聖観音坐像は大きいので、外陣からでも十分に拝めます。像だけでなく、像を守ってきた建物にも目を向けると、寺の歩んだ時間が見えてきます。
行き方
JR徳島駅から徳島市営バスで約30分、「丈六北」バス停から徒歩2〜3分です。鉄道なら、JR牟岐線の地蔵橋駅または中田駅から歩いて30〜40分かかります。
お寺の歴史と伝承
寺伝では、白雉元年(650年)に関東地方からたどり着いた尼僧・天真正覚尼がこの地に庵を結び、浄楽寺という尼寺として始まりました。朱鳥年間に丈六の観音像が安置され、名が丈六寺に改められたと伝わります。
いちど衰えた時期を経て、1466年、阿波・讃岐・三河の守護だった細川成之が、芸州(現在の広島県)洞雲寺の僧・金岡用兼禅師を招いて再興しました。真言宗から曹洞宗に改め、寺領200石を寄進したといわれます。用兼禅師は各地を巡るなかで亡くなり、墓はこの丈六寺にあります。
江戸時代には、徳島藩の蜂須賀家が代々この寺を庇護し、伽藍を整えました。境内には細川成之・持隆・真之の墓や、蜂須賀家の家臣の墓が多く残ります。
主な歴史年表
650年: 寺伝では、尼僧が庵を結び浄楽寺が始まったと伝わる(672年とする資料もある)
朱鳥年間: 丈六の観音像が安置され、丈六寺に改称されたと伝わる
平安時代末期: 現在の聖観音坐像がつくられたとみられる
1466年: 細川成之が金岡用兼禅師を招いて再興し、曹洞宗の寺となる
1563年: 細川真之が徳雲院を改築する
1581年11月: 丈六寺での酒宴のあと、新開道善が討たれたと伝わる
江戸時代: 徳島藩・蜂須賀家が庇護し、伽藍を整える
2015〜2017年: 聖観音坐像の本格的な修理が行われ、割矧造と分かる
なぜ、寺の名前が像の背丈なのか
観音寺や薬師寺のように、祀る尊格の名からつけた寺名は、全国にたくさんあります。丈六寺は違います。尊格ではなく、寸法が名前になっています。
寺伝では、尼僧が結んだ庵は浄楽寺という名でした。そこへ丈六の観音像が安置されて、丈六寺に改められたといいます。いまの本尊は平安時代末期の像とみられていて、寺伝の時期とは開きがあります。寺伝の丈六の観音像と、いまの像が同じものなのかどうかは、私には分かりません。
ここからは私の想像です。
寸法を名前にするのは、思い切ったことです。「あの大きい観音さんのいる寺」と呼ばれるうちに、その呼び名のほうが正式な名前になった。そんな順番だったのではないでしょうか。由緒でも、尊格でもなく、背丈。堂の前に立った人が最初に口にする言葉は、きっと大きさだからです。
像が寺をつくり、寺が像の名を名乗る。丈六寺は、観音さんのほうが先に立っている寺に見えます。
まとめ:名札を貸した観音さん
もう一度、堂の中を思い出してください。梁が頭上に迫る暗がりに、金色の光背を背負った聖観音さんが坐っています。立ち上がれば約4.85m。その背丈が寺の名前になり、像の中からは小さな像が見つかり、離れた回廊の天井には戦国の一夜が残っています。
この寺では、像が名前を貸し、建物が記憶を預かっているように見えます。
そこで1つ、問いが残ります。立った観音さんと、坐った観音さん。人はどちらの前で、足が長く止まるのでしょうか。


次に会いに行くなら
「立つ観音さん」の前でも足が止まるか、確かめるなら鶴林寺。兵庫の鶴林寺には、「あいたた観音」の名で知られる聖観音立像があります。同じ聖観音を、坐る姿と立つ姿で見くらべられます。
坐った観音さんどうしを並べるなら、屋島寺。香川の屋島寺には、平安時代初期の千手観音坐像があります。坐像の顔立ちと体つきを、丈六寺の観音さんと比べてみてください。
四国の仏像の幅を見るなら、雪蹊寺。高知の雪蹊寺には、毘沙門天・吉祥天・善膩師童子の「家族」がそろう鎌倉時代の像があります。徳島の平安の像から、高知の鎌倉の像へ。
同じコース「西日本・四国・九州の古寺」で、こんなところはどうでしょう
丈六寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 瑞麟山慈雲院 丈六寺 |
宗派 | 曹洞宗 |
住所・アクセス | 〒771-4263 徳島県徳島市丈六町丈領32 |
電話 | 088-645-0334 |
拝観時間・拝観方法 | 境内は自由。聖観音坐像は本堂(外陣)で拝観できます。参拝できる時間内であれば、事前の予約は不要です(2026年11月にお寺へ電話で確認)。例年11月1日から3日間は特別公開(本堂・書院・庭園など)。 |
拝観料金 | 志納(任意。賽銭箱へ。2026年11月にお寺へ電話で確認)。特別公開の料金は寺にご確認ください。 |
拝観時間・料金は変わることがあります。2026年11月にお寺へ電話で確認した内容を載せています。お出かけ前にご確認ください。参考:るるぶ&more「丈六寺」
.
.

地域タグ:徳島県の仏像

下記バナーをクリックしてアカウントをフォローしてみてくださいね!
【地方仏めぐりおすすめの書籍】

見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
新TV見仏記
地方仏を歩く|丸山尚一
【各エリアのおすすめ仏像本】

■東北エリア
図説 みちのく古仏紀行
■関東エリア
東京近郊仏像めぐり
■東海エリア
東海美仏散歩 愛知・岐阜・三重
■関西エリア

















