見仏入門 PR

【見仏入門】No.25 福島・恵隆寺の仏像・見どころ/千手観音立像(立木観音)・だきつき柱 ・二十八部衆像など

ブログ内容の一部はプロモーションを含む場合があります

 恵隆寺(えりゅうじ)は福島県会津地方の坂下町(ばんげちょう)にある古刹です。その歴史をたどると6世紀頃までさかのぼります。会津地方は法相宗の徳一(とくいち)法師により会津磐梯山の麓から会津盆地にかけていくつもの寺院が開かれ、空海(弘法大師)空也(くうや)上人などの影響を受けながら京都や平泉などに匹敵する一大仏都として栄えました。徳一法師は9世紀始めにこの地にやってきましたから、6世紀というとそれより250~300年も前ということになります。

 ところで町の名前は坂下と書いて「ばんげ」と読みます。変わっていますよね。

この「ばんげ」アイヌ語(むかしの縄文人の言葉ともいわれています)で崖の下のことを「ばけ」「ばっけ」とか「はけ」などといいます。これが語源とみられています(ただ、他にも諸説あると思います)。東京の小金井市などの崖下の道に「はけの道」などと呼ばれるところもあり、また四国の大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)などの名前の由来も同じかもしれません。

恵隆寺へのアクセス

 

 恵隆寺へはJR只見線塔寺(とうでら)駅ら会津若松方面へ2㎞ほど、歩いて30分ほどかかります。塔寺駅は現在無人駅で、列車本数もかなり少ないのであまり便がよくありません。一つ手前(会津若松より)の「会津坂下駅」で路線バスかタクシーのほうがよいかもしれません。距離は5kmほどです。また会津若松駅から路線バスでも40分ほどで寺の前までいけます。

この寺の立地を考えると、昔から越後(新潟県)と会津盆地を結ぶ山道で「越後街道(えちごかいどう)」と呼ばれる街道沿いにあります。

明治維新の際の戊辰戦争(ぼしんせんそう)で会津と越後は密接に繋がっていました。それまでも多くの人々の交流がこの街道を通じて広がっていたのです。古くは越後から塩を運ぶ「塩の道」として栄えたのです。

 

途中にある只見(ただみ)町にある峠は「六十里越」(ろくじゅうりごえ)と呼ばれ、距離は6里(約24km)の峠道なのに厳しくて10倍の60里もあるように感じるためにつけられました。それほど厳しい山道でした。

戊辰戦争で越後長岡藩の河井継之助(かわいつぎのすけ)は戦に破れ負傷した体で、越後から会津に逃れる際に「八十里こし抜け武士の 越す峠」と句を詠んでいます。これが辞世(じせい)の句となりました。

しかし、この塔寺の道は初期の越後街道ではなくもう少し北側を通っていたようです。しかし江戸初期(1611年)の地震によりそちらの道が使えなくなり、この寺の近くを通るようになったそうです。そして江戸時代にはたくさんの市が立ち、たいそう賑わったといわれています。

 

さて、この恵隆寺は現在、寺の入口には山門(仁王門)があり、両側には大きな阿吽の仁王像が安置されています。

 

 

寺の中に入ると正面に観音堂があります。またお寺の隣には国の重要文化財に指定されている江戸時代中期の藁葺き屋根の会津住宅「旧五十嵐住宅」がありますので、もしお時間があれば一緒に見学してみてください。

恵隆寺の駐車場

駐車場は、境内入り口の右側に無料の大駐車場が有ります。大型バスなども停まれる駐車場も整備され乗用車30台・大型バス8台が駐車可能です。

恵隆寺の歴史

伝承によれば、540年中国梁(りょう)の僧・青岩(青巌)(せいがん)が会津坂下町の西にある山に草庵を結んで仏を祀ったという伝説があり、この山を「高寺山(たかてらやま)」と名づけ、寺の名前を「高寺」といったといいます。その後、634年に僧・恵隆(えりゅう)この寺にやって来て寺の名前を「恵隆寺」と呼ぶようになったと伝えられています。

しかし一説によれば658年に高僧・蓮空(れんくう)がここに一大伽藍を建立して「恵隆寺」と名づけたとか、「会津風土記」の記述により808年に空海の意を受けて坂上田村麻呂が創建したなどとも伝わり、明確な記録は不明です。

 

 

このように寺の由緒ははっきりしていませんが、かなりの古刹には違いありません。その後ここに一大伽藍が建設され信徒も増え、めざましい発展をとげていきました。

775年の兵火による火災で伽藍が焼失してしまいますが、804年に再興され、一時「高寺三千坊」とも呼ばれ支寺院の数が3000寺ほどあったといわれています。

 

現在の地へは1190年に寺の塔などを移したことから小金塔村などと呼ばれています。しかし昔の高寺の跡などは現在わかっていません。

 

この地に移ってからも一大伽藍が建ち、36坊もの建物があったといわれ、周辺地域一帯を支配するほどの規模を誇りましたが、現在は仁王門、本堂、観音堂(立木観音堂)のみが残されているだけです。しかしながら本尊の十一面千手観音菩薩は通称「立木観音」と呼ばれひときわ大きな存在感を放っています。こちらは後ほどご紹介させていただきますね。

またこの恵隆寺は会津三十三観音霊場の第31番札所で「塔寺」(とうでら)と呼ばれています。その中でも恵隆寺は「会津ころり三観音」の一つに数えられ、多くの信者の方が訪れています。会津ころり三観音とは、この恵隆寺(立木観音)以外に、この大沼郡会津美里町の弘安寺(中田観音)、耶麻郡西会津町の如法寺(鳥追観音)の三観音をさします。「ころり」というのは、人生を終えるのに「苦しまず」、「家族や他人の世話にならず」、「子どもたち家族が幸せに暮らせる」ように「ころり」と極楽往生ができることを願っての言葉ですね。

 

この恵隆寺の観音堂内に「抱きつき柱」と呼ばれている柱があります。この柱にすがれば、文字通り苦しまずに「ころり」と往生を迎えられると信じられています。人間誰しも苦しまずにいつまでも元気で、死ぬ時は「ころり」がよいですね。若い間はあまりこのようなことは考えませんが、先が見えてくると誰しも苦しみから逃れて、安心して楽にあの世に行きたいと願うものでしょう。

 

また「会津ころり三観音」を巡拝すると、生きている間(現世)に受けた三毒(貪・瞋・痴)から開放されて、極楽往生が叶うといわれております。

三毒とは仏教用語で

・貪(とん):貪欲(どんよく)なこと、むさぼること

・瞋(しん、じん):怒りの心をもつこと、怒ること

・痴(ち):愚癡(ぐち)なこと、心理が見えないおろかなこと、馬鹿なこと

という意味です。

観音堂(立木観音堂)は鎌倉時代の建久年間(1190年~1199年)に建立されたといわれています。その後、江戸初期の1611年に地震で倒壊し、6年後の1617年に修理・再建されました。桁行5間、梁間4間の寄棟造で屋根は最近まで茅葺きでしたが、現在は銅板葺きに変更されています。

堂には巨大な円柱や豪壮な板壁などがあり、少し薄暗いですが、そびえるように巨大な本尊の十一面千手観音菩薩(立木観音)と脇侍(きょうじ:中尊を補佐する仏像)の二十八部衆像、風神・雷神像が安置されています。それでは恵隆寺の仏像のご紹介をしていきたいと思います。

恵隆寺の仏像の詳細

木造千手観音立像(立木観音)

観音堂内に安置されている本尊で、カツラの木の一木造で高8.5m、像高7.42mとかなり大きな千手観音です。一木造としては日本最大級の仏像です。千手観音像はこの観音堂と共に国の重要文化財に指定されています。

別名「塔寺の立木観音」と呼ばれており、立木から刻んだと伝わります。製作されたのは鎌倉時代と見られていますが、伝承では平安時代初期(808年)に弘法大師(空海)が夢のお告げを受け、根が付いたままの大木に一刀三礼(1回刻むごとに三回礼拝)し、霊魂を傾けて一心に刻んだ観音菩薩像だとの伝承があります。

現在も床下に根を張っているとも言われています。また弘法大師ではなく、この仏都会津の開拓者ということで徳一法師が刻んだとも言われていますが正確な記録はありません。

わが国最大級の像だということで厨子などに納めることができず、普段は仏像を保護するために斗帳(とちょう)という大きな垂れ幕を上から垂らしています。薄暗い堂の中に入ると、観音様の大きさに圧倒されます。

あまりの大きさで見上げて驚くばかりで、お顔の表情がよく読み取れないことや、一部垂れ下がった幕でも見えづらいのも少し残念です。

顔は細面で周りの手を除けば、体全体もほっそり見えます。真偽のほどはわかりませんが、確かに立木仏という印象はあります。2011年3月の東日本大震災で像の一部が破損し、その後この修理と像の表面塗りなども修復されたようです。昔より輝きがましています。

周りの二十八部衆はほぼ等身大なのですが千手観音があまりに大きいためまるで小さく見えます。頭は十一面あり四方すべての方角を向いています。また手の数は42本あります。前に組んでいる手も2組あり、1組が胸で合わせて合掌、もう一組がおなかのあたりに印を結んでいます。子年生まれの人の一代守護本尊ともいわれます。

こちらの記事もおすすめ!

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)と風神・雷神

 

本尊をはさんで、その周りには眷属(けんぞく:従者)として二十八部衆と風神、雷神合わせて三十体の木造仏像が左右に階段状に安置されています。

 

 

それぞれの二十八部衆像などもほぼ等身大かそれ以上の大きさがあります、、が、本尊の大きさがあまりに大きいので小さく見えてしまいます。守護神のこれらの像をじっくり拝見していくと、かなり手の込んだ彫刻がされており、ご本尊を一段と引き立てています。

 

これらの等身大の二十八部衆含む眷属がすべて揃っているのは珍しく、京都三十間堂とここ立木観音堂だけとも言われています。像の製作年代はこちらもはっきりしませんが、室町時代から鎌倉時代に製作されたもの(一部は江戸時代に彩色がされた)ではないかと思われます。

 

以上、恵隆寺の歴史や仏像のご紹介でした。

石塔山恵隆寺の観音堂には、2丈8尺(約8.5m)の十一面千手観音像、二十八部衆などにも侍仏が30体安置されています。圧巻とさせられる像の他、境内のだきつき柱も見ものです。柱に抱き付いて願い事をすれば、満願成就すると信仰されています。奥ゆかしい恵隆寺の雰囲気を是非体感されてみてくださいね。

 

恵隆寺の御朱印

 

東北地方の仏像をめぐろう!

恵隆寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

金塔山恵隆寺

宗派

真言宗豊山派

住所

〒969-6584 福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944

電話

0242-83-3171

拝観時間・料金

観音堂入堂
9:00~16:00

拝観料:300円
※寺の行事や修復等により拝観の出来ない日や時間あり

周辺の観光地・口コミ

こちらでご確認ください

.

恵隆寺周辺の宿・ホテル
(楽天スーパーポイントが利用できる、格安パックツアー、夜行バスやレンタカーなども豊富!)
.
(ポイント還元率が高いので、ポイントがどんどん貯まる!)

.

地図
関連記事