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【見仏入門】No.27 京都・清凉寺(嵯峨釈迦堂)の仏像・見どころ/清凉寺式釈迦如来像、阿弥陀三尊像など

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清凉寺(せいりょうじ)は通称嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)と呼ばれる京都嵐山にある寺です。

仏像に興味のある方なら「清凉寺式(釈迦)仏像」と呼ばれる仏像があることはどこかで聞かれたことがあるのではないでしょうか?

清凉寺式釈迦如来は日本各地に100体くらいあるといわれています。

これはこの清凉寺に伝わる釈迦如来像を原型としてマネして彫像したものです。いわば清凉寺式釈迦如来の本店といったところ。

この像は、お釈迦さまの37歳の時の生身の姿を現した像といわれ、インド、中国、日本と伝わった「三国伝来の釈迦像」といわれるものです。

インドで紀元前564年頃に生まれた「お釈迦さま(ゴータマ・シッダルータ)」は6年間苦行を続けて、35歳で悟りを開き、それ以降「釈迦」と呼ばれます。悟りを開いた後もさらに1週間ほど瞑想を続け、その後同じ修行仲間5人のところに行って説法行い彼らは釈迦の弟子になります。37歳の釈迦というのは、それから説法を行っていって弟子が増え始めたころのお釈迦さまの姿なのです。

これが生身の釈迦像というのにもわけがあります。

実はこの「三国伝来の釈迦像」の体内からとんでもないものが見つかったのです。

この釈迦像の体内から絹で作られた五臓六腑(ごぞうろっぷ:心臓・肝臓などの五臓と小腸・胃など六腑)の模型が納められていたのです。要は生きているお釈迦さまを表しているというものです。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、この釈迦像を模した清凉寺式仏像が各地で作られますが、これには戒律を重要視していた真言律宗の叡尊(えいそん)忍性(にんしょう)などの影響が大きくかかわっていたようです。

 

清凉寺へのアクセス

 

 JR京都駅からは嵐山大覚寺行などのバスで「嵯峨釈迦堂」下車、すぐです。京福電鉄の「京福嵐山」駅も500m位しか離れていません。阪急の嵐山駅は少し遠いのでバスか京福電鉄が良いでしょう。

バス停の「嵯峨釈迦堂」で下車するとすぐ前に大きな二階建て楼門式の仁王門(1776年再建)がそびえています。門の左右には京都府指定文化財の仁王像(金剛力士像)が置かれ、楼上には十六羅漢像が安置されています。

仁王門をくぐると、右手に阿弥陀堂、霊宝館があり、正面には本堂(釈迦堂)、左手には鐘楼、多宝塔などがあります。

三国伝来の国宝釈迦像は本堂(釈迦堂)に安置されており、旧棲霞寺本尊であるもう一つの国宝「阿弥陀三尊像」が安置されていた阿弥陀堂は通常とは逆向きの本尊が西向きとなる配置で建てられています。この阿弥陀三尊像は、現在は霊宝館に安置されています。

 これらの仏像を拝観するときに気を付けなければならないのは、これらの像は公開される期間が決まっていることです。

[aside type=”warning”]霊宝館は4月~5月と10月~11月にそれぞれ2か月間公開され、本堂(釈迦堂)の釈迦像は毎月8日の11時以降と霊宝館公開時期に合わせて開帳されます。[/aside]

このため、両方を拝見できるのは、霊宝館の公開時期ということになります。

また境内にある「狂言堂」は、春の大念仏の季節に賑わうそうです。大念仏については歴史の記載を見てください。また境内に「豊臣秀頼首塚」などもありますよ。

清凉寺の駐車場

清凉寺には、二尊院駐車場と言う専用駐車場があります。バス5台、自家用車30台が収容可能で、営業時間は9時から18時まで、料金は自家用車1回800円、バス2時間毎に2000円です。

紅葉シーズンでも比較的開いていますが、嵐山に向かう主要道路に通ずるため渋滞になることがあります。

<お寺グルメ>清凉寺の湯豆腐

京都と言えばお豆腐ですが、嵯峨のお豆腐は格別です。川端康成の小説「古都」で登場する老舗・森嘉は、古くから多くの人々に親しまれています。ここはお買い求め専門ですが、その場で召し上がりたい場合は、清凉寺境内にある老舗・竹仙で、森嘉のお豆腐がいただけます。滑らかなお豆腐で、素材に風味があり、まさに絶品と言えます。

 

<お寺グルメ>清凉寺のあぶり餅

清涼寺周辺、敷地内には、甘味処、お休み処が存在します。あぶり餅が有名で、湯豆腐と同様清凉寺を訪れる参拝客から多くの関心を集めています。餅は平状で食べやすく、甘めの白みそダレで美味しくいただけます。

清凉寺の歴史

 この地には、もともと、嵯峨天皇の12男・左大臣源融(みなもとのとおる:822年 – 895年)の別荘「栖霞観(せいかかん)」がありました。

この別荘は嵯峨天皇の仙洞「嵯峨院」の山荘を源融が譲り受けたものです。

 

そういえば宇治の平等院鳳凰堂もこの源融の別荘があった場所ですから、この源融はずいぶん羽振りが良かったのですね。源融は源氏物語の光源氏のモデルといわれる人物ですから、この別荘は源氏物語の主人公光源氏が造営した「嵯峨の御堂」のことだと思われます。

また源融は亡くなる間際まで丈六の大きさの本尊を持つ阿弥陀三尊像を造らせていました。そして亡くなった翌年の896年に、融の菩提を弔うために子息が「阿弥陀堂」を建立してこの阿弥陀三尊像を安置して仏寺「棲霞寺(せいかじ)」としました。これが現在の清凉寺の前身となる寺です。この阿弥陀三尊像は現存していて国宝に指定され、現在霊宝館に収蔵されています。

 

その後945年には、重明親王(しげあきらしんのう醍醐天皇の第四皇子)が新堂を建てて、等身大の釈迦像を安置しました。これが「釈迦堂」です。

 

一方、清凉寺の開山者といわれる「奝然(ちょうねん)上人(938-1016)」は東大寺の僧(法橋)でしたが、平安時代の末の983年に中国のに渡りました。

 

 

天台山からさらに五台山に巡拝し、宋の都汴京(べんけい)に到着して当時、啓聖禅院に安置されていた、古代インドの優填王(うでんおう)が釈迦の在世中に栴檀(センダン)の木で造らせたという釈迦三十七歳のときの姿をそのままに伝えるという釈迦栴檀瑞像(せんだんずいぞう)を礼拝し、奝然はこれを日本に持って帰ることを思ったのでした。そして、五台山を巡礼した奝然は、985年に台州(だいしゅう)の開元寺で現地の仏師に命じてこの釈迦如来像を模した像を彫らせました。

そして奝然はその像と太宗皇帝より賜った仏典の版本「大蔵経」5,300巻余とともに宋の商船にのり日本に帰国したのです。この像は釈迦に生き写しとされていて「生きているお釈迦様」と呼ばれています。またこの像が「インド- 中国 – 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」とも呼ばれています。

奝然は987年に日本に帰国し、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺を建立しようと計画しました。

この三国伝来の釈迦像を愛宕山麓のこの嵯峨の地に安置することは、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとしたと思われます。

しかしこれは延暦寺の反対にあい実現できずに、奝然は1016年に亡くなりました。奝然の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の境内に今の清凉寺を建立したのです。山号は五台山です。

 

そのため、棲霞寺は阿弥陀三尊をまつりますが、こちらの清凉寺は釈迦如来をまつっています。また開基(創立者)は奝然で、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)となっています。

 

冒頭にもふれましたがこの清凉寺の釈迦如来像の体内より五臓六腑・願文・経巻等々(すべて国宝)が発見され、まさに生身仏であることが実証されました。

 

その後、平安末から鎌倉・室町にかけて、全国的にこの仏像を真似た清凉寺式釈迦像(嵯峨式釈迦像)が作られていきました。

寺の宗派も華厳・真言・天台・念仏と各宗にわたってきています。また中世以来「融通念仏の道場」としても知られています。融通とは溶け合い和合することで、融通念仏(ゆうずうねんぶつ)は浄土教の一つの宗派で、念仏が相互に融通して大きな力となることをさす考え方です。大阪市平野区にある大念仏寺が総本山です。

融通念仏との結びつきができたのは、1279年以降のことで、この年に大念仏中興上人と呼ばれる円覚(えんかく)上人がこの寺で融通念仏をしたことをきっかけに、大念仏が盛んになり、融通念仏の道場となりました。嵯峨大念仏が初めて行なわれたのは1443年といわれています。その後、応仁の乱で本寺の伽藍はほとんど焼失し、1481年に再興されています。

1530年には浄土宗の寺となります。また本堂である釈迦堂は、1602年に豊臣秀頼によって寄進・造営されたのです。しかしその後、嵯峨の大火で、多くの建物は被災してしまいました。

中世頃から「三国伝来」の釈迦像は、模刻像ではなく、インドから来た栴檀釈迦像そのものであると信じられるようになり、1700年からは江戸をはじめ各地への出開帳が始まりました。また、徳川綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)の発願で、伽藍の復興がおこなわれ、清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えていきました。一方、母体であった棲霞寺は次第に廃れ、今に残る阿弥陀堂や、阿弥陀三尊像(国宝、現在は霊宝館に安置)が残るのみとなっています。

また、この嵐山にある清凉寺「嵯峨釈迦堂」は、都の東北にある比叡山延暦寺を意識して建てられたといわれています。また後の鎌倉時代に京都の千本通りに建てられた大報恩寺の釈迦堂は、この嵯峨釈迦堂と区別するために「千本釈迦堂」と呼ばれるようになりました。

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清凉寺の仏像の詳細

釈迦如来立像および像内納入品 【国宝】(北宋時代985年製作)

〈仏師張延皎および張延襲の作 像高160cm 彩色 瞳にはこ黒石、耳孔には水晶玉(本堂安置)〉

 

木造材質は、伝承では赤栴檀(せんだん)というインドの香木で造られたとされていますが、実際には魏氏桜桃という中国産のサクラ材で作られています。

この魏氏桜桃という桜の原木とも言われる木ですが、この像の他には東寺の兜跋毘沙門像も同じ材料であることが判明しています。また、像内にある多くの納入品とともに国宝に指定されています。

背板裏に大宋国台州張延皎并弟延襲雕とあり、反花座表には唐国台州開元寺、僧保寧の刻銘があります。蓮弁葺軸底に建保六年大仏師法眼快慶修造の墨書銘があります。

この像が最初に造られた時のお話としては、お釈迦さまが37歳の時、お釈迦様のお姿を刻んだところ、これを見たお釈迦さまは大変喜んで、

「自分が亡き後、この像が自らに替わって衆生を済度するであろう」

と言われたといわれています。後にこの像(この像の基になった中国の像)はインドからヒマラヤを越え中国へ伝えられました。

 

特徴としては頭が螺髪ではなく渦巻き状になっています。衣文線を同心円状に表す方式や、顔の表情もどこかエキゾチックな雰囲気があり、古代ガンダーラの仏像やインド古式の様相を持っているようです。この釈迦如来像の体内に入っていた五色のシルクでできた「五臓六腑」も国宝です。

ただ、実物は2017年現在、体内に戻されていて、本堂内展示コーナーと霊宝館で本物とまったく同様に造られたレプリカが展示されています。

この当時にこんな人体についての知識があったのは驚きです。内臓以外も、耳や鼻の穴が内部空洞まで貫通し、口には歯が、脳に鏡が収納されているそうですよ。

 

阿弥陀如来及び両脇侍坐像(阿弥陀三尊像)【国宝】(平安時代 895年製作)

「歴史」の項で述べた、清凉寺より前に建てられた棲霞寺(せいかじ)の本尊です。

源融(みなもとのとおる)が造らせたものといわれていますが、像の完成まぎわに亡くなったため、子息が源融の一周忌に当たる896年に像を棲霞寺(せいかじ)阿弥陀堂の本尊として安置したといわれています。現在、阿弥陀堂ではなく霊宝館に収蔵されています。

三尊ともにヒノキの一木造 像高は、阿弥陀如来が178.2cm、左脇侍の観音菩薩が168.3cm、 右脇侍の勢至菩薩が165.7cm です。

 

阿弥陀如来坐像 895年 像高178.2cm

 

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観音菩薩坐像・国宝 (像高168.3cm) 勢至菩薩坐像・国宝(像高165.7cm)

平安初期の浄土教の教主として三尊そろった三尊像は数少なく、嵯峨光仏といわれ信仰されています。

また、阿弥陀如来像は、源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が、亡くなる直前に自身の顔を写して作らせたという伝説もあります。

 

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十大弟子立像【重文】(平安時代11世紀初め)〈像高78.7~82.1cm 霊宝館安置〉

この釈迦の十大弟子の像は本堂(釈迦堂)の本尊「釈迦如来像」を拝む姿で釈迦像のまわりに安置されていました。このらの像は奝然(ちょうねん)上人が日本に帰国した後に11世紀前半に日本で彫刻されたものと思われます。釈迦堂に安置されていましたが、現在は霊宝館に安置されています。

 

帝釈天(伝普賢菩薩像)騎象像【重文】〈平安時代〉(像高110cm 霊宝館安置)文殊菩薩騎獅像

 

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毘沙門天坐像【重文 2009年度指定】〈平安時代後期〉

帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像と同じく、左足を踏み下げて坐る毘沙門天像です。

 

その他、重要文化財には

・造地蔵菩薩立像

・毘沙門天立像

・四天王立像

があります。

 

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傳大士(ぶだいし)と笑仏(江戸中期)〈一切経蔵(経堂)安置〉

傳大士(善慧大士)座像、普浄、普賢像です。

傳大士(ふだいし)は中国南北朝時代の僧で、仏教経典の一切経(大蔵経)を納める八面体の書棚(輪蔵)を回転する仕組みを考案した僧といわれています。

このため、この輪蔵を回転させれば経典を読破したのと同じ功徳があるといわれているそうです。あまりにもあっけなく功徳を積むことができてしまうので笑仏も笑っていますね。

 

以上、清凉寺の歴史や仏像のご紹介でした。

清凉寺は、源氏物語の光源氏が造営した「嵯峨の御堂」が有名です。光源氏は出家の決意をし、清凉寺に隠棲。そして、そのままそこが終の棲家となりました。

清凉寺に訪れれば古くから多くの人々に信仰されている歴史を垣間見ることが出来ます。

清凉寺の御朱印

 

清涼寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

五台山 清凉寺

宗派

浄土宗

住所

〒616-8447 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46

電話

075-861-0343

拝観時間・料金

9:00~16:00
9:00~17:00(4・5月、10・11月)
定休日:なし

一般400円、中・高校生300円、小学生200円
※団体割引あり

霊宝館は4月~5月と10月~11月

本堂の釈迦像は毎月8日と霊宝館公開時期に開帳

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[aside type=”warning”]霊宝館は4月~5月と10月~11月にそれぞれ2か月間公開され、本堂(釈迦堂)の釈迦像は毎月8日の11時以降と霊宝館公開時期に合わせて開帳されます。[/aside]

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