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3分でわかる法華経とは:お経全文ふりがな付、わかりやすい現代語訳

法華経とは
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法華経といえば、誰でも一度は聞いたことのある、仏教の基本の経典です。

うぐいすの鳴き声「ホーホケキョ―(法、法華経)」でも親しまれていますね。

 

とはいえ、1~2度読んだくらいでは何をいっているのかさっぱりわかりません。解説本を読んでもわからないでしょう。とても難しい経典です。でも、基本をおさえれば「とても難しい」が「何とかわかる」に変わります。だからこそ、世界中の多くの人々に広まったといえます。

今回は法華経とは?法華経の全文解説付きでわかりやすく解説していきたいと思います。

まずは法華経の全文と現代語訳をご紹介!

みなさんもこれを読みながらぜひご唱和ください!

法華経のお経原文全文(自我偈)・ふりがな付き

法華経のお経原文全文(自我偈)・ふりがな付き

自我得仏来(じがとくぶつらい)

 

所経諸劫数(しょきょうしょこうしゅ)

 

無量百千万(むりょうひゃくせんまん)

 

億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)

 

常説法教化(じょうせっぽうきょうけ)

 

無数億衆生(むすうおくしゅじょう)

 

令入於仏道(りょうにゅうおうぶつどう)

 

爾来無量劫(にらいむりょうこう)

 

為渡衆生故(いどしゅじょうこ)

 

方便現涅槃(ほうべんげんねはん)

 

而実不滅度(にじつふめつどう)

 

常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)

 

我常住於此(がじょうじゅうおうし)

 

以諸神通力(いしょじんつうりき)

 

令顛倒衆生(りょうてんどうしゅじょう)

 

雖近而不見(すいごんにふけん)

 

衆見我滅度(しゅうけんがめつど)

 

広供養舎利(こうくようしゃり)

 

咸皆懐恋慕(げんかいえれんぼ)

 

而生渇仰心(にしょうかつごうしん)

 

衆生既信伏(しゅうじょうきしんぷく)

 

質直意柔軟(しちじきいにゅうなん)

 

一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ)

 

不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)

 

時我及衆僧(じがしゅうしゅうそう)

 

俱出霊鷲山(くしゅつりょうじゅせん)

 

我時語衆生(がじごしゅじょう)

 

常在此不滅(じょうざいしふめつ)

 

以方便力故(いほうべんりきこ)

 

現有滅不滅(げんうめつふめつ)

 

余国有衆生(よこくうしゅじょう)

 

恭敬信楽者(くうぎょうしんようしゃ)

 

我復於彼中(がぶおひちゅう)

 

為説無上法(いせつむじょうほう)

 

汝等不聞此(にょうとうふもんし)

 

但謂我滅度(たんにがめつえど)

 

我見諸衆生(がけんしょしゅじょう)

 

没在於苦海(もつざいおうくかい)

 

故不為現身(こふいげんしん)

 

令其生渇仰(りょうごしょうかつごう)

 

因其心恋慕(いんごしんれんぼ)

 

及出為説法(ないしゅついせっぽう)

 

神通力如是(じんつうりきにょぜ)

 

於阿僧祇劫(おうあそうぎこう)

 

常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)

 

及余諸住処(ぎゅうよしょじゅうしょ)

 

衆生見劫尽(しゅじょうけんこうじん)

 

大火所焼時(だいかしょしゅうじ)

 

我此土安穏(がしどあんのん)

 

天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)

 

園林諸堂閣(おんりんしょうどうかく)

 

種種宝荘厳(しゅじゅうほうしょうごん)

 

宝樹多華果(ほうじゅたけか)

 

衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)

 

諸天撃天鼓(しょうてんきゃくてんく)

 

常作衆伎楽(じょうさしゅうぎがく)

 

雨曼陀羅華(うまんだらけ)

 

散仏及大衆(さんぶつぎゅうだいしゅう)

 

我浄土不毀(がじょうどふき)

 

而衆見焼尽(にしゅうけんしょうじん)

 

憂怖諸悪悩(うふしょうあくのう)

 

如是悉充満(にょぜしつじゅうまん)

 

是諸罪衆生(ぜいしょうざいしゅうじょう)

 

以悪業因縁(いあくごういんねん)

 

過阿僧祇劫(かあそうぎこう)

 

不聞三宝名(ふもんさんぽうみょう)

 

諸有修功徳(しょうしゅうくどく)

 

柔和質直者(にゅうわしちじきしゃ)

 

則皆見我身(そくかいけんがしん)

 

在此而説法(ざいしにせっぽう)

 

惑時為此衆(わくじいししゅう)

 

説仏寿無量(せつぶつじゅむりょう)

 

久及見仏者(くないけんつぶつしゃ)

 

為説仏難値(いせつぶつなんち)

 

我智力如是(がちりきにょぜ)

 

慧光照無量(えこうしょうむりょう)

 

寿命無数劫(じゅみょうむしゅこう)

 

久修業所得(くしゅうごうしょとく)

 

汝等有智者(にょとううちしゃ)

 

勿於此生疑(もっとししょうぎ)

 

当断令永尽(とうだんりょうようじん)

 

仏語実不虚(ぶつごじつふご)

 

如医善方便(にょいぜんほうべん)

 

為治狂子故(いじおうしこ)

 

実在而言死(じつざいにごんし)

 

無能説虚妄(むのうせつこもう)

 

我亦為世父(がやくいせぶ)

 

救諸苦患者(くしょくげんしゃ)

 

為凡夫顛倒(いぼんぷてんどう)

 

実在而言滅(じつざいにごんめつ)

 

以常見我故(いじょうけんがこ)

 

而生憍恣心(にしょうきょうししん)

 

放逸著五欲(ほういつじゃくごよく)

 

堕於悪道中(だおあくどうちゅう)

 

我常知衆生(がじょうちしゅじょう)

 

行道不行道(ぎょうどうふぎょうどう)

 

随応所可度(ずいおうしょかど)

 

為説種種法(いせつしゅじゅほう)

 

毎自作是念(まいじさぜねん)

 

以何令衆生(いがりょうしゅじょう)

 

得入無上道(とくにゅうむじょうどう)

 

速成就仏身(そくじょうぶつぶつしん)

 

おつかれさまでした!

下にこのお経がどういう意味なのか、現代語訳をご紹介します。

法華経のわかりやすい現代語訳

 

 わたし(釈迦如来) が仏になってから現在にいたるまで、経過した時間は数えきれず、百×千×万×億×千億×一〇の五六乗劫にもなります。その間、つねに真実の法を説きつづけ、数限りないものたちを教化して、最高のさとりにみちびきました。

 生きとし生けるものすべてを救うために、 方便を駆使して、涅槃に入ったように見せかけてきました。しかし、ほんとうは死んでいないのです。つねに、ここにいて、真実の法を説きつづけているのです。

 

 つねに、ここにいるのに、さまざまな神通力を使って、あやまった見解にとらわれている者たちには、ほんとうはすぐ近くにいるのに、あたかもいないかのように、見せかけているのです。

 

 人々はわたしが死んでしまったとおもいこんで、遺骨を一生懸命に供養し、みなそろって恋い慕って、何が何でもわたしに会いたいという心が生まれるのです。生きとし生けるものすべてが、信仰心にみちあふれ、正直になり、すなおになり、心優しくなって、ひたすら仏にお会いしたいと願って、自分の生命も惜しまなくなるのです。

 

 そのとき、わたしは、多くの弟子たちとともに、霊鷲山にすがたをあらわすのです。 そして、わたしは、つねに、ここにいて、けっして死にはしないと教えさとすのです。 方便の力を駆使して、何度でも、死んでは再びよみがえるように、見せかけるのです。

 

 どこかほかの国でも、仏教を信仰する者 たちがいるのであれば、わたしはそこに姿をあらわして、最高の法を説くのです。あなたがたは、このような事情を知らないで、 わたしが死んでしまったとおもいこんでいるのです。

 

 わたしは、生きとし生けるものが苦しみの世界に沈んでいることを知っているのです。しかし、すぐには姿をあらわさず、何が何でもわたしに会いたいという心をはぐくむのです。わたしに恋い焦がれる心が十分にはぐくまれたとき、初めてすがたをあらわして、真実の法を説くのです。わたしが駆使する神通力とは、こういうものなのです。

 一〇の五六乗劫のあいだ、わたしはつね に、この霊鷲山もしくは別の場所にいつづけているのです。 生きとし生けるものが、この世の終わりがきて、世界がすべて焼き 尽くされていると見たり思ったりしているときも、わたしがいる世界は安穏なのです。

 

 いろいろな種類のよき行為をなし、性格が優しく、正直ですなおな者たちは、わたしがいまここにいて、 真実の法を説くすがたに出会うのです。
あるときは、こういう者たちのために、仏の寿命が無限だと説くのです。
長い時間をへて、やっと仏に出会うことができた者たちには、仏とは出会いがたい存在だと説くのです。わたしの智慧の力は、こういうものであり、その光はどこまでもとどいて、限界がないのです。

わたしの寿命は無限の長さがあり、それは過去の生において修行をしたおかげなのです。

 智慧ある者たちよ。これらのことについて、疑ってはいけません。疑惑を、ことごとく、しかもとこしえに断ちなさい。仏が語る言葉は真実であって、けっして虚妄ではないのです。わたしもまた、子を思う父親と同じく、世界全体の父親のような存在であって、さまざまな苦しみから、生きとし生けるものすべてを救う者なのです。

 

 あまり賢くない者たちが、あやまった見解をもっているのを察知して、ほんとうは 生きているのに、死んでしまったというのです。なぜなら、いつもわたしの姿を目にしていると、どうしてもおごりの心を生じて、愛欲を始め、さまざまな欲望に身をゆだね、悪しき道に堕ちてしまうからです。

 

わたしは、生きとし生けるものが、修行にあたり、いろいろな態度をしめすことをよく知っているので、それぞれにふさわしい方法を考え、いろいろな形で真実の法を説くのです。いつもわたしがこう考えているゆえんは、なんとしても生きとし生けるものすべてを、最高のさとりの境地にみちびき、できりかぎり速く、仏にしてあげたいからなのです。

 

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法華経とは

いかがでしたでしょうか。心がすっきりしましたか?ここからは座学として法華経とは?を学んでいきましょう。法華経がどういう背景で作られたかをみれば真髄が見えてくるかもしれません。

法華経は紀元100年ころに成立した大乗仏教の代表的な経典です。釈迦の言葉を記した書と言われていますが、釈迦が入滅(亡くなる)したのは紀元前6世紀くらいなので5~600年ものひらきがあります。

 

「死後500年もたってから直伝の書ができるなんておかしいじゃないか!」

 

そう思う人も多いでしょう。ここでいう釈迦の言葉とは、修行者たちが瞑想にはいって釈迦の声を聴き、書物にしたのです。

 

仏教では私たちが生きているこの世界は一時的なもので、生まれる前、死んだ後も魂はつづくと考えます。さきほど述べた、この世界の外の世界という発想に通じます。

 

法華経では、この世界に住むかぎり、人は世界の大本の真理を知ることができないといいます。それでも、すべての人は仏になれるともいいます。

 

「あれ、すべての真理を知るものを仏というんじゃなかったっけ?」

 

矛盾していますね。でも、仏とは自分の内側にあるものと思ってみると、なんとなく受け入れやすくなりませんか。

法華経の構成

法華経の構成ですが28品から構成されています。「品(ほん)」というのは、章のことで、28章から構成されているという意味です。

大きく分けると、前半の14品を「迹門(しゃくもん)」と言い、後半の14品を「本門」といいます。

この全28章で構成されている法華経の中でも特に重要であるといわれているのが、

第16章目の「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」

別名「自我偈(じがげ)」です。

法華経は文字数は69384文字もあり、全部を読んだり写経したりするだけでも大変な修行です。ですので、寺でお経を読んだり、写経をしたりする時の多くはこの自我偈を使用します。冒頭の法華経の全文もこの自我偈でした。

法華経を読む基本

「とても難しい」を「何とかわかる」に変えるには、「基本の基」を知ることです。

法華経の「基本の基」、それは「この世界にはわからないことがある」ということです。

「な~んだ」とがっかりされたかもしれません。

でも、この世界の仕組みなどわからないことだらけではありませんか?

「いのち」って何?

 

どんなに科学が発達しても人は命をつくることはできません。人や草木を原子のレベルまで分解しても、命が何かはわからないでしょう。

 

でも、私たちも草木もみな生きています。命があるからです。でも、その命のもとは何かすらわからないのです。

 

たとえば、ここに一個のリンゴがあるとします。このリンゴの中にわれわれが住んでいるとしたら……。リンゴの味はわかるかもしれませんが、リンゴがどんな形でどんな色をしているのかはわかりません。外の世界から見なくてはわからないことだからです。

 

同じように、今私たちが生きている世界も、この世界の外側からとらえなくてはわからない、もっと大本の真理があるのではないでしょうか。そのように発想すること、それが基本の基です。

 

法華経では、すべての真理を知るのは「仏(ほとけ)」のみであるといっています。つまりすべての真理を知るものがいるとして、それを仏と呼ぼう、ということです。

では、法華経とはどのような経典で、どのような考え方をするものなのでしょうか。

仏とは自分の内側の魂のこと

人はこの世であくせく・じたばたしているかぎり、真理にはたどりつけません。しかし、「わからないけれども、世界の大本の真理があるのではないか」と発想することで、真理に一歩近づいたことになります。

 

仏といっても自分とは別の存在があるわけではありません。自分の中の魂のことです。

仏教の教えでは、私たちはこの世界で生きてやがて死んでいきますが、また別のものに生まれ変わって生きていきます。転生をくり返し、その都度記憶は消えてしまうのですが、魂は変わりません。この場合も、変わらないものがあるとして、それを魂と呼ぶことにしたのです。

ところがこの世界で生きているかぎり、自分の中の魂を知ることはできません。法華経では、瞑想が魂(仏)とつながるただ一つの方法だといっています。

 

法華経を読み進めるためには、いくつかの約束ごとがあります。ここでは、その一つ「方便」についてみてみましょう。

法華経はすべて「方便」

全28章からなる大きな経典ですが、すべて方便でできています。それも、途方もなく嘘っぽい話ばかりです。「方便」を辞書で引いてみると「ある目的を達するための便宜上の手段」と書いてあります。難しい教えをわかりやすくするために方便を用いるのです。

 

たとえば、第1章序品は次のような言葉で始まります。

「このように、わたしは聞いた。あるとき、仏は王舎城の霊鷲山に滞在し、

多くの弟子や、人々と共におられた。そこには、さまざまな名の、八万人の菩薩や、天界の神々や、竜王たち、さらには鬼霊たちも集まっていた。」

神々、竜王、鬼霊たちといわれても何のことかわかりません。想像上の生き物でしょうか。

でも、すでに方便が始まっているのだと考えてみましょう。つまり何を言うために、神々や竜王、鬼霊をだしてきたのだろうと考えるのです。

 

私たちが知らないもの、見えない命のことを言っているのではないでしょうか。この世界には見える命と見えない命があるのだ、と。

では、次に法華経の中でも最も大切な章の一つである、第2章「方便品(ほうべんぽん)」を少しだけ読んでみましょう。

「方便品」から法華経全体を見渡す

「方便品」は次のようにはじまります。

 

「仏の智慧は限りなく深く、見極めがたく、理解しがたい。

完全なる悟りに到達した如来※の智慧が、いかなるものかは、

声聞※や、独覚※たちにも理解できない。

それが、どのようなものであり、いかなるものかは、仏だけが知る。

 

声聞、独覚たちのすべての者が集まって、それを知ろうとしても、

仏の智慧は、かれらの理解を越えている。

それゆえに、仏は巧妙な手段を用いて、すぐれた教えを語る。

 

仏こそが、すべてを知るものであり、

あらゆる現象の本質と、その実相をきわめつくしているのである。」

 

※如来(にょらい)は仏のことです。

※声聞・独覚(しょうもん・どっかく)は小乗仏教の修行僧です。

 

仏のすばらしさを強調しているだけのように読めますが、仏とは自分の中の魂と考えれば、私たちが自覚していないすばらしい智慧であると読めます。この世に生きているかぎり自覚できないのですが、「仏は巧妙な手段を用いて、すぐれた教えを語る」とありますから、魂のほうからさまざまな手段で発信してくれるようです。

 

方便品に書かれていることは法華経全体を通して基本的な考え方になります。まず方便品をじっくり読むと、法華経全体を理解する助けになります。

まとめ

「命とは何だろう?」 私たちが生きている世界には、わからないことがたくさんあります。それなら、私たちの理解がおよばない大きな真理が働いているのかもしれない、という発想ができます。そして、そう思ってみることが法華経を理解するための第一歩になります。

さて、これで法華経を読み解いていくきっかけができたのではないでしょうか。

法華経に書いてあることは方便であるという前提で、すべてを暗号解読のような気持ちで読んでみます。そして深い瞑想に入ったときに、自分自身の内なる魂と交信できるかもしれません。

般若心経も読むと神々さえもめっちゃ喜ぶらしい

法華経と双璧を成す大人気のお経といえば「般若心経」があります。

実は、この般若心経と法華経ですが「御法楽(ごほうらく)」といって、“法華経と般若心経の両方を読むと神々がめっちゃ喜ぶ”とみなされてきたそうです。

この2つのお経ともに唱えると元気になる!とされているお経なので法華経を理解したついでに般若心経も理解してみましょう。

仏像リンクでは般若心経の現代語訳などもご紹介していますのでこちらのエントリーをぜひみてみて元気パワーを貯めていっちゃいましょう!

 

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