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【見仏入門】No.34 神奈川・弘明寺の仏像/鉈彫り十一面観音像、御朱印など

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横浜市南区にある「弘明寺」は、およそ1300年前の奈良時代にはじまったと言われる、横浜市で一番古いお寺です。

弘明寺商店街の目の前に立つこのお寺は、地元の人たちから「観音様」と呼ばれて親しまれており、その本堂には、行基(ぎょうき)というお坊さんの作と伝わる全国的にも少ない「鉈彫り(ナタボリ)」と呼ばれる特徴的な技法で造り出された十一面観世音菩薩立像(じゅういちめんかんぜおんぼさつ・りゅうぞう)がまつられています。

みなさんは「弘明寺」は読めましたか?このお寺の名前は「ぐみょうじ」と読みます。「読めない漢字日本一」に選ばれたこともあるそうで、地元民以外で読める人はなかなかいないようです。ただ京急線の駅名にもなっているので神奈川の人にとっては馴染みのある寺名となっています。

この十一面観音、実は昔は秘仏でしたが、アクセスもよく現在はいつでも観音さまにはお会いできるお寺なので、珍しい鉈彫りの仏像にお会いできるお寺さんとして今回は弘明寺をご紹介いたします。

弘明寺へのアクセス

京急本線「弘明寺」から徒歩2分 横浜市営地下鉄(ブルーライン)「弘明寺」駅から徒歩5分です。横浜駅から弘明寺までは、京急本線の普通で約13分、横浜市営地下鉄の普通で約15分の距離です。とってもアクセスしやすいです!

 

市営地下鉄弘明寺駅からお寺の間には、テレビやCMのロケ地として使われることも多い「弘明寺商店街」があり、どこか懐かしいレトロな雰囲気を味わえます。

お店を少しご紹介しますと・・・・最中の皮に観音様の姿をえがいた「観音最中」が名物の老舗和菓子屋「盛光堂総本舗」や、「豆腐ドーナツ」「豆腐コロッケ」をはじめとする手づくり豆腐やおでんが人気の「藤方豆腐店」など、ちょっと立ち寄ってみたくなるお店がたくさんあります。

こちらの商店街では毎年5月から9月のはじめまで、8と3のつく日に観音様と聖天様の縁日にちなんで屋台が並びます。

この縁日はなんと50年以上も昔からあるもので、地元からは「サンパチ縁日」と呼ばれて親しまれています。

また桜の名所としても有名で、春には弘明寺商店街の中を流れる大岡川沿いの桜の下にあかりがともされ、たくさんの花見客でにぎわいます。

弘明寺の歴史

弘明寺の始まりは、奈良時代ー721年にインドからやってきた三蔵法師がこの地にパワーを感じて7個の石を置き、修行のための場所と決めたことからと言われています。

 

その三蔵法師が来てから17年後に、恐ろしいはやり病が流行してたくさんの人々が亡くなりました。

それを嘆いた当時の聖武天皇は、病気の流行を止めるため、行基(ぎょうき)というお坊さんに命令して十一面観世音菩薩をつくらせたと伝わっています。

また814年(平安時代のはじめ頃)には、弘法大師(こうぼうだいし)がこの地に来た時、やはり不思議な力を感じて聖天(大聖歓喜天)を彫っておまつりし、護摩木を千回焚く修行をして人々の幸福を祈ったそうです。

弘法大師三蔵法師など、偉いお坊さん達がこの地にパワーを感じていたんですね。実際にお寺がはじまったのは、光慧上人によって本堂が建てられた1044年(平安時代なかば頃)と言われています。

その後、鎌倉時代には源頼朝が奥さんの北条政子と一緒に参拝し、戦に勝つように祈願したそうです。

実はその頃、このお寺は「求」明寺という名前でした。

現在の「弘明寺」になったのは、観音さまについて書かれているお経の中の一文、「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」から「」の字をもらったことによります。

なお、「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の弘誓(ぐぜい)とは、菩薩さまが悟りをひらくことと、また全ての生きものを救おうとする広大な決意と誓いのことを意味しています。

室町時代から江戸時代にかけて、弘明寺は幕府から天下安泰の祈願寺と認められ、手厚く保護されていました。しかし明治時代に入ると、各地のお寺が大弾圧を受けるようになりました。この大弾圧は1868年に政府がだした「神仏分離令」という命令によるものです。日本は仏ではなく「神」の国であり、仏を神として扱ってはいけない、一緒におまつりするのもいけないという命令や世の中の動きにより、各地のお寺や神社の仏様やそれに関係する様々なものが壊され、捨てられたのです。

弘明寺も例外ではなく、寺の土地などを政府に取り上げられ、住職すらいなくなって荒れ果てるほどの有様になったそうです。けれども1901年以降に再び住職がお寺に入ると、近隣の人々の協力もあり、町おこしとともに弘明寺の復興も進みました。平成に入ってからは大きな修繕も行い、今の弘明寺の姿となっています。

ちなみに現在の本堂は、1766年(江戸時代)に智光上人(ちこう・しょうにん)により再建されたものですが、最初のお寺に使われていた木材の一部を今でも見ることができます。

弘明寺では十一面観音さまのほかにも、弘法大師の作と伝わる聖天様(大聖歓喜天)をまつっている聖天堂(しょうてんどう)や、鎌倉時代につくられた金剛力士像など、歴史ある建物や像を見ることができます。

それから毎月8のつく日と3の日には、観音様と聖天様の縁日が開かれます。観音様の縁日には誰でも参加できる護摩修行(ごまぎょう)が行われますので、興味ある人は一度参加してみてはいかがでしょうか?

また毎年7月8日・9日・10日には、「四万六千日功徳参拝」が行われます。

この日に観音様をお参りすると、四万六千日(約126年)参拝したのと同じご利益をいただけると言われています。

弘明寺の仏像の詳細

十一面観立像【国指定重要文化財】(平安時代中期)

ハルニレの木から一木造り 像高181.7cm

ご本尊である十一面観音菩薩立像は、弘明寺の本堂の奥―内陣-にまつられています。

この観音様は元秘仏だったのですが、現在は拝観料を納めればお参りすることができます。

 

 

像の高さは181.7cm、ハルニレの木から一木造り(いちぼくづくり―1本の木を削ってつくる方法)でつくられました。ほんの少し、頭を右に傾けたお姿で彫りだされています。

行基(ぎょうき)はこの観音様を作る時、1回彫るたびに3回礼拝をするという、大変な手間をかけて彫り上げたと伝えられています。

また「鉈彫り(なたぼり)」の代表的な仏像としても有名で、1915年(大正時代)に国宝として、また1950年には重要文化財として指定されています。

 

この「鉈彫り」とは、字のとおりにナタで彫られた・・・のではなく、丸ノミで彫られており、その彫り跡をわざと残してつくられた像のことを言います。

横にシマシマが入っているように見えるので、つるっとした仏像を見慣れていると違和感があるかもしれません。

彫り跡を残していることから、つくりかけで止めた像だろうという見方が強かったのですが、こういう彫り方の仏像が平安時代の終わりから鎌倉時代に関東から東北地方で多く発見されていて、地域が限定されるという固有の特徴をもっていることと、口紅をぬったあとがあり、眉、目、ヒゲなどを墨で描いて仕上げていることから、未完成の仏像ということではなく、現在では完成している像であり作者が意図してこのような像にしたという説が有力です。

またある美術史家の先生は、鉈彫りは、霊木から仏様がゆらゆらとあらわれようとする瞬間を表現した仏像霊木化現仏(れいぼくけげんぶつ)である、という説を発表しています。

 

弘明寺の御朱印

弘明寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

瑞應山 蓮華院 弘明寺

宗派

高野山真言宗

住所

〒232-0067 横浜市南区弘明寺町267番地

電話

045-711-1231

拝観時間

8:00~17:00(境内自由)

受付時間 9:00~16:00

拝観料金

500円

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地図
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