東京・養玉院如来寺の仏像|「大井の大仏」五智如来と、平安末〜鎌倉初めの阿弥陀如来(拝観情報つき)

都内の住宅地の奥に、高さ3m前後の如来が5体、横一列に座るお堂があります。品川区西大井の養玉院如来寺(ようぎょくいん・にょらいじ)です。2018年ごろ、私はツアーでここを訪ねました。いちばん見てほしいのは、この5体です。
東海道新幹線で東京駅を出て10分ほど。下りの右手の車窓に、赤い建物が見えます。五智如来が座る瑞應殿(ずいおうでん)です。山門の石柱には「大佛」「如来寺」。参道は石畳の緩やかな上り坂で、境内の真ん中には「五智如来」と彫った石柱が立ちます。その左が本堂、正面が赤い瑞應殿。入口には石の仁王像が控えています。
お寺の名前は「養玉院如来寺」ですが、いまの正式な登録名は「養玉院」です。もとは、上野の寛永寺ゆかりの養玉院と、高輪の如来寺という別々の2つのお寺でした。この大きな五智如来は、如来寺の側の像です。2つが1つになった経緯は、このあとお話しします。
養玉院如来寺・五智如来坐像:3mの如来が、横一列に5体
瑞應殿の中には、金色の顔をした如来が5体、同じ向きで並んでいます。向かって左から、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、宝生如来、薬師如来。像高は3m前後で、最大は中央の大日如来の3.22mです。
この像は、1体ずつ見上げるより、並びとして端から端まで目で追ってほしい像です。左の釈迦さんから右の薬師さんへ、視線を横に動かす。そうすると、5体が「1つの考え」を分けて置いたものに見えてきます。
仏像リンク編集部MEMO 📝




真ん中の大日如来さんは、5体のなかで宝冠をつけた姿です。大日如来がどんな存在なのかは、解説記事にまとめています。
5体をつくったのは、如来寺を開いた木食但唱(もくじきたんしょう)と弟子たちと伝わります。伊那(長野県)で彫られたとされ、江戸時代初めの1636年、高輪の如来寺に安置されました。その後、1725年と1745年の火事で像の多くが焼け、いまの姿の大部分は、のちに再興されたものです。薬師如来さんの頭部だけが残った、という説明もあります。
堂内では、灯籠を持った天燈鬼さんが、センサーで点灯して像を照らしてくれると、訪れた人の投稿にありました。暗い堂の奥で、金色の顔だけが光を拾っています。この光の入り方を知って行くと、見る時間が変わります。
名称: 木造五智如来坐像 5躯(別称「大井の大佛」。品川区指定文化財とされる)
時代: 江戸時代(1636年ごろの造立と伝わる。のちに再興された部分が多い)
像高: 3m前後(中尊の大日如来は3.22m)
材質: 木造・寄木造
特徴: 向かって左から釈迦・阿弥陀・大日・宝生・薬師が横一列に並ぶ。中尊の大日如来は宝冠をつけた姿。
養玉院如来寺・阿弥陀如来立像:大きな5体の陰にいる、91cmの1体
五智如来の堂を出て、もう1体、見ておきたい像があります。平安時代末期から鎌倉時代初めの、阿弥陀如来立像です。像高は91cm。江戸の3mの5体を見たあとだと、同じ寺の像とは思えないほど小さく感じます。
右手を胸の高さに上げ、左手を下げる。来迎印と呼ばれる形で、臨終の人を迎えに来る阿弥陀さんの姿です。対馬藩の宗家の念持仏であったといわれます。大きさで押してくる5体と、手の形だけで語りかけてくる1体。同じ寺で、時代も語り方も違う像に会えるのが、この寺の面白さです。阿弥陀如来の見分け方は阿弥陀如来の解説へどうぞ。
仏像リンク編集部MEMO 📝


名称: 木造阿弥陀如来立像(品川区指定文化財とされる)
時代: 平安時代末期〜鎌倉時代初期
像高: 91cm
材質: 木造・寄木造
特徴: 右手を胸の高さに上げ、左手を下げる来迎印。対馬藩の宗家の念持仏であったといわれる。
その他の見どころ
この寺は、ほかにも区指定の像がいくつも残ります。像の顔ぶれを眺めると、2つのお寺の履歴書を読んでいるようです。
本堂の釈迦如来坐像と両脇侍像
本堂には、釈迦如来坐像と、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)の両脇侍像が安置されています。1677年に、長崎で范宗仁という仏師に彫らせたと伝わります。黄檗様式の特徴がみられる像とされます。
天海僧正坐像と念海和尚坐像
天海僧正は、徳川家康の信任が厚く、上野の寛永寺を開いた僧です。この養玉院の開基でもあります。像は1644年、大仏師慶雄の作と伝わり、像高は90cmです。
念海和尚は、養玉院の2代住持です。この像は、生前の念海のために弟子の玄悦坊快運が願主となってつくらせたもので、1671年に仏師長五郎が彫ったと伝わります。像高は50.5cm。手を合わせた小さな座像で、五智如来とは別の距離感で、人の顔に近づける像です。
石造線刻地蔵菩薩坐像
安山岩の石の表面に、蓮華の上で結跏趺坐する地蔵菩薩さんを線で刻んだ像です。1651年に、念仏講衆25人の結縁でつくられました。もとは高輪の如来寺の本堂の脇にあった納骨堂の本尊で、高さは119.5cmとする図があり、2.67mとする記述もあります。
荏原七福神の布袋尊
この寺は荏原七福神の1つで、布袋尊をまつります。七福神は、大井町駅に近い大井蔵王権現神社の福禄寿から、西の小山八幡神社の大国天まで、約6kmに連なります。布袋尊は五智如来と同じ瑞應殿の中の、ガラスのケースにおさまっています。
仏像リンク編集部MEMO 📝


お盆の8月13日には、境内に約1000個の提灯がともり、千灯供養が行われます。
お寺の歴史と伝承


養玉院の前身は、金光山養玉院大覚寺といい、創建は平安時代ごろまでさかのぼるともいわれますが、詳細は分かっていません。いまの千代田区大手町のあたりにあったとされます。
江戸城周辺の都市計画工事で、慶長年間(1596〜1615)に上野の山内へ移りました。1635年、上野の寛永寺の子院として、天海僧正を開基に始まります。のちに対馬藩の宗家の菩提寺となり、2代藩主の室・お福の方の遺言で、1663年にその戒名をとって「養玉院」と改めたと伝わります。1698年の火災で下谷坂本へ移りました。
一方の如来寺は、1636年、木食但唱が高輪に建てたお寺です。但唱は火を使わず木の実や草を食べて修行する「木食」の僧で、長野や和歌山の山中で修行したのち、江戸に出ました。仏師としても名が知られ、長野の奇妙山には、木食の修行中に岩へ刻んだと伝わる石仏や、千体仏が残ります。
高輪は、泉岳寺に近い旧東海道沿いで、海に面した、人の往来が多い土地でした。ここに安置された五智如来は「芝高輪大仏」と呼ばれ、江戸の人たちに親しまれます。ただ、1725年と1745年の火事で像は焼け、その都度再建されたと伝わります。1908年に如来寺は現在の西大井へ移り、大正時代に養玉院が移ってきて、合併しました。
主な歴史年表
平安時代ごろ: 養玉院の前身の創建がさかのぼるともいわれる(詳細不明)
慶長年間(1596〜1615): 江戸城周辺の工事で、上野の山内へ移る
1635年: 上野の寛永寺の子院として、天海僧正を開基に始まる
1636年: 木食但唱が高輪に如来寺を建て、五智如来を安置したと伝わる
1663年: お福の方の戒名にちなみ「養玉院」と改称
1698年: 火災で被災し、下谷坂本へ移る
1725年・1745年: 火事で如来寺の五智如来などが焼ける
1908年: 如来寺が現在地へ移る
大正時代: 養玉院が移り、如来寺と合併して「養玉院如来寺」となる
なぜ、五智如来に薬師さんと釈迦さんがいるのか
密教の五智如来は、大日如来を中心に、東に阿閦(あしゅく)如来、南に宝生如来、西に阿弥陀如来、北に不空成就如来を置くのが、ふつうの顔ぶれです。ところがこの寺では、東の席に薬師如来さん、北の席に釈迦如来さんが座っています。同じ席に、別の名前の像がいる。ここが、この寺の五智如来のいちばん不思議なところです。
江戸時代の庶民は、五智の5体に、それぞれのご利益を重ねて考えました。大日は万物を慈しむ太陽の功徳。薬師は医薬の功徳。宝生は福徳財宝と五穀豊穣の功徳。阿弥陀は往生極楽の功徳。釈迦は真理へ導く功徳です。


ここからは私の想像です。
阿閦さんや不空成就さんは、名前を聞いても、何をしてくれる相手なのか分かりにくい。薬師さんなら「病を治す」、釈迦さんなら「教えを説いた人」と、一言で分かります。高輪は、旧東海道を人が行き交う場所でした。通りすがりの人が、願いの「窓口」をすぐ見つけられるように、5つの席の顔ぶれを入れ替えたのではないか。私は、そう見立てています。
大きな5体は、大きさで人を呼ぶ入口です。そして並びの中身は、暮らしの願いを受け止める窓口の列。そう考えて見ると、3mの像が急に、親しみのある相手に見えてきます。
まとめ:3mの5体は、江戸の人の「窓口」だったのかもしれない
都内の住宅地の奥で、3m前後の如来が5体、横一列に座る。その大きさは、確かに見せ場です。ただ、この寺で本当に見てほしいのは、並びの中身のほうだと思います。
釈迦、阿弥陀、大日、宝生、薬師。病を治す、極楽へ送る、財を授ける、真理へ導く。5つの願いが、1列に並んでいる。火事で焼けても、そのたびに再建された理由は、ここにあったのかもしれません。2つのお寺が1つになったあとも、人の願いを受け止める列は、そのまま残りました。


最後に、問いをひとつ。この5体のうち、あなたの足が最初に止まるのは、どの前でしょうか。そして、本来の五智如来の並びと比べたら、どの席の顔ぶれが入れ替わっているでしょうか。
次に会いに行くなら
「本来の五智の並びを見るなら、東寺。」講堂に、大日如来を中心にした五仏が並びます。養玉院の5体と見比べて、どの席の顔ぶれが違うのか、確かめてみてください。
「同じ『五智』を、地方の巨像で見るなら、木喰五智館。」宮崎県西都市の日向国分寺跡に、江戸時代の僧・木喰行道(もくじきぎょうどう)が彫った五智如来が並びます。如来寺の五智如来を彫った木食但唱とは、名前が似ていますが別の人です。拝観方法は、西都市の公式でご確認ください。
「江戸の大きな像が並ぶ空間を、もう1か所見るなら、五百羅漢寺。」同じ江戸時代の像が、堂内にずらりと並ぶ空間です。
同じコース「関東の日帰り見仏」で、こんなところはどうでしょう
養玉院如来寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 帰命山 養玉院如来寺(現在の登録名は「養玉院」) |
宗派 | 天台宗 |
住所・アクセス | 〒140-0015 東京都品川区西大井5-22-25/都営浅草線「馬込」駅から徒歩約8分、JR横須賀線「西大井」駅から徒歩約10分 |
電話 | 03-3771-4816 |
拝観時間・拝観方法 | 9:00〜16:00/年中無休、事前の予約は不要です(2026年11月にお寺へ電話で確認)。五智如来堂は「拝観」ではなく「参拝」の案内です。堂内の撮影は、お寺の方に確かめましょう。 |
拝観料金 | なし(2026年11月にお寺へ電話で確認) |
拝観時間・料金は変わることがあります。2026年11月にお寺へ電話で確認した内容を載せています。お出かけ前に、電話でご確認ください。参考:品川区立品川歴史館の展示資料
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