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【見仏入門】No.23 栃木県日光・中禅寺の仏像・見どころ/千手観音菩薩立像(立木観音)・立木仏について

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立木仏という仏像があるのを知っていますか?立木仏は自然の大木を利用してそこに仏像を彫ったもので、木のなかに仏像を彫り込んだり、足元は立木の根を残したままとしているものもあります。観音菩薩像が多いのですが、素朴で堂々としたその立木仏の前に立つと人間はちっぽけな存在に見えてきます。

 今回とりあげるのは日光にある中禅寺。日光といえば日光東照宮や華厳の滝、戦場ヶ原などが有名ですが、有名な観光地のひとつ中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)の湖畔にある中禅寺(ちゅうぜんじ)には、この立木仏の代表的な仏像があります。有名な中禅寺湖の名前はこの中禅寺の寺の名前から来ています。今回はこの中禅寺をご紹介します。

 

中禅寺・立木観音へのアクセス

 中禅寺は日光のいろは坂を登って中禅寺湖畔にでると戦場ヶ原方面に進まずに湖畔に沿って左(南)へ曲がって1kmほどいったところにあります。バスで行く場合は、JR日光駅・東武日光駅から中禅寺温泉または湯元温泉行きで「中禅寺温泉駅」下車、徒歩20分ほどです。

 

中禅寺湖の東南側はあまり訪れる人は少ないようですが、この一角は、世界各国の大使館の別荘がいくつもあった場所です。特に、イタリア大使館別荘は平成9年まで大使館別荘として使われていましたが、現在は当時の建物を復元し、緑豊かな庭園を整備して「イタリア大使館別荘記念公園」として一般開放しています。

ぜひ新緑や紅葉の季節などに、古きお寺と合わせて訪れてみることをお勧めしますが、紅葉の時期を中心に観光シーズンにいろは坂は大渋滞となりますのでご注意ください。

中禅寺・立木観音の歴史

 古来より日光連山は山岳信仰の山として拝められて来ましたが、厳しい自然環境に阻まれ、昔はなかなか登ることのできない山岳地帯でした。この日光連山というのは日光三山といわれる「男体山」「女峰山」「太郎山」のことで、標高はみな2400m前後です。

 

奈良時代になって、下野薬師寺の勝道上人(しょうどうしょうにん)が、この日光三山を極めようと767年に四本龍寺という草庵(現在の輪王寺の基(もと)となりました)を男体山(二荒山)の麓(ふもと)に結び、山への登頂を試みました。

 

そして、767年に女峰山(女峰権現:滝尾権現を祀る)、続いて太郎山(慈眼太郎明神:本宮権現を祀る)の登頂には成功しますが、男体山の登頂には2度試みましたが2度とも失敗してしまいました。それほどこの山は厳しかったのです。

3度目の782年に、とうとう男体山(二荒山)の登頂に成功し、山頂にて日光山の神霊を祈願(二荒山権現:新宮権現を祀る)しました。そして、その2年後の延暦3(784)年に勝道上人は弟子たちとともに男体山の麓に信仰の中心となる「中禅寺」を建立しました。これが関東の一大霊場といわれる日光山の山岳信仰霊場の始めとなったのです。

勝道上人は大同2年(807)82歳の高齢で再び男体山に登り、山頂に三社権現の社(やしろ)を建立し、この地域の霊場信仰の中心としたのです。勝道上人はこの翌年に亡くなっています。

当時、この中禅寺は男体山の奥宮登拝口(とうはいぐち)の方にありましたが、明治35年(1902)に起きた大きな山津波(大雨などで山くずれが起こり、大量の土砂が上から押し寄せてくること)で観音堂とともに本尊である立木観音も中禅寺湖に流されてしまいました。

しかし立木観音は幸いなことに中禅寺湖に浮いているのが発見され、寺とともに現在の中禅寺湖畔の歌ヶ浜の地に移され、現在に至るとされています。

昔、男体山は二荒山(ふたらさん)と呼ばれていましたが、この名前は観音浄土の「補陀洛(ふだらく)」に由来するといわれています。中禅寺も補陀洛山(ふだらくさん)中禅寺と最初は呼ばれていました。

また、この中禅寺は坂東観音33霊場の一つで、18番目にあたります。

 

中禅寺・立木観音の仏像について

 

中禅寺の本尊は「立木観音」と呼ばれる巨大な木造十一面千手観音菩薩像で、国の重要文化財に指定されています。 現在は中禅寺の本堂(観音堂)に祀られています。

この千手観音は、高さ6m程の大きさがあります。穏やかな表情で、その大きさと迫力は訪れた人を圧倒します。十一面千手観音菩薩像は頭部の十一面の像は同じ木に彫られていますが、42本ある千手などは寄木で造られています。

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この立木観音像は寺の開祖である勝道上人が、中禅寺湖を舟で回遊し、その時に湖上に千手観音がお姿をあらわすのをごらんになり、そのお姿を、根を張った1本の大きな桂の木に彫り上げたものと伝わっています。

特に子年(ねずみ)の人にとっては「守り本尊」と信仰されております。

またその脇侍として源頼朝が寄進したという高さ約2mの四天王像が祀られています。

 

 

中禅寺には勝道上人が中禅寺湖に小舟を浮かべて巡拝していたときに空から天女が舞い降りてきて歌い舞ったという伝説があり、現在の地の地名「歌ヶ浜」の名前の由来になっています。この時の天女の姿を現したとされる「吉祥天像」という高さ約60cmほどの仏像がありますが、秘仏とされ特別な時にしか公開されません。

また中禅寺境内には本堂以外に、不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の五大明王が祀られている五大堂があります。五大堂の天井画には大きな龍(大雲龍)が描かれています。

五大堂から眺める中禅寺湖の景色はすばらしく、日光の絶景ポイントの一つに挙げられています。

立木仏について

立木仏についてもう少し述べておきましょう。立木仏は自然の立木を根本からそのまま残し仏像の高さまで自然木を活かして彫った仏像ですが、根の部分は腐りやすいので切断したものや、少し残したものなどさまざまです。日本では古来より山岳信仰と同じように大きな木に霊力を感じてきました(霊木信仰)。

立木仏の信仰は8世紀頃に始まったといわれていますが、10世紀から12世紀(室町時代から鎌倉時代)に作られたものが多く残されています。しかしその数はそれほど多くはありません。平安時代の作ではこの日光の立木観音の他に、長野県智識寺(ちしきじ)の十一面観音像や茨城県西光院(さいこういん)の十一面観音像などが代表的な例です。

有名な立木仏・茨城県西光院/十一面観音

 西光院(峰寺山)は法相宗の名僧徳一法師が、平安時代の初期に筑波山に中禅寺(現在の大御堂や筑波神社の前身:日光と同じ中禅寺という名前のお寺というのも気になりますね!)を建てた後に、筑波山から連なる東側の山の中腹にお堂を建てたのが始まりです。山の中腹の崖に京都清水寺の舞台で使われている構造と同じ懸造り(かけづくり)の舞台が建てられており、廻廊からの眺めがすばらしいことから「関東の清水寺」とも呼ばれています。

 

 この寺に残されている室町時代後期の作と見られる立木観音菩薩(十一面観音)は、この舞台の手前に置かれたお堂に置かれていますが、高さが6mほどあり、像の素朴さとやさしさ、またその大きさに圧倒されます。

この立木観音像には桧材が使われていて、十一面観音像ですが千手ではありません。左手を下におろし、右手を前に出してマイクをもって歌っているかのような姿です。

 これらの肩から先の手の部分は寄木で造られています。また台座を作らず、自然木の根を矧ぎ付け(はぎつけ)して継いでいます。日光の立木観音と比べると仏像としては拙さも残りますが、素朴な良さが伝わってきます。

 

この像はこの西光院にあったものではなく、昔、この山の麓にあった「立木山広照院長谷寺」に安置されていたと伝えられています。

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中禅寺の立木観音は中禅寺湖の自然をあらわす象徴ともいうべき存在感を示しています。実際立木仏であったかどうかは定かではありませんが、その大きな存在は霊木がそのまま仏像になったことを想像するにふさわしい魅力があります。是非日光への観光がてら、立木仏をお参りしてみてはいかがでしょうか。

中禅寺・立木観音の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

日光山輪王寺別院中禅寺

宗派

天台宗

住所

〒321-1661 栃木県日光市中宮祠2578

電話

0288-55-0013

拝観時間・料金

季節によって拝観時間が異なります。

4月~10月 :8:00~17:00
11月と3月:8:00~16:00
12月~2月 :8:30~15:30

大人:500円、小中学生:200円、障害者(身障者):100円

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地図

 

 

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