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No.52:東京都・五百羅漢寺の仏像/羅漢像、羅怙羅尊者、舎利弗尊者、白沢(獏王)/御朱印など

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東京目黒にある五百羅漢寺は「目黒のらかんさん」と呼ばれて親しまれています。

東京の人にもあまり知られていないのですが、目黒にあるこのお寺はなんといっても「羅漢(らかん)」とよばれる仏像が堂内にぎっしりと500体(実際は300体ほどです)が立ち並んでいて「東京にもこんな場所があるんだ!」ときっと思うに違いありません。

京都の三十三間堂に入って皆さんがあっと驚くたくさん仏像が並んび圧倒されますが、「東京の三十三間堂?」と思ってしまうような迫力を目黒でも体感できるスポットです。

五百羅漢寺へのアクセス

五百羅漢寺へはJR山手線の目黒駅西口から徒歩12分、または東急目黒線の不動前駅から徒歩9分くらいの場所にあります。

 

目黒駅からは西口から行人坂と呼ばれた急な坂を下りますが、行人坂の由来は江戸時代に目黒不動などと江戸を結ぶ交通の要の場所で17世紀前半に湯殿山の行者(大海法印)が大日如来のお堂を建て、この坂を切り開いたことから言われるようになったといわれています。このお堂が現在の大円寺(だいえんじ)となりました。大円寺は江戸時代に2番目に大きな火事の火元ともなったようです。

 

こんな江戸時代の歴史の残る行人坂界隈をのんびり散策しながら是非この五百羅漢寺を訪れてください。当然隣の目黒不動尊も見逃せませんね。1683年に製作された大きな「銅製の大日如来坐像」や1796年に作られた「銅製の役の行者倚像」などがあります。

国重要文化財の清涼寺式釈迦如来を祀る大円寺

行人坂の途中にある大円寺には京都嵯峨の清凉寺に伝わる国宝の釈迦如来立像をうつして造られたという鎌倉時代1193年に作られた像高162cmの木造釈迦如来立像(カヤ材の寄木造:国重要文化財)があります。秘仏のため常時の公開はされてませんが1月1日~7日、4月8日、2ヶ月に1度の大黒天のお祭り(甲子祭)の日、11月初旬に開催される東京文化財ウィークなどでご開帳となっています。

 

また大円寺は八百屋お七の恋人だった吉三がお七処刑後に「西運」という僧になり明王院という寺に入り、お七の菩提を弔うために、供養を重ね「お七地蔵尊」を造り、またこの行人坂の道に敷石をしたり、下の目黒川に石の橋を架けたりしたそうです。

この明王院があった場所は現在結婚式場としてよく知られた「目黒雅叙園」となっていますが、明王院は明治13年に大円寺に吸収され、大円寺の阿弥陀堂には来迎阿弥陀三尊像の前に「お七地蔵尊」としてまつられています。また目黒川に架かる橋の建立を供養して寺の入り口に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」という石像が置かれています。

五百羅漢寺の歴史

五百羅漢寺は1695年(江戸時代)に鉄眼道光(てつげんどうこう)禅師という人により開かれました。鉄眼は肥後国(現熊本県)で守山八幡宮の別当寺の僧を父として生れ、父が浄土真宗に帰依していたので浄土真宗を学びます。また13歳で浄土宗の海雲の下で出家しました。しかし流派や寺格により僧侶にも格付け(かくづけ)があることなどに憤慨し、1655年に長崎・興福寺の明の渡来僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)」のもとに参じて禅宗(黄檗宗(おうばくしゅう))に改宗しました。その後、大坂の瑞龍寺(ずいりゅうじ)、熊本に三宝寺(さんぽうじ)、京都府宇治の萬福寺(まんぷくじ)内に経蔵「宝蔵院(ほうぞういん)」、大坂の金禅寺(きんぜんじ)、東京港区北青山の海蔵寺(かいぞうじ)など7寺を開きました。

この鉄眼禅師を有名にしているのは「大蔵経(だいぞうぎょう:仏教の経典や弟子たちに教えることなどを記したもの)」を刊行するために一心で集めた浄財(資金)を飢えに苦しんでいた人々の救済のためにすべて分け与えてしまったエピソード。

それも1度(洪水)だけでなく2度(飢餓)でも行ったのです。これで救済された人の数は1万人以上にも及ぶといわれています。

3度目の浄財資金でようやく「大蔵経」を刊行することができ、黄檗(おおばく)版大蔵経または鉄眼版大蔵経などと呼ばれています。しかしそれだけでなく、この経典を印刷する技術を自ら確立したため、印刷技術のパイオニアとも呼ばれています。この大蔵経が完成した後も死ぬまで、鉄眼禅師は大阪で飢えに苦しむ人たちに米を施していたといいます。そして昭和4年に昭和天皇より頂いた諡号(しごう:死んだ後につけられる称号)は宝蔵国師をもらうまでになります。

長くなりましたが、五百羅漢寺は1695年に武蔵国葛飾郡西葛西領亀戸村本所五の橋の南(現 東京都江東区大島三丁目付近)に、この鉄眼禅師により開山されました。しかし鉄眼禅師は1682年に亡くなっていたので、実際の開基は鉄眼の弟子でこの寺の仏像、五百羅漢像を彫った松雲元慶(しょううんげんけい)という人物です。

この時、寺院建立にあたって中国明(みん)からやってきていた黄檗宗(臨済宗黄檗派)の高泉性敦(こうせんしょうとん)を迎えて点眼供養し天恩山羅漢寺と号しました。この時はまだ黄檗山の末寺でした。

松雲元慶は京都生まれの仏師で1669年に難波(大阪)の瑞龍寺(ずいじゅうじ)にいた鉄眼禅師に師事して出家し、その時に薬師如来像と十二神将像を彫り、その後の五百羅漢像などを含めて全部で536体の仏像を彫っています。

松雲は諸国を行脚(あんぎゃ)して豊前国(ぶぜんのくに:大分県北部と福岡県南部)耶馬渓(やばけい:大分県)の羅漢寺(らかんじ)で五百羅漢を拝んで自らも五百羅漢を彫ることを決心したのです(1687年)。

大分の耶馬渓の五百羅漢(羅漢寺)について少し触れます。耶馬渓と言えば渓谷(川・岩肌)の神秘的な美しさでよく知られた場所ですが、耶馬渓の羅漢山の岩壁にあるたくさんの洞窟の中に五百羅漢像千体地蔵像など3700体もの石仏が安置されています。これらは645年にインドの僧、法道(ほうどう)仙人が最初の1体を彫り、その後だんだんに増えていったものといわれています。

松雲はこの耶馬渓から江戸に来て1691年に羅漢の1号を彫り、浅草寺境内の仮小屋や羅漢寺が建立されてからはこちらのお寺などで1700年頃までに500体のほとんどが完成したようです。

その後このお寺は徳川吉宗(よしむね)などの援助を受け多くの建物、塔、灯篭などが作られています。中でも特徴的なのが1741年に境内に建てられた「三匝堂(さんそうどう」(通称 さざえ堂)です。

 

このお堂は、さざえの巻貝の形のお堂で、内部が3層のらせん状をしており、同じ通路を通らずに上り下りができる構造となったものです。その通路の間に百観音像(西国33観音、坂東33観音、秩父34観音)を配置して、それら全ての観音様を拝むことができるようになっていました。この堂は江戸の風物詩として葛飾北斎歌川広重の浮世絵にも描かれ、人気を博していましたが、残念ながら1840年代の暴風雨や安政の大地震(1855)などで寺も荒廃してしまい現在はありません。

五百羅漢寺は明治41年に目黒の現在地に移りました。江戸時代の絵を見ると松雲が製作した五百羅漢像は本殿とその左右の回廊状となった東西羅漢堂に安置されていて、参詣人は一方通行ですべての羅漢像を参拝できるように工夫がされていました。これもさざえ堂と同じような考え方です。ところがこの東西羅漢堂も安政の大地震で倒壊したようです。目黒に移ってからも無住となっていた時期もあり荒廃が続いたようです。昭和13年(1938年)安藤妙照尼(元 新橋の芸者お鯉)が入寺して徐々に寺が整備されていき、現在の五百羅漢寺となっています。

五百羅漢寺の仏像の詳細

五百羅漢寺に安置されている仏像は、2017年現在で羅漢像287体を含めて305体の木造仏像が安置されており、これらはすべて東京都指定文化財となっています。またそれらの像はすべて「松雲元慶禅師」の作です。

この305体の仏像の内訳ですが、釈迦如来及び両脇待像 3体、大伽藍阿弥陀両尊者立像 2体

十六羅漢立像 5体、十一面観世音菩薩立像 1体

白衣観世音菩薩半跏踏下像 1体、地蔵菩薩坐像 1体

仏形坐像(阿弥陀坐像) 1体、五百羅漢坐像(蘇頻弥陀坐像含む) 287体

菩薩達磨坐像 1体、鉄眼禅師倚像 1体

松雲禅師倚像(象先) 1体、白沢像 1体

です。

実は寺が目黒に移る前にあった本所五ツ目は川の近くの埋め立て地にあったため、たびたび洪水に見舞われていました。このため寺は衰退し、羅漢像などもいくつか失われてしまったようです。

羅漢さんとは

羅漢(らかん)とはお釈迦様の弟子のことで、インドでは修行を積んで真実の智慧(ちえ)を授かった聖者を「アラハン」と呼びました。これが中国に伝わり「阿羅漢」と書かれていたのですがいつの間にか「ア」が取れて「羅漢(らかん)」となりました。

お釈迦様の弟子は、一般には「十六羅漢」とか「十八羅漢」といわれており16人または18人を指します。これが500人の弟子となるとさまざまな人物がいて、表情やしぐさなど全て同じものはありません。そのため自分に似た羅漢さんを探すと必ずどこかにいるといわれています。

 

五百羅漢像の多くは石像で寺の外に置かれたり、岩肌に彫り込まれたり、洞窟の中に置かれていたりするものが多いのですが、ここの羅漢様はすべて木造です。1体1体丁寧に彫刻され、その表情や姿もみな個性的で変化に富み何度訪れても、その都度違った魅力にはまってしまいます。

 

本堂内

五百羅漢像はすべて木造のため損傷も激しく、年に5体ずつ修復に出しているとのこと。このため展示してある仏像の数はきっと数えてみると305体でなく300体なのかもしれませんね。

本堂内にはたくさんの羅漢様が安置されていますが、入りきれない像146体は羅漢堂に安置されています。

このお寺も仏像の写真撮影は禁止されていますが、HP等で公開されているいくつかを紹介します。

羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)

羅怙羅尊者はお釈迦様の十大弟子の一人です。

「釈迦」が出家前に妃「耶輸陀羅(やしゅだら)」との間にもうけたのが、この「羅怙羅」です。このため御釈迦さんの実子ですが、決して驕る(おごる)ことはなく、規律を守り、”戒行(かいぎょう:戒律を守って修行に励むこと)第一”と言われ、人々の模範になりました。

舎利弗尊者(しゃりぶつそんじゃ)

舎利弗尊者もお釈迦様の十大弟子の一人です。

その中でも「智慧(ちえ)第一」といわれています。

なかなかいいお顔ですね。

白沢(獏王)

獏(ばく)は人間の悪い夢を食い、善い夢を与えてくれる動物といわれています。

また江戸時代には獏は中国の想像上の神獣「白澤」(人と会話ができ、良い政治を行う皇帝などのところに姿を見せ、助言を与えてくれる神獣)と同じものと考えられていました。当時の寺の開基の松雲禅師もこのことを念頭においてこの獏王像を彫ったと思われます。

顔は人間で、体は牛、また虎のしっぽを持っています。さらに額と腹の両側に各三個ずつ、計九個の眼があります。もとは本尊のうしろを守る神として安置されていたものです。

それにしても迫力満点のお顔ですね。皆さんも他ではきっと拝観することができないこの神獣の姿を直に前に立ってごらんいただければと思います。

五百羅漢寺のご朱印

 

五百羅漢寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

天恩山五百羅漢寺

宗派

浄土宗系の単立

住所

〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20−11

電話

 03-3792-6751

拝観時間

9:00~17:00

拝観料金

大人:300円 団体(20名以上):200円

学生;200円 団体(20名以上):100円

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※この記事の画像は五百羅漢寺様のホームページより一部引用させていただいております

 

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