鹿児島の大地は、かつて仏教の灯が完全に消えかけた苛烈な歴史を持つ。息子が野球部が引退となり、中学入学を控えた春、親子二人で九州へと旅に出た。宮崎の仏像には幾度か対面してきたが、鹿児島に平安時代まで遡る古仏が残っているという事実は、どこか信じがたい予感とともにあった。のどかな田園地帯が広がる薩摩川内市高江町。目的地は寺院ではなく、どこにでもあるような小さな公民館だった。

長崎寺跡(長崎公民館):激動の廃仏毀釈を潜り抜けた、黄金の阿弥陀三尊

周辺に広がる田園地帯。管理人の手によって開かれた公民館の扉の向こうから現れたのは、眩いばかりの黄金の阿弥陀如来だった。中央に座すのは、平安末期の面影を色濃く残す木造阿弥陀如来坐像。そのふっくらとした額の張り、小粒に整えられた螺髪、そして一直線に引かれた髪際。定朝様の系譜を感じさせる端正な姿が、そこにはあった。

かつて薩摩を襲った廃仏毀釈の嵐は、島津家の菩提寺ですら例外としない徹底したものだった。寺は焼かれ、仏像は川に沈められ、金属は砲弾の資材となった。そんな「仏教消滅」の地において、この三尊は竹藪や山間の集落へ隠され、村人の手で密かに守り抜かれたと伝わる。かつての荒波をくぐり抜けてきたとは到底思えない、余裕さえ感じる穏やかな表情。奇跡という言葉だけでは足りないほどの重みが、その静かな空間に満ちていた。

仏像リンク編集部MEMO 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
鹿児島県内で平安時代の木彫仏を拝めること自体、歴史的な大事件と言えるほど貴重な体験です。

薩摩川内市の長崎公民館(旧長崎寺)に安置されている三尊像は、廃仏毀釈の激戦地であった鹿児島において、地域住民が命がけで守り抜いた至宝です。平安末期の阿弥陀如来と、鎌倉時代の作風を示す両脇侍。それぞれの様式の違いにも注目してご覧ください。

仏像カルテ<木造阿弥陀如来坐像>

名称: 阿弥陀如来坐像(鹿児島県指定有形文化財)

時代: 平安時代末期(約800年前)

像高: 84cm

材質: 木造

特徴: 藤原様式(平安後期)の特徴を見せる。螺髪は小粒に美しく整えられ、額の髪際は一直線。ふくよかな顔立ちと端正な鼻筋、伏し目がちで慈悲深い表情が特徴。来迎印を結ぶ。全体に金箔が施され、損傷が少ない。

 

仏像カルテ<木造観音菩薩立像>

名称: 聖観音菩薩立像(鹿児島県指定有形文化財)

時代: 鎌倉時代(南北朝期・約700年前)

像高: 106.8cm

材質: 木造

特徴: 鎌倉様式の特色を持ち、高い髻を結い上げている。裙の衣の襞は概念的な重なりを見せ、堅い波形を描く。13世紀後半の畿内仏師による制作と推測され、小柄ながら緊張感のある造形が特徴。

仏像カルテ<木造勢至菩薩立像>

名称: 勢至菩薩立像(鹿児島県指定有形文化財)

時代: 鎌倉時代(南北朝期・約700年前)

像高: 104cm

材質: 木造

特徴: 観音菩薩像と対を成す。鎌倉様式で高い髻を結う。洗練されたキリッとした表情を見せる。

お寺の歴史と伝承

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
1500人の僧侶を抱えた大寺院すら消滅した薩摩で、なぜこの仏像だけが残ったのか。その謎に迫ります。

長崎寺の歴史は古く、鎌倉時代末期の1328年には既に存在していた記録があります。しかし、明治時代の廃仏毀釈により寺は廃され、建物は取り壊されました。当時、仏像が破壊されるのを恐れた地元の人々は、近くの川内川の竹藪に隠した、あるいは山並みの奥にある毎床集落へ避難させたという二つの伝承が残っています。1987年に阿弥陀堂が老朽化した際、現在の長崎公民館として建て替えられ、仏像たちはその中に再び安住の地を得ることとなりました。

主な歴史年表

嘉暦3年(1328年):『新田神社文書』に「長崎寺淨観房」の記述があり、この頃には存在していた。

鎌倉時代末期:円浄阿闍梨が莫祢成友に「長崎村」と共に「阿弥陀像」を譲与する。

天正11年(1583年):長崎寺の六地蔵塔が建立される(現在の公民館庭に現存)。

明治2年(1869年)1月:廃仏毀釈により長崎寺が廃寺となる。

昭和62年(1987年)3月16日:阿弥陀如来坐像と両脇侍像が鹿児島県指定文化財となる。

昭和62年(1987年):阿弥陀堂が長崎公民館として建て替えられる。

息子と共に過ごした鹿児島の時間は、単なる観光以上の意味を持っていた。壊され、失われたものが多いこの地で、今もなおそこに在り続ける仏の姿に、目に見えない信仰の底力を教わった気がする。案内してくれた公民会長さんの温かな人柄も相まって、旅の終わりは爽やかな感謝に包まれていた。かつての激動を乗り越えた阿弥陀さんは、今日も公民館の中から、静かに村の平穏を見守っている。

【解説】鹿児島の廃仏毀釈:寺と僧侶が「完全消滅」した、日本で最も苛烈な1000日

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
鹿児島を旅すると、首のない石仏や「お寺跡」という看板をよく目にします。明治初期に起きた壮絶な歴史の跡なんです。

鹿児島(薩摩藩)の廃仏毀釈は、日本全国の中でも類を見ないほど徹底的かつ苛烈なものでした。その実態を一言で言えば、「県内の寺院と僧侶が、一時期完全にゼロになった」という、極めて衝撃的な歴史です。

1. 「寺院ゼロ・僧侶ゼロ」という極端な断絶

明治政府が発した「神仏分離令」をきっかけに、薩摩藩では凄まじいスピードで寺院の破壊が進められました。その結果、当時藩内にあった1,066もの寺院はすべて廃され、約3,000人いた僧侶は一人残らず還俗(げんぞく:僧侶をやめて俗人に戻ること)させられるか、国外へ追放されました。これにより、鹿児島の大地から仏教という宗教インフラが一度「完全消滅」したのです。

2. なぜ、これほどまでに激しかったのか?

そこには、単なる宗教的な対立だけでなく、当時の薩摩藩が抱えていた「富国強兵」への焦りがありました。 一つは、「金属資源の確保」です。寺院の鐘や仏像、仏具を溶かし、大砲の原料や偽造通貨(藩札の裏付け)にするための軍事的な目的がありました。 もう一つは、「神道中心の国づくり」。薩摩藩は明治維新の先導役として、古い仏教の権威を否定し、天皇を中心とした神道的な世界観を徹底させようとしたのです。

3. 今日私たちが目にする「壊された記憶」

現在、鹿児島を歩くと道端に首の欠けたお地蔵さんや、顔を削られた石仏を多く見かけます。木造の仏像は多くが薪として燃やされ、石仏は細かく砕かれて川や道に捨てられました。 しかし、その一方で、長崎寺(長崎公民館)の阿弥陀三尊のように、村人たちが命がけで「竹藪の中に隠す」「土に埋める」などして守り抜いた仏像もわずかながら存在します。

仏像リンク編集部からの一言 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
鹿児島の古仏に出会うということは、単なる「古いものを見る」ことではありません。数々の破壊の危機をくぐり抜けてきた「奇跡そのもの」と対面しているのだと思うと、より一層深く尊く感じられますよね。

歴史の荒波に揉まれながらも、人々の心の奥底で守り継がれた祈りの形。そんな背景を知った上で鹿児島の仏像を拝むと、その穏やかな表情の中に、言葉にできない強さを感じ取ることができるはずです。

長崎寺(長崎公民館)の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

弥陀山 長崎寺(みださん ながさきじ)※現在は長崎公民館

宗派

曹洞宗

住所・アクセス

〒895-0131 鹿児島県薩摩川内市高江町1126-4

薩摩川内市・峰山地区。周辺は田園地帯。

電話

拝観時間・拝観方法

川内市への事前連絡のうえ確認

拝観料金

志納

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