北関東自動車道を太田藪塚ICで降り、太田市の市街地へと車を走らせる。かつての宿場町の面影を探しながら脇屋町へと入ると、周囲は現在進行形で開発が進む工場地帯へと姿を変えていた。

立ち並ぶ巨大な倉庫群の合間に、バスを停める。ここが新田義貞の弟、脇屋義助ゆかりの地であることを示すように、静寂を守る一角があった。脇屋山正法寺

12年に一度、午年の4月18日。わずか一日だけその扉が開かれるという秘仏を目当てに、バスを降り参道を歩き始めた。境内に入ると、檀家と思われる方々が暖かく迎えてくださった。ご住職が自ら語るライブペインティングの説明に耳を傾け、本堂の裏手へと足を向ける。

正法寺・聖観音菩薩立像:円柱のシルエットに宿る平安の面影

本堂の裏に建つ小さな収蔵庫。その扉の向こう、一段高い場所にその聖観音立像は立っていた。視線が、まずはその独特なシルエットに吸い寄せられる。全体的に円柱のようなまとまりを見せる体つき。

藤原時代の典型的な様式を色濃く残しながらも、鎌倉時代初期の理知的な気配を微かに湛えている。最も目を引くのは、その豊かなお腹周りだ。ぷくっと膨らんだ腹部には、長い歳月を経てもなお、鈍い光を放つ金箔が残っている。

口元にもかすかに残る金色の輝きが、かつての荘厳さを今に伝えていた。左手から伸びる五色の紐。それは堂外に立てられた回向柱へと繋がり、参拝者と仏さんとの縁を物理的に結んでいる。黒ずんだ木肌の質感からは、工場の機械音とは無縁の、凝縮された時間が滲み出していた。

聖観音菩薩立像|黒ずんだ木肌と腹部に残る金箔の対比
本堂にある本尊そっくりの聖観音菩薩立像レプリカ|黒ずんだ木肌と腹部に残る金箔の対比

仏像リンク編集部MEMO 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
12年に一度、たった一日だけの御開帳。その希少さと共に、平安から鎌倉へと移り変わる時代の息吹を感じられる一躯です。
引用元:教育部文化財課

正法寺のご本尊である聖観音さんは、県指定の重要文化財です。155cmという、人間に近い親しみやすいサイズ感ながら、寄木造りの技法を用いた精巧な造りが特徴です。かつて高崎の博物館でレプリカが展示されたこともありますが、やはり12年に一度、午年の4月18日にこの山内の空気感と共に拝観するのは、格別の体験となります。五色の紐を通じて、直接その霊力に触れることができる貴重な機会です。

仏像カルテ<聖観音菩薩>

名称: 聖観音菩薩立像(群馬県指定重要文化財)

時代: 鎌倉時代初期(平安末期から鎌倉初期)

像高: 155cm

材質: ヒノキ材

特徴: 寄木造り(さし首、胴体左右矧ぎ)。藤原時代の様式を残しつつ、写実的・理知的な手法が用いられている。漆箔が施され、腹部や口元に金箔が残る。12年に一度、午年の4月18日のみ開帳される。

木造毘沙門天立像|憤怒の相で仏法を守護する勇猛な姿
本堂内の閻魔像|憤怒の相で仏法を守護する勇猛な姿

正法寺・仁王尊:京都の仏師康祐が刻んだ門を守る剛毅な相

参道の入口に立つ仁王門。その左右に、2.6メートルに及ぶ巨躯が鎮座している。京都の七条仏師、康祐の手による仁王さんだ。かつて解体修理が行われた際、顔面裏の銘文からその素性が明らかになった。彩色が施されたその顔立ちは、仏像ファンの間で「イケメン系」と称されるのも頷けるほど、整った輪郭と力強い意志を感じさせる。阿形が物事の始まりを、吽形が終わりを示すその口元は、江戸時代の作でありながら中世の力強さを色濃く受け継いでいる。門に懸けられた巨大な大鰐口を見上げ、一礼して門を抜ける。その鋭い眼差しは、工場の煙突が並ぶ現代の景色をも、静かに射抜いているように見えた。

仏像リンク編集部MEMO 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
京都の名門、七条仏師の康祐による作例。門とセットで市指定文化財となっており、いつでもその力強さに触れることができます。

こちらの仁王さんは、貞享2年(1685年)に制作されました。京都から招聘された仏師康祐の確かな技量が、その筋肉表現や写実的な彫刻技法に現れています。昭和63年の修理では、銘文によってその正確な制作年代と作者が裏付けられました。仁王門に懸かる、重さ530kgにも及ぶ大鰐口と共に、正法寺の威信を今に伝えるシンボル的な存在となっています。

仏像カルテ<仁王尊(金剛力士像)>

名称: 仁王尊(金剛力士像)(太田市指定重要文化財)

時代: 1685年(貞享2年)

像高: 2.6m程

材質: 木像

特徴: 京都の七条仏師・左京入道勅法眼康祐の作。阿形・吽形の2体。彩色が施され、写実的な中世の作風を継承している。1988年の解体修理時に銘文が発見された。

その他の見どころ

境内を巡れば、本尊の他にも歴史の断片が顔を出す。また、観音免遺跡から移転したという本堂や、新田義貞の弟・脇屋義助の遺髪塚など、この地がたどった数多の戦乱と復興の跡が刻まれている。

正法寺境内|工場地帯の中で静寂を保つ山門と参道の風景
正法寺境内|本堂前で住職による説明をうける

お寺の歴史と伝承

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
平安時代から続く長い歴史を持ち、新田氏・脇屋氏の菩提寺として厚く信仰されてきたお寺です。

正法寺は、延喜年間(901年から923年)に醍醐寺開山の聖宝が、源経基の請願を受けて開山したと伝えられています。当初は「萬明山聖宝寺」と称されていましたが、南北朝時代の武将、脇屋義助の法名にちなんで現在の「正法寺」へと改められました。新田氏一族の菩提寺として、脇屋郷を寄進されるなど隆盛を極めましたが、江戸時代の脇屋村大火により本堂が焼失。現在の本堂は、近隣の観音免から移転された観音堂を再利用したものです。幾多の火災や戦火を乗り越え、秘仏のご本尊は今も大切に守り伝えられています。

主な歴史年表

901年から923年:醍醐寺の聖宝が源経基の請願により開山。当初は「萬明山聖宝寺」と称す。

1184年から1185年:新田義重により堂塔が修理される。

1331年から1334年:新田義貞・脇屋義助が大般若経600巻を寄進。脇屋氏の菩提寺となり「正法寺」へ改称。

1685年:七条仏師康祐により仁王尊が制作される。仁王門、大鰐口もこの頃整備。

1807年:脇屋村大火により本堂焼失。観音免から観音堂を移転し再建。

1954年3月30日:聖観音菩薩立像が群馬県指定重要文化財に指定。

1982年:昭和57年、太平洋戦争で供出された大鰐口が再鋳造される。

一日の限られた拝観を終え、再び倉庫群が立ち並ぶ通りへと出る。振り返れば、倉庫の巨大な壁に切り取られた空の下に、寺の森が小さく、だが力強く息づいていた。脇屋義助の菩提を弔い、12年ごとにその姿を見せてくれる聖観音さん。その膨らんだお腹に触れた五色の紐の感触が、掌にほのかに残っている。次にこの扉が開くとき、この街の景色はさらに変わっているのかもしれない。だが、あの円柱のシルエットと口元の金箔は、変わらずここに在り続けるのだろう。

正法寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

脇屋山 聖徳院 正法寺(わきやさん しょうとくいん しょうぼうじ)

宗派

高野山真言宗

住所・アクセス

〒373-0044 群馬県太田市脇屋町562

東武桐生線 三枚橋駅より徒歩35分。北関東自動車道 太田藪塚ICより車。

電話

0276-32-0564

拝観時間・拝観方法

秘仏:12年に1度、午年の4月18日(基本)のみ開帳。平時は収蔵庫に安置。御朱印は庫裡にて対応(書置きが中心)。

拝観料金

志納(御朱印は300円)