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かぼちゃの話者(ばしゃ)【岡山県旧善福寺/大日如来坐像・十一面観音立像】

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 夏の暑い日、場所が分かりにくいからとわざわざ国道まで迎えに来てくださった 管理人さんと 落ち合って、管理人さんの自宅に車を 止めさせていただき 二人で 目的地である 大日堂を目指した。

 

35年間教職をなさった井口さんの案内で猪よけの電流柵を避けながら、道なき道である田んぼのあぜ道を進んでいくと、木造の大日堂が現れた。

到着すると井口さんや近隣の堂守の方々により、大日堂の本尊である大日如来とその横に同じ位の大きさの十一面観音の厨子の扉が既に開かれていた。

 


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 大日如来は胎蔵界の大日如来の印相をしており像高71cm 完全な一木造で、内刳はなく表面は漆箔を置いて、彩色が施されている。瞼や頬などは柔らかさを残し、地方仏師の作であると考えられる。十一面観音はやや面長で厳しく、口をやや尖らせて平安時代後期にさかのぼる観音像と思われる。こちらも大日如来同様に 地方の仏師の作ではないかと思わせる。

仲良く並んだ2体の仏像から地方の温かみを ひしひしと感じた。

 

 

管理人の井口さんが自宅からわざわざ麦茶と取れたばかりの梨を持ってきてくださり、2人で 2体の仏像の前で 談笑をさせていただいた。

この2体の仏像は大日堂の 裏山に当たる 寺谷という山に元々あった円福寺という天台宗のお寺が改宗により真言宗の善福寺と言うお寺に変わり、そこにあった仏像だそう。昔は山全体が善福寺の寺領であったと考えられ、井口さんはかつての 山とそこに広がる寺領の様子を絵の具で書いた絵を見せてくれた。近所の子どもたちにここに歴史を伝えるために書いているのだそうだ。

 現在は寺谷には何も残っていないが、かつてお寺があったことを瓦や自然発生はすることがないというお茶の木の存在などからも寺谷にかつてあったお寺の存在を今に残していると言う。

 

 

 現在は周辺のわずか4軒の民家の人々によって大日堂は守られているそうで以前もこの大日堂の周りの竹やぶから竹が床を突き抜け、トタン葺きの屋根は雨漏り寸前となっていたため、この4軒ばかりの近所の人々が、なんとかこの大日堂を守ろうと改築を決意し、自分たちで費用を工面し、なんとか建てた大日堂が現在の姿であるとかつてのご苦労のお話を伺った。

費用を出し合った人々の名前が書き連ねられる

 現在はのどかな田園地帯が広がるこの一体であるが、いい伝えによると昔は 湖がこの地に広がっていたという話があり、地名の語源にあたる言葉もこの湖の水面に静かに 漂う波から地名が付けられていたり、湖に鶴がたくさん飛来したということから「鶴淵」という地名が現在も残っていたり、民家の納屋の中からは漁業にまつわる古道具が 出てきていたり、かつてのこの家が湖の中であったことを象徴するような品々が発見されているそうだ。

 この管理人をされていた井口さんは私もお世話になったことがある、とあるサービスを発明をした有名な方のご両親であることを知り、現在はシリコンバレーで活躍する息子さんの話をとても嬉しそうにお話しされている姿が印象的だった。

 

帰りには 井口さんの畑で収穫されたての、かぼちゃや瓜のお土産をたくさん頂いてしまい、大日如来と十一面観音の素晴らしい仏像以上に、たくさんのご厚意を頂いて晴れやかな気持ちでこの家を去った。

帰りには この流域を流れる、吉野川のほとりにある市営の露天風呂で汗を流し、しばし川の音に耳を傾け、東京での喧騒から離れた田舎の旅情を噛み締めていた。

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