北方【岡山・英田歴史民俗資料館/妙徳寺兜跋毘沙門天立像】


 吉井川に沿って374号線を北上して行く。美作市の南部に位置する平成6年に作られた英田図書館の中に

英田歴史民俗資料館が建てられており、その中に仏像が祀られていることを知り資料館に伝わる、仏像を訪ねた。

赤いレンガ造りの建物の中に入っていき、図書館の係員さんに一声かけて資料館への案内を受ける。

 

資料館には昔の農家で使っていた鍬や唐箕などが並んでおり2Fは地域の文化財や周辺の寺社に関する展示が並んでいた。

 


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2Fの展示室の奥に、目的であった妙徳寺の兜跋毘沙門天立像が祀られていた。

妙徳寺は真言宗御室派の寺院であり、正式名称は鳥坂山妙徳寺という。ご本尊は如意輪観音で行基の作と伝えられており593年智春上人の開基とされ、道永上人によって中興した。

 

源義経が屋島の戦いで平家を仕留めることができたのは、屋島の北に見えた八塔寺の観音の灯のおかげであると源頼朝が八塔寺を再建したが、のちに実はこの八塔寺の灯でなく妙徳寺の灯であると分かり、妙徳寺を再建したと言い伝えられている。境内には樹齢250年の椿の木があり、現在のお堂は大正9年に再建されている。

 

今はこの寺には住職が不在で、長徳寺の住職が兼務しているそうだ。この妙徳寺に伝来したのが兜跋毘沙門天立像である。

 

兜跋毘沙門天立像は顔が磨滅してしまっているが、鎧の彫りなどは深く、平安時代の初期のであると考えられてこの地域の中では最古の仏像とされているそうだ。

 

毘沙門天を支える地天女は毘沙門天と同様に磨滅が激しく、当時どのような顔浮かべていたかはわからないほどになっている。

 

右足を正面ではなくやや右に傾けて支える姿は徳島県美馬市にある最明寺の国の重要文化財である兜跋毘沙門天立像に似ている気がした。

徳島県美馬市最明寺兜跋毘沙門天立像

坂上田村麻呂などのエピソードでも登場してくるなど、北方を護る守護神として毘沙門天は重宝される。

屋島の戦いでこの毘沙門天が慕われたエピソードも、北方の守護神である毘沙門天の存在に結びついて語り継がれているのだろう。

 

帰りに図書館の職員さんにこの資料館の質問を、軽い気持ちで投げかけてしまい、分からなかった職員さんは質問に回答しようと必死になって奔走してしまった。

 

最終的にわからず帰ろうとしたところ、車のところまで駆け足でかけてきてくださり、質問の回答がみつかったと息をあげて教えてくれた。大変感謝するのと同時にたいした質問ではなかったのに、こんなに走らせてしまって申し訳なかったなぁという反省の念が残った。

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